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「海を制する者は世界を制する」――大反響の『海の地政学』、奥山真司氏による解説を特別公開!

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★日本はなぜ「太平洋の大英帝国」にならなかったのか? 日本に関する記述の一部を公開

緊迫する北朝鮮情勢を受け、大反響の新刊『海の地政学――海軍提督が語る歴史と戦略』。NATO欧州連合軍の最高司令官を務めた米海軍大将ジェイムズ・スタヴリディス氏が、アジア・太平洋地域を含め、世界の海洋の歴史と未来について、みずからの艦隊勤務の経験をふんだんに織り交ぜて語る貴重な一冊です。そのエッセンスを余すところなく伝える奥山真司氏(地政学/戦略学者)の巻末解説を特別公開致します。

解 説
米海軍の元高官がつまびらかに語る海洋戦略

                                                                       地政学/戦略学博士  
                                                                                     奥山真司  

 本書はアメリカ海軍の軍人として要職に就いてきたジェイムズ・スタヴリディスの著書 Sea Power: The History and Geopolitics of the World’s Oceans(2017)の完訳版である。

「海を制するものは世界を制する」と一九世紀後半に説いたのは、当時まだ海軍大国になりきれていなかったアメリカのアルフレッド・セイヤー・マハンであるが、20世紀なかばの世界大戦を経て文字通り「海を制して世界を制した」アメリカの海の覇権状態が、とりわけ中国の南シナ海や東シナ海における活発な活動によって、崩れつつあるように思える。本書はそのような状況の中で、あらためて世界の貿易や交通を支えてきた「海」の国際政治における重要性についてアメリカ海軍の元高官が書いたという意味で、タイミング的にも極めて示唆に富むものだ。日本にも本書のような「海から世界の歴史を考える」というテーマの本が何冊かあるが、軍の船乗りとしての著者自身の実体験と共に語られるものはなく、その視点はまさにユニークなものである。


 著者は現在米東部の名門であるタフツ大学フレッチャー・スクールの学長で著書もすでに何冊かあり、本書の元になった論文を日本の新聞などにも寄稿しているため、ごく一部では知られた存在ではある。身近なところでは、15分間の講義を放映するTEDという番組に現役時代にも出演していたため、テレビや動画サイトで彼の姿を見かけたことがある人もいるかもしれない。ただし本格的な訳書は本邦初となるため、ここで彼の人物像を簡単に紹介しておきたい。


 ジェイムズ・スタヴリディス(James G. Stavridis)は1955年アメリカのフロリダ州出身、1976年に海軍兵学校を卒業してから海軍士官としての経歴を重ね、最終的に欧州のNATO軍最高司令官を務めたあとに2013年に退役するまで、実に37年間にわたって米海軍の軍人として生きてきた人物だ。米海軍のエリートとして出世するのは飛行機乗りか潜水艦乗りという職種が多い中で、スタヴリディス自身は本書にも触れられているように水上艦勤務の典型的な「船乗り」であり、NATO軍のトップまで務めたという意味で珍しいタイプの人間であろう。ちなみに現在のアメリカの太平洋軍司令官は、職種的には対潜機出身で初の日系人として有名なハリー・ハリス提督であるが、スタヴリディスは現役時代にこのハリス提督の指導官役、つまり「メンター」をやっていたという関係がある。もちろん日本にも何度か来日しており、本稿を執筆した私も、2015年10月に目黒の海上自衛隊幹部学校に来校した際に、プライベートな意見交換会でお話しさせていただいた経験がある。日本では靖国神社にも参拝しており、政治的な意見を抜きにして、日本における軍人の祀られ方に非常に感銘を受けたと述べていたのが印象的であった。


 スタヴリディス自身は、純粋な軍人として尊敬されているだけでなく、現在勤めるタフツ大学で現役時代に博士号を取得したほどの知性派であることは、本書をお読みいただければおわかりになるはずだ。本書の前にすでに六冊ほどの著作があり、前書となるThe Accidental Admiral(2014)では、海軍での経験、とりわけNATO軍司令官としてのアフガニスタンでの作戦の難しさを記述した回顧録として、専門家筋にも高い評価を受けている。スペイン語とフランス語に堪能というNATOで重要となる言語能力の高さだけでなく、人物そのものの素晴らしさも語り継がれているほどであり、いわば「ソルジャー・ステイツマン」として海軍外交を体現した人物であるといえよう。その証拠に、2016年のアメリカ大統領選では民主党のヒラリー・クリントン候補の副大統領の最終候補者6人の1人にリストアップされ、トランプ新政権では国務長官か国家情報長官のポストを打診されたが断ったという。このエピソードからもわかるように、彼は党派に関係なく政界からの信頼も厚い人物だ。


 本書は回顧録であると共に、アメリカの大戦略を提案した政策文書とも言える興味深いものだ。そういった事情を踏まえた上で考えると、本書の特徴は三つあると言える。


 一つ目は、これが「シーパワー論」であるということだ。そもそも原書のタイトルである「シーパワー」という言葉からもわかる通り、スタヴリディスは海軍の大先輩であるマハンの名著『海上権力史論』(The Influence of Sea Power upon History, 1660-1783)を強く意識しており、そのテーマはまさにマハンが掲げていた「シーパワー論」に近い。ところがスタヴリディス自身はマハンの(主張していたとされる)「海を制するものは世界を制する」的な意見よりも、むしろそれを土台に、アメリカが支えている国際政治の「秩序」(order)は、全世界の国々によって自発的に支えられるべきもの、いわば「国際公共財」(グローバル・コモンズ)であるという主張を加えて補強している。とくに最終章の、「マハンが現在の世界に生きていたらアメリカに対してこう言うだろう」という想定で展開される議論は、米海軍を中心としたアメリカの大戦略論の土台を教えてくれる点で参考になるものばかりだ。


 現代の「地政学」、より正確には「古典地政学」の伝統は、英国の地理学者であるハルフォード・マッキンダーによってはじまったとされるが、その原型はアメリカの海軍士官であるマハンが、17世紀から18世紀にかけての制海権の掌握が英国を世界帝国にしたことを論証した『海上権力史論』や、その後に展開した時事評論の中にある。つまりある国がグローバルな視点から「世界覇権国」となるための「大戦略」(grand strategy)としてマハンが海軍力を持つべきだと論じたところから近代の地政学的な議論がはじまったわけだが、スタヴリディスはまさにこの知的伝統を前提として議論を展開している。そのため、原著の副題に「地政学」という言葉が入っているのは当然といえる。

 本書の二つ目の特徴は、シーパワーによる「リベラルな秩序論」とでもいうべき議論を展開している点だ。スタヴリディスは「海こそが世界の歴史を形づくってきた」ということを、自身の体験と、その歴史的なエピソードを豊富に踏まえながら論証しているが、その根底にあるのは、「世界の秩序を担っているのは一体誰なのか」という問題意識だ。もちろんスタヴリディス自身にとっては「それはアメリカ、とりわけ米海軍だ」ということになるのだが、その恩恵を利用して貿易で経済の繁栄を謳歌している同盟国や友好国によって構成される、いわば「リベラル」なネットワークの協力がなければこの秩序は維持できない、という意識が前面に押し出されているのが本書の特徴である。


 いいかえれば、シーパワーというのは世界の貿易体制のような一つの「システム」を構成しており、それは有志たちによって支えられなければならないというのだ。


 これについて個人的なエピソードを一つだけご紹介させていただきたい。本稿の執筆者である私は、留学時代(2007年頃)にイギリスのあるシンクタンクにゲストで招かれていたジョン・アイケンベリーというプリンストン大学教授の講演を聞いていた。アイケンベリーは「アメリカが世界から撤退しても、アメリカが残したリベラルな秩序は自律的な形で残る」とする、いわゆる「リベラル制度主義」という理論を提唱している学者である。このような意見を述べた時に会場にいた英海軍の元軍人が「お前の議論は間違っている! いまの世界の秩序は誰が担っているか、言ってみろ! 米海軍という存在だろ!」とものすごい剣幕で突っかかっていた場面を見たことがあるが、まさにこの英海軍のベテランたちの問題意識が、本書のスタヴリディスの議論の中にも生きていることは間違いない。  

 日本は自ら秩序を主体的に守っている側ではないため、どうしてもこのような「誰が秩序を守っているのか」という点に意識が及ばないが、米海軍の元提督がこのような基本的な問題意識を持って本書を書いたという点は自覚してもいい。世界の秩序は誰かによって守られているのを忘れてはならず、日本もその秩序に恩恵を受けている以上、それに貢献する義務はあるということだ。スタヴリディスが本書の中や「日本の読者へ」の中で日本に対してとりわけ好意的な形で期待しているのも、そのような意識があるからである。


 三つ目は、本書があくまでも「アメリカの視点」で書かれているという点だ。スタヴリディス自身は本書を世界中の人々に読んでもらうことを想定しているようだが、前述したように、その問題意識はあくまでも「米海軍がどうするか」というところにあるため、必然的にアメリカ中心視点のバイアスがかかっている。それが如実にわかるのが、第9章の後半で展開される「世界の海洋のそれぞれをどのように見るべきか」という文章から始まる部分である。


 人によってはこれを「上から目線だ」と感じる方もいらっしゃるかもしれない。しかし、「世界秩序を担っているのは自分たちである」という暗黙の前提を持っていることから考えれば、むしろその戦略を導き出す際にどのような世界観をアメリカの一部のエリートたちが持っているかを教えてくれるという意味で、この「バイアス」にはアメリカの大戦略を知る上での様々なヒントが隠されていると捉えるほうが建設的であろう。


 また、現役時代に収録されたTEDのスピーチとは違って、本書では中国やロシアから海洋面で挑戦を受けているという危機感が感じられる点も注目すべきだ。米海軍は海兵隊と沿岸警備隊と共同で2007年に「21世紀の海軍力のための協力戦略」(A Cooperative Strategy for 21st Century Seapower)という文書を発表しており、ここで表明されていた世界観は、まさにTEDでスタヴリディスが展開していた「国際公共財である海の秩序というシステムをいかにみんなで守るか」というリベラルな意識だった。ところが本書では、同じタイトルで2015年に発表された文書と同じように、この秩序が明白な挑戦を受けており、アメリカは主体的にこれに対抗していくことを考えなければいけないという意識が滲み出しはじめている点が興味を引く。いいかえれば、この短い期間にも、アメリカの脅威認識が変わって来ていることがわかるのだ。日本の防衛政策などを考える上で大きく参考になるものであろう。


 もちろん本書は純粋な意味での学術書ではないが、それぞれの海の歴史的な文脈から個人的なエピソードへの流れなど、ベテラン・ジャーナリストであるロバート・カプランの著作にも匹敵する文章であり、『帝国の参謀』などでおなじみの北川知子氏による安定感のある訳文もその読みやすさに輪をかけている。


 最後に、いくつか謝辞を述べさせていただきたい。お忙しい中で日本語版へのメッセージをいただいた原著者のスタヴリディス提督にはあらためて感謝したいが、同時にその縁をつなげていただいた、海上自衛隊幹部学校の大塚海夫校長には大変お世話になった。大塚校長にはご自身とスタヴリディス氏との個人的な付き合いから得たエピソードをご紹介いただき、本稿でもそれが多分に反映されていることは明記しておきたい。また同校の戦略研究室の北川敬三室長にもお世話になった。ここに記して感謝しておきたい。

                           平成29年8月9日
                         横浜元町の喫茶店にて

【全国書店にて好評発売中】
『海の地政学――海軍提督が語る歴史と戦略』
ジェイムズ・スタヴリディス[著] 北川知子[訳]奥山真司[解説]
2017年9月7日発売、46判上製、328頁
ISBN 9784152097071
価格 2,376円(税込)
http://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000013648/