宇宙とSFには、まだまだ想像力を振るう余地がある――『三体Ⅲ 死神永生』藤井太洋氏解説再録
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宇宙とSFには、まだまだ想像力を振るう余地がある――『三体Ⅲ 死神永生』藤井太洋氏解説再録

『三体Ⅲ 死神永生』、おかげさまでたいへんなご好評をいただいております。もうゲットされましたでしょうか? 本日は藤井太洋さんによる解説を再録いたします。2015年の世界SF大会以来、中国SFの躍進を肌で感じてきた藤井さんは『三体』をどう読まれたのか? おたのしみください。

解説
藤井太洋

 #スリー・ボディー・プロブレム
 本書の存在を意識したのは、2015年にワシントン州のスポケーンで行われた第74回目の世界SF大会、ワールドコン・サスコンに参加するために渡米した時だった。
 サンフランシスコの書店で、英訳出版されたばかりの自作を朗読した私は、イベントを手配してくれた翻訳出版インプリント〈ハイカソル〉の担当編集者から、ワールドコンと、ヒューゴー賞について教えてもらった。知らない作品と作家の名前を並べたあとで、編集者はやっと私の知っている作家の名前を挙げた。
「ケン・リュウは知ってる?」
 私は頷いた。その年の春に刊行された短篇集『紙の動物園』は、ハズレなしの傑作短篇集だったし、年齢が近く、コンピューターソフトウェア企業の出身という出自には親近感も抱いていた。編集者は、短篇集の発行に驚いたようだった。
「単著は日本が一番乗りか。彼のアメリカでの一冊めは翻訳で、今度のヒューゴー賞にノミネートされたよ」
 それが『三体』の英語版、『スリー・ボディー・プロブレム』 The Three-Body Problem だった。物理学を使うハードSFなのかと聞くと、その編集者は、その通りだが、それ以上の傑作だと答えてくれた。印象深い会話だったのだが、作家になって初めて訪れるアメリカに浮かれていた私は『三体』のことをすっかり忘れてしまっていた。
 ワールドコンの会場で、私は何度も『スリー・ボディー・プロブレム』の単行本を目にすることになった。中国からやってきたSF愛好家たちが、ビデオカメラと折り畳み式のレフ板を持って会場を走り回っていたのだ。王と名乗る女性に率いられたそのチームは、ロバート・シルヴァーバーグやジョン・スコルジーのような有名な作家がパネリストとして登壇する部屋の前で、作家たちが出てくるのを待ち構え、出てきたところに本を押し付けて『三体』の感想を聞き出していた。ジョー・ホールドマンと連れ立って歩いていた私も、ついでにコメントを求められたほどだ(「日本語になったら必ず読む」としか言えなかったけど)。
 声をかけられたほとんどの作家が『三体』を読んでいたことは羨ましかったが、同時に多くの作家たちが翻訳者のケン・リュウの名前をあげていたことも気になった。マイクをむける王の名刺には「作家、夏笳」と書いてあったし、本を手渡してくれるもう一人の王侃瑜という女性も、SFを書いていると言っていた。だが、彼女たちがどんな作品を書いているのか聞かれているところを、私は見かけることがなかった。
 2015年の夏、『三体』と中国SFは、信頼できる友人の作家、ケン・リュウを通して触れる作品群だったのだ。

 #劉慈欣
 翌年の秋、中国科幻作家協会の主催する〈星雲賞〉と、中国科学技術協会が主催する〈中国科幻大会〉に招かれて北京を訪れた私は、ホテルから会場に向かう途中で劉慈欣にばったりとでくわした。
 国家副主席の祝辞があるのでネクタイを締めてくるように、と招待状に書いてあったような大会で、半袖のデニムシャツとチノパン姿でふらりと歩いている男性を一目で劉慈欣だと気づけたのは、ヒューゴー賞をとってからの一年で劉慈欣をメディアで見ることが増えていたからだ。劉慈欣の黒縁メガネは、もはや彼のトレードマークだった。
 会場が開くまでの時間、なかなか出ない日本語版の話や、彼が日課にしているランニングの話になった。村上春樹を真似ているわけではないけどね、とのことだった。
〈中国科幻大会〉は、国家副主席、李源潮のスピーチで幕を開けた。党と国は科学技術に中国の未来を委ねる。ひいては作家たちも、編集者も、そしてSFを愛するファンたちも、皆でSFを盛り上げていこう。それが科学に寄与することになる──というような内容だった。
 流暢に、大きな抑揚をつけて、古典なども引用して語る副主席の演説が終わると、主賓によるパネルディスカッションが始まった。作家は劉慈欣と何夕の二人。そこにアメリカから招いた物理学者と、中国科学技術大学の教授、そして日本から招かれた科学未来館の館長である毛利衛氏だった。
 壇上にソファを並べて座る、中国で高峰と呼ぶスタイルのパネルディスカッションは、登壇者が対話することは少ないが、司会者の質問にじっくりと答える内容を堪能できる。
 カジュアルな格好で登壇した劉慈欣が浮いていたことは否めないし、主役を押し付けられて辟易しているようでもあったが、訥々と語られる言葉は次第に力を増していった。科学技術が急速に発展している現代、SFの想像力は追いつけていないのではないかという問いに劉はこう答えた。
「見えているのは技術の変化にすぎない。その奥底にある科学の原理は解明の途上にある。新たな原理が世界観に変革を強いるときにこそ、SFの出番だ」
 ホールに詰めかけた聴衆が深く頷き、登壇者も同意する中で、私は『三体』を熟読せずに北京に来たことを強く後悔していた。これほど強くSFの力を信じる作家がいて、信頼されている。なんと幸せな環境だろう。
 それから三年、劉慈欣を取り巻く環境は毎年のように変わっていった。以前は他の作家と一緒に受けていたインタビューも別の部屋で行われるようになり、SF大会ではSPがつくことも増えてきた。登壇者の控室も分けられるようになり、作家仲間との飲み会に参加するときも、劉慈欣がいることは伏せるように、と注意されるようになった。居場所がバレてしまうと、サインや握手を求める市民がやってきてしまうためだ。サスコンで『三体』を応援していた夏笳は二年後のワールドコンでプレゼンテイターを務め、王侃瑜は名門のTORからアンソロジーを出すまでになっていた。
 要人並みの扱いをされるようになった劉慈欣とは、会えば必ず話をするようになった。英語圏の作家が使い始めたLGBTQのための三人称単数形の代名詞や、地の文で現在形を使う文体を、日本語や中国語でどう使うのかなど、SFの未来について語ることも増えたが、『三体』はまだ読めていなかった。

#三体
 2019年にようやく手に取ることのできた日本語訳の『三体』は、高まった期待を微塵も裏切らない傑作だった。
 人類の、おそらく最も愚かな行為の一つである文化大革命の時代が描かれるなか、主人公の一人、葉文潔を陥れるための罠に使われるのが、名著『沈黙の春』。そして葉が送り込まれる基地がカール・セーガンの『コンタクト』を思わせる地球外知的生命体探査に繋がっていく構成には驚かされた。資本主義批判のために翻訳した白い革表紙の中国語版が出てくるあたりのディテールも素晴らしい(劉慈欣は、小松左京の『日本沈没』を資本主義批判のために翻訳された国語版で読んでいたらしい。表紙が白だったかどうかは聞いていないが、目にした素材を利用する手際も確かなのだ)。
 葉の手によって三体人を呼び寄せる破局の信号が放たれると、楊冬や汪淼、史強ら、力強い造形の登場人物たちが、運命としか呼びようのない物語を力強く進めていく。決して明るくはない物語の畳み方も見事なものだった。
 第二部の『三体Ⅱ 黒暗森林』は、加速器を用いた科学の発展を封じられ、智子によって三体人に秘密を持てなくなった状況のもと、人類をも欺く面壁者と破壁人とのコンゲームが繰り広げられる。面壁者たちの人物造形は一作目にも増して力強く、面壁者の繰り出すアイディアは、並のSFなら笑ってしまうような荒唐無稽なものばかり。それが切実な計画だと感じられるのは、ひとえに劉慈欣が張り巡らせた狡猾な設定あればこそ。
 無数の星に無数の文明が栄えているはずのこの宇宙で、私たちが他の知性体に出会うことのないフェルミのパラドックスに対する回答である暗黒森林理論も見事なものだったし、それを逆手に取った羅輯の暗黒森林抑止計画──三体文明と太陽系の座標を重力波で全宇宙に知らせ、標的として狙い撃たせることもまた、星間文明戦争の戦い方としては破格のものだった。
 そして迎えた第三部『死神永生』では新たな主人公に程心を迎え、第二部の終盤で三体文明に叩きのめされた宇宙艦隊の生き残りとともに、三体文明との戦いと、この宇宙に完全な決着をつけてくれた。
 本作で劉慈欣が披露したアイディアは、前二作に比してなんら劣るものはない。全てのエピソードが、大きく、重く、今までに語られてこなかった方法で私たちの眼前に取り出されてくる。一つだけ、例を挙げさせていただきたい。
 本書の上巻、まだ人類が三体文明の襲来にどう対処するかを考えていたころ、四百年後に太陽系に達する三体艦隊を足止めさせるために、太陽系の最外縁まで、人間が乗った探査機を飛ばすというものだ。ここで本書の実質的な主人公、程心が核パルス推進で運ぶことを提案する。
 ここに私は驚いた。
 ロケットの尾部で核爆発を起こし、その反動で前進する核パルス推進は、原子爆弾を使うという非倫理性からして一筋縄ではいかない推進システムだ。また、燃料になる何千、何万発もの核爆弾を搭載しなければならず、重くなった船体は、核爆発の反動程度ではそう簡単に前には進まない。現実の世界では、1950年代から60年代にかけて検討されてきた推進システムで、多くのSFガジェットを登場させた『2001年宇宙の旅』でも検討されながら、世界的な核に対する不信のために打ち捨てられた推進システムだ。
 この、古色蒼然たる推進システムを、劉慈欣は本作で登場させた。程心が思いついた方法は、ここで私が解説するよりも、劉慈欣──と素晴らしい仕事をした翻訳者のみなさま──の成果を参照する方がいいので割愛するが、『三体』に描かれた人類社会でしかなしえないやり方で実現された核パルス推進の詳細を読んだとき、私は声をあげてしまったほどだ。
 本書には、劉式の核パルス推進システムに劣らない、度肝をぬくアイディアが次から次へと現れて、人類と三体文明の、そして暗黒森林理論が予言する通りに襲いかかってくる新たな脅威との接触が描かれる。程心たちは、時空が増え、宇宙がねじ曲がり、光速度が変わり、そしてこの宇宙が熱を失う瞬間にまで及ぶ旅に出る。その密度と、科学的な知見を元に描かれる情景の美しさは、第一部と第二部で、圧倒的に感じられた三体文明とのひりついた接触が色褪せてしまうほどだ。
 劉慈欣は、宇宙とSFに、想像力を振るう余地がまだまだあることを教えてくれた。
 中国に遅れること11年、英語圏をはじめとする世界のSFファンたちに遅れること4年。ようやく日本の読者も、劉慈欣の描いた『三体』の最後のページを閉じることができる。
 少し遅れたが、私たちも劉慈欣や、世界の『スリー・ボディー・プロブレム』に仕立て上げたケン・リュウ、『三体』を支え、その大ヒットで存在を知られるようになった中国SFの作家たちと、この世紀の傑作について語ることができるようになった。日本で出版するために尽力してくださった大森望、立原透耶、光吉さくら、ワン・チャイ、上原かおり、泊功ら翻訳者のみなさん、世界中が羨む装画をものした富安健一郎氏、そして翻訳と出版に尽力された全ての方々に、深い感謝の意を伝えたい。


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