ひとの気持ちが聴こえたら

リアル版『アルジャーノンに花束を』のノンフィクション!? 『ひとの気持ちが聴こえたら』訳者あとがき

岡田斗司夫氏に公式ブログで「リアル版『アルジャーノンに花束を』」とご紹介いただき話題となっているノンフィクション(そう、実話なんです!)、『ひとの気持ちが聴こえたら』にはどんなことが書かれているのか。「訳者あとがき」でたしかめてみてください。


『ひとの気持ちが聴こえたら』訳者あとがき

 経頭蓋磁気刺激(TMS)。


 一般にはあまり馴染みのない言葉かもしれない。これは頭にTMSコイルをあてて磁場を発生させることで、脳内に電磁エネルギーを注ぎ、神経回路の機能を高める医療技術である。従来の電気けいれん療法(いわゆる電気ショック)は脳に大量のエネルギーを送りこんで、けいれんを誘発し、広範囲に影響をあたえるが、経頭蓋磁気刺激はそれよりもはるかに少ないエネルギーで、ターゲットをしぼって狭い領域を狙えるという。現在、アメリカをはじめ、ヨーロッパの数カ国、そして日本でも脳卒中やうつ病の治療に用いられている。


 本書はアスペルガー(自閉症スペクトラム)である著者、ジョン・エルダー・ロビソンが、二〇〇八年にハーバード大学の教育附属病院であるベス・イスラエル・ディーコネス・メディカル・センターでおこなわれた、自閉症者を対象にした経頭蓋磁気刺激の調査研究に参加したときの回想録である。ロビソン氏は自閉症であるがゆえ、ほかの人の口調やボディランゲージなど非言語のシグナルを解することが難しく、幼いころから、まわりの人たちと交流をはかることができなかった。いっぽう理系の才には恵まれ、小学生時代は算数の問題をいとも簡単に解いてしまう。ところが、答えがポンと頭に浮かぶだけで、そこに至る式は示せず、学校が指示するやり方で勉強をしないからという理由で先生に否定される。年齢があがっても学校生活をうまくやっていくことはできず、結局、九年生のときに放校の憂き目にあう(子ども時代については『眼を見なさい!』、『変わり者でいこう』〔ともに東京書籍。前者はテーラー幸恵訳、後者は藤井良江訳〕に書かれている)。


 自閉症スペクトラムの特徴として、他人の感情が読めず対人関係が苦手、興味のあることには執着と言えるほどのめり込む、というのがあるが、ロビソン氏もまったくそのとおりで、コミュニケーション能力は低いものの、子どものころから関心のあった機械(初恋の相手はトラクターのエンジンだったらしい)についての知識はスポンジのように吸収し、やがて電子工学に出会う。


 その後、一六歳で家を離れ、電子工学の才能のみならず絶対音感も有していたことから、音楽業界に足を踏み入れる。音響エンジニアとして、最初は地元ボストンのロック・グループの、ついで世界トップレベルのロック・グループやソウル・グループの音響機器の整備や設計を手がけることになる。一九七〇年代から八〇年代にかけて、日本でも人気を博したロック・グループ〈キッス〉の火を噴くギターや煙を吐くギターなど、あの一連の派手なギターをつくったのもロビソン氏である。そのかたわら、カメラマンとしてミュージシャンやパフォーマーたちをカメラのレンズで追った。


 それほどの才能に恵まれていながら、人の感情を読めない彼は自分がまわりから評価されているのがわからず、音楽業界を去り、技術者としていくつかの企業に勤めるが、やはりどこにいっても人間関係でつまずき、勤め人としての生活にも終止符を打つ。


 こういった経験をへてロビソン氏がたどり着いたのは、かねてから好きだった自動車の世界だ。最初は自宅の私道でメルセデスやランドローバーといった車の修理を請けおっていたが、しだいに客が増え、〈ロビソン・サービス〉という自動車修理会社を設立し、従業員をかかえるまでになる。
 才能はこれにとどまらず、自閉症についての講演もおこない、二〇〇七年には『眼を見なさい!』で作家デビューする。本を出版したことで講演の依頼が増し、本書で紹介した経頭蓋磁気刺激の調査研究への参加につながる。


 果たして、経頭蓋磁気刺激(TMS)を受けたロビソン氏はどうなったのか?

 
 驚いたことに、それまで数えきれないほど聴いていたソウル・グループの歌から感情が読みとれたというのだ。以前は、楽器や音響機器が発する音を敏感に耳でとらえ、それらが正常に機能しているかどうかを判断するばかりで、歌詞にしても字義どおりに受けとめるだけだった。ところが突如、歌詞にこめられた思いが理解でき、涙があふれたとのことだ。またあるときは、まわりの人が発する非言語のシグナルから、その人の感情をくみとったり、過去の出来事を新たな視点から考えたりすることができたという。


 脳に変化をあたえて機能を向上させる、と聞くと、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』(小尾芙佐訳、早川書房)を思い浮かべる人もいるだろう。この物語は、知的障害のある主人公チャーリイ・ゴードンが脳外科手術を受けて天才になる話だ。


 チャーリイは知的障害成人センターで読み書きや計算を学びながら、ベーカリーで雑用係として働いている。簡単な仕事しかできず、まわりから揶揄もされるが、持ち前の気のよさで明るく前向きに生きている。そんな彼に、頭をよくする手術を受けられるチャンスがめぐってきた。チャーリイは賢くなりたい一心で、まだ動物実験しかおこなわれていないその手術の、人間の被験者第一号になることにする。手術後、日を追うごとにチャーリイの知能は向上し、七〇ほどしかなかったIQは一八〇を超え、彼に手術をほどこした博士や、大学の教授を言い負かすほどになる。


 ロビソン氏も八年生のときに、この小説を夢中で読んだという。TMSの研究に参加したときは、何度も自分をチャーリイに重ねあわせたことだろう。


 チャーリイが書く経過報告に、「ぼくわしぱいしたとおもうのできっとぼくを使てくれないだろー」、「みんながぼくをからかうのにうんざりしたんです。それだけです。知らないほうがよかったのかもしれない」、「(知的障害成人センターの先生である)アリス・キニアンがこんなに美人だなんて、どうしていままで気がつかなかったのだろう?」(以上小尾訳)といった内容のくだりがある。


 ロビソン氏も同じだ。TMSを受けるまえのテストで、何点とれたか、合格ラインに達していたのか、と気をもみ(点数うんぬんのテストではまったくないのだが)、人の感情を読めるようになったことで、友人だと思っていた人の発言に秘められていた悪意に気づいたり、いい思い出が悪い思い出に変わったりして悲しい思いをする。また、自身の自動車修理会社のスタッフの目を見て、「最高にきれいな茶色の目をしている。どうしていままで気がつかなかったんだ?」と突然思う。こういったときにもチャーリイを思い出したのではないだろうか。


 ロビソン氏が最もチャーリイに自分を見る気がしたのは、おそらく術後の経過だろう。チャーリイ天才になったものの、その後、知性は失われだし、最後には完全にもとの自分に戻ってしまう。TMSによって、ロビソン氏も感情の世界が見えるようになったが、いずれ自分もチャーリイのようになってしまうのではないか、もとに戻った自分は、以前よりさらに悪い状態になっているのではないかと不安に駆られる。


 このころのロビソン氏がどんなふうだったかは、前年、『眼を見なさい!』を出版したときのプロモーションビデオがYouTubeで公開されているので、ご興味のある方は見ていただきたい。作家である弟のオーガステン・バロウズが、トラクターに乗っているロビソン氏にインタビューをしながら撮影したビデオだ。YouTubeでは、ほかにも〈キッス〉のためにつくった電飾つきのギターと同モデルのギターをかかえて、その説明をしているところや、近年のテレビでのインタビューや、小学校や大学での講演の様子など、さまざまな動画が見られる。これらの動画を見れば、『眼を見なさい!』を出版してから公の場に出ることが増え、さらには経頭蓋磁気刺激を体験したロビソン氏がどのように変わったか、その一端をうかがい知ることができる。


 現在、経頭蓋磁気刺激は、アメリカでもまだ自閉症の治療法としては認められていないが、ロビソン氏をはじめ、本書に登場する人たちがTMSの有効性を訴え、食品医薬品局(FDA)に認可を求めている。そう遠くない将来、アメリカのみならず、日本でも自閉症の治療にTMSが用いられる日が来るかもしれない。


 経頭蓋磁気刺激や脳や自閉症について書いてきたので、本書を小難しい話ばかりのように思われるかもしれないが、決してそのようなことはない。たしかにシリアスな話は登場するが、ロビソン氏のユーモアも随所に感じられる。また、女性との出会いや家族とのふれあい(ロビソン氏は三回結婚している)や、最初の妻メアリーとのあいだに生まれた息子カビーを心配する、ひとりの親としての姿もかいま見られる。料理上手な三番めの妻マリパットは、毎週日曜日に彼女の子どもたちやカビー、隣人を招いて食事をふるまうのだが、必ずメアリーも招待する。ロビソン氏が驚いたことに、マリパットとメアリーは気があい、ふたりだけで楽しそうに盛りあがっていることもあった。それを見たロビソン氏が、「私が食費を負担しているのに」とすねたような心情を覗かせるくだりでは、くすりと笑わされた。こういった人間味も感じられる本書を、アスペルガーや自閉症に関心があるかないかに関係なく、ちょっと変わっているロビソン氏の物語としても楽しんでいただきたい。


ひとの気持ちが聴こえたら』(ジョン・エルダー・ロビソン、高橋知子訳、本体2300円+税)は、早川書房より好評発売中です。

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