いま動かなければ、手遅れになる。20年ぶりの著書『地球の未来のため僕が決断したこと』でビル・ゲイツが明かす真実
「未来の技術が人類を救ってくれるのを、ただ待っているわけにはいかない。自分たちを救うために、いますぐ動きださなければならない」
--ビル・ゲイツ
パンデミックを予見し、コロナ禍においてはワクチンの開発と普及に尽力したマイクロソフト共同創業者ビル・ゲイツ。彼はこれまで10年以上をかけ、現代の最重要課題のひとつである気候変動の問題に積極的に取り組み続けてきた。
その原動力は、豪雨、暴風、干魃、感染症の拡大などの「気候大災害」によって生じる甚大な被害への憂慮だ。数百万人の死者と、数千万人の失業者を出している新型コロナウイルスに対し、気候変動は今世紀中にその5倍の人命を奪い、10年に1度パンデミックが起こるのと同等の経済的損害を生み続けることが科学的に予測されている。
命を救い、失職者を出さず、よりよい未来を迎えるためにはどうすればよいのか。科学、経済、政治の専門家と対話し、多くの最先端技術に投資を行ってきた知識と経験が導き出した具体的施策と最新テクノロジーが、実に20年ぶりの著書である本書『地球の未来のため僕が決断したこと――気候大災害は防げる』で明かされている。
今回特別に公開するプロローグで、その一端に触れてほしい。
510億からゼロへ
気候変動について知っておくべき数字がふたつある。ひとつが510億。もうひとつがゼロだ。
510億は毎年、世界の大気中に増える温室効果ガスのトン数である。年によって多少の増減はあるが、おおむね増加している。これが"現状"だ。
ゼロは"これから目指さなければならない"数字である。温暖化に歯止めをかけ、気候変動の最悪の影響を避けるために(きわめて深刻な影響が予想される)、人類は大気中の温室効果ガスを増やすのをやめる必要がある。
これがむずかしいことであるように感じられるのは、実際にむずかしい仕事だからだ。世界はこれほど大きな課題に取り組んだことがない。すべての国が行動スタイルを変える必要がある。動物や植物の飼育栽培から、ものづくり、場所から場所への移動まで、現代生活のほぼすべての活動が温室効果ガスを発生させる。そして今後、さらに多くの人がこうした現代的なライフスタイルで暮らすようになるだろう。暮らしがよくなっていくのだからそれはいいことだ。しかし、もしほかが何も変わらなければ、世界は引きつづき温室効果ガスを排出し、気候変動は悪化の一途をたどって、人類はほぼ確実に潰滅的な影響を受ける。
ただ、「もしほかが何も変わらなければ」の"もし"を強調したい。僕は、状況は変えられると信じている。必要な道具の一部はすでにある。まだないものについても、気候と科学技術について学んだことすべてから、今後発明して展開できると僕は楽観視している。素早く行動すれば、気候の悲劇を避けることはできるのだ。
何が必要で、なぜ僕は状況を変えられると思っているのか、それを論じるのが本書である。
■「どうしてこんなに暗いのだろう」
20年前には、自分が気候変動について人前で話すことになるとは思っていなかった。そのテーマで本を書くなど想像してもみなかった。僕の専門は気候科学ではなくソフトウェアであり、最近はメリンダとともにゲイツ財団でフルタイムで働き、国際保健、開発、アメリカ国内の教育に全力を注いでいる。
僕が気候変動を重視するようになったのは、エネルギー貧困の問題を通して気づいたことがあったからだ。
2000年代はじめにゲイツ財団を立ち上げたばかりのころ、僕はサハラ以南のアフリカと南アジアの低所得国を訪問するようになった。僕たちが取り組んでいた子どもの死亡率やHIVなどの大きな問題について、もっとよく知りたかったからだ。とはいえ、僕は病気のことばかり考えていたわけではない。飛行機で大都市を訪れるときには、窓の外を眺めてこんなことを考えた。"どうしてこんなに暗いのだろう。ニューヨーク、パリ、北京だったらついているはずの明かりは、どこへいってしまったのか"
ナイジェリアのラゴスで街灯のない道を移動していると、地元の人びとが古いドラム缶で火を熾(おこ)し、そのまわりに集まっているのを目にした。僻地の村でメリンダと僕が会った女性や少女たちは、毎日何時間もかけて薪を集め、それを使って直火で料理をしていた。家に電気がなく、ろうそくの明かりで宿題をする子どもにも会った。
およそ10億人が電気を安定して利用できずにいて、その半分がサハラ以南のアフリカで暮らしていることを僕は知った(その後、状況はやや改善して、現在では電気を利用できないのはおよそ8億6000万人だ)。そして、"だれもが健康で生産的に暮らす機会を得る権利がある"というゲイツ財団のスローガンのことを考えた。地域の診療所で冷蔵庫が使えずにワクチンを冷やしておけないようなら、健康に暮らすのはとてもむずかしい。本を読む明かりがなければ、生産的な生活を送るのは困難だ。それに、オフィス、工場、コールセンターのために安くて安定した電気が大量になければ、だれもが仕事の機会を得られる経済を築くことはできない。
そのころ、ケンブリッジ大学教授だった科学者の故デービッド・マッケイが、所得とエネルギー使用の関係を示すグラフを見せてくれた。国民ひとりあたりの所得と電気の使用量を国ごとに示したものだ。グラフにはさまざまな国が記されていて、横軸が国民ひとりあたりの所得、縦軸がエネルギー使用量を示している。このふたつに関係があるのは一目瞭然だった。
こうした情報を理解するなかで、どうすれば世界は貧困者に手頃な価格で安定したエネルギーを提供できるのかと考えるようになった。ゲイツ財団は核となる使命に引きつづき集中する必要があり、この巨大な問題に取り組めるとは思わなかったが、発明家の友人たちとあれこれアイデアを考えはじめた。また、この問題についてさらに深く文献を読みこんでいった。たとえば、科学者で歴史家のバーツラフ・シュミルの著書に目をひらかされ、現代文明にいかにエネルギーが欠かせないかを理解した。
当時僕は、ゼロに到達する必要を理解していなかった。炭素のほとんどを排出している豊かな国が気候変動に注意を向けるようになっていたので、それでじゅうぶんだと考えていたのだ。僕の仕事は、安定したエネルギーを貧困者に安く提供できるよう支援することだと思っていた。
ひとつには、そうすることで貧困者に最大の利益をもたらすことができるからだ。安価なエネルギーがあれば、夜に明かりがつけられるようになるだけでなく、畑の肥料も家をつくるセメントも安く手にはいる。それに、気候変動によって最も打撃を受けるのは貧困者だ。貧困者の多くはすでにぎりぎりの生活を送っている農業従事者であり、さらなる干魃や洪水にはとても耐えられない。
■ビル・ゲイツが確信した3つのこと
僕の考えが変わったのは、2006年の終わりのことだ。そのころ、エネルギーと気候に焦点を合わせた非営利組織を立ち上げようとしていたマイクロソフトの元同僚ふたりと会った。この問題に精通した気候科学者もふたり同行していて、4人は僕に温室効果ガス排出と気候変動を結びつけたデータを見せてくれた。
温室効果ガスのせいで気温が上昇していることは知っていたが、周期的な変化などさまざまな要因によって、大惨事に陥るのは自然に防がれるのだと思いこんでいた。そのため、人類が温室効果ガスを少しでも排出しているかぎり気温が上がりつづけるという話は、すぐには受け入れがたかった。
その後も何度か四人に会い、さらに質問をして、ようやく理解した。貧困者がよりよい生活を送れるように、世界はさらにエネルギーを供給する必要がある。しかしそのエネルギーは、温室効果ガスをまったく排出しないかたちで供給されなければならないのだ。
問題はいっそう困難になった。貧困者に安いエネルギーを安定して提供するだけでは足りない。そのエネルギーはクリーンでなければならないのだ。
僕は引きつづき、気候変動について学べることはすべて学んだ。気候とエネルギー、農業、海洋、海水位、氷河、送電線、その他ありとあらゆる分野の専門家に会った。気候変動について科学的な合意を形成する、国連の〈気候変動に関する政府間パネル〉(IPCC)の報告書も読んだ。
リチャード・ウォルフソン教授によるすばらしいビデオ講義シリーズ『変化する地球の気候』も観た。入門書『だれでもわかる気象』も読んだが、これはいまでも、僕が見つけた気象についての本のなかで最もすぐれた部類にはいる一冊だ。
はっきりしたことがひとつある。いまある再生可能エネルギー源、おもに風力と太陽光は、この問題に大きな影響を与えることができるのに、それはじゅうぶんに活用されていない。また、風力と太陽光だけではゼロを達成できないこともはっきりわかった。風はいつも吹いているわけではなく、太陽はいつも照っているわけではなくて、都市で必要とされる量のエネルギーを蓄えておける安価なバッテリーも存在しないからだ。それに、排出されている温室効果ガスのうち、発電が占めるのはわずか27パーセントにすぎない。仮にバッテリーの分野で飛躍的な技術革新が起こっても、やはりほかの73パーセントを取り除かなければならないわけだ。
数年のうちに、僕は3つのことを確信するに至った。
1 気候大災害を防ぐには、ゼロを達成しなければならない。
2 太陽光や風力といったすでにある手段を、もっと早く効果的に展開する必要がある。
3 目標達成を可能にするブレークスルーを生み出し展開しなければならない。
ゼロを達成しなければならないのは揺るがぬ事実であり、いまもそれは変わらない。大気中の温室効果ガスを増やすのをやめなければ、気温は上がりつづけるのだ。とてもわかりやすい喩えがある。気候は、ゆっくり水が溜まっていくバスタブのようなものだ。蛇口を絞ってほんの少し水が滴る程度にしていても、やがてバスタブはいっぱいになり、水が床にこぼれる。そうした悲劇を防がなければならない。排出を完全にやめることではなく、排出削減だけを目標にしていたら、それを防ぐことはできない。意味のある目標はゼロただひとつだけだ。(中略)
■では、はじめよう
本書では、前進の道を提案し、気候大災害を避けるチャンスを最大限に高める一連の手段を示す。内容は5つの部分に分かれている。
なぜゼロなのか。第1章では、ゼロを実現しなければならない理由をさらに詳しく説明し、気温上昇が世界中の人びとに与える影響についてわかっていること(と、まだわかっていないこと)を示す。
残念ながら、ゼロを達成するのはきわめてむずかしい。何かを実現すべく計画を立てるには、まず行く手に立ちはだかる障壁を現実的に把握しなければならない。第2章では、僕たちが直面している課題について考える。
どうすれば、たしかな情報をもとに気候変動について議論できるのか。第3章では、あなたも耳にしたことがあるかもしれない混乱を招きがちな数字にメスを入れ、気候変動について議論する際に僕がいつも念頭に置いているいくつかの問いを共有する。これらの問いのおかげで、僕は過ちを犯すのを数え切れないほど何度も免れることができた。読者のみなさんにも同じように役立てばと願っている。
うれしい知らせ──ゼロを実現することはできる。第4章から第9章では、いまある技術が役立つ分野と、これからブレークスルーが必要になる分野を整理する。この部分は本書で最も長くなるが、それは取り上げなければならないことがあまりにもたくさんあるからだ。すでに存在し、いますぐ大々的に展開すべきソリューションもあるが、今後2、30年のうちに多くのイノベーションを起こして世界中に広げる必要もある。
いまできること。僕がこの本を書いたのは、気候変動の問題だけでなく、その問題を解決するチャンスも目(ま)の当たりにしているからだ。これは現実味のない楽観論ではない。大きな仕事をやり遂げるのに必要な三つの要素のうち、ふたつはすでに存在する。第一に、それを実現させようという強い意志がある。これは世界規模の熱心な運動が広がっているおかげであり、その運動の先頭に立っているのは、気候変動を深く懸念する若者たちである。第二に、問題解決に向けた大きな目標がすでにあり、世界各地で国や地域のリーダーが自分たちの役割を果たすことを約束している。
いま必要なのは第三の要素、すなわち目標達成に向けた具体的な計画だ。
僕たちの望みが気候科学の理解によって支えられているのと同じように、排出削減に向けた具体的な計画も、ほかの学問分野からのあと押しを得て推進される必要がある。物理学、化学、生物学、工学、政治学、経済学、財政学などだ。
したがって本書の最終部では、これらの学問分野すべての専門家から得た助言をもとに、ひとつの計画を示したい。第10章と第11章では、政府の政策に焦点を合わせる。そして第12章で、ゼロ達成に向けて僕たち一人ひとりができることを提案する。あなたが政府のリーダーでも、企業家でも、忙しくて空き時間がほとんどない有権者でも(あるいはそのすべてでも)、気候大災害を回避するのに貢献できることがある。
さしあたりは以上だ。では、はじめよう。
ビル・ゲイツ、山田文訳『地球の未来のため僕が決断したこと』好評発売中
kindle版リンク(本文内容は同一です)
著訳者紹介
ビル・ゲイツ
技術者、経営者、慈善家。1975年、旧知のポール・アレンと共にマイクロソフト社を設立。現在はビル&メリンダ財団の共同会長を務めている。また、クリーンエネルギーやそのほかの気候変動に関わる技術の商業化を目的とするブレークスルー・エナジーを立ち上げた。3人の子どもがいる。
山田文(訳)
翻訳家。訳書にユヌス『3つのゼロの世界』、ウォルフ『炎と怒り』(共訳、以上早川書房刊)、クラステフ『コロナ・ショックは世界をどう変えるか』、ヴォルナー『壁の世界史』など多数。
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