2023年ピュリッツアー賞受賞! オバマ元大統領も絶賛のニューヨーク・タイムズ・ベストセラー『トラストー絆/わが人生/追憶の記/未来ー』(エルナン・ディアズ/井上里訳)「訳者あとがき」公開のお知らせ
5月26日早川書房から『トラスト ー絆/わが人生/追憶の記/未来ー』(エルナン・ディアズ/井上里訳)を発売いたします。1920年代~30年代、ニューヨークの金融界を登り詰めた富豪とその妻を、小説、自伝草稿、回想録、日記と、異なる4つの形式の、4者の異なる視点から描き出す実験的な小説です。本noteでは、翻訳を担当された井上里氏による「訳者あとがき」を公開いたします。
訳者あとがき
本書はTrust (2022, Riverhead Books)の全訳である。
著者のエルナン・ディアズは、一九七三年、ブエノスアイレスで、精神分析医の母と映画監督の父のもとに生まれた。一九七六年、ディアズが二歳のときに起こった軍事クーデターを機に、アルゼンチンには独裁的な軍事政権が敷かれた。社会主義者や左派思想の人々は激しい弾圧を受けるようになり、トロツキズム(注:レフ・トロツキーが提唱したマルクス主義および共産主義革命理論のこと)に関わっていた父親にも危険が及んだ。一家は迫害を逃れるためにストックホルムに移り住むが、政権が交代したあと、ふたたびアルゼンチンにもどっている。著者はその後アメリカへと渡り、現在もブルックリンで暮らしている。各地で移民として暮らした体験や記憶は、本作の中でさまざまな登場人物の声となって反響しているようだ。
本書は長篇としては二作目になる。初の長篇小説In the Distance には、十九世紀半ばのアメリカを舞台とし、スウェーデン人移民の主人公が兄を探して大陸を横断する過酷な旅が描かれた。アメリカでは作家にエージェントがつくことが通常だが、最初の長篇を書き上げたときのディアズにはエージェントさえいなかった。ところが、この長篇デビュー作が二〇一七年十月にコーヒー・ハウス・プレスから刊行されると、翌年四月には早くもPEN /フォークナー賞とピュリッツァー賞の最終候補になった。国内の書評家や読書家の多くが、エルナン・ディアズという名前は聞いたことさえなかったという。この作品はVCUキャベル新人賞、ニュー・アメリカン・ヴォイス賞、ウィリアム・サローヤン国際賞などを受賞し、また〈リテラリー・ハブ〉は、テア・オブレヒトの『タイガーズ・ワイフ』やジェスミン・ウォードの『骨を引き上げろ』などと並べて、In the Distanceを〝この十年間で最も優れた二十冊〟の一冊に選んでいる。
高い評価を得た一作目から五年の歳月を──ディアズ本人が様々なインタビューで強調しているように、トランプ政権のあいだに──かけて書き上げられた本作は、二〇二二年のカーカス賞を受賞した。また、ブッカー賞のロングリスト(候補作)に残ったほか、〈ワシントン・ポスト〉と〈ニューヨーク・タイムズ〉両紙において、〝二〇二二年のベストブック十冊〟に選出されている。加えて、三十以上の新聞や雑誌などのメディアによって、〝今年のベスト〟に選ばれた。バラク・オバマは、同年のベストブック十三冊のうちの一冊に本書を選んでいる。一作目と二作目は文体や形式こそ大きく異なるが、ゴールドラッシュと大恐慌という歴史的な出来事を主軸に据えている点、移民が主要な登場人物であること、ディアズ本人の言葉を借りれば「化石化された」アメリカの神話をテーマとしていることなど、作家の関心が共通して表れている。
本書には、様々な企みと仕掛け、問いと答えがちりばめられている。四部からなる構成は、そうした企みのもっともわかりやすい例だ。第一部は、一九三七年に刊行されたハロルド・ヴァナーの小説『絆』である。第二部は、『絆』の主人公ベンジャミンのモデルとなったアンドルー・ベヴルによる自伝、『わが人生』。第三部はベヴルの秘書として自伝の執筆を手伝ったアイダ・パルテンツァによる手記、『追憶の記』。そして最後の第四部では、アンドルーの妻ミルドレッド・ベヴルが、日記という形を取って、すべての問いに答えはじめる。
タイトルであるtrust という単語には、いくつかの意味がある。金融用語としては「信託」であり、法的用語としては「委託」であり、そしてもちろん、関係性や能動的行動としての「信頼」だ。ディアズは、インタビュー(〈パリス・レビュー〉誌、二〇二二年六月)で読者と作家間の信頼関係について問われると、このように答えた。「読むというのは信頼するということです。小説であれ処方薬のラベルであれ、そこにはかならず信頼という行為が介在します」ディアズは、文学におけるジャンルや語りの視点とは、すなわちこの信頼のことであると述べた。
この四部構成は、読者が無意識に刷りこまれてきた、読むという行為に付随する無防備な信頼に揺さぶりをかけるための仕掛けだ。『絆』で描かれるベンジャミン・ラスクは、金融の天才でありながら、夫としては妻のヘレンに歪なまでに純粋な愛情を向ける。だが、このような人物像は、のちの第二部から第四部にかけてグロテスクなまでに変容していく。一方、夫と同様に天才的な頭脳を持ち、宗教や科学や芸術全般に深い造詣のあるヘレンは、結果的に夫からの愛情によって破滅させられる。しかし、そのように悲劇的な運命を受容した彼女についてもまた──ベンジャミンとは大きく異なる形で──、第三部から四部にかけて、前半で描かれた女性とはあまりにも異なる人物像が浮かびあがってくる。
目次から受ける印象とは異なり、四つの作品は単純に連続して並べられているわけではない。決して短くはないこの作品を読み進めるうちに、見覚えのある文章が、情景が、感情が、べつの書き手のものである作品のなかに現れる。ジャンルも書き手も異なるはずの作品が互いに干渉し越境しあううちに、自分が読んでいるものへの信頼はますます揺らいでいく。
ディアズの仕掛けが見事に成立しているのは、第一部の『絆』に読者を引き込む紛れもない力があるからだろう。物語内では、謎多きベヴル夫妻の暴露小説という一面が多くのニューヨーカーを惹きつけるが、現実世界のわたしたち読者は、ゴシップ的な興味を抜きにして、ベンジャミンとヘレンという複雑な内面を持つ登場人物たちに魅了される。しかし、第一部を読んだときにどのような感情を抱こうと、その後の自伝/手記/日記が行きつ戻りつしながら真実を明らかにしていくにつれ、わたしたちは少しずつ心もとない気分になる。自分自身が読んだことはどこまでが本当だったのか。読んで感じたことそれ自体にも、もしかすると修正が必要なのではないか。第一部のフィクションというジャンルと、その大半が結局はフィクションであったことがわかる第二部の自伝というジャンルとは、厳密にはなにが異なるのか。
四つの構成を文体という観点から見ると、第一部は、ディアズ本人もさまざまなインタビューで語っているように、イーディス・ウォートンなどの十九世紀から二十世紀初頭の作家の文体が意識されている。著名人の自伝のパロディのような第二部をはさみ、第三部から第四部にかけては内面描写の割合が増えていく。前衛的な形式で書かれた第四部は、第一部とは明らかに対照的だ。ディアズは、モダニズムの精神をミルドレッド・ベヴルという女性に仮託したことで、彼女をステレオタイプな悲劇のヒロインとして描いたハロルド・ヴァナーを、そして、妻を都合のいい女性像に押し込めながら能力だけを搾取したアンドルー・ベヴルを痛烈に批判した。長い回り道の最後に、〝父と同じ悲運をたどった娘〟、あるいは〝金融の天才の妻〟としてのみ描かれてきたミルドレッド・ベヴルが、ようやくみずからの声で語りはじめる。
ディアズは〈リテラリー・ハブ〉(二〇二二年五月)のインタビューで次のように語っている。「この結末は早い段階から決まっていました。Trust は第四部を中心に構成されたのです」Trust という物語は、真実を明かすミルドレッド・ベヴルの声からはじまったのだ。彼女の声を伝える文字は読みにくく、語られている内容はしばしば専門的でわかりにくい。だが、不特定多数の期待に応えようとする第一部と第二部のわかりやすさの前で、ミルドレッドの私的なわかりにくさは、彼女の小さな声にただひとり耳をかたむけたアイダ・パルテンツァの存在と共に、力強く輝いているように思える。
本作には、たとえば第四部の〝広告屋(The Jingle Man)〟のように、訳注の必要な箇所がいくつもある(ちなみにこれは、エドガー・アラン・ポーの単調な文体を揶揄したラルフ・ウォルドー・エマソンの言葉だ)。だが、第一部や第二部は──アンドルー・ベヴルの言葉を借りるなら──「一般読者にもわかりやすく」書かれ、また第四部については、先に述べたとおり前半二部とはあえて対照的なスタイルが取られている。そうした作品の意図に訳文がなるべく干渉しないようにという願いから、今回、訳注は必要最小限に留めさせていただいた。
最後になりましたが、編集の吉見世津さん、校正を担当してくださった皆様、訳者からの多くの質問にユーモアをこめて回答してくださった著者に心から感謝します。
二〇二三年四月