『もうやってらんない』(カイリー・リード/岩瀬徳子訳)の「訳者あとがき」特別公開中です。
早川書房から、4月5日火曜日に『もうやってらんない』(カイリー・リード/岩瀬徳子訳)が刊行されました。一見リベラルに見える白人に、無意識に潜む黒人への差別感情を炙り出し、英米で話題沸騰。70万部突破のブッカー賞候補作です。
本note記事では、訳者の岩瀬徳子氏による「訳者あとがき」を公開いたします。
特にリベラルなエリート層に顕著な、日々のカジュアルレイシズム(無意識の人種差別、悪気のない人種差別)への深い洞察力に溢れている。
――〈ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー〉
主人公のエミラ・タッカー、雇い主、新しいボーイフレンドの関係が、予測不可能で炎上気味の三角関係に陥っていき、その描き方があまりにも巧妙に練られているため、スリラーを読んでいるように心臓がドキドキした。
――クロエ・ベンジャミン(『不滅の子どもたち』著者)
訳者あとがき
何気ない日常には、無意識の偏見が数多く忍びこんでいる。本人も自覚していない偏見やステレオタイプは、気づかないうちに相手を不快にさせたり、傷つけたりしている。
人種差別、性差別といった強い言葉からは想像されにくい、身近にある偏見やステレオタイプを軽快なユーモアあふれる物語のなかで鮮やかに描き出しているのが本書『もうやってらんない』(Such a fun age)だ。
舞台は二〇一五年のフィラデルフィア。主人公は、二十五歳のアフリカ系アメリカ人エミラ・タッカーと、三十三歳の白人アリックス・チェンバレンのふたりだ。
九月のある夜、ベビーシッターの仕事中だったエミラが誘拐の疑いをかけられる場面から物語ははじまる。チェンバレン家に緊急事態が起こり、ベビーシッターのエミラが夜遅くに呼び出されて、アリックスの二歳の娘ブライアーを近所の高級スーパーマーケットに連れていくことになったのだが、時間が時間だったこと、エミラが夜の予定を急遽抜け出してきたために着飾っていたことで、ベビーシッターには見えないと店の警備員に見咎められたのだ。
疑いは晴れたものの、雇い主であるアリックスと、スーパーの店内に居合わせて騒動を動画に撮っていた白人男性のケリーは、店を訴えるべきだとエミラを焚きつける。しかし、当のエミラは世間の注目を集めることを望まない。人種差別を受けたことに憤るよりも、〝パートタイムのベビーシッターではなく、きちんとした仕事にさえついていればあんなことは起こらなかった〟と将来の目標を持てずにいる自分のふがいなさを噛みしめていた。
スーパーマーケットの一件のあと、エミラはまっとうな収入と福利厚生を得られる仕事を見つける決意をするが、一方のアリックスはエミラが辞めてしまうのではないかと不安に駆られ、エミラのことをもっと知ろうとしはじめる。さらに、エミラは店で動画を撮っていた男性ケリーと偶然再会し、付き合うことになるのだが、ケリーはアリックスの高校時代の恋人だったことが判明して、事態は思わぬ方向に転がっていく──
物語はエミラとアリックスそれぞれの視点で交互に語られる。アリックスはエミラに近づこうと、エミラの携帯電話を盗み見て会話のきっかけを探したり、エミラに〝裕福な白人〟と見られていることを意識して庶民派なところを見せようとしたりする。エミラはアリックスが友情を求めていることを感じとりながらも、アリックスが自分に食べ物やワインを持たせて親切にするのを〝ほんとうの友人〟にはやらない行為だと冷めた目で見ている。
ふたりにはそれぞれ三人の親友がいて、社会に出たての二十代、子育て世代の三十代という差はあっても、にぎやかにおしゃべりする様子に変わりはなく、みな同じ〝女子〟なのだと思わずにはいられない。それでも、さまざまな無意識の偏見は存在し、親友たちとの友情や、エミラとブライアーの絆、ユーモラスな日常を読み進めるなかで、偏見のみならず、母子関係、自立、自己実現、労働環境などのさまざまな問題が浮かびあがってくる。白人が非白人を窮地から救うという〝白人の救世主〟のモチーフに当事者双方の視点を取り入れて新たな光を当てていること、単に見くだしたり不当な扱いをしたりするだけではない、さまざまな偏見の形を提示していることが本作品の特長といえる。差別問題に意識の高い人たちもまた、無意識の偏見から完全に逃れることは難しい。
人を助けたいと心から思いながらも、そもそも人々窮状に追いやっている社会システムのゆがみを無視することで複雑な曲芸めいた思考過程にいたってしまう人々を描きたかった、と著者のカイリー・リードは語っている。生まれながらに悪い人間がいるのではなく、社会システムのありかたそのものに問題がある、社会を変えていくことがもっとも重要なのだ、とリードは言う。そして、偏見には階級も大きくかかわっている、と。
なお、作品のなかで何度か取りあげられている黒人女性の髪について。
長らく黒人女性は白人的な髪質や髪型をスタンダードと考える社会の圧力により、エクステンションやストレートパーマで生まれ持った髪を白人的なものに近づけることを余儀なくされてきた。そのため、黒人女性は、苦労して維持している髪に触られることをきらい、夫や恋人にさえ許可なくは触らせないという。感謝祭の場面でタムラがエミラの髪に触れてエミラがぎょっとする描写が出てくるが、黒人同士ながら、ここにはタムラとエミラの経済的格差が見え隠れしているとリードは言っている。ちなみに、エミラもやっていた産毛セットだが、生え際の産毛やおくれ毛をジェルやセット剤で固め、歯ブラシなどの小さなブラシを使ってアレンジするのが身だしなみのひとつなのだそうだ。
カイリー・リードは一九八七年、カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。アイオワ・ライターズ・ワークショップで創作を学び、トルーマン・カポーティ財団のフェローシップを受けながら、デビュー作となる本書を執筆した。現在はフィラデルフィアで夫と暮らしている。
この作品の構想をねりはじめたのは二〇一五年、アメリカで人種間の緊張が高まっていたころのことで、リード自身も〈ブラック・ライヴズ・マター〉のデモ行進に何度か参加しているという。ベビーシッターとして六年働いていた経験があり、エミラの造形にはそれが活かされているが、バックグラウンドはアリックスのほうに似ていて、裕福な家庭で、教育を重視する両親のもとで育ったそうだ。
二〇一九年に刊行された本書はブッカー賞ロングリストにノミネートされ、グッドリーズ・チョイス・アワードのベストデビューノベルを受賞するなど、多くの賞を獲得している。アマゾンなどのレビューで評価がかなりばらけているのは、難しいテーマにまっすぐに取り組んだこの作品が読み手によってさまざまな受けとり方をされ、議論を呼んでいることの表れだろう。〝新しい物の見方を教えてくれる本が好き〟〝フィクション作家としての自分の仕事は真実を書いていくこと〟というリードの次回作にも期待したい。
二〇二二年四月
著者:カイリー・リード(Kiley Reid)
1987年、ロサンゼルス生まれ。アリゾナ大学とメアリーマウント・マンハッタン・カレッジで学ぶ。トルーマン・カポーティ財団のフェローシップを受けながら、数多くのピュリッツァー賞受賞者を輩出してきたアイオワ・ライターズ・ワークショップを修了した。2019年刊行の本書『もうやってらんない』は、デビュー作にしてブッカー賞にノミネートされ、全米での書籍の売れ行きに最も影響力があるとされる女優リース・ウィザースプーンのブッククラブの選定図書になった。現在ペンシルヴェニア州フィラデルフィア在住。