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全米図書賞翻訳部門受賞!『ソクチョの冬』(エリザ・スア・デュサパン/原正人訳)の「訳者あとがき」公開のお知らせ

早川書房から1月24日、スイスの作家エリザ・スア・デュサパンによる『ソクチョの冬』(エリザ・スア・デュサパン/原正人訳)が刊行となりました。フランスと韓国にルーツを持ち、現在はスイスで執筆し、マルグリット・デュラスの再来と言われる作家による、デビュー作にして全米図書賞翻訳部門を受賞した話題作です。北朝鮮国境近くのソクチョにやってきたフランス人のバンド・デシネ作家と、旅館で働く韓仏ミックスの女性が出会う、寒い冬に読むのがぴったりな小説です。翻訳したのは、フランス語圏の漫画、バンド・デシネの翻訳家として知られる原正人さん。小説や著者のエリザ・スア・デュサパンだけでなく、バンド・デシネの歴史もわかる、原正人さんによる「訳者あとがき」を公開いたします。

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訳者あとがき

 本書はエリザ・スア・デュサパンの小説『ソクチョの冬』(Élisa Shua Dusapin, Hiver à Sokcho, Éditions Zoé, 2016)の日本語訳である。

著者近影(🄫 Romain Guélat) 

 作者のエリザ・スア・デュサパンは、一九九二年生まれ。フランス人の父と韓国人の母の間に生まれたフランスとスイスの国籍を有する女性作家である。スイスのゾエ社から二〇一六年に出版された本書は、彼女の長篇デビュー作に当たる。あるインタビューによれば、彼女は初めて韓国を訪れた体験をもとに本書のたたき台めいた文章を高校生の頃から書き始め、内なるものを外に吐き出したいという衝動に駆られて、三年かけて本書を完成させた。彼女が自らの内にため込んできたもの、それは何よりもまず、フランス語圏で生まれ育ちながらも、自分が韓国文化に属しているという気持ちだった。そして、その韓国文化において、美容整形手術が女性の健康を著しく脅かしているのではないかという危惧もまた、彼女を執筆へと向かわせた大きなきっかけだったらしい。この小説は美醜や美容整形の問題を中心に据えた作品ではないが、それらのモチーフが各所にちりばめられているのも事実である。
 出版されるや、本書は二〇一六年にローベルト・ヴァルザー賞とフランス文学者協会の新人賞、二〇一七年にはベルン・ジュラ州文学委員会のアルファ賞、SPG文学賞、ロマンドアカデミーのイヴ賞、レジーヌ・デフォルジュ賞と、フランス語圏の大小さまざまな賞を受賞している。二〇一八年にはガリマール社のポケット版叢書フォリオに収められ、より広い読者を獲得した。二〇二〇年には英訳され(Winter in Sokcho, Daunt Books)、翌二〇二一年に全米図書賞の翻訳部門を受賞。翻訳は今や二十近くの言語に及ぶ。近い将来、日系フランス人映画監督の嘉村荒野の手で映画化されることも発表されている。

 タイトルにもあるとおり、本書は束草(ソクチョ)という土地を舞台に展開する物語である。束草は韓国北東部の行政区画・江原道(カンウォンド)に位置する日本海に面した都市で、とりわけ夏には多くの海水浴客でにぎわう。二〇一八年に冬季オリンピックが行われた平昌(ピョンチャン)からそう遠くない場所である。一方、わずか六十キロメートルほど北には、北朝鮮との南北軍事境界線が設けられていて、本書の中にも、沿岸には「電気が流れる有刺鉄線が傷のように張り巡らされて」いるという印象的な記述がある。のどかな観光地といううわべの下には、いまだ終戦を迎えていない朝鮮戦争の最前線が広がっている。
 主人公はその束草に暮らす二十代前半の女性。名前は与えられていない。作者と同じように、フランス人の父親と韓国人の母親の間に生まれたという設定になっているが、主人公の父親は、彼女が生まれる前に母親を捨ててどこかに行ってしまったらしい。それ以来、魚市場で働く母親が女手ひとつで彼女を育ててきた。首都ソウルの大学で学業を修めたあと、彼女は故郷に戻り、今はパク老人が経営するくたびれた旅館で働いている。
 その旅館にヤン・ケランというフランス人の中年男性がふらりとやってくる。彼はフランス北西部のノルマンディー出身で、バンド・デシネ作家を生業としている。
 バンド・デシネとはフランス語圏のマンガのこと。雑誌連載を経て単行本化されることの多い日本のマンガとは異なり、しばしば描き下ろし単行本として刊行される。体裁も日本のマンガとはだいぶ違っていて、A4判のハードカバー、オールカラーの中面、五十ページほどの分量というのが基本的な仕様である。日本語訳もあるエルジェの『タンタンの冒険』を思い出していただくといいかもしれない。日本では絵本扱いされているが、あれがバンド・デシネの典型である。
 もっとも、『タンタンの冒険』のように子ども向けの作品ばかりというわけではない。日本のマンガと同様に、バンド・デシネにも大人向けの作品がたくさん存在している。ケランは世界中を旅する考古学者を主人公にしたシリーズ作品を執筆中だが、これはおそらく大人向けの作品だろう。ケランが主人公にバンド・デシネの歴史を説明する箇所があるが、そこに登場するフィレモンとジョナタン、コルト・マルテーゼは、いずれもよく知られたバンド・デシネのキャラクターである。とりわけジョナタンは、スイスのバンド・デシネ作家コゼ(Cosey)の同名の作品の主人公で、世界中を旅する設定と言い、ケランが執筆中の物語を想起させる。実際、先のインタビューで、作者のデュサパンは本作の執筆に当たって、コゼの仕事から大いに刺激を受けていることを明かしている。
 ケランの作品は、翌年には最終第十巻が刊行されることが決まっていて、どうやら彼はその着想を得るために束草にやってきたらしい。
 主人公は突然現れたこの珍客を最初のうちこそうとましく感じるが、やがて何くれとなく彼の世話を焼くことになる。フランスからやってきた自分よりずっと年上の彼に顔さえ知らぬ父親の姿を重ねたのか、ちらりと覗き見た彼の絵に感銘を受けたのか、あるいは生まれ故郷の束草から離れられずにいる自分とは異なり、世界中を気ままに旅する彼の自由さに憧れたのか、はたまた彼に恋人のジュノとは違う男性としての魅力を感じたのか……。ともあれ、主人公は複雑な想いを抱えながら、父と同じ国からやってきたケランと向き合い、そのことを通じて何よりも自分自身と向き合っていくことになる。

 インクと紙がほしいと言うケランの買い物に付き合った主人公は、その晩、夕食に現れなかった彼のために料理を持って部屋を訪れる。少し開いた引き戸から中を覗くと、彼が机に向かっている。描くことに夢中な彼は、主人公が覗いていることにも、一匹のクモが脚の上を這っていることも気づかない。
 その光景は一種の強迫観念として、主人公の脳裏に刻まれる。「わたしはケランの指がクモの脚のように動き回り、視線を上げ、モデルの女性をねめ回し、紙に向かい、再び視線を上げ、インクが期待を裏切っていないか確認し、彼が線を引いているあいだ、女性が逃げないかたしかめている光景を想像した。(中略)眠りにつく前に、わたしは彼がわたしの心の中に生んだイメージをとどめようとした。それらを忘れてしまわないように」。
 絵に描かれた女性は、ケランの次の物語に登場するであろうヒロインに他ならない。彼はどうにかしてその女性を生み出そうと四苦八苦するが、なかなかうまくいかない。彼の探求に付き合わされる主人公は、彼女に憧れ、自分を投影し、やがて彼女に嫉妬を抱く。
 それでは主人公はやはりケランに恋心を抱いているのかというと、どうやらそういうことでもないらしい。彼女は語る。「それは欲望ではなかった。欲望であるはずがない。(中略)愛でもないし、欲望でもない。わたしは彼の眼差しの変化を察していた。当初、彼にはわたしが見えていなかった。やがて彼はわたしの存在に気づく。まるで蛇が夢のさなかにあなたの懐に忍び込み、狙いを定めるかのように。彼の肉体的な、強烈な眼差しが、わたしを貫いた。彼はわたしが知らなかったことを発見させてくれた。世界の反対側にあるわたしのその部分こそ、わたしが欲していたものだった。彼の筆のもとに存在すること、彼のインクの中に存在すること、そこに浸り、彼が他のすべての女性を忘れるということ。(中略)わたしはただ彼に描いてほしかった」。
「世界の反対側にあるわたしのその部分」といういくぶん抽象的な言い回しが、具体的に何を指すのかは定かでないが、フランス人と韓国人のミックスとして韓国の片田舎に生まれ、心のよりどころを持たずに、違和感を抱えながら、抜け殻のように生きてきた主人公にとって、誰かに自分の存在を見つけてもらうことが何よりも必要であっただろうことは想像にかたくない。
 物語の終盤、束草から去る決断をしたケランが、主人公に何かお礼をさせてほしいと言うと、彼女は自分の料理を食べてほしいという思いがけない返答をする。作者のデュサパンによると、ケランと主人公が体現するのは、西洋と極東のコミュニケーションの困難である。ふたりの距離は決して言語によっては縮まらない。その困難を乗り越える手段としてケランに与えられたのが絵だとすれば、主人公に与えられたのは料理だった。彼女は料理を通じて、自らを誇示し、ただ単に描かれる対象としてではなく、一個の存在として彼と対峙する。
 そういえば、ケランと一緒に訪れた洛山寺(ナクサンサ)で、建物を取り巻くように設置されている龍と鳳凰と蛇と虎と亀の彫像を眺めながら、主人公は小学校の遠足のときにある尼僧から聞いた話を思い出して、四獣と蛇について語っていた。それぞれの季節を象徴するのが四獣で、ある季節から別の季節への移行を手助けするのが蛇だった。ことによると、ケランはいつまでも終わらない束草の冬に閉じ込められた主人公を、春へと連れ出す蛇だったのかもしれない。

『ソクチョの冬』英訳版書影

 最後に作者の他の作品にも触れておこう。エリザ・スア・デュサパンはこれまでのところ、『ソクチョの冬』以外にふたつの長篇小説を発表している。『パチンコ玉(仮題)』(Les Billes du Pachinko, Éditions Zoé, 2018)と『ウラジオストク・サーカス(仮題)』(Vladivostok Circus, Éditions Zoé, 2020)である。

『パチンコ玉』英訳版書影

 二〇一八年に出版された『パチンコ玉』は、スイス人の父親と韓国人の母親の間に生まれたスイス人女性クレールを主人公に据えた物語。祖父母と母親が韓国人であるにもかかわらず、スイス育ちのクレールは韓国語を話すことができないのだが、日本に移り住んだ母方の祖父母に会いに何度も東京を訪れていることもあって、日本語は解することができる。その祖父母は東京の日暮里で小さなパチンコ店を営む老夫婦で、朝鮮戦争の惨禍を逃れて東京に来て以来、一度も韓国に戻っていない。夏休みを利用して祖父母のもとを訪れたクレールは、祖父母と一緒に韓国を訪れる旅を計画する。

『ウラジオストク・サーカス』フランス語版書影

 一方、二〇二〇年に出版された『ウラジオストク・サーカス』は、タイトルにある通り、ロシアのウラジオストクを舞台にした作品である。主人公は衣装デザイナーの女性ナタリー。父の仕事の関係でフランス、ロシア、アメリカと世界各地を転々としてきた彼女は、ベルギーの服飾学校で衣装について学び、映画や舞台で衣装デザインを手がけている。今回のクライアントは、サーカスの花形であるロシアンバーのトリオ。ロシア人のアントンとドイツ人のニーノ、そしてウクライナ人のアンナである。カナダ出身のレオンが裏方として彼らの手伝いをしている。目標は数カ月後にロシアのウラン・ウデで行われるサーカスの祭典。彼らは三回転を四回連続で決める高難度の技に取り組もうと意気込んでいる。こうして、さまざまな事情を抱えてウラジオストクに集まった一同の共同生活が始まる。
 今のところ、作者は、韓国の束草、日本の東京、ロシアのウラジオストクと、一貫して極東を舞台にした物語を紡いでいる。もっとも、『ソクチョの冬』と『パチンコ玉』で西洋と東洋のはざまで揺れる人々に寄り添ってきた彼女は、『ウラジオストク・サーカス』では一旦そのテーマから離れ、しばしば西洋とひとくくりにされてしまうものが、実はそう単純でないことを示しつつ、新境地を切り拓いているように見える。
 エリザ・スア・デュサパンは現在、四作目の小説に取り組んでいるらしい。複数の文化の間を行き来しながら、コミュニケーションの困難に興味を抱き続けている彼女が、次はいったいどんな小説を世に問うのか、非常に楽しみである。この『ソクチョの冬』をきっかけに、いずれ彼女の他の小説も翻訳されることを期待したい。

 二〇二二年十二月