[小説]タピオカミルクティーを千年売る女
ついに始まったハヤカワ文庫の百合SFフェア。発売初日から百合SFアンソロジー『アステリズムに花束を』がカート落ちを起こすなど、おかげさまで大盛況となっています。そんななか、フェア新刊『ウタカイ 異能短歌遊戯』の著者・森田季節さんから担当編集者のもとに突然送られてきた、タピオカミルクティー百合を公開いたします。
『ウタカイ 異能短歌遊戯』
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「氷抜き、タピオカ増量で一杯ちょうだい」
エルフが銅貨を三枚出してきた。
「はい! お買い上げありがとうございます!」
私は典型的な営業スマイルで答える。もはや、顔に張り付いてしまって、笑うほうが楽だ。接客の型が出来上がってしまっている。その型以外の型を持ってないのだから、それは私のすべてと言わないまでも大半と言ってもいい。
私の店の前ではエルフたちが木にもたれながら、タピオカミルクティーを飲んでいる。もう、誰も木製ストローを奇異に感じたりもしていない。
この土地でも定着してしまったな。二年はやっているだろうか。
店の後ろの壁には、「正」の字が二つ並んでいて、そのどちらも◎がついてある。
○が十倍で五十、◎はさらに十倍で五百。だから、二つで千。
「もう、千年になっちゃったか」
私は誰にも聞こえないような声で、そうつぶやいた。同じことを繰り返すと時間は早く過ぎるというが、本当のようだ。千年も乗り越えられてしまった。
かつて、私は中央林間の駅前でタピオカミルクティーを売っていた。その前は町田でメロンパンを売っていた。さらにその前は立川でクロワッサンたい焼きを売っていた。流行という名前の流れに私は乗りながら、バイトで食いつないでいた。店の売り上げの割には儲からなかった。
そして、タピオカミルクティーの行列もできなくなってきたある日、いつものように店で営業スマイルを作っていたら、RPGのコスプレのような格好の青年が買いに来た。背中に斬るというより叩くことでダメージを与えるような武器が掛けられていた。
「このタピオカミルクティーの通常サイズのものを一つ」
青年はどことなく、おどおどした様子で店の前のメニュー写真を差した。陰キャなのか、それともそういう演技なのかよくわからなかったが、どっちみち何のコスプレかもわからないから、無視して営業スマイルを作った。
だが、出された硬貨が明らかに日本円ではなくて、やっと私は何かがおかしいと気づいた。日本円じゃないとかいう次元ではなくて、確実に二十一世紀のどこかの国家で通用する硬貨ではない。鋳造技術がしょぼい。ローマのポンペイから発掘されたような硬貨である。
で、前の景色を見た。
中央林間駅前ではなかった。人通りはそれなりにいたが、舗装されてなくて馬が歩いていた。
「ああ、異世界って行っちゃう時は行っちゃうんだ」
私はつぶやきながら、あくびをした。
スマホはその日のうちに捨てた。
不思議なことに食材も容器も無限に補充された。私は昔話のどれだけお米を使っても減らない米櫃の話を思い出した。そのことがわかった時点で私の中で、不安の種はなくなった。このままタピオカミルクティーを売り続ければ生きていけるだろう。
最初はファンタジーな町の中で私の店はうさんくさく見られたが、一週間も粘り強くやっていると、だんだん客が来はじめた。私の店は繁盛した。割と土ぼこりが舞って、あまり衛生的ではないが、客は慣れているのか気にしないようだったし。ただ、繁盛はうれしさの反面、私に恐怖を与えた。なにせ、ブームに乗ったものは必ずすたれると決まっているからだ。平家物語ができた頃から、日本人はそれをずっと教えられてきた。クロワッサンたい焼きもメロンパンも私は終わりを看取ってきた。ああ、白たい焼きも看取ったんだな。
しかし、私の恐怖ははずれた。一年が過ぎ、二年が過ぎても、タピオカミルクティーの店の客足は変わらなかった。冬は売り上げが落ちるとか、季節によった変化はあるが、それは一日に朝と昼と夜があるようなもので、いずれまた売り上げの伸びる夏が来るのだった。
私の最初の店は結局、八十年続いた。国が新しい街道を付け替えて、その町は街道から外れてしまい、急速にさびれたのだ。人がいなくなっては商売にならない。仕方なく私は違う町へ移る決心をした。そして、その時はじめて自分がちっとも老けていないことに気づいた。
この店の中だけは令和元年のままなのかな。
そう、私は結論づけた。
令和元年のある瞬間の食材や容器が記憶されていて、使っても、使っても、その瞬間に戻ってしまうのではないか。だとしたら、店の部品である私もその瞬間から老いることもなく、存在し続けるのかもしれない。
私はほとんど仮設に近かったその店舗を文字通りの意味でたたんで板の集まりにして、馬車に乗せて違う町へと運んだ。ほかの町で店を組み立て、タピオカミルクティーを売り、町がさびれたり、戦乱に巻き込まれそうになると、また、店を文字通りたたんでよそに引っ越すということを繰り返した。
今はエルフの町で二十年ほどタピオカミルクティーを売っている。きっと宇宙一、タピオカミルクティーを売っている女だろう。
エルフの町は木の多い森の中にあるせいか、日暮れの時間になると、一気に暗くなってくる。人の通りも、ぱたんと少なくなる。
もう店じまいにしようかと、その土地の言葉で「OPEN」と書いてある逆V字型の看板を下げようとした時だった。私の体に影がかかった。
エルフの女性が一人、立っていた。エルフは髪が美しいので意識にものぼらなくなっていたけれど、その女性はとくに髪がつやめいていて、シャンプーのCMで見る髪のようだと思った。高校生ほどに見えるが、実際何歳なのかはよくわからない。
「あっ、何か買われます?」
私は見上げる形で、営業スマイルを作った。
「耳の短い店員さん、このタピオカという材料について教えていただけないかしら」
少しお高くとまったような言い方だった。髪がつやめいているのは、本当にお金をかけて整えているからだろうか。
「ああ、それは企業秘密なんですよ。魔法で産地から取り寄せているんです」
営業スマイルのまま、私は答えた。こういう秘密を知りたがる人はいつの時代でも出てくる。奇妙なものを売っているのだし、むしろ、興味を持たないほうがおかしいぐらいだ。こっちも対処法には慣れている。魔法だと答えてしまうのだ。
「ただ、簡単になら教えられます。これはイモの仲間から作った、くにゃくにゃした食感の玉なんです。イモの仲間の植物はこのへんには生えてますかね? 飲み物のほうはお茶という、ツバキの仲間の植物を煮出したもので――」
「そういうことではないの。問題は産地がこの世界にないってことよ」
にやりとそのエルフの女性は意地悪く笑った。顔にはすべて知っているぞと書いてあった。
「私はこの世界各地の植物の研究をしているわ。イモもお茶も知っている。でも、こんな食感の食べ物を作っている土地は世界のどこにもない。存在しないものは取り寄せられないわ」
「はい、そのとおりです」
ぶっちゃけ、彼女の言葉はすべて正解だったし、こいつコスプレしてるみたいに浮いてるぞということはわかる人にはわかることだったので、あまりヤバいとは思わなった。千年も生きていると神経は図太くなっていたし、よそから来たからといってタピオカミルクティーを売るだけの女に恐怖する人間もいなかったのだ。とくに何もされないまま、私はタピオカミルクティーを売り続けた。
「でも、私はなんでもこの世界に取り寄せるほどの力はないですよ。だから、軍事的な利用とかは無理です。エルフの長老なり、国に訴えるなりするなら、してくれればいいです」
立ち上がりながら私は言った。立ち上がったら、私のほうがよっぽど背が高かった。商売柄、どんなにうるさかったり店の真ん前で邪魔だったりしても、女子高生に文句を言うことはなかったのだけど、このエルフは女子高生ではないので強気に出れる。
「そんな無粋なことはしないわ。ただ、私はあなたの店のことがとても気になるの。おそらく、あなたは自己洞察というものに無縁な人だと思うし。きっと店のことも全然調べたりしていないでしょう? まだあなたの知らない秘密が残ってると思うのよ」
「よくわからないですけど、タピオカミルクティーを売ってる人間に、ケンカを売ろうとしないでください。買わないなら帰ってもらえますか?」
「営業時間中に店の中を調べさせて。あなたの不利になるようなことはしないと約束するわ」
そのエルフは金貨がじゃらじゃら入った布袋を差し出してきた。
お金がほしいわけではなかったが、単純に逆らうのが面倒だったので、私は受け入れた。
「エルフさん、名前は?」
「クヌギのカシュクニカ。あなたの名前は?」
「ハンドルネーム神奈川県町田市の市長……って、これ、ネタとして成立しないな……。カナガワと呼んでください」
翌日から、そのカシュクニカというエルフは営業時間のうちに本当にやってきた。
店内は狭いといってもツーオペで対応することもできる仕様だから、きちきちというわけではないが、カシュクニカが動き回るので、異様に気になった。部屋の中を飛び回る羽虫のようだと思った。
客がいない時に私は後ろを向いて、声をかけた。
「なんか変わったものでも見つかりましたか?」
「この空間はあなたが住んでいた世界とつながっているのは確実。ということは、もっとほかのものも取り寄せることができるかもしれない。それはすごいことよ」
「そんな都合よくいきは――」
「なんか、球を半分に切って網目を入れた食べ物が出てきたわよ」
彼女の手にはメロンパンがあった。
「マジかよ……」
翌日から、私はタピオカミルクティーとともにメロンパンも売ることにした。
メロンパンのほうはタピオカよりも怪しさが少なかったので、はるかに早くエルフたちに浸透した。お金を儲けて何かをする気はなかったが、お客さんが楽しそうに買いに来てくれるのを見るのは、やりがい搾取とかネガティブなことを抜きにして、純粋に面白かった。
「メロンパン分の利益、カシュクニカさんに渡しますね」
また後ろで作業している彼女に声をかけた。
「いらないわ」遠慮ではなく、本当にいらないといった声だった。「私は自分の知らない空間について調べるのが好きなの。植物の研究もその趣味を活かして仕事にしただけのことなのよ。いろんな土地に移動できるホールを見つけてきたからね」
「好きなことで生きていくってやつですか」
どうも自虐的な声になった。
日本で、心からタピオカミルクティーを愛して商売していた店員やオーナーが何人いただろうか。それなりにおいしいと思っている店員でも、どうせすたれて見向きもされなくなるのだと心の中で予防線を張っていなかったか。そもそも私が張っていた。
どうせ、好きなことを見つけて生きるというのが、勝ち組のマウントとるための言葉なのだ。社会の中であこがれられている職業とそうでない職業は厳として存在する。プリキュアが何年続いたって、プリキュアの親の職業が事故物件の特殊清掃をする人にはならない。職業に貴賤がないという建前にしたところで、あこがれの職業が存在している以上、少なくともあこがれの対象にならない職業は存在するはずなのだ。
だったら、私は何も目指さずにブームとやらに死ぬまで流されてやる。それはそれで潔いじゃないか。千年でも一万年でもタピオカミルクティーを売り続けてやる。
「あっ、また何か出てきたわね」
カシュクニカさんはたい焼き用の鉄板を持っていた。
「本当にいろいろ見つけてくるな!」
たい焼き用の設備やらがすべて出てくるにはしばらくの月日がかかったが、三か月後、私は通常のたい焼きを売っていた。たい焼きの時点で珍しいので独自性をさらに出す必要はなかった。
さすがに一人では手が回らないので、カシュクニカさんも接客をやることになった。最初のうちは手こずっていたが、こんなのは慣れだ。一週間やっていると、さまになってくる。
「案外、どうにかなるものね」
たい焼きの銅板の上に液状の小麦を流し入れながら、カシュクニカさんが言った。
「たいていのことは時間が解決してくれます」
「あなたは、無欲ね。なんだか修行僧のようだわ」
彼女の声に感心のニュアンスが入ってたので私はあきれた顔をした。
「向上心がないだけです。流されているだけです」
「あなたは流されているとしても、上手に流されているのよ。流されまいと抵抗すると溺れてしまう。あなたは最初から一切の抵抗を放棄しているから悟っているように見えるし、溺れないの」
おちょくられているのだろうか。私はカシュクニカさんのほうを見た。私の生き方を評価するなら、そのへんの昆虫も樹木も全部絶賛しなきゃならなくなるだろうし。
カシュクニカさんは金属のトレーでスタンバイ中のたい焼きに手を移していた。
それから笑顔でたい焼きを一匹差し出してきた。
「これ、とてもサクサクにできたのよ。養殖焼きとは思えないぐらい」
私は彼女の笑顔に他意がないことにかえって恥ずかしさを感じながら、そのたい焼きを受け取った。
「ええ、天然たい焼きに負けないほどのサクサク具合ですね」
それから先もカシュクニカさんはその狭い店舗からいろんなものを引っ張り出した。店はやろうと思えば、たこ焼きもクレープもケパブもかき氷もやれるように発展していた。もはや、フードコードが開ける有様だ。そんなに二人ではこなせないからやらんけど、空き時間には二人でかき氷を食べたりした。
「氷を売るというのは原価率がよさそうね」
「たしかにそうかもしれませんね」
エルフの町の気温は知れているが、それでもじわじわと氷は溶けてくる。
なんでかき氷など作って、食べているんだろう。ぼうっと、氷が崩れるところを見つめていた。
この一年ちょっとの間に変化が起こりすぎた。理由は明白だ。カシュクニカさんに店舗を調べさせたせいだ。勝手にしてくれと言ったって、この狭い店舗で私に影響が出ないわけがない。
やっぱり、きっぱりと断るべきだったのだろうな。私は珍しく強い後悔の念を抱いた。
私が平気な顔で流行してはすたれる店をやれていたのは、私の中での変化が小さかったからだ。他人が入れば、その変化が大きくなりすぎる。それは継続性という点において大きなリスクになる。
「ねえ」かき氷の奥で木のスプーンを持ったカシュクニカさんが真面目な目をしていた。「一つ、質問があるんだけど」
「あなたがいちいち確認を取るなんて雪でも降りそうですね」
「カナガワはもし元の世界に帰れるとしたら帰りたい?」
それは何かの思考実験なんだろうか。
「『どちらとも言えない』という選択肢があるなら、それを選びます」
中央林間の駅前でタピオカミルクティーを売っていた時、私はとくに幸せではなかった。
こっちの世界に来て、タピオカミルクティーを売っていた時もとくに幸せではなかった。
だったら、どっちでも同じことなのだ。
「そっか」
そう答えたカシュクニカさんは、かき氷をかっこんでいたので、会話も途切れた。まあ、選ばなきゃいけない時なんて来ないのだから一緒だ。
――でも、それは私が都合よく解釈しようとしていたことでしかなかった。
夕暮れになって、店の片付けをしていると、「ねえ、カナガワ」と声をかけられた。
店舗の壁の、「正」の字を書いているところに、水面とルーペを足して二で割ったような丸い面ができていた。どことなくタピオカの玉をじっと見ていた時に起こるゲシュタルト崩壊の感覚に似ていた。
「カナガワ、あなたのいた世界につながるホールを見つけたわ」淡々とカシュクニカさんが言った。「いずれ見つかるとは思っていたの。だって、この店舗とあなたのいた世界とに連続性があるのは明らかだったから。あっちのものを取り出せるなら、あっちにものを送り込むこともできるはずよ」
「ここに入ったら、元の世界に帰れるってことですね?」
私はその変なホールよりも、ホールの隣にいるカシュクニカさんを見つめた。店舗経験でも、見た目でも、私のほうが先輩だったけれど、彼女がどこまでも対等な存在に思えた。
「そうよ。あなたは偶発的にこの世界に来てしまった。だったら、帰れる可能性を提示するのは私の義務みたいなものだから」
カシュクニカさんは笑いながら言った。私は余計なお世話だと思った。まるで頼んでもないのに、正社員の働き口を見つけてきた人間みたいだ。
そんなことをされたら、どっちか選ばないといけなくなる。
疲れるし、傷つく。流れていけなくなる。
「あまり狙って出せるものじゃないから、悩む時間もとれないけど、カナガワの好きにして」
好きにして、か。そういうのが一番困る。私に選ばせないでほしい。それって、体のいい責任回避じゃないか。お願いもしてないのにアドバイスしてくる奴ぐらい鬱陶しい。だいたい、元の世界もこの世界も私にとっては等価でしかないのだ。
ただ、違うとすれば――
「私は、カシュクニカさんがいるところがいいです」
彼女の手をとった。触った途端、ああ、女優の手ってこういうのだろうなとわかるほどにきめ細かい肌。自分と同じ生物と思えない。負い目も感じる。憤りも感じる。
「あなたといると正直イラつくことも多いんですけど、トータルで見ると楽しいです。決して楽ではないけど、楽しくはある。営業スマイルを壊すのもいいものですから」
こっちの世界にはカシュクニカさんがいる。だから、その分だけ、こっちのほうが順位として上だ。だったら、元の世界に戻るのもナシだ。
でも、彼女の反応は違った。
「そっか、そっか。ありがとうね」
カシュクニカさんは元気に笑うと、私の手をぐいっと引っ張った。
そのまま私の体が彼女のほうに傾く。もしかして抱き留められるのかなと思ったけれど、彼女の足も私の進行方向と同じ側に出ていた。脳内に平行四辺形の図が浮かんだ。
「だったら、私と一緒なら元の世界に行ってもいいわね」
「えっ?」私は傾きながら叫んだ。「あっちにエルフはいませんから! 騒ぎになりますよ!」
「そこはどうにかなるわよ。私、知らない世界に行くのは好きだから。飽きたらまた戻ればいいし。いつ戻れるかわからないけど」
「無責任! 無責任!」
それ、弁明に私もなにかしらしゃべることになりそうだし、マジでやめてほしいぞ!
「それに、カナガワの両親にあいさつもしておきたいしね」
ぼそっとカシュクニカさんがつぶやいた。待てよ。この世界で相手の親にあいさつするってどういう意味だったっけ? ただの友達付き合いの報告? まさか嫁にくださいってことではあるまいし――
はっきりとした答えが出る前に私はカシュクニカさんに続いてホールに入っていた。
さすがにそんなホールに入るのはバンジージャンプよりよほど怖いから、私は手を引いてくれる彼女に抱きついた。
あとはどうとでもなれ。
(おわり)