ボーダー_二つの世界

【解説】「われわれ」と「誰か」の境界が滲んで融ける──ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト『ボーダー 二つの世界』【書評掲載情報】

「スウェーデンのスティーヴン・キング」と称されるホラー作家、ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト。短篇集『ボーダー 二つの世界』には、同名の映画原作をはじめ、映画「ぼくのエリ 200歳の少女」原作である『MORSE─モールス─』番外篇「古い夢は葬って」など、11の短篇が収められています。恐ろしくも美しい珠玉の作品たちを紹介した、文庫解説を公開いたします。記事の最後にある、新聞・雑誌・Web媒体での記事掲載情報リスト(随時更新)までご注目ください。

ボーダー_二つの世界

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解  説

 ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストの短篇集『ボーダー 二つの世界』には、「われわれ」と「誰か」の境界(ボーダー)がまじりあう瞬間を描いた11の短篇が収められている。どれも、「正常」な世界にいると思っている主人公が、薄い境界の向こう側をのぞき見たり、それを踏み越えたりする物語である。

 ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストは一九六八年、スウェーデンはストックホルム郊外のブラッケベリで生まれた。マジシャン、スタンドアップ・コメディアンとして12年間活躍したのち、2004年に長篇『MORSE─モールス─』(原題Låt den rätte komma in)をOrdfront Förlag から出版して作家としてデビューする。孤独な少年と隣家に引っ越してきた少女のリリカルな交流と、血みどろの連続殺人事件の顛末を作品内で見事に共存させた同作は、自身の脚本によりスウェーデンで「ぼくのエリ 200歳の少女」として映画化され、さらにアメリカでも「モールス」としてリメイクされるなどヒットし、リンドクヴィストはホラー小説界の新星として一躍注目を浴びた。その後もコンスタントに作品を発表し続け、今では「スウェーデンのスティーヴン・キング」と称される人気作家である。

 本書は2006年に出版された短篇集で、2011年に英語版のLet the Old Dreams Die(Quercus 刊)が刊行される際、『MORSE─モールス─』の続篇である「古い夢は葬って」が追加された。

 表題作である「ボーダー 二つの世界」は同名映画の原作で、監督はイラン系スウェーデン人のアリ・アッバシ、脚本には「ぼくのエリ 200歳の少女」に続きリンドクヴィスト本人が参加している。2018年のカンヌ国際映画祭で「ある視点」賞を受賞したこの映画は、原作にはないサイドストーリーが追加され、よりミステリ風味の強い作品に仕上がっている。

 リンドクヴィストの父親は、1998年に海で溺死している。その影響か、彼の物語に登場する海や水は恐ろしく、ときに「死」そのものである。ラヴクラフト的な恐ろしさを持つ「坂の上のアパートメント」ではトイレが、パパラッチがカメラ越しに幻視する異世界を描いた「見えない! 存在しない!」ではプールが惨劇の舞台となり、薄まった人間のかけらはやがて海に流れ出ることがほのめかされる。また、「エターナル/ラブ」で描かれるのは、より直接的に結びついた海と死であり、海中に漂う永遠の恐怖である。

 対照的に、森に対する視点には穏やかさや親密さ、安心感があり、森を舞台とする2つの作品はほの暗くも美しいファンタジーとして描かれる。「ボーダー 二つの世界」における森、そしてそこに暮らす生きものたちは、人間社会で孤独を抱えながら生きる主人公ティーナの心のよりどころとなっている。スウェーデンの大自然が、ティーナの本能的な感覚のするどさもあいまってひときわ印象的に描かれており、彼女が属している(と信じる)美しい世界の描写はそのまま、容姿のことで虐げられてきた彼女の内面世界の豊かさを表している。

 また、原書短篇集(Pappersväggar)の表題作でもある10ページの掌篇「紙の壁」では、家の近くの森に大きなダンボール箱を置き、そこで一夜を明かそうとする九歳のヨンの冒険が、無邪気でノスタルジックに語られる。ヨンが薄いダンボール越しに「何か」と対峙するシーンは、緊張感をはらみながらも、そこにあからさまな恐怖はない。「何か」がダンボールに触れる様子にはためらいがある。「何か」にとってはわれわれが異形であり、息を詰めておそるおそる手を伸べる対象なのである。
 
 11篇の中で唯一、超自然的な物事が現れないのが「マイケン」である。「テルマ&ルイーズ」へのオマージュと思われる、スリリングな犯罪譚だ。だが、マイペースでおかしみのある語り口によって、「福祉先進国」スウェーデンにおいて、セーフティーネットからこぼれ落ちかけ、孤独と希死念慮を抱く高齢者の姿が映し出される。

 社会福祉からこぼれ落ちる人々に対するリンドクヴィストの注目は、「臨時教員」においても、母親と兄を失って絶望的な状況に叩き込まれてしまった少年マッテの荒れた暮らしに現れる。少年時代のマッテは、2週間の臨時教員としてやってきたヴィーラが異質な者であることを発見し、現在のマッテは語り手の「僕」にとって、精神を病んでいる疑いのある、ある意味で別世界の住人となってしまっている。だが、「僕」が正常でマッテが狂気に陥っているなどと、誰が確信をもって言えるであろうか。この作品は、境界の向こう側をのぞき込んだマッテと、彼との境界をさらにのぞき込む「僕」、という入れ子の構造を取って、私たちの怠惰な認識の隙間を突くようなするどさを持った作品となっている。

 さらに、リンドクヴィストは、死者の尊厳を考えさせるモティーフとしてゾンビを登場させる。不法侵入したサマーハウスで死体を見つける「EQUINOX」では、死体が主人公に言い放つ「おまえも死んでいる」という一言で生者と死者の境目があいまいになり、むきになってその境目を引きなおすかのように主人公は死体を冒涜する。「最終処理」は、死者が動き出して「再生者」となり、収容施設を脱出して多数の犠牲者を出すに至った事件(未邦訳の長篇Hanteringen av odöda で書かれている)の後日談である。舞台は、再生者たちが再収容・隔離され、人間の生存の最低必要条件の研究のために、真っ当に生きることも成仏することもできぬまま生体解剖の実験台として扱われている世界。主人公カッレたちは、彼らをきちんと「死なせてあげる」ために奔走することとなる。
ボーダー 二つの世界』の中の多くの短篇はストックホルム郊外のブラッケベリという町が舞台である。リンドクヴィストの故郷でもあるこの街は、いわく「すべてが最初から注意深く計画され、造られた町」(『MORSE─モールス─』より)で、ストックホルムへ通勤する人々のベッドタウンである。この街の駅の改札員が語り手となるのが、「古い夢は葬って」だ。『MORSE─モールス─』の続篇にあたる本作であるが、ブラッケベリのスイミングプールで起きた凄惨な事件によって不思議にも結ばれた夫婦のヒストリーと静かな愛の模様が軸となり、エリとオスカルのその後の姿がわずかにほのめかされる。

 散文詩のようでもある「音楽が止むまであなたを抱いて」はとても短い作品だが、著者のあとがきを読む前と読んだあとでは全く違った読み口となる、不思議で不穏な作品である。

 この作品に収録されている短篇はどれも、一級の恐ろしさと一緒に、孤独な者、こぼれ落ちそうな者への優しさや慈しみを抱いている。かれらはみな、定義できるとわれわれが思い込んでいるふたつの世界のはざまにいて、都合よく「こちら」に引き込まれたり、「あちら」に追いやられたりする者たちである。「正常」と「異常」のあわい、「こちら」と「あちら」の境界に引かれた細い線。それがいかに「こちら」の主観に基づいた、もろく危ういものであるかということを、本書は読者に示している。
                     (編集部Y. H)

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書評掲載情報

◆◇◆新聞◆◇◆
日本経済新聞 2019年10月3日付(野崎六助氏)
読売新聞 2019年10月13日付(青木千恵氏)
静岡新聞 2020年2月2日付(長山靖夫氏)

◆◇◆雑誌◆◇◆
「週刊新潮」2019年10月16日号(瀧井朝世氏)
「サンデー毎日」2019年11月17日号(上原隆氏)
「ELLE Japon」2020年2月号(豊﨑由美氏)
「TH」No.81 2020年1月29日発売号(関根一華氏)
「週刊金曜日」2020年1月31日号(永田希氏)

◆◇◆Web媒体◆◇◆
「ガジェット通信」2019年10月11日「ぼくのエリ』原作者による不思議で哀しい物語 自分の中の価値観や偏見と向き合うきっかけとなる『ボーダー 二つの世界』:映画レビュー」(♪akira氏)
「Web本の雑誌」2019年10月21日「今週はこれを読め! ミステリー編」(杉江松恋氏)
「Bookbang ブックバン」2019年10月24日「話題の映画『ボーダー 二つの世界』同名短編集に見る、少数派のアイデンティティ問題」(瀧井朝世氏)
「Numero Tokyo」2019年11月11日〈Culture〉カテゴリ内「Numero TOKYOのおすすめの11月の本」(林みき氏)
「VirtualGorilla+」2019年12月21日「『ボーダー 二つの世界』原作小説との違いと、各々の作品で問われたもの」(井上彼方氏)

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ボーダー_二つの世界

ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト『ボーダー 二つの世界
ハヤカワ文庫NV 本体価格 1280円+税
2019年9月19日発売


目次

 ボーダー 二つの世界(山田文訳)
 坂の上のアパートメント(池本尚美訳)
 Equinox(菊池由美訳)
 見えない! 存在しない!(高橋亮訳)
 臨時教員(内藤典子訳)
 エターナル/ラブ(名取祥子訳)
 古い夢は葬って(長尾莉紗訳)
 音楽が止むまであなたを抱いて(草野香訳)
 マイケン(中村有以訳)
 紙の壁(田村加代訳)
 最終処理(草野香訳)

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無題

映画「ボーダー 二つの世界
監督:アリ・アッバシ 原作・脚本:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
配給:キノフィルムズ 宣伝:トランスフォーマー
2019年10月11日(金) 
ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか
全国ロードショー

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ありがとうございます!『名探偵ポアロ オリエント急行の殺人』もどうぞ!
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コメント (1)
「ぼくのエリ」、傑作でした。原作を読んでなかったので読んでみます。「ボーダー」も境界線上の危うい話みたいで興味あります。
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