新宿にタヌキ!? 生息地には意外な歴史あり 【連載】『東京いきもの散歩』(川上洋一)その1
舗装された地面と高いビルにおおわれた大都市・東京には、「自然」がほとんどないように見えます。ところが、そんな東京23区にも意外なほどたくさんの生き物がいるんです。新宿でたくましく生きぬくタヌキやカワセミ、下町を彩るカラフルなトンボ、都心の「太古の森」に住むチョウ、埋立地に帰ってきた魚介類などなど。テレビでも活躍中のライターの川上洋一さん(新宿生まれ)のガイドで、東京の生き物と歴史を知る散歩に出かけましょう。
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(1)山の手タヌキ・ロードを歩こう
ルート:高田馬場駅~おとめ山公園~学習院大学~
甘泉園公園~肥後細川庭園~椿山荘
新宿や目白にも生息するホンドタヌキ
繁華街のすぐ裏に「里山」が!?
1日の利用者が90万人もいる高田馬場駅。にぎやかな大通り沿いには高い建物がならび、緑はほとんど見えません。
ところが、通りを外れた裏道には、野生の生き物が暮らすオアシスがあります。そこは、なんとタヌキも通る場所なのです。
なぜこのような動物のすめる街があるのでしょうか? その秘密は、大名屋敷の跡地にあります。ここの駅から神田川の北につづく「豊島台」と呼ばれる台地沿いは、大名屋敷が学校や公園に姿を変えても、江戸時代の名残があるエリアです。散歩や庭園めぐりを楽しみながら生き物を探してみましょう。
スタートは高田馬場駅。早稲田口方面から「さかえ通り商店街」を抜け、神田川にかかる田島橋へ。ここには「江戸名所図会」の解説板があります。絵のおくに見える山が、これからめざす豊島台の台地です。
江戸名所図会 落合惣図(国会図書館蔵)
新目白通りをわたるとビルの向こうに、ようやく緑が見えてきます。最初のスポット「新宿区立おとめ山公園」です。
おとめ山公園(撮影:川上洋一)
「おとめ山」という名前は「乙女山」と書くのではありません。ここは、江戸時代には将軍家の狩りの場でした。一般人は立ち入り禁止。そのため「御留山、御禁止山」と呼ばれたのです。
江戸の「ホタルの名所」にいまも暮らす昆虫
戦後は何十年も放置されていたので、都心には珍しいクヌギやコナラの雑木林が残されました。樹液には、サトキマダラヒカゲのようなチョウや、カナブンなどの甲虫が群がります。運がいいとノコギリクワガタに出会えるかもしれません。
「江戸自慢三十六興 落合ほたる」(国会図書館蔵)
江戸時代に有名だったホタルはいなくなってしまいましたが、公園で飼育したものを見学する催しがあります。
タヌキもお気に入り? 山の手の住宅物件
公園を中心にしたエリアにはタヌキがすみついています。「東京にタヌキ?」と思うかもしれません。でも、都心には1000頭ほどもいるのです。
タヌキが東京で暮らせる秘密は、その習性にあります。タヌキはもともと、村落と農耕地と雑木林が入りくんだ里山の動物。生活圏が人のすぐ近くのうえ雑食性なので、小動物、果実、畑の作物、残飯まで、何でもエサにできます。
そんなタヌキも、一時は東京から姿を消していました。ただ、夜行性で物陰を移動する彼らの消息を正確につかむのは難しかったでしょう。夏はイヌと見間違えるほどスマートな姿で、目撃しても気づかなかったかもしれません。人目につかない場所で細々と暮らしていた可能性も大きいのです。
東京のタヌキにとって、十分な面積をもつ生活環境はごくわずか。そのため、タヌキたちは点々と残る緑地を行き来して暮らしていると考えられます。とくに旧大名屋敷はぴったりの棲み家。今回の町歩きコースも、急な傾斜地が緑地になっていたり、庭木や生垣の多い住宅街がつづいていたりと、タヌキの移動にはもってこいのルートなのです。
区内で数十年ぶりに見つかった「幻のチョウ」
台地の高台へ歩いていき、階段を上った先には、白くお洒落な日立目白クラブの建物が見えます。ここはかつて、皇族や華族の子どもが通うことで知られた学習院高等科の寄宿舎でした。
次にめざすは、その学習院大学の森。キャンパス周辺がチョウの通り道になっていて、アオスジアゲハやウラギンシジミが飛んでいます。
アオスジアゲハ(撮影:佐久間聡)
まず訪ねたいのは、木立の小道を下った先にある「血洗いの池」。
血洗いの池(撮影:川上洋一)
台地の縁からの湧き水がたまってできた池です。不気味な名前ですが、実は学生たちが冗談交じりでつけた名前で、怪談などはありません。
池にはモツゴなどの魚や、ギンヤンマのようなトンボが見られます。都内ではレアなヘビのヒバカリがいるのは、エサが豊富な証拠でしょう。
池のまわりからつづく斜面は、長いあいだ手つかずのため、スダジイやコナラの大木が多い緑地。夏の夕方には、23区内では数カ所でしか耳にすることがないヒグラシの声が聞こえてきます。
木陰を飛ぶ黒っぽいアゲハチョウのなかにオナガアゲハを見つけたらとてもラッキー。このチョウは、豊島区では数十年ぶりに生息が確認された種類なのです。
オナガアゲハ(採集:学習院大学生物部 撮影:川上洋一)
ここでも、タヌキが見つかっています。ギンナンやエノキの実といったエサが豊富なためでしょう。おとめ山公園と行き来している可能性もあります。
提供:学習院大学生物部
急な坂道が多い「神田川アルプス」
学習院大学から目白通りを江戸川橋方面へ進んで右折します。脇道はどれも、宿坂、日無坂、豊坂という下り坂へとつづきます。なかでものぞき坂は、車道なのに傾斜が13度もある、都内で指折りの急坂。
のぞき坂(撮影:川上洋一)
山の手は坂が多い町です。坂にちなむ地名も、九段坂(千代田区)や乃木坂(港区)、神楽坂(新宿区)をはじめ、700以上もあります。昔のタクシードライバーは「東京の道は、山の手は坂の名で、下町は橋の名で覚える」といわれていたとか。
神田川の北側に沿って急坂の多い斜面が東西につづく地形が「崖線」。地元では「バッケ」とも呼ばれ、傾斜地なので畑には使えず、雑木林に覆われていたようです。建築技術が進んだいまでも、緑地として残されている場所が少なくありません。下から見上げると山脈がつづくように見える崖線を「神田川アルプス」と見立てることもできるでしょう。
坂を下ってしばらく住宅街を歩くと、神田川に再会。岸辺はコンクリートで固められていますが、流れのなかでコサギがエサの小魚を探すほか、なんとカワセミが飛ぶ姿も見られます。どうやら排水パイプの中に巣をつくっているようです。
「きれいな水」の目印、サワガニがすめる理由は?
神田川と並行した新目白通りに走るのは、東京でただ一本だけ残る路面電車の都電荒川線。「学習院下」駅から乗って「面影橋」駅で下車し、「新宿区立甘泉園公園」に寄り道するのも面白いでしょう。
甘泉園公園(撮影:川上洋一)
「甘泉園」という名前は、茶道に適した泉が湧いていたことに由来。今では園内の池に注ぐ水はポンプによるものですが、地下水もわずかに浸み出しているようです。その証拠に、水質の汚染に弱く、区部では珍しいサワガニが生息しています。
園内は四季を通じて花が咲き、樹液の出る木も多いので、昆虫が豊かです。夏の夜には街灯に集まった昆虫を狙いにアズマヒキガエルもやってきます。
アズマヒキガエル(撮影:川上洋一)
ここにもタヌキの目撃情報があるそうです。神田川アルプスから住宅地を抜け、橋や大通りを渡って行き来しているのかもしれません。
甘泉園公園は面積は狭いものの、多くの種類の生き物に出会えます。「甘い泉」という名前の通り、オアシスのような環境なのでしょう。
神田川沿いは大名屋敷銀座
神田川の対岸に渡ると、コース中で旧大名屋敷がいちばん集中する「目白台」「関口」と呼ばれるエリアに入ります。
まずは「肥後細川庭園」。ここはかつて熊本藩細川家の抱屋敷(幕府から与えられた土地以外の藩の私有地)がありました。その面積は約1万5000坪と広大。現在の目白通りから神田川まで続き、目白台運動公園、和敬塾、永青文庫、肥後細川庭園などがすべて含まれます。
肥後細川庭園(撮影:川上洋一)
庭園のスタイルは、台地の下からの湧水を引き込み、池の周りを散歩しながら風景を楽しむ「池泉回遊式」。京都の嵐山の風景を模して造園されたといわれています。背景には神田川アルプスの崖線にスダジイやシラカシなどの照葉樹を中心にした緑地がつづき、とても都心にいるとは思えません。
一年じゅう咲く花には、チョウをはじめ多くの昆虫が訪れ、水辺にはさまざまなトンボが見られます。
屋敷から消えたマツはどこへ?
庭園前には「鶴亀松」と呼ばれた2本の大木が明治の末ごろまで残っていました。となりの芭蕉庵にも、江戸時代から有名な「五月雨の松」が1963年まであったそうです。また、明治中頃に描かれたという庭園の絵にはアカマツと思われる大木が数多く見られます。ところが、マツは現在ではほとんど見られません。
どうやらこうした緑地は、大名屋敷の姿をそのまま残しているわけではないようです。
マツはどこへ行ってしまったのでしょう?
じつは、マツは痩せた土地に生える植物。土壌が豊かになって照葉樹が生えるようになると、競争に負けてしまいます。こうした移り変わりを「植生の遷移」と呼びます。
大名屋敷や邸宅があったころは、ひっきりなしに手入れが行われて抑えられていた照葉樹が、持ち主が次々に替わって放置された時期に成長し、いつの間にかマツと交代してしまったのでしょう。
この変化は、本来この土地にあった自然が、回復しつつあることを表しています。
タヌキ・ロードの終点はツバキの山
肥後細川庭園の隣は、神田上水にちなんだ水神社や関口芭蕉庵で、豊かな緑が残ります。いよいよコースも終点に近い「椿山荘庭園」です。
神田川沿いの芭蕉庵と椿山荘(撮影:川上洋一)
「椿山」の名のとおり500年以上前からツバキの自生で知られていました。庭園には同じくらいの樹齢で、根元の周囲が4.5mもあるシイが御神木としてそびえています。おそらく東京の本来の植生である照葉樹林の名残りでしょう。
現在の庭園には、大きなビルや三重塔が建ち、人工の滝が作られています。しかし周辺部には豊かな緑地があり、ここにもタヌキが親子連れで現れるようです。
おとめ山公園からたどってきた道筋では、どこでもタヌキの消息を耳にしました。神田川アルプスの崖線に沿って、旧大名屋敷や大学、公園をつないでベルトのようにつづく緑地。彼らはそれを足がかりに行き来しているに違いありません。
最近では皇居にもタヌキがすみつき、タヌキ・ロードがさらにつづいていることが想像できます。
大名屋敷跡は江戸時代から受け継がれてきた、貴重な文化遺産。それは同時に、大都市に生き物を呼び戻す道でもあるのです。
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●川上洋一(かわかみ・よういち)
1955年、東京都新宿生まれ。環境教育に携わりながら、自然科学を専門としたイラストレーター・ライターに。数十年にわたり里山生物の保全活動を続ける。著書に『世界珍虫図鑑』『東京 消える生き物 増える生き物』など。日本テレビ『ザ!鉄腕!DASH!!』の「新宿DASH」にレギュラー出演中。
川上洋一『東京いきもの散歩——江戸から受け継ぐ自然を探しに』は2018年6月19日に早川書房より刊行予定です。