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「トランプ効果」でカナダのAIシーンが加速!? AI時代の勝者を占う『予測マシンの世紀』編集部解説


需要を予測する、費用対効果を予測する、株の値動きを予測する……。予測はビジネスの基本だが、残念ながら多くの人は予測が苦手だ。予測に関する研究の第一人者でペンシルバニア大学教授のフィリップ・テトロックによれば、専門家の予測でさえ、その精度はチンパンジーがダーツを投げて的まとに命中するのとそう変わらないらしい。行動経済学が近年明らかにしたように、人間の思考にはさまざまなバイアスが潜んでいて、事実を正しく見る目を曇らせる。予測がままならなければ、賢い意思決定など望めない。「合理的な個人」という幻想が信じられた時代は過ぎ去った。

そしていまや、人間よりも高い精度、しかも高速で予測を実行する「予測マシン」が現われ、格別の存在感を示している。小売、製造、流通、マーケティング、人事から、金融、創薬、翻訳、司法、戦争にいたるまで、私たちが営む社会のおよそあらゆる領域を席巻するその機械は、「人工知能」あるいは「AI」と呼ばれる。

本書『予測マシンの世紀──AIが駆動する新たな経済』(Prediction Machines: The Simple Economics of Artificial Intelligence)は、私たちの意思決定プロセスやワークフローに着目しながら、AI=「予測マシン」がビジネスにもたらすインパクトを解き明かす一冊だ。グーグルのチーフ・エコノミストを務めるハル・ヴァリアン、米国財務長官やハーバード大学学長を歴任したローレンス・サマーズ、『WIRED』US版創刊編集長のケヴィン・ケリーなど、ビジネス/経済/テクノロジーの最前線に身を置いてきた大物たちが賛辞を寄せているから、その内容は折り紙つきである。

本書を著したのは、アジェイ・アグラワル、ジョシュア・ガンズ、アヴィ・ゴールドファーブの三氏。いずれもトロント大学ロットマン経営大学院の教授を務める経済学者で、同校を本拠とする「創造的破壊ラボ(CDL)」の中枢メンバーだ(アグラワル教授はCDL創設者、ガンズ教授はCDLチーフ・エコノミスト、ゴールドファーブ教授はCDLチーフ・データサイエンティスト)。本書の記述は、三氏がCDLで数多くの起業を成功に導いてきた経験に裏打ちされている。

CDLは、AIビジネスを創出するプラットフォームだ。シードステージ(起業準備段階)のスタートアップを対象にしたプログラムを実施しており、参加企業はトップレベルの起業家や投資家による指導、さらには資金提供を受けることができる。二〇一二年にCDLが創設されて以来、五〇〇を超える企業がプログラムに参加し、それらの企業が創出した株式価値は総額三〇億カナダドル(約二五〇〇億円)に及ぶ(*1)。著者たちいわく、「私たちは絶好のタイミングで絶好の場所において、科学技術者とビジネス関係者の橋渡し役を務めることになった」。カナダ政府もこの取り組みに大いに期待を寄せているようで、二〇一八年一〇月、CDLに二五〇〇万カナダドル(約二一億円)を投資することを発表した(*2)。

著者たちは「CDLがこの領域で優位に立っている一因は、トロントという所在地にある」と述べる。トロント大学といえば、AI、特にディープラーニングの研究で名高い。本書でも触れられているとおり、大規模な画像認識コンテスト「イメージネット」の二〇一二年大会では、「AIのゴッドファーザー」ことジェフリー・ヒントン教授率いるトロント大学のチームがディープラーニングの手法を用いて圧勝し、世界に衝撃を与えた。現在まで続く「第三次AIブーム」の画期として知られる出来事だ。現在トロントには、このトロント大学を中心として、多数のAI関連スタートアップ企業、ベンチャーキャピタル、グーグルやウーバーなど大手テック企業のAI研究拠点がひしめき、世界有数のAIハブ都市として活況を呈している(*3)。

これには政府の存在も大きい。トルドー政権は二〇一七年、一億二五〇〇万カナダドル(約一〇三億円)の予算を投じて「汎カナダAI戦略」を打ち出した。研究機関への資金提供や研究開発減税に加え、高度海外人材向けのビザ制度を新設し、優秀な技術者の確保を目指す。追い風となったのが、米国の移民政策の転換だ。入国禁止令、ビザ申請や入国審査の強化、就労ビザ(H-1Bビザ)の発給制限など、トランプ政権による移民排斥の動きを受けて、シリコンバレーなどからトロントへの人材流入が実際に起きている(*4)。



CDLがスタートアップ企業にアドバイスする際に用いる思考ツールとして、本書では「AIキャンバス」を紹介している。この表の空欄を埋めてワークフローを「予測」「入力」「判断」「訓練」「行動」「結果」「フィードバック」の七つに分解することで、AIの能力を最大限に引き出す使い道を見定めることができる。非常にシンプルながら、その効果はてきめんだ。たとえば、本文でAIキャンバスの活用例として紹介されているアトムワイズ社(創薬AIを開発するスタートアップ企業。CDLのプログラムを修了した)は、エボラ出血熱に有効な候補薬をわずか一日で発見してみせ、大きな注目を集めた(*5)。

(『予測マシンの世紀』172頁より)


アトムワイズの例を含め、多くの場合AIが力を発揮するのは「予測」、すなわち手持ちの情報(データ)に基づいて新たな情報を生み出すことにおいてである。本書がAIを「予測マシン」と見なすのはそのためだ。アマゾンのアレクサは人間の言葉を聞き取り、その人がどんな情報を探しているかを予測する。グーグル翻訳は、別の言語で同じ意味を表現できる文章を予測する。自動運転車は、特定の道路状況で人間のドライバーならどうするかを予測する。いま挙げたのはいずれも、AI技術が進歩する以前は予測がほとんど不可能だったタスクである。経済学の枠組みで見れば、AIは予測のコストを下げる。コストが下がった予測は、さまざまな分野で使われるようになるのだ。

もちろん、従来の予測タスク、たとえば需要予測にAIを導入する場合にも、その影響はきわめて大きい。アマゾンは「予測発送」の特許を取得している。ユーザーの過去の購買パターンや商品検索の履歴にもとづいて需要を予測し、購入ボタンが押される前に商品を発送するビジネスモデルだ。「おすすめ商品」を画面上に表示するかわりに、実際に届けてしまうのである。これが実現すれば、アマゾンのユーザーはほかの店舗を訪れる必要がなくなる。本書にあるように、顧客内シェアの増加による利益が予測失敗時の返品コストを上回ることが見込めた時点で、このシナリオは現実味を帯びてくる。

予測のコストが下がることで生じるもうひとつの経済学的影響は、「価値」のシフトだ。人間による予測の価値が下がる一方で、予測に基づく「判断」や「行動」の価値は上昇する。すると「肝心なのは、自動化は人間からタスクを奪っても、かならずしも仕事を奪うわけではないことである」。たとえば、画像診断AIが医療現場に導入されても、患者の特性などを加味して治療方針を総合的に判断するタスクは医師の役割であり続ける。ただし、収入は減るかもしれない。「今日、高い報酬を得られるキャリアの多くでは予測が中心的なスキルになっている。医者、金融アナリスト、弁護士などだ。しかし、予測マシンが道案内をするようになった結果、報酬の高いロンドンのタクシー運転手の収入は減少し、報酬の低いウーバーのドライバーの人数が増えたのと同じ現象が、医療や金融で進行すると見られる」。「AIに雇用を奪われる」とむやみに恐れるよりも、求められるスキルの変化を見定めることが肝要だろう。

本書がAIのリスクとして強調するのは、主にデータに関する事柄だ。AIが予測するにはデータが必要だから、そのデータが個人情報である場合、一般に予測の精度が高まるほどプライバシーは失われるし、訓練データに人種や性別の偏りがあれば、AIがそのバイアスを学習し差別的な予測を行なう危険もある。これらは不利益を被こうむりかねない個人にとってのリスクであるとともに、AIを使う企業の側にとっても、法令違反に問われたり社会的な非難を浴びたりするリスクが生じる。

逆に言えば、国民のプライバシーが守られていない国ほど、政府や企業は個人情報をデータとして自由に使うことができ、AIの研究開発におけるアドバンテージを持つともいえる。その意味で本書は、AIに関して世界をリードする可能性を中国に見出す。一四億人近い国民の個人データを国が一元管理しているからだ。反対に、GDPR(一般データ保護規則)がEUで施行されるなど規制が強まるヨーロッパの企業は、「AIでリーダーシップをとる道を閉ざされている」。GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)を中心とするデジタル覇権争いの行方を考えるうえでも、本書は有益な視座を提供してくれる。



本書の著者たちは、日本のビジネス界においてもすでに注目を集めつつある。ガンズ教授は昨年来日し、公正取引委員会競争政策研究センター主催の国際シンポジウム「ビッグデータとAIの活用がもたらす新しいビジネスと競争政策」で基調講演を行なった。さらに、今年三月にはアグラワル教授が、Sansan株式会社が主催する「Sansan Innovation Project 2019」のゲストスピーカーとして来日予定だ。

AIビジネスの最前線に携わる経済学者の見地を体系的に学べる本書は、次代を担うリーダーにとって最良のガイドとなるだろう。AI時代の勝ち筋を正しく「予測」するために、本書をお役立ていただければ幸いだ。

*1、2 “Government of Canada invests in artificial intelligence and startup innovation across Canada” 創造的破壊ラボHP、 https://www.creativedestructionlab.com/2018/10/government-of-canada-invests-in-artificial-intelligence-and-startup-innovation-across-canada/
*3 中沢潔「AIスーパークラスター トロント、モントリオール」情報処理推進機構、https://www.ipa.go.jp/files/000070210.pdf
*4 「カナダ・米・英・日 国境越えた人材争奪の行方」(日本経済新聞電子版、二〇一七年一二月一四日、https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24568950T11C17A2970M00/)では、シリコンバレーで六年間働いたインド出身のエンジニアが、グリーンカードの取得に「二〇年待て」と言われトロントに移住した事例が紹介されている。また、カナダのスタートアップ企業の求人への米国からの応募人数が増加したことを示す調査結果が出ている。以下を参照。“Trump's election really has sent U.S. tech workers to Canada for jobs,” Recode、二〇一七年一一月二二日、https://www.recode.net/2017/11/22/16687056/donald-trump-us-tech-jobs-canada-2016-election
*5 “Atomwise finds first evidence towards new Ebola treatments” アトムワイズ社プレスリリース、http://www.atomwise.com/2015/03/24/atomwise-finds-first-evidence-towards-new-ebola-treatments

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