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編者・伴名練が語る『日本SFの臨界点 中井紀夫』作品紹介

『なめらかな世界と、その敵』の著者にして、古今東西のSFを愛する紹介者としてついに少年ジャンプにまで登場したSF作家・伴名練さん。

その伴名さんが自ら編者となって、今この時代に最も読んでほしいSF作品を届ける《日本SFの臨界点》シリーズ。その最新刊である『日本SFの臨界点 中井紀夫 山の上の交響楽の巻末解説から、収録作品紹介を公開します。

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【収録作品紹介】

(作品のネタバレを含みます)

◆「山の上の交響楽」〈SFマガジン〉八七年一〇月号初出、第一短篇集『山の上の交響楽』表題作。八八年度星雲賞日本短編部門受賞作。
 演奏に数千年かかる交響楽を、既に二百年以上に渡って演奏し続けている巨大楽団。その舞台裏を、楽曲の難所に備えるため奔走する、事務局員の視点から描く。壮大な奇想を軽妙に語るマスターピース。
 本篇を表題作にした短篇集は長い間絶版になっていたものの、SFマガジンのオールタイムベスト企画において、発表以来、一九位(八九年)→一三位(九八年)→一〇位(〇六年)→二一位(一四年)とランクインを果たし続けてきた。
『S‐Fマガジン・セレクション1987』(ハヤカワ文庫JA)、大活字本《日本SF・名作集成》第一〇巻『幻想への招待』(夢枕獏・大倉貴之編、リブリオ出版)、『てのひらの宇宙 星雲賞短編SF傑作選』(大森望編、創元SF文庫)など定期的にアンソロジーに入り続けているほか、黒田藩プレスの日本SFアンソロジー『Speculative Japan』の第二巻にて英訳されている。
 メインアイデアは、ジョン・ケージ的な現代音楽を連想させるが、実はバリ島の伝統音楽に影響を受けたことが、左記の通りインタビューで語られている。
《バリ島の音楽のケチャとかガムランを演奏する人たちっていうのは代々その家のリズムというのがあって、それしかやらないんですね。ケチャなんか非常に複合的なリズムで、いろんなリズムがいっしょにどわーっと出てくるんですが、その中で担当するリズムがひとりひとり決まっている。それが、代々ひきつがれて、あるリズムを担当する人の子どもは同じリズムを担当することになる。そのイメージが頭のかたすみにありました。》

◆「山手線のあやとり娘」〈SFアドベンチャー〉八八年一月号初出、第三短篇集『山手線のあやとり娘』表題作。
 電車内でのささやかな遭遇から現実をはみ出していく「奇妙な味」ものでありながら、SFらしいオチがつくスマートなショートショート。中井作品では、「ブリーフ、シャツ、福神漬」「改札口の女」を始め、駅や電車内は、主人公が不思議な相手と出会う場所として描かれることが多く、日常から異界への接続地点として好適なのだろう。
 SFとあやとりと言えば、ヴォネガット・ジュニア『猫のゆりかご』でも印象的に登場するなど決して珍しいモチーフではないが、あやとりという遊びの卑近さとそこで繋がるものの異質さ、という点で、北野勇作「あやとりすとKの告白」と双璧をなす、あやとりSFの金字塔と言える。近年の作品では、縄目を読み/作る技術がSF的に生かされる、ケン・リュウ「結縄(けつ じよう)」なども想起される。

◆「暴走バス」〈SFアドベンチャー〉八八年二月号初出、『山手線のあやとり娘』収録。
 何の前触れもなく超低速時間に閉じ込められたバス、その周囲に集う人々の姿を描くドラマ。時間の低速化ネタは、梶尾真治「美亜へ贈る真珠」(七〇年)、小林泰三「海を見る人」(九八年)、古橋秀之「むかし、爆弾がおちてきて」(〇五年)を始め、日本SFで恋愛と絡めて繰り返し書き続けられてきたアイデアであり、その系譜に連なる一本。巽孝之が指摘するように、イアン・ワトスン「超低速時間移行機」(七八年)も連想させる。拙作「ひかりより速く、ゆるやかに」(一九年)も同様の系譜に連なる一作であり、「ひかりより~」発表時には、読み手が世代によって梶尾・小林・古橋それぞれの作品を連想していたが、全作をお読みになった方は、「暴走バス」が最も直接的な影響を与えたことがお分かりになるだろう。

◆「殴り合い」〈SFアドベンチャー〉九一年一二月号初出、書籍初収録。
 若者の前に突如現れて殴り合う男たち。シュールな不条理劇にしか見えない発端だが、きちんとSF的謎解きが行われる。SFの歴史の中では、主人公の置かれる境遇そのものは決して珍しくないシチュエーションだが、ヒロイックに、あるいはサスペンスフルに描かれる場合が多いのに対して、なぜか「殴り合い」という原始的な事象に結実してしまっていることがコミカルだ。と同時に、既に「殴り合い」が終わってしまったあとからの回想であり、人生の悲哀を感じさせることで、忘れがたい物語になっている。読者の年齢によって、印象が大きく変わる作品だろう。

◆「神々の将棋盤──いまだ書かれざる「タルカス伝・第二部」より」〈SFマガジン〉九四年三月号初出、書籍初収録。
 一族総出で「神々の将棋盤」と呼ばれる一枚板を支え続けているタシュンカ族のもとに、破壊者タルカスが接近する──長篇シリーズ《タルカス伝》唯一の外伝であり、最も未来に位置するエピソードである。
 神話的な奇想、時に人倫を裏切る展開の乱舞する《タルカス伝》。その第一巻のあとがきでは、北欧神話に登場する黄金の将棋盤について言及されており、そこに本作の発想の源があるのかもしれない。ただ、それを核にこんな奇習を生みだせるのは中井紀夫くらいだろう。
 ファンタジー風の世界に「スイカ」「カツカレー」「イカの塩辛」などの単語としりとりが出てきたことを奇異に感じる方もいるだろうが、何しろこの世界、大枠がいかにも普通のファンタジーっぽく見えながら、戦争となればレールを引いて列車要塞で攻め込み、その始発駅では弁当やらアイスクリンが売られ、ある王子は戦闘機械に乗って他人の手足を斬って悦に入り、ある王子はオートバイのような鉄騎を乗り回し、自動販売機の空き缶を利用して外敵を避ける習性を持つ動物がいたかと思えば、冷蔵庫の中に暮らす風習を持つ部族がおり、あちらに恐竜がいればこちらに野球チームがおり、と想像力の赴くままに面白いことをするというのが至上の作品であり、現代日本の事物が出てくるのも特に驚くべき部分でもない。
 本作でいえばタシュンカ族やモタワトの街のような奇想が次々に飛び出してくる《タルカス伝》のあらすじは、【中井紀夫書籍リスト】の四五九ページをご参照のこと。

◆「絶壁」〈SFマガジン〉九五年一一月増刊号初出、『現代の小説1996』(日本文藝家協会編、徳間書店)に再録。
 その男は、マンションの壁に寄りかかって昼寝をしていた。彼は人とは立ち場の異なる人間らしい──〈SFマガジン〉最後の登場となった作品。ある日とつぜん一人の人間にだけ重力が別方向に働き始める、という設定は、かんべむさし「道程」など枚挙にいとまがないが、事態の原因が重力の変化でなくあくまで「立ち場」の違いであると言い切っていることはこの作品ならではのものであり、語り手が傍観者であることも珍しい。
 中井紀夫もキャリアの初期であれば、まず間違いなくこの旅人自身を主人公にしていただろうが、語り手は普通の人生の中で「立ち場」が違う彼に出会い、そのことを心に留めつつ日常を生きていく、という視点の違いに、作風あるいは作者の心境の変化を感じてしまう。自分の友人である誰かが常識はずれな立ち場にいて、風変わりな旅をしながら生きている、ということを頭の片隅に置いて毎日を送れるのは、恐らく一種の希望である。

◆「満員電車」〈SFアドベンチャー〉八八年一一月号初出、第二短篇集『ブリーフ、シャツ、福神漬』収録。
「山手線のあやとり娘」同様、電車内を舞台にした掌篇だが、こちらは中井紀夫作品の一つの側面であるホラーの切れ味鋭いものになっている。正体不明の恐怖と止まらない列車というシチュエーションで、ブッツァーティ「なにかが起こった」をも彷彿とさせる。グロテスク描写を僅かに含むが、中井ホラーでは『死神のいる街角』収録作や「バスタブの湯」など、この筆を存分に振るった作品も珍しくない。

◆「見果てぬ風」〈SFマガジン〉八七年三月号初出、『山の上の交響楽』収録、『日本SF短篇50 ・』(ハヤカワ文庫JA)再録。
 二つの長大な壁に挟まれた世界で、壁の途切れる場所──世界の果てを目指した主人公の旅は、いつしか彼の人生そのものとなっていく。
 文化や人種や生物や習俗など、私たちの住む場所とは異なる異世界を旅する、という設定はSFでも長く愛されてきたものであり、筒井康隆『旅のラゴス』などとも共振する。
 中井紀夫は、『ミュータント・プラネット』の殺戮機械を狩りながらの旅、《タルカス伝》での様々なキャラクターの放浪、《能なしワニ》最終巻のグランド・グランド・キャニオンを下る探査行など、登場人物に旅をさせる中で、異世界の様々な奇景・奇習・奇妙な生き物たちを見せる、という形式を用いて読者にセンス・オブ・ワンダーを味わわせることを得意としてきた。本篇は、その嚆矢となる一篇であり、日本SFオールタイムベスト五〇にも三度ランクインするなど、読者に与えた印象は強く、近年では、仁木稔が「にんげんのくに」執筆時に想起した作品としても挙げている。

◆「例の席」〈SFの本〉第九号(八六年六月)初出、『ブリーフ、シャツ、福神漬』収録。
 馴染みの喫茶店にいつも空いている席があった、という他愛のない発見の向かう先は……? デビュー作「忘れえぬ人」とタッチの差で発表された掌篇。「満員電車」と同じく不条理ホラーで、由緒の分からない点で昨今の実話怪談的な趣きもあるが、その伝播は星新一「包囲」のように、SF作家らしいものと言える。ただ人が寄り付かないだけではない、謎の忌まわしさを湛えた店の描写は短いながら凄味がある。
 本書に入っている作品の中で一番掴みどころがなく、どころか、普通の因縁と起承転結があることの多い中井紀夫ホラーの中で最も正体の掴めない作品であり、その得体の知れなさをこそ買って収録作に選んだ。

◆「花のなかであたしを殺して」〈SFマガジン〉九〇年四月号初出、書籍初収録。
 宇宙進出した人類は無数の星に散らばり独自の文化を築いた。星を巡ってそれぞれの文化を研究してきた人類学者ババトゥンデはとある惑星の村に滞在していたが……文化人類学的に異星文化を観察していた主人公が、自身も当事者に引きずり込まれてしまう。目を引くタイトルが作品の本質をずばり表す中篇。「死んだ恋人からの手紙」を既にアンソロジーでお読みの方にとっては、こちらが巻末作品となるだろう。
「五秒おきの恋人」「挽肉の味」「テレパス」「海辺で出会って」「バスタブの湯」『海霊伝』など、人間の男と、異質な体質・身体を持つ女性の恋愛および性愛は、中井作品に頻出する題材であり、その究極系とも言える。ただし、異なる生殖の形がテーマになっている一方で、幻想的なムードを優先してか具体的な性行為シーンの描写が存在しない。逆に、コミカルなムードによってそれを直接描く、という正反対のコンセプトが取られたのが、この三か月後に第一話が掲載される《銀河好色伝説》シリーズなのかもしれない。
 解説原稿執筆の途中段階で、作者より、本作にアンリ・ミショー『幻想旅行記 グランド・ガラバーニュの旅』『魔法の国にて』が影を落としているかもしれない、との言葉を頂いた。いずれも旅行記/滞在記形式で架空の国の習俗について語る奇想掌篇集あるいは詩集であり、カルヴィーノ『見えない都市』の更に断章的な、あるいは散文的なバリエーションといえる。作中ではやや本題から離れた部分に現れる異星文化の記述にも、そのエコーが感じられ、本作は奇想文学とSFの両立が企図された小説と言えよう。

◆「死んだ恋人からの手紙」〈SFマガジン〉八九年六月号初出、『S・Fマガジン・セレクション1989』、『日本SFの臨界点[恋愛篇] 死んだ恋人からの手紙』にも再録。
 宇宙戦争に従軍している男から恋人のところへ、何通もの手紙が届くが、その順番はバラバラだった。過去現在未来を自在に表現可能な言葉/把握可能な視座を持つことにより、人類と異なる世界観・死生観を持つ宇宙人、というテーマは、ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』(六九年)、テッド・チャン「あなたの人生の物語」(九八年)と共通しており、それが異星人の視界を体現するバラバラの時系列で語られる、という部分までが同一のものである。これら二作品がオールタイムベストとして読み継がれてきたのに対して、本作が短篇集に一度も入らずアンソロジーに埋もれたままだったのは看過できず、私が『日本SFの臨界点』を編む動機の一つともなった。なお昨年、本作は大学の入試国語の問題(日本大学芸術学部令和3年度一般選抜A個別方式第二期)にも使用された。
 中井紀夫は本作発表の遥か後年に、好きなものにガルシア?マルケス、筒井康隆、夏目漱石、セロニアス・モンクと並べてヴォネガットを挙げており、本作が『スローターハウス5』の影響下で書かれた可能性は高い。それでも恋愛ものというジャンル、一方的に手紙が届き続ける文通形式で、抒情性を引き出し、類のない哀切をもたらす作品になっているのは間違いないだろう。
 また、言葉と世界の把握というテーマそのものは、中井紀夫が長期に渡ってこだわり続けているテーマでもある。複数の長篇の山場で言語と世界認識について考察しているほか、〈SFの本〉第五号、レム『天の声』レビューで以下のように語っている。
《理解不能なもの、言葉で言い表わせないもの、そういう空虚な中心のまわりに、人間はどんどん言葉を使い、言葉で囲いこむことで、なんとか理解した気分になろうとする。つまり、思わずフィクションを作りだしてしまう。いったいどうしてそんなにまで理解したがるのか不思議だがこの人間の性向が、実は文学そしてSFを支えているのかもしれない。》

◆次なる傑作選へ
 既刊短篇集四冊、そこに入っていない未収録短篇が四〇作ほど、という「入れるべきものがあり過ぎる」状態から始まった作品選定だったので、クオリティを最重視しつつも、初期の埋もれた奇想・SF作品を集めることを優先し、ホラー作品は掌篇二本に留めざるを得なかった。また、八九年版の『山の上の交響楽』既読者のためにそちらとの重複は最小限であるべきと考え、表題作と「見果てぬ風」の二本のみとした。
 その結果、クオリティがあっても落選した作品は多い。奇想度が高く、中井紀夫の最高傑作に上げる人もいる「電線世界」を、分量が百ページを超えるという事情から収録できなかったのが心残りである。この巻末解説で、私が中井紀夫作品について語れることは全て語り尽くしたが、「電線世界」を目玉に、もう一冊傑作選を編むことは可能なので、目次案を知りたい編集の方は声をお掛けください。待ちきれない読者の方は、ぜひ既刊短篇集の電書版にも手を伸ばしてみて頂ければと思います。
 また、今回の本は、短篇発表が八六年から〇七年に渡った中井紀夫の作品のうち九五年まで、即ちキャリアの前半部分の作品を集めたに過ぎない。後期、《異形コレクション》初出作を集めると、ほとんど別の作家のようなテイストの一冊になるはずで、それもホラーの編集者でご興味がお有りの方にはぜひ取り組んで頂ければ幸いです。


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『日本SFの臨界点 中井紀夫 山の上の交響楽』
中井紀夫/伴名練=編
装画:10⁵⁶/装幀:BALCOLONY.