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人間が最も似ている生物がアリである理由。モフェット『人はなぜ憎しみあうのか』より

 スミソニアン博物館でアリの生態を研究するマーク・W・モフェットの『人はなぜ憎しみあうのか』(上・下)が刊行となりました。本書でフィールド生物学者である著者は、なぜ人間は小さな違いにこだわり、仲間と敵を区別するのか、また人間社会はどのように誕生したのかを、他の生物と比較しながら解き明かします。
 本記事では、本書の一節である「アリと人間、リンゴとオレンジ」(抄)を公開します。「私たちの遺伝子の98.7パーセントがチンパンジーやボノボの遺伝子と共通している」にも関わらず、著者は「リンゴとオレンジ」ぐらい人間とチンパンジーは異なる存在であると説きます。一方で、人間にとって最も近い生物はアリであり、アリと人間は生活様式において多くの類似点をもつと著者は言います。なぜアリの巣と人間の社会は似ているのか。この記事を読んで、生物学的な視点からみた人間社会についてもっと知りたくなった方は本編『人はなぜ憎しみあうのか』をぜひ手に取ってみてください。

人はなぜ憎しみあうのか上

「アリと人間、リンゴとオレンジ」

 昆虫学の愛好家でなくとも、アリのファンにはなれる。私たち現代人は遺伝的にはチンパンジーやボノボに近いかもしれないが、私たちが最も似ている動物はアリである。人類とアリとの類似点は、複雑な社会がどのように出現したかについて多くのことを教えてくれる。実際のところアリの生活様式はさまざまであり、シロアリや社会性ミツバチ、社会性スズメバチなどを含む社会性昆虫全般ともなると、その生活様式はいっそう多様になる。遊動するアリや、さらには離合集散を行なうアリもいるが、定住するアリのやりかたはとても徹底している。

 アメリカ大陸の熱帯地方に生息するハキリアリは、複雑な社会を作るアリの潜在能力を見せつける。巣のなかで、緑の葉っぱのかけらをさらに切り刻み、それを土台として餌となる作物を育てる。つまり、野球のボールからサッカーボールまでのさまざまな大きさの球状の畑のなかで菌を栽培するのだ。巣や主なねぐらの外に狩猟採集の拠点を置くことは、巣穴に子どもを隠す動物や、木に登って眠る霊長類の群れは別として、脊椎動物の社会においてはあまりないことだ。しかし、アリではそれがふつうである。ハキリアリは定住生活を極める。彼らの作業スケールは超弩級なものにもなる。仏領ギアナのジャングルでは、テニスコートほどの広さをもつ巣に出くわした。これほどの大都市には、人間の住む都市が抱えるものと同じ欠点がある。十分な資源を集めてくるために何度も行き来する必要があるのだ。大きな巣のあちこちから五、六本の幹線道路が外へと延び、そこを通って働きアリたちが、毎年、数百キログラムもの新鮮な木の葉を運んでくる。サンパウロの近くにあった巣のごく一部を掘り起こすために、男を六人雇ってつるはしとシャベルを振るわせたことがある。その週はアリにたくさんかまれて出血したが、それでもなお、古代の要塞を発掘している考古学者になった気分だった。何メートルにもわたり見事に張り巡らされたトンネルに沿って並ぶ小部屋のなかで、何百もの畑が作られていた。なかには、地下六メートル以上もの深さに及ぶものもあった。人間のサイズに換算すれば、アリたちの地下鉄網は地下数キロメートルもの深さになるだろう。

 どのようなアリの種でも、巣のなかで営まれている非常に多くの活動を何気なく観察するだけでも、社会性昆虫が集団で生活することから多種多様な利益が得られることがはっきりわかる。働きアリは縄張りを確保したうえで、大胆にもその外から、さらには私たちの台所からも食物を集めて持ち帰り、手の込んだ作りの安全な隠れ家で子どもを育てる。アリたちはコミュニケーションを取り、根気があり、勤勉で、いつでも戦う準備が整っていて、リスクを恐れず、高度に組織化されている。作物の栽培、家畜の世話、狩猟採集のどれを行なう種でも、優れた軍事工作員と勤勉な家政婦とで構成される労を惜しまない労働力を形作り、彼らの集落(コロニー)を立派に守り、養っている。その一例のハキリアリは、人間以外のどのような動物よりも明らかに複雑な社会をもち、大規模な農業を営んでいる。

 人間をアリになぞらえると人の怒りを買う恐れがある。人間以外の哺乳類と比べるほうが無難だろう。体毛のあることや恒温動物であること、乳を分泌する能力をもつことが示すように、私たちは哺乳類だ。しかし、哺乳類の社会についてのドキュメンタリーを観ても、「なるほど、確かに人間とよく似てるなあ!」と思わず声を上げることはないだろう。類似点があったとしても、ごくわずかだ。

 じつのところ、私たちの遺伝子の98.7パーセントがチンパンジーやボノボの遺伝子と共通しているにもかかわらず、とても目立つのは相違点のほうだ。実際、進化上の共通した起源をもち、見た目が似ているにもかかわらず、人間と彼らは、リンゴとオレンジほどにちがっている。チンパンジーやボノボのなかでの個々の関係は厳密な権力ヒエラルキーによって規定される。チンパンジーの場合は専制君主的でさえある。どちらの種でも、成熟した雌は、子どもの頃からの知り合いや血縁者を捨てて別の群れに移動し、二度と帰らない。雌は時折にしか性的に受け入れ可能にならない。受け入れ可能な状態は、尻が腫れることで周りに示される。チンパンジーの雌は、たまにしかない発情期以外の時期には雄からほとんど見向きされない。発情期には、しばしば無理矢理に交尾をさせられる。チンパンジーもボノボも、母親たちは父親から、あるいは誰からも、子育てをほとんど助けてもらえないのだから、つがいの相手との絆や持続的な家庭生活をもたないのも無理はない。そのうえ雌たちは、雌どうしで助け合うのもあまり上手くない。実際、いじめられている雌は、赤ん坊を殺されないように、人目につかない場所で出産をしなければならないほどだ。

 したがって、人間の社会と他の脊椎動物たちの社会とのあいだの魅力的な類似点──多くは、社会に属することから得られる利益と、社会どうしの交流のしかたという観点から見たもの──をこれから指摘していくなかで、類人猿の社会をはじめとする人間以外の哺乳類の社会の大半が、完全に非人間的とまではいかなくても、まったく奇妙なものに映ることがあるだろう。そして、彼らが奇妙に見えるその次には、私たちが哺乳類として奇妙に見えてくる。高速道路の交通規則を遵守したり、家屋敷の維持管理をしたりしなければならないチンパンジーはいない。交通渋滞や公衆衛生問題、工場の組み立てライン、複雑なチームワーク、労働力の配分、市場経済、資源の管理、大規模な武力衝突、奴隷制度の問題に取り組むチンパンジーもいない。特定の種類のアリと人間の社会、さらにはミツバチや一部のシロアリのような少数の社会性昆虫だけが、そのようなことをしているのだ。

アリから学ぶ、大きな社会の組み立てかた

 特定の社会性昆虫と現代人とのあいだにある類似点のほとんどは、両者がともにもつ根本的なひとつの属性の結果として生じたものだ。すなわち、両者の社会はメンバーの数が多いという特徴である。動物の行動を研究する科学者たちは、種と種のあいだの進化的な関係にばかり注目してきたが、社会にある多くの特徴は、進化の系統樹よりも規模の大小、つまりは絶対的な数とのかかわりのほうが大きい。これまで研究されてきた人間以外の脊椎動物(類人猿も含め)の社会では、個体数は多くてせいぜい数十しかない。一方、ハキリアリの大きな巣には、数百万匹の労働力が住んでいる。

 メンバーの数がここまで大きくなると、あらゆる種類の複雑さが生じうる。チンパンジーやリカオンなど狩りを行なう集団のなかで観察される協調的な行動は、数種類の捕食性のアリが組織的に狩りを行なう手の込んだ方法に比べると、生ぬるいと言っていいほど気まぐれだ。アリの場合、獲物をその場に足止めさせるアリ、獲物に致命的な打撃を与えるアリ、死骸を解体して素晴らしく協調の取れたチームワークで運搬するアリたちに分かれている。大半の脊椎動物は、このように具体的な役割を分担する労働力をもっていない。

 でも、人間の狩人たちは誰もアリのようなやりかたで獲物を捕まえたことはないし、人間の住居はどのアリの巣にも似ていないじゃないか──と抗議する皆さんの姿が見えるようだ。リンゴとオレンジなど、どのような二つの物にも無数の共通点があり、それと同じくらい無数の相違点がある。類似点であれ相違点であれ、何が誰かの興味を惹くかは、その人の視点によって変わってくる。一卵性双生児は、母親の目にはそっくり同じには見えない。また、心理学的な考察では重要になるように、ひとつの人種に属する人々は、外部の人からは見分けがつかないかもしれないが、互いから見ればそっくりではない。少なくとも、このことだけはおぼえておこう。まったく同じ物を比較することは、死ぬほど退屈だ。比較を行なうことが非常に有益であるのは、通常は別個のものとして扱われている考えかたや物事や行為のあいだに類似点が認められる場合である。したがって、別の社会に取り込まれて自身の利益に反する仕事を行なうアリの世界における奴隷制度は、アメリカ人の実践していた奴隷制度とは異なるが、アメリカ人の奴隷制もまた、古代ギリシア人が戦争の敗者を扱っていたやりかたとはちがう。

 人間とアリは、同じ一般的な問題において異なる解決法にたどりつく。ときにはまったく異なる取り組みをすることによって。しかし、さまざまな人間の社会のなかでも、さまざまなアリの社会のなかでも、同様のことが起こりうる。世界のある地域では車は道路の左側を走るが、別の地域では右側を走る。アジアに生息する略奪アリ(ヨコヅナアリ)のコロニーにある混雑した道路では、巣のほうへ向かう交通が幹線道路の中央を進み、外へ向かうアリたちはその両側を移動する。人間の社会では試行されたことのない三レーン制という解決策が採られているのだ。どちらの方式でも、品物やサービスを正しい場所へと安全かつ効率的に届けることが重視されている。それも、それらを必要とする者が厖大にいて、総出で食料を探しに出かけることをしないか、おそらくはそうできない場合に。

 品物とサービスの配分について考えよう。人間はここでもさまざまなやりかたをする。マルクス主義社会における手法は、資本主義社会における手法とは異なる。アリは、独自の複雑な解決策を用いる。たとえばヒアリの場合、商品の流れは、手に入る物と必要とされる物に応じて調節される。すなわち、需要と供給にもとづいた市場戦略だ。働きアリは、他のおとなのアリや幼虫たちの栄養面での要求に目を配り、必要に応じて行動を変える。食料が豊富にある巣では、偵察アリと新人たちが、巣の小部屋にいる「バイヤー」たちにサンプルを吐き戻して商品を売り歩く。するとバイヤーたちが巣のなかを歩き回り、欲しい者に食料を分配する。こうした仲買人たちが、顧客が肉(おそらくは死んだ昆虫)には飽き飽きしていると察すると、他の商品がないかと市場を調査し、おそらくは甘い物を勧める売り手を見つける。市場が供給過多になり、売り手が商品をこれ以上売りさばけなくなると、買い手と売り手の両方が別の仕事に従事するか、昼寝をする。

 アリの分業はどのように行なわれるのか? ある仕事は専門家に外注される。彼らは、そういう仕事だけを行なうか、あるいは他の者たちよりも頻繁かつ精確にそれらの仕事を行なう。仕事を行なう頻度は、年齢によって決まる。若いアリはたまたま、自分が育てられた巣の部屋のなかで幼虫のそばにいるため、まずは育児係の仕事を担い、母親に代わって幼虫たちの世話をして餌を与える(高齢者が孫を育てる手伝いをする人間とは年齢的な順序が逆だ)。しかし、もっと複雑なケースもある。人の外見という側面が職業のヒントになるように──スーツを着てブリーフケースをもった人はたぶん弁護士だろう、ヘルメットをかぶって弁当箱をもった人はおそらく建設作業員だろう──アリにおける分業も外見と関連する場合もある。オフィスで働く人はひょろ長い体型をしているというステレオタイプが順当かどうかは別として、働きアリは実際に、それぞれの役割に適した体の大きさや比率をしている。
 アリやその他の社会性昆虫の大半にとって、最も根本的な仕事への特化のしかたは、人間の事例とはまったくちがい、実際にはハイイロオオカミやミーアキャットのほうに近い。すなわち、通常は一匹の雌だけ(社会性昆虫の場合は女王)が繁殖をするのだ。これに加えて、若い数世代が弟妹たちを育てるという特徴がアリにはあるために、アリたちが属する集団が、平凡な家族以上のものとなり、ひいては「社会」という言葉に値するものとなっている。

 さらに、アリの社会は姉妹の関係が軸となる(だから私はしばしば働きアリのことを彼女と称している)。これは、脊椎動物においてはけっこうあることだ。サバンナゾウも、社会、すなわちコア内のおとなのメンバーは全員、姉妹とはかぎらなくても雌である。しかし、多くのアリにとって性別は
実際のところあまり問題ではない。なぜなら働きアリは生殖できないからだ。ハキリアリの働きアリたちの卵巣は機能していない。一方でアリの雄は、ミツバチの雄と同様に社会のなかに入れてもらえない。彼らの行なう唯一の貢献は、交尾をして死ぬことだ。また一方でシロアリは雌雄が平等だ。巣のなかには女王だけでなく王もおり、働きアリには雄と雌の両方がいる。
大きなアリと小さなアリが分業する、コロニーの複雑さハキリアリのなかでも最も徹底した種が行なう分業はきわめて独特だ。幼虫の一部が急激に成長して兵隊アリとなり、巣に住まう他のアリたちを護衛する。体の大きな兵隊アリは、護衛に加えて道路工事という重労働を担う。食料や物資や作業員が円滑に流れるように、幹線道路を整備するのだ。サンパウロで見つけたコロニーを掘り起こしていたときに私の皮膚に切り傷をつけた屈強なハキリアリ
たちは、こうした兵隊アリたちだった。

 兵隊アリ以外の全員が、畑の世話をするための組み立てラインを構築する
。中くらいの大きさの働きアリが木の葉を切り取って、もう少し体が小さいアリに渡し、長い行列を作って巣まで運ぶ。葉が畑の部屋に搬入されると、もっと体の小さなアリが葉をさらに細かく切り刻み、もっと体の小さなアリがそれを砕いてパルプ状にする。そうしてできあがった堆肥を、さらに小さな働きアリが前肢を使って畑にこすりつけ、さらに小さなアリが菌の塊をそこに「植えつけ」て時間をかけて剪定する。最も体の小さなアリは、食べられない菌や病原菌を入念に取り除く。また、高い収穫を確保するために、
体内で作られた独特の殺菌剤を畑にまく。植えつけから畑の手入れ、作物の収穫にいたるすべての労働が必要とされていることは、あらゆる農業労働者の共感をよぶはずだ。人間以外の脊椎動物はどれひとつとして、頭の賢さやメンバー数の大小にかかわらず、ハキリアリや、その他の数種類の昆虫が繰り返し実践しているような食料の栽培に向かう、初歩的な一歩さえ踏み出していない。

 大量生産に伴うひとつの問題に、ごみ処理がある。チンパンジーは絶対にこの問題に頭を悩ませることはないだろう。そうならなくて当然だ。トイレがまったく必要とされず、森のなかで用を足すのが今でも習慣となっているチベットの過疎地と同様に、チンパンジーの排泄物は公衆衛生問題を引き起こす前に土のなかで消滅する。しかし、ハキリアリの巣では、フルタイムのごみ処理隊が必要となる。そのうえ、二酸化炭素の濃度が有害なレベルまで上昇しないように、内部で空気が循環するような巣を構築しなくてはならない。永い年月をかけてコロニーが進化した結果、アリは私たちよりも、GDPのいっそう多くの割合を、公共の安全とリサイクル事業へ投資するようになったのだ。

社会の複雑さと大きさ

 アリの素晴らしいところは、一部のアリが作る複雑な社会を、とても小さな規模で生活する一部のアリのコロニーと比較できる点である。いくつかのコロニーは本当に小さい。アカントグナトゥス・テレデクトゥスAcanthognathus teledectus、またの名をトラップ・ジョー・アントというアリのコロニーには、二、三〇匹の働きアリしかいない。そうしたコロニーは、アメリカの熱帯雨林の地面に落ちた小枝の内部にある空洞に作られる。これはアリにとっての洞窟だ。そのようなコロニーには、幹線道路や組み立てラインや複雑なチームは必要ない。同じような規模のハイエナやハイイロオオカミの群れや、少人数の人間の部族が、数名で協力して獲物をしとめる以上のことを必要としないのと同じである。トラップ・ジョー・アントはまったく難なく必需品の分配やごみ処理を行なっている。女王アリ以外は、どのアリの体も同じ大きさで、同じ仕事をする。どのアリの顔にも、スイス・アーミーナイフに似たものがついている。その「罠になるあご(トラップ・ジョー)」は長い大顎で、先端には棘がある。一匹一匹が実質的な罠であり、獲物を殺してもち帰る仕事を単独で遂行できるように作られているのだ。

 機能の特化が最低限に抑えられているのには、もっともな理由がある。個体数が少なすぎてさまざまな役割を担うことができないからだけでなく、機能を特化しすぎることは集団が小さい場合には危険であるからだ。ひとりしかいない通信兵を失った隊は、おそらく全滅するだろう。もしも人間の部族のなかに火をおこすのが上手な人がひとりしかいなければ、同じことになるだろう。トラップ・ジョー・アントのコロニーが小さいために、働きアリたちは万能でなければならないのだ。メンバーの数が多い社会では余剰の人員が生じるので、必要に特化した仕事をする者が現れる。ニューヨーク市の職業一覧の多様さを、ひとつの村にある職業の数と比べてみればわかるだろう。

大きなアリと小さなアリが分業する、コロニーの複雑さ 

 ハキリアリの話が注目に値するのは、人類とほとんど同じ道をたどって農業を発展させてきたからだ。遺伝子や菌の分析から明らかになったように、ハキリアリの先祖は6000万年前に畑仕事へと向かう最初の一歩を踏み出した。当時の先祖たちと同じような生活を送っているアリが今もなお存在しているが、それらの社会はトラップ・ジョー・アントの社会とほとんど同じくらい簡素なものだ。

 そうした社会は、数十匹から数百匹の働きアリと小さな畑からなっている。実際、それらの社会は多くの点で、たいていは野生の植物を採ってきて栽培し、簡素な住みかの近くに作った小さな畑で必要な分だけを育てていた人間の小さな部族と似ている。そして、ホモ・サピエンスが出現するずっと以前の2000万年前、こうした見過ごされやすいアリの一部が菌を栽培し始めた。その菌もまた、アリの世話に依存するようになった。このように変化したために菌はもはや自生できなくなったが、驚異的な規模での栽培が可能になった。ナイル川渓谷などの土地で農業が発祥してから、栽培する穀物を糧として人間の社会が成長していったように、アリのコロニーのメンバー数も爆発的に増加していった。

 インフラやごみ処理システムなど、このような大きな社会が共通してもっている多くの特徴は、大勢のメンバーが一カ所に定住するための実質的な必要条件である。しかし、数が多ければ必ず複雑になるとはかぎらない。侵略的外来種であるアルゼンチンアリを見れば、そのことがわかる。アルゼンチンアリの「スーパーコロニー」のほとんどには、ハキリアリの巣にいる個体数よりもはるかに多い個体が存在するが、働きアリの体の大きさは一種類しかなく、機能の特化もなく、組み立てラインや手の込んだチームワークが実践されることも、集約的で壮大な住居を建築することもない。ブチハイエナやボノボと似た放浪の習慣をもち、徹底した離合集散を行なう。四方八方に拡散し、縄張りのなかのどのような地点も、その場所の特徴に応じて、ただちに巣や、食料の採取源へと変えていく。スーパーコロニーがこのように単純であることから、小さな村にエンパイア・ステート・ビルディングを見つけることが絶対にない――数人で作り出し管理できる複雑さの程度には限界があるから――一方で、すべての都市に超高層ビルや優れた配管設備があるわけでもないということがわかる。

 しかし、アルゼンチンアリの社会の中身が単純であっても、個体間は効果的に連携していることを見れば、人間がどのように巨大な社会を築いていったのかという大きな疑問に答えるためのヒントが得られるかもしれない。その答えを次に解明していこう。(『人はなぜ憎しみあうのか』5章「アリと人間、リンゴとオレンジ」から抜粋)


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