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脳と同様にはたらくAIは実現可能か? 名著『考える脳 考えるコンピューター〔新版〕』が文庫になって新発売

脳と同様にはたらく機械や人工知能(AI)は、実現可能なのか?
最新型ロボットでも難しいとされる二足歩行を、人間の幼児が易々とこなす背景には、膨大な記憶に基づき将来を絶えず予測する「脳」の存在があります。その中核を担うのが、「大脳新皮質のアルゴリズム」。
スマートフォンの原型となるPDA、パームパイロットを開発し成功を収めた著者ジェフ・ホーキンスが迫る、「知能の本質」とは?
脳科学とコンピューター工学の境界を揺るがし、現在の人工知能研究に多大な影響を与えた名著『考える脳 考えるコンピューター〔新版〕』(ジェフ・ホーキンス&サンドラブレイクスリー、伊藤文英訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)が、新たに文庫となって発売されました。
本書の「まえがき」を特別に全文公開します。

『考える脳 考えるコンピューター〔新版〕』ジェフ・ホーキンス&サンドラブレイクスリー、伊藤文英訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫(早川書房)
『考える脳 考えるコンピューター〔新版〕』
(早川書房)

まえがき


この本とわたしの人生には、二種類の情熱があふれている。
わたしは25年にわたり、モバイルコンピューティングに情熱を注いできた。ハイテク産業のみやこのシリコンバレーで、パームコンピューティング社とハンドスプリング社を創業し、数多くのハンドヘルドコンピューターと携帯電話を設計して、〈パームパイロット〉や〈トレオ〉などの製品を世に送り出した。

だが、第二の情熱は、コンピューターに興味を持つ以前からのもので、思いはさらに強い。わたしは脳にほれている。その働きを解明したい。哲学の観点からでも、一般論としてでもなく、実用的な工学の立場から知能の本質を詳細にさぐり、脳の働きをあきらかにする。そして、その働きを人工の装置の上で実現したい。つまり、人間のように考える機能を持ち、真の知能を備える機械マシンをつくりたいのだ。

知能の問題は、日常で最後に残された未踏の大きな領域だ。科学のほかの重要な課題のほとんどは、きわめて小さな現象か、かなり大きな現象か、何十億年も前に発生した現象にかかわっている。だが、脳ならだれもが持っている。脳があるからこそ人間といえる。感情がなぜ起こるのか? 現実世界がどうやって認識されるのか? なぜ失敗をしてしまうのか? どうしたら創造性を発揮できるのか? 音楽や芸術になぜ感動するのか? つまりは、人間の人間たるゆえんは何か? こうした疑問に答えるには、脳を理解しなければならない。

さらに、知能や脳の働きが理論的に解明されれば、社会に大きな利益がもたらされる。脳の病気を治療する手段が見つかるだけではない。真の知能を備えた機械をつくることができる。それは小説やコンピューター科学の未来像に登場するロボットのようなものではない。むしろ、知能の本質をとらえた新しい原理から生み出されるものだ。その機械に助けられて、人間は知識を増やしたり、宇宙を探検したり、世界性を高めたりする。それと同時に、巨大な産業がたちあがる。

幸運なことに、わたしたちは知能の解明が可能な時代を生きている。脳のデータが何百年にもわたって集められ、いくらでも利用できるばかりか、ますます加速して増えていく。脳神経学者はアメリカ合衆国だけで何千人もいる。だが、知能とは何か、脳が全体としてどう働くのかといった問題には、有望な理論が見つかっていない。ほとんどの神経科学者は、脳全体の理論を真剣に考えることを避けている。ひたすら実験に没頭して、脳のさまざまな下部組織からデータを集めつづけるだけだ。また、コンピューターに知能を持たせる試みには、数多くのコンピューター科学者が挑戦して失敗した。脳とコンピューターの違いを無視しているかぎり、これからも失敗はつづくだろう。

では、脳が備えていてコンピューターが持たない知能とはなんだろうか? 六歳の子供は河床の岩から岩へと優雅に跳び移っていくのに、なぜ最新型のロボットの動きはゾンビのようにぎくしゃくとしているのか? わずか三歳の子供でも言葉を順調に覚えていくのに、半世紀にわたる研究者の奮闘にもかかわらず、なぜコンピューターには不可能なのか? 人間は一秒とかからずイヌとネコを見わけられるのに、なぜスーパーコンピューターはまったく区別できないのか? いずれの疑問も、大きな謎として解決が待たれている。手がかりはたくさんある。いま必要とされるのは、数は少なくていいから、鋭い洞察だ。

わたしのようなコンピューターの技術者が脳の本を書いていることに、違和感を覚える読者もいるだろう。あるいは、こう考えるかもしれない。そんなに脳にほれているなら、なぜ脳科学や人工知能の分野で研究しないのか? じつをいえば、わたしはそれを試みた。それも一度や二度のことではない。

だが、知能の問題を研究するためにそれまでにとられていた方法は、どうしても使いたくなかった。わたしの考えでは、この問題を解明する最良の方法は、脳について生物学から得られる知見を取捨選択して参考にしながら、知能をなんらかの計算とみなすことだ。学問としては、生物学とコンピューター科学の中間のどこかに位置している。ところが、多くの生物学者は、脳の働きを計算として解釈する考えを否定するか、無視する傾向にある。一方、たいていのコンピューター科学者は、生物学が参考にならないと思っている。

さらに、学問の世界では、ビジネスの世界ほどリスクが受け入れられない。科学技術のビジネスでは、新しいアイデアを適切な方法で追求すれば、それが商品として成功したかどうかにかかわらず、本人の経歴として評価される。成功した起業家の多くは、初期の失敗を糧にしている。だが、大学においては、新しい考えを二年も研究し、それが間違いであるとわかれば、若い学者の未来が永久に閉ざされるかもしれない。

そこで、わたしは人生で二つの情熱を同時に追い求めることにした。ビジネスで成功すれば、脳の解明もうまくいくと思ったのだ。自分が望むような研究をするためには、資金が必要になる。世間に影響を与える方法や、新しい考えを売り込む技術も学びたい。そのすべてがシリコンバレーで得られると思った。

2002年8月、わたしはレッドウッド神経科学研究所を設立した。脳の理論を専門に研究する機関だ。神経科学の研究所は世界じゅうにたくさんあるが、人間の脳の中で知能が宿っている新皮質をとりあげ、全体の働きを理論的に解明しようとしている点では類がない。わたしたちはそれだけに取り組んでいる。多くの点で、レットウッド神経科学研究所はベンチャー企業に似ている。とても達成できないような夢を追っていると思う人もいるかもしれない。だが、幸運にもすばらしい研究者が集まり、努力が実を結びはじめている。

この本でのわたしのもくろみは野心的だ。脳がどう働くかについて、包括的な理論を提案する。知能がいかなるもので、脳からどのように生み出されているのかを説明する。この本で提案する理論は、まったく新しいものというわけではない。これから述べる考えの多くは、すでに個別にはなんらかのかたちで存在している。だが、ばらばらのままなので、一貫した概念にまとめることに大きな意義がある。「新しい考え」には、古い考えを解釈し直したり、よりよく見せたりしたものも多い。この本で提案する理論もそうだ。だが、視点や観点を変えると大きな違いが生まれることもあるし、膨大な詳細の山と一つの明確な理論のあいだには雲泥の差がある。

わたしの理論を聞いた多くの人々は、たいていこんな反応をする。「なるほど、そのとおりだ。知能をそんなふうに考えたことはなかったが、いまの説明を聞いてみると、まったくつじつまがあっている」と。この本の読者にも同じ印象を与えたい。また、この知識を得たほとんどの人々は、自分自身の見方が少し変わる。自分の行動を観察し、分析しはじめる。「いま、頭の中で起こったことがわかったぞ」と考える。願わくは、この本を読み終えたあとに、自分の思考がなぜ生まれ、行動がなぜ起こったのかを、新しい認識で眺めるようになってほしい。さらには、この本をきっかけに、知能を備えた機械をつくる仕事につく読者があらわれ、これから概説する原理が使われることを望んでいる。

わたしはこの理論と知能の研究方法を説明するために、よく「真の知能」という言葉を使い、「人工知能」と区別している。人工知能の研究者は、知能というものや理解することの本質をあきらかにしないで、コンピューターが人間のように振る舞うプログラムを書いてきた。知能を備えた機械にもっとも重要な要素、つまり、「知能」を忘れているのだ。知能を備えた機械をつくろうとする前に、まず脳がどのように考えるのかの解明が必要であり、そこには「人工」の要素は何もない。「真の知能」という表現はこれをよくいいえている。真の知能を理解したあとに、ようやくそれを備えた機械のつくり方を考えられる。

この本では、まず歴史を振り返り、過去の挑戦が知能の解明や知的な機械の実現に失敗した理由をあきらかにする。つぎに、わたしの理論の核心である「記憶による予測の枠組み」を紹介し、議論を発展させる。第6章では、この枠組みが生体の脳でどのように実現されているか、つまり、実際の脳がどのように働くかを詳しく説明する。それから、この理論が社会などに与える影響を検討する。これはほとんどの読者にとって、もっとも興味をそそられる部分だろう。最後の話題として、知能を備えた機械について考える。どんな方法でつくることができ、どんな未来がもたらされるのか? わくわくしながら読んでもらえれば最高だ。この本の全体をとおして、つぎのような質問に答えていく。

コンピューターは知能を持つことができるか?

人工知能の研究者の何十年にもわたる主張では、コンピューターの性能がじゅうぶんにあがれば知能を持たせられるという。わたしはそう思わない。この本ではその理由を説明する。脳とコンピューターの働きは、根本的に異なっている。

ニューラルネットワークは知能を備えた機械に発展しないのか?

もちろん、脳はニューロンのネットワークでできている。だが、その働きを解明することなく、単純な構造のニューラルネットワークに頼っているのでは、コンピューターのプログラムと同じように、知能を備えた機械に発展する見込みはない。

脳がどのように働くかを解明することは、なぜそれほど難しかったのか?

ほとんどの科学者は、脳がきわめて複雑なので、解明できるのはずっと先だと主張する。わたしの意見は違う。複雑だから解明できないのではなく、解明されていないから複雑に見えるだけだ。むしろ、いくつかの直観的な仮定が間違っていたために、研究者がまどわされてきたのだと思う。もっとも大きな誤りは、知能が知的な振る舞いによって定義されるという思い込みにある。

知能が振る舞いで定義されないのなら、その本質は何なのか?

脳は膨大な量の記憶を使い、現実世界のモデルを形成している。人間のあらゆる知識と認識は、このモデルの中に蓄えられている。脳は記憶にもとづくモデルを使い、将来の出来事を絶え間なく予測する。未来を予測する能力こそが知能の本質だ。脳がどのように予測をたてるのかは、この本の主題であり、徹底的に議論する。

脳は実際にどのように働くのか?

知能は新皮質に宿っている。新皮質はきわめて柔軟で、さまざまな種類の能力を発揮するが、細部の構造は驚くほど均一だ。部位によって、視覚、聴覚、触覚、言語などに機能が特化されていても、すべての働きはいくつかの同じ原理に支配されている。新皮質の謎を解く鍵は、これらの原理と、とくに、その階層的な構造の解明にある。そこで、新皮質をじゅうぶんに詳しく考察し、どのようにして現実世界の構造が記憶されるのかを示す。その説明はこの本の中でもっとも専門的な記述となるが、科学者でなくても興味をいだき、理解できる範囲のはずだ。

新しい理論によって、つぎに何がわかるのか?

この本で提案する理論は、数多くの問題を解く糸口になる。たとえば、創造性とは何か、意識とは何か、人間はなぜ先入観にとらわれるのか、どうやって学習しているのかなどだ。このような問題にも、新しい理論による説明を試みたい。突きつめれば、人間とは何か、その行動はなぜ起こるのかという考察だ。

知能を備えた機械をつくることは可能か? その用途は?

もちろんつくることは可能だし、実際につくられるだろう。これから数十年のあいだに、そのような機械の実用化が急速に進み、面白い方向に発展していくはずだ。知能を備えた機械が人類に危害をおよぼすという意見もあるが、その考えには真っ向から反論する。ロボットに世界を席巻せっけん(せっけん)されるわけではない。知能を備えた機械は、物理学や数学といった高レベルの思索では人間の能力をしのぐものになるが、SFサイエンスフィクションに登場して話したり歩いたりするロボットよりは、はるかにつくりやすい。この技術の驚くべき発展の可能性を紹介したい。

わたしの目的は、だれにでも理解できる方法で、知能についての新しい理論を提案し、脳がどのように働くかを説明することだ。すぐれた理論は簡単に理解されるべきであり、専門用語やまわりくどい説明が邪魔をしてはいけない。そこで、はじめに基本的な枠組みを与え、だんだんと詳細を加えていく。論理的な推理だけにもとづく議論もあれば、脳神経を流れる具体的な信号の説明もある。提案の細部にはきっと誤りがあるだろうが、それはどんな科学の研究にもつきものだ。完全な理論の確立には何年とかかるかもしれないが、だからといって、根本にある考えの威力が損なわれるわけではない。

何年も昔、わたしがはじめて脳に興味を持ったとき、地元の図書館にいき、脳の働きがわかる良書を探した。10代のころから、いい本を見つけるのが得意で、どんな話題に興味を持ったときも、たいていうまく探すことができた。相対性理論、ブラックホール、手品、数学など、当時の好奇心はすべて本によって満たされた。ところが、脳については、目的にかなう本が一冊もない。だれ一人として、脳がどのように働くかの理論を持ちあわせていないのだろうか? でたらめな考えや、立証されていない仮説さえもない。ただ単純に存在しない。まったく奇妙だ。たとえば、だれも恐竜の絶滅を見たことはないのに、その理由には多数の説があり、すべてを本で読むことができる。どうして脳だけが例外なのか? はじめのうちは信じられなかった。これほど重要な器官なのに、なぜ働きがわかっていないのだろう? 脳についての過去の研究を調べていくうちに、わたしは簡単に説明できるに違いないと確信しはじめた。脳に魔力は感じないし、それほど複雑な働きをしているとさえ思えない。数学者のポール・エルデシュによれば、もっともわかりやすい証明はすでに「天空の書」に示されていて、同じように、知能の説明も「すでに示されている」のではないか? そんな気がした。わたしも天空の書を読みたいと思った。

これまでの25年のあいだ、脳について簡潔かつ単純明快に書かれた本のことばかり考えてきた。心に浮かぶ本の姿は、ウマの鼻先につるされたニンジンのように、わたしの意欲をかきたててきた。そして、いまや、あなたが手にしている本として結実した。科学にせよ技術にせよ、複雑なものは気に入らない。その思想はわたしが設計した製品にも反映されていて、しばしば使いやすいとの評価を受ける。もっとも強力なものは、おしなべて単純だ。だから、この本では知能についての単純明快な理論を提案する。ぜひ、楽しんで読んでいただきたい。


この続きはぜひ本書でご確認ください!(電子書籍も同時発売中)

本書の著者、ジェフ・ホーキンスの話題の近著はこちら(『脳は世界をどう見ているのか』)

■この記事で紹介した書籍の概要

『考える脳 考えるコンピューター〔新版〕』
著者:ジェフ・ホーキンス、サンドラ・ブレイクスリー
訳者:伊藤文英
解説:松尾 豊(東京大学大学院工学系研究科教授・内閣府「AI戦略会議」座長)
出版社:早川書房
本体価格:1180円
発売日:2023年7月22日

■著者略歴

ジェフ・ホーキンス(Jeff Hawkins)
1957年生まれ。神経科学者、起業家。神経科学とAIの研究を行なうヌメンタ社の共同創業者、チーフサイエンティスト。1979年にコーネル大学で電気工学の学士号を取得後、インテルのソフトウェア・エンジニアとして数年間働く。1986年にカリフォルニア大学バークレー校で神経科学の博士課程に進学後、1992年にパーム・コンピューティングを設立し、現在のスマートフォンの先駆けとなる携帯情報端末「パームパイロット」を開発。2002年にレッドウッド神経科学研究所を、2005年にヌメンタ社を設立。近著に『脳は世界をどう見ているのか』(早川書房刊)がある。

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