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もしも日本にAI裁判官が導入されたら?『AI法廷の弁護士』解説

竹田人造さんの『AI法廷の弁護士』が発売! もしも日本にAI裁判官が導入されたら?という設定でハッカー弁護士の活躍を描く本作。「そんなの好きですよ。ズルい。」by品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)さん、「極限までアップデートされたエンタメ法廷劇」by五十嵐律人さん、と各所から大絶賛!

発売を記念して、ミステリ評論家の千街晶之さんによる解説を公開します。

 『AI法廷の弁護士』(ハヤカワ文庫JA)

『AI法廷の弁護士』解説 千街晶之

 裁判官の法服が黒いのは、どんな色にも染まることがない公正さの象徴である。また、裁判官のバッジのデザインが「八咫やたの鏡」なのも、曇りなく真実を映す鏡に裁判の公正さを象徴させたものだ。しかし、たとえ裁判官個人が外部から影響を受けない人物だったとしても、その内面にあるバイアスが、判決に影響することはあり得るだろう。例えば、似たような犯罪に対し、ある裁判官は重い判決を下し、別の裁判官は軽い判決を下す──といったケースは実際に存在する。そんな事例の報道に接して、理不尽な思いをしたことがあるひとは少なくない筈だ。

 では、裁判を公正に進めるために、人間ではなくAI(人工知能)の裁判官を導入したらどうなるか──竹田人造の本書『AI法廷の弁護士』(二○二二年五月、早川書房から書き下ろしで刊行。『AI法廷のハッカー弁護士』を文庫化に際して改題)は、そんな思考実験が繰り広げられる小説である。著者は一九九○年、東京都生まれ。二○二○年、『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』(応募時のタイトルは「電子の泥舟に金貨を積んで」)で第八回ハヤカワSFコンテスト優秀賞を受賞してデビューした。本書は二冊目の著書にあたる。著者は現役のエンジニアでもあり、二冊の作品はAI方面の専門知識で裏打ちされている。

 舞台は近未来の日本。誤解なく、偏見なく、正義を確実に執行すると同時に、裁判を省コスト化・高速化し、広く国民に法の恩恵を行き渡らせる──そんな触れ込みでAI裁判官が導入された社会である。

 主人公の機島雄弁は、「魔法使い」を自称し、「不敗弁護士」と呼ばれるが、一方では「無罪捏造家」だの「犯罪ロンダリング装置」などと罵倒されもする弁護士だ。第一話「魔法使いの棲む法廷」の冒頭、ある殺人事件の一審において、彼はいきなり依頼人を裏切るようなことを言い出す。被告人の利益を守るべき弁護士が何故? 被告人が狼狽し、法廷がざわめく中、機島は被告人に不利な指摘を並べ立て、意味不明な質問をする。ところが、それを聞いたAI裁判官が下した判決はまさかの「無罪」。まさに「魔法使い」の異名通り、機島は誰にも見当がつかない手段で被告人の無罪を勝ち取ってみせたのだ。

 それで片がつく筈だったのに、機島はその依頼人・軒下智紀に秘密を握られたと思しき状況に陥ってしまう。秘密とは何か──実は機島は、AI裁判官の杓子定規ぶりを逆手に取ったハッキング戦法で勝訴を重ねていたのだ。

 こうして軒下は機島に雇われることになるのだが、このコンビが、近未来社会ならではの難事件の数々に挑んでゆく──というのが本書の内容である。

 法廷ミステリというジャンルには時折、勝つためには手段を選ばない、倫理的にも性格的にも問題ありだが凄腕の弁護士が登場する。中山七里の『贖罪の奏鳴曲ソナタ』(二○一一年)などに登場する御子柴礼司弁護士や、TVドラマ「リーガル・ハイ」シリーズ(第一期は二○一二年)で堺雅人が演じた古美門研介弁護士などが代表例である。機島雄弁も明らかに同じ系列に連なるキャラクターで、彼が重視しているのは最短で勝訴するための「最適化」であり、正義だの倫理だのは知ったことではなく、法廷での態度も不遜を極める。だが、AI裁判官が人間を外見や声で判断してしまう傾向を利用するために、わざわざAI好みに全身整形を繰り返すに至っては「そこまでやるか」という感じで、もはや涙ぐましくさえある。抜け目がないわりに、どう考えても偽物に決まっている美術品・骨董品にころりと騙されてしまうという一面があるのも可笑しい。

 ところで、人間よりもAIのほうが情に流されないから公平な判断が出来るのでは──と問われれば、「それはそうかも」と考えるひとは多いだろう。しかし、そのAIを作るのは人間である以上、そこには設計者の思想が必ず反映される。また、AIの思考には時として意外な陥穽が存在する。例えば、二○一五年三月に行われた「将棋電王戦FINAL」の第二局で、永瀬拓矢六段(当時)と対戦した将棋AI「Selene」は、通常出現することのない指し手を認識する機能がプログラムから抜け落ちていたというバグが原因で反則負けを喫した。もっと私たちの日常に近い例を挙げるなら、最近は高精度な画像生成AIにキーワードや文章で指示して画像を作らせる遊びが広まっているけれども、もとになるデータに偏りや欠落があれば、指示者の意図とは似ても似つかない奇妙な画像が生成されてしまう場合がある。そんなAIの問題点を逆手に取ったハッキング戦法で勝訴を重ねてゆくのが機島という弁護士なのだ。著者のデビュー作『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』は、AI技術者の三ノ瀬とフリーランス犯罪者の五嶋のコンビが、自動運転現金輸送車の強奪や、マネーロンダリングが行われているカジノの個人認証チップの奪取などの完全犯罪を目論む物語だが、作中の「AIがいかに世界を見ているか解釈出来れば、いかに騙すかも読み取れるものだ」という一節は、本書にも当てはまるのである。

 本書では、機島のみならずその前に立ちはだかる敵も、「イエス。井ノ上、イノベーション」が決め台詞の自信満々なカリスマ実業家・井ノ上翔や、最新式の義手を十本も取りつけた千手観音のような外見で通常の人間を「二本腕」と軽蔑する脳波義肢開発者・千手樟葉など、アクの強い相手ばかりである。検察官の田淵は他人に影響されやすい性格のため毎回妙な言動を法廷で披露するし、一話限りの出番の証人に至るまでひとりひとりのキャラが濃い。第二話「考える足の殺人」から登場するフリーランスのエンジニア・錦野翠は機島顔負けの性格と口の悪さだし、第三話「仇討ちと見えない証人」から登場する機島の旧友・宮本正義検事もまっとうに見えて次第に一筋縄ではいかない一面が見えてくる。お人好しな常識人に見える軒下さえも意外としたたかな面を持ち、機島を舌戦でやり込めることさえある。そんな登場人物たちが丁々発止の派手な法廷劇を、時にシリアスに、時にコミカルに繰り広げるのだが、軒下がピンチに陥る第四話「正義の作り方」では機島と宮本検事との対決の行方が二転三転する中、機島と関係者たちの過去の因縁が浮上してくる。そして機島はこの第四話において、AI裁判の根本的問題に関わる秘密に迫ることになるのだ──AIの弱点を利用した、彼ならではの人を食ったハッキング戦法によって。

 著者は本書刊行時のインタビュー「AI技術者、SFを書く。竹田人造インタビュー」(「Hayakawa Books & Magazines(β)」二○二二年五月二十四日)で、本書に影響を与えたのは「『逆転裁判』とドラマの『リーガル・ハイ』、それと宮内悠介さんの『スペース金融道』ですね」と述べている。法廷ミステリ・ゲーム『逆転裁判』(第一作は二○○一年)は、円居挽の「ルヴォワール」シリーズ(二○○九~二○一四年)、阿津川辰海の『名探偵は嘘をつかない』(二○一七年)、紺野天龍の『シンデレラ城の殺人』(二○二一年)など、数多くの国産ミステリ小説に影響を与えているが、本書はそれらの中で最もSF色が濃い作例と言えるだろう。作中でも言及されているが、現実の日本の裁判では、事前に検察側と弁護側が証明予定事実記載書面という書類を提示し、そこに記載がない証拠や証人の提示は認められないか、後日に持ち越されるのが一般的である。この制度が存在するため、日本の裁判では『逆転裁判』やアメリカの法廷ミステリにあるような劇的などんでん返しは原理的に起こらないのだが、本書のように裁判官がAIならば、証拠の理解に時間を要しないため、臨時証拠の追加も認められるケースが増え、法廷の局面が引っくり返る場合もあり得るわけだ。本書のSF的設定は、日本の法制度と法廷でのどんでん返しとを両立させる上でも有効であり、実によく考え抜かれている(なお、著者は《小説現代》二○二三年十一月号掲載の短篇「幽霊裁判は終わらない」では、死んだ被害者を再現したAIを証人とした裁判を描いている。AIと法廷ミステリの組み合わせにはまだまだ可能性がありそうだ)。

 さて、本書刊行後の二○二三年五月十三日、対話型AI「ChatGPT」を裁判官役とした模擬裁判のイヴェントが、実際に東京大学の第九十六回五月祭で行われ、法曹界からも注目を集めた。検事役や弁護士役を人間が務めたあたりも共通しており、本書からインスパイアされた企画とも考えられる(著者と作家の安野貴博がこの模擬裁判の翌日に東京大学で行った対談は、《SFマガジン》二○二三年八月号に掲載された)。日本の場合は判例の電子化などデジタル面の環境整備が遅れているので実現のハードルは高いとされるものの、中国やアメリカではAIの裁判官や弁護士を導入した試みが既にあるという。こうした動きに着目するミステリ作家もおり、中山七里は『有罪、とAIは告げた』(二○二四年)において、AI裁判官が人間の裁判官と何ら変わらない判決文を書くようになった時、人間の裁判官の存在意義はどうなるのか──という問いを投げかけている。

 折しも、本書が刊行された二○二二年は、AIの開発史において記念すべき年だった。先述の対話型AI「ChatGPT」がこの十一月に登場したのだ。それまでにも人間と会話(チャット)できるAIは数多く存在したものの、いずれも応答は人間同士のそれのような自然さには程遠かった。ところが「ChatGPT」のスムーズな会話能力は、そうした過去のAIの印象を覆すものだったのだ。一方、サイバー犯罪者に悪用される可能性もあるなど、「ChatGPT」(に限った話ではないが)の今後の運用には懸念される面もある。

 そんな年に刊行された本書は、時期的にはそういった技術革新のまさに直前のタイミングで発表された小説ながら、AIの社会進出とその問題点を鋭く衝いた物語として、現在と地続きの近未来を説得力豊かに描いてみせた。先述の安野貴博との対談では、「AIが進歩していく現代に、SF作家の方々はどういう役割を果たすべきだとお考えでしょうか」という主催者の問いに対し、著者は「作家がというより、これからAI社会を生きる人々すべてがどう対処するかという話になってしまいますが、AIは使う人と使わない人に分かれて、一時的に能力が開いていくと思います。けれど、そこからまたその差が縮まっていくと思うんですよね。たとえば、みんなガスの仕組みはよくわからなくてもガスコンロで火を付けることはできる、みたいな感じで。AIにより色々なことに対して能力差が縮まっていくと思っていて、小説だってそうですよね。そうなるとみんなが技術的には同じくらい面白い小説を書けるわけだから、あとは価値観での勝負になる。『俺が面白いと思うものを見てくれ』みたいなことを率先して示していくのがSF作家が果たせる役割というか、歩める道の一つなのかなとは思っています」と答えている。エンジニアとしての専門知識とエンタテインメントとして物語を盛り上げる技術とを兼ね備えた著者が今後、テクノロジーの進化の速度とどのように競い合いながらSF作家ならではの価値観を提示してゆくのか、これほどスリリングな楽しみはなかなかないだろう。 


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