新薬の狩人たち帯付

理不尽な上司vs.夢に燃える研究者のバトル勃発!『新薬の狩人たち』冒頭公開①

ドナルド・R・キルシュ&オギ・オーガス『新薬の狩人たち――成功率0.1%の探求』が早川書房より本日発売しました。創薬研究の第一線で35年にわたり活躍する著者が、先人たちの挑戦の歴史をつづる注目の科学ノンフィクションです。

翻訳は、企業で医薬品の研究開発に携わった経歴を持つ寺町朋子さん。巻末解説は、同じくかつて製薬企業に勤め、現在はサイエンスライターとして活躍する佐藤健太郎さん(『炭素文明論』『医薬品クライシス』『世界史を変えた薬』)に執筆いただきました。最強の布陣で贈る本作より、冒頭の「イントロダクション」を全文公開します(全3回)。

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[イントロダクション] バベルの図書館を探索する


先史時代の深い霧のなかでは、だれもが新薬の狩人(ドラッグハンター)だった。寄生虫に侵され、病気に苦しめられた私たちの祖先は、見たことのない木の根や葉を片っ端から噛んでみた。苦痛を和らげてくれる恩恵が運よく引き出されることを願いながら──それに、やみくもな実験で命を落とさないことを祈りながら。純然たるまぐれ当たりによって、一部の幸運な新石器時代人は、薬効成分を含む物質を発見した。たとえば、アヘン、アルコール、ヘビクサ、ネズ、乳香、クミンなどだ。そして、どうやらカバノキ類に生えるカンバタケもそうだったらしい。

紀元前3300年ごろ、体が冷え、具合が悪いうえに致命傷を負っていた男性が、イタリア・アルプスにあるエッツ渓谷の峰を悪戦苦闘しながら独り歩んでいたときに、クレバスに落ちて死んだ。男性はそのまま凍り漬けの状態で5000年以上横たわっており、1991年、ハイカーたちが彼の冷凍ミイラを見つけた。彼らはその男性を「エッツィ」と名づけた。オーストリアの科学者たちが、この氷河時代の狩猟者を解凍して調べたところ、腸に鞭虫(ベンチュウ)が寄生していたことがわかった。当初、科学者たちは、エッツィや同時代の人びとが、この容赦ない寄生虫に、回復の見込みもなく苦しめられていた可能性が高いと述べた。だが、次に発見されたものによって、この見解は改められることになる。

エッツィが着用していたクマ皮のゲートルには革製の紐が二本ついており、それぞれは弾力性のある白い塊に巻いてあった。これらの奇妙な球状の物体は、抗菌性や抗出血作用をもつカンバタケの子実体(キノコ)だと判明した。カンバタケは鞭虫にとって有毒な油脂類も含んでいる。エッツィの革紐にくくりつけられたキノコは、おそらくこれまでに発見されたなかで最古の応急処置薬だ。アイスマンが携行していたその薬は、効力が強かったわけではないが、効き目は一応あった。5000年前の虫下し薬(薬理学者は「駆虫薬」と呼ぶだろう)が存在している事実は、私が博士課程で指導を受けた教官がよく語っていた言葉を思い出させる。「イヌが後ろ脚で歩いているのを見たら、イヌの身のこなしや敏捷さではなく、ともかくイヌがそうやって歩けていることに感心させられる」

エッツィが身につけていた注目すべきカンバタケは、人間がおこなってきた新薬探索に関する一つの単純な真実を示している。それは、この新石器時代の治療薬が、巧妙なイノベーションや合理的な研究から生まれたのではなかったということだ。石器時代のスティーブ・ジョブズが、先見的な発想によってこの駆虫薬を設計したのではない。むしろ、エッツィの薬は、まったくの偶然による幸運の賜物だった。近代科学が誕生する前の新薬探索はすべて、単純な試行錯誤によって進んできたのだ。

それで現在はどうか? ファイザー社、ノバルティス社、メルク社などの大手製薬コングロマリットが最先端技術を駆使した新薬探索研究所に何十億ドルも投入しているので、「ブロックバスター」と呼ばれる大型新薬のほとんどは、綿密に計画された新薬設計プロジェクトの成果であり、試行錯誤のもつ役割は、確かな知識に基づく科学研究の遂行に取って代わられたのではないかと思うかもしれない。だがちがう。大手製薬企業が最大限の努力をしているにもかかわらず、21世紀の新薬探索で最も重要な手法は5000年前と変わっていない。要するに、気が遠くなるほどのさまざまな化合物を丹念に試し、そのなかでどれかが、たった一つでいいからうまくいくことを願うのだ。

私はドラッグハンターとして40年近くのキャリアを積んできた。その間に、新薬が往々にして、ひどい遠回りやまったくの偶然、さらにはその両方によって発見されることをこの身で学んだ。プロのドラッグハンターはプロのポーカープレイヤーに似ている。つまり、ここぞというときに勝負を自分の有利な方向に傾けられる知識や技術を備えているものの、トランプのシャッフルにいつも翻弄される。

では、ラパマイシンという薬を見てみよう。1970年代、スレン・セーガルという生物学者が、カンジダ膣炎や水虫などのありふれた真菌感染症の新しい治療薬を探索しているエアスト・ファーマシューティカルズ社で働いていた。何万種類もの化合物を試したのち、セーガルは、イースター島の土壌微生物に由来する新しい抗真菌性化合物を発見した。そして、先住民がこの遠く離れた太平洋上の島を「ラパ・ヌイ」と呼ぶことにちなんで、その化合物を「ラパマイシン」と名づけた。

セーガルがラパマイシンを動物で試したところ、有害な真菌をことごとく死滅させることがわかった。だが残念ながら、ラパマイシンは動物の免疫系をも抑制した。感染、特に真菌感染を除去しようとするのなら、免疫系が抗真菌薬と協力する形で効果的に機能する必要がある。結局、免疫系の抑制というまずい副作用は克服できないことがわかり、エアスト社の重役たちは、ラパマイシンを見限って方向を切り換えることにした。

しかし、セーガルはあきらめたくなかった。別の抗真菌性化合物であるシクロスポリンが、真菌感染症とはまったくちがう用途に向けて開発されていたのだ。その用途とは、臓器移植治療だった。イースター島由来のラパマイシンと同じく、シクロスポリンも免疫を抑制したが、それは移植後に使う薬には望ましい特性だった。なぜなら、それによって体が新しい臓器を拒絶するのを防げるからだ。セーガルは、ラパマイシンも拒絶反応抑制薬として価値があるかもしれないと見当をつけた。

残念ながら、セーガルの企業(そのころには別の企業と合併していた──製薬業界では腹立たしいほどしょっちゅう起こる)には免疫抑制薬の研究プログラムがなく、新しい経営陣は臓器移植に関心がなかったので、セーガルの提案をすぐに却下した。しかし、熟練のドラッグハンターだったセーガルは、大手製薬企業でほぼ確実に起こる出来事を百も承知だった。それは、幹部がころころ変わることだ。彼はチャンスを待った。そして、新しい経営陣が製薬研究の支配権を握るたびに、ラパマイシンを臓器移植後に用いる薬として試したいという提案を改めて持ち出した。

そんな機会が3度か4度あったあとのことだ。セーガルの上司は、セーガルが無駄なプロジェクトを大事に温めていると感じており、その遂行をしょっちゅうせがまれることに閉口した。そこでセーガルに、培養しているイースター島の細菌をオートクレーブ(高圧蒸気滅菌器)に放りこんで滅菌ボタンを押せと命じた。そうすれば、セーガルが抱いた臓器移植用の薬という夢もろとも、細菌はそれを限りに死滅するはずだった。というか、少なくともセーガルの上司はそう望んだ。セーガルは上司の要求に従いはした……ただし、ラパマイシンをつくる培養細菌を家に持ち帰って冷凍庫で保管したあとに。たぶん、仔牛のカツレツと冷凍エンドウ豆のあいだにでも押しこんだのだろう。

セーガルの賭けは報われた。まさに望んだとおり、彼の上司はほどなく異動し、また新たな経営陣が権力を握った。そして今一度、セーガルはラパマイシンを拒絶反応抑制薬として売りこんでみた。このときは、その提案が取り上げられた。新しい役員たちは、長らく棚上げされていたセーガルのプロジェクトにゴーサインを出した。セーガルは培養細菌をキッチンの冷凍庫から取り出してふたたびラパマイシンをつくり出し、動物の臓器移植で試した……効いた! 最終的に、ラパマイシンは実際の臓器移植患者で試験された……成功だ! そしてセーガルの発見から約20年が過ぎた1999年、イースター島由来の抗真菌薬は、ついにアメリカ食品医薬品局(FDA)から免疫抑制薬として承認された。今日、ラパマイシンは一般的な拒絶反応抑制薬の一つだ。それに、冠動脈ステントの寿命を延ばすコーティング剤としても使われている。もともと水虫やイースト菌感染症(カンジダ膣炎)の治療薬を目指していた薬としては、驚くべき結末だ。

いや、そのような成り行きは、なんら驚きでもないかもしれない。キャリアのすべてを新薬の探索に費やしてきて、私は次のことを学んだ。薬が、探索を始めたときと同じ薬で終わることはまずない。それが、新薬探索において唯一確かなことだ。同業者の圧倒的多数は、みな研究者の養成を主とするトップレベルの大学で教育を受け、ハイテク機器をそろえた一流の研究所で働いているが、生物活性分子の迷路を手探りで進むことに全キャリアを捧げてきても、人間の健康を安全かつ効果的に改善する新しい化合物を一つとして見出せていない。

(第2回に続く)

■訳者あとがきはこちら
■佐藤健太郎さんによる解説はこちら(HONZ)

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[著者紹介]
ドナルド・R・キルシュ(Donald R. Kirsch)
35年以上の経歴をもつ新薬研究者(ドラッグハンター)。ラトガース大学で生化学の学士号を、プリンストン大学で生物学の修士号と博士号を取得。スクイブ社(現ブリストル・マイヤーズ・スクイブ)、アメリカン・サイアナミッド社、ワイス社(ともに現ファイザー)、カンブリア・ファーマシューティカルズ社で抗感染症薬や抗真菌薬、抗ガン剤の開発や機能ゲノミクス研究に携わる。これまでに医薬品関連の特許を24件取得、50本を超える論文を執筆している。現在はバイオ/製薬業界コンサルタントとして活躍するほか、ハーバード大学エクステンション・スクールで新薬探索の講義を担当する。

オギ・オーガス(Ogi Ogas)
サイエンスライター。《ウォール・ストリート・ジャーナル》紙や《ボストン・グローブ》紙、《ワイアード》誌などに寄稿。著書に『性欲の科学』(サイ・ガダムとの共著)など。

[訳者略歴]
寺町朋子(てらまち・ともこ)
翻訳家。京都大学薬学部卒業。企業で医薬品の研究開発に携わり、科学書出版社勤務を経て現在にいたる。訳書にハート『ドラッグと分断社会アメリカ』、ホルト『世界はなぜ「ある」のか?』(以上早川書房刊)、シルバータウン『なぜ老いるのか、なぜ死ぬのか、進化論でわかる』ほか多数。

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