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『異常論文』とは何か?

SFマガジン2021年6月号で組まれた謎の特集「異常論文」。特集号が増刷になるなど話題を集め、ハヤカワ文庫JAの文庫レーベル1500番記念作品として大幅増量された書籍版が刊行となります。異常論文とは何なのか? 発売に先駆け、本書の編者である樋口恭介氏による巻頭言を掲載します。

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ハヤカワ文庫JA1500番記念作品
『異常論文』
樋口恭介=編
10月19日発売・予約受付中

■目次

■異常論文・巻頭言 樋口恭介

・決定論的自由意志利用改変攻撃について 円城塔
・空間把握能力の欠如による次元拡張レウム語の再解釈 およびその完全な言語的対称性 青島もうじき
・インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ 陸秋槎
・掃除と掃除用具の人類史 松崎有理
・世界の真理を表す五枚のスライドとその解説、および注釈 草野原々
・INTERNET2 木澤佐登志
・裏アカシック・レコード 柞刈湯葉
・フランス革命最初期における大恐怖と緑の人々問題について 高野史緒
・『多元宇宙的絶滅主義』と絶滅の遅延──静寂機械・遺伝子地雷・多元宇宙モビリティ 難波優輝
・『アブデエル記』断片 久我宗綱
・火星環境下における宗教性原虫の適応と分布 柴田勝家
・SF作家の倒し方 小川 哲
・第一四五九五期〈異常SF創作講座〉最終課題講評 飛 浩隆
・樋口一葉の多声的エクリチュール──その方法と起源 倉数 茂
・ベケット講解 保坂和志
・ザムザの羽 大滝瓶太
・虫→…… 麦原 遼
・オルガンのこと 青山 新
・四海文書(注4)注解抄 酉島伝法
・場所(Spaces) 笠井康平・樋口恭介
・無断と土 鈴木一平+山本浩貴(いぬのせなか座)
・解説──最後のレナディアン語通訳 伴名 練

・なぜいま私は解説(これ)を書いているのか 神林長平

■異常論文・巻頭言

樋口恭介  

 本書は〈異常論文〉という概念の開発と拡張を目的として制作された。
 ここにあるのは高度に圧縮され、ひび割れ、分裂しながら暴走する、奇形のような思弁の轟きである。
 異常論文は過剰な思弁を必要条件とする。もちろんそれは十分条件ではありえない。異常論文には、内部から外部へ向かおうとする意志の運動がある。領土を逃れ、自らを領土とし、また逃れる、すべてを飲み込みながら解放する運動体。自己生成する思弁機械。スペキュレイティヴ・エンジン。
 そう。異常論文とは一言で言えば、虚構と現実を混交することで、虚構を現実化させ、現実を虚構化させる、絶えざる思弁の運動体だと定義される。あるいはそれは、思弁の生成機関、過剰に想像的=創造的で、自律駆動する機関──〈スペキュレイティヴ・エンジン〉であると、思弁小説の系譜において位置づけられる。
 確認しよう。異常論文とは一つのフィクション・ジャンルであり、正常論文に類似、あるいは擬態して書かれる異常言説を指している。そこで論じられる内容の多くは架空であるが、それは異常論文であって異常論文でしかなく、架空論文とは呼ばれえない。それは論文の模倣であることを求めない。そしてそれは、フィクションでありながら、架空の言説であることをも求めない。それは実在する一つの言説空間そのものであって、現実の言説空間に亀裂を入れる。
 現実を模倣するのではなく、また、現実を書き換えるのでもなく、異なる現実を立ち上げるということ。相対化された現実が、実体を伴った虚構として、無数に乱立するということ。異常論文はそのような目的に基づき書かれ、あるいは当初は持たなかったそのような目的を、遡行的・再帰的に生成する。虚構と現実は互いに引き裂き合い、矛盾のうちに内破する。あらゆるものは死に、あらゆるものはまた生まれる。
 あらゆる文は、あらゆる読みによって相対化される。むろん文とは文のみに限らない。ここで呼ばれる文とは世界のことであって、すべての人間は、各々の読む世界の中に生きている。
 過剰な読解は過剰に世界を分岐させる。過剰性としての異常性。そこで生成されるあらゆる生。異常論文とはすなわち、過剰な読みによって相対化されたもう一つの現実、もう一つの架空、もう一つの言語の枠組み、もう一つの生なのであり、つまるところ、すべて書かれる異常論文とは、思弁的に実在論的で、相対主義的で、同時に絶対主義的でもある、無数の愛の試みなのだ。
 異常論文。
 自律駆動する言説空間。
 スペキュレイティヴ・エンジン。
 それらの名を持つ、言葉から成るオブジェクト。
 それは加速する思弁が体現する、一つの生命そのものである。
 思弁は現実を読み替える。思弁は一つの現実のうちから、その現実にはならなかったもう一つの現実を取り戻す。そのときシニフィアン‐シニフィエ‐シーニュと呼ばれる三つの記号の連関は破壊され、言語を起点にあらたな現実が立ち現われる。異常な言語の運用により、再帰が再帰を再帰し続け、分岐は分岐を分岐し続ける。異常論文の中で世界は実在し、書かれた世界は自らを生成する世界へ向かって領域を拡張する。実在しない実在が実在するということ。滅ぼされた滅亡が滅び続けるということ。ここにはない場所を故郷とすること。生まれ続ける生が生き延び続けるということ──。
 異常論文は呼吸する。異常論文は歩く。異常論文は這う。異常論文は走る。異常論文は揺れる。異常論文は震える。異常論文は噛む。異常論文は突き刺す。異常論文は切り裂く。異常論文は破裂する。異常論文は繋ぐ。異常論文は溶ける。異常論文は食べる。異常論文は嘔吐する。異常論文は排泄する。異常論文は血を流す。異常論文は応答する。異常論文は召喚する。異常論文は愛する。異常論文は憎む。異常論文は笑う。異常論文は怒る。異常論文は涙を流す。異常論文は語る。異常論文は叫ぶ。異常論文はささやく。異常論文は殴打する。異常論文は治癒する。異常論文は孕む。異常論文は産む。異常論文は殺す。異常論文は死ぬ。異常論文は蘇る。異常論文は破壊する。異常論文は創造する。異常論文は配慮しない。異常論文はわきまえない。異常論文は何一つとして気にかけることはない。異常論文は自己と他者を弁別しない。異常論文には内もなければ外もない。廃墟の中を蠢く無数のオブジェクトたち。彼らによって形成される異形の生態系──それが異常論文だ。
 異常論文は存在する。異常論文はただ在り続ける。異常論文は存在し、ただ存在することによって虚構と現実を股にかける。異常論文は虚構から現実に向かって手をのばす。異常論文は虚構と現実を破壊しながら生まれ直す。異常論文は虚構に実在性を与えつつ、現実そのものを複数化する。異常論文はあらゆる可能性を探索し、そして探索の過程において新たな世界を引き連れてくる。
 そしていま、あなたの眼前に与えられた二十二の異常論文の名のもとに、世界を世界たらしめる、あらゆる意味でのあらゆる境界は消え失せて、想像可能なすべては想像可能なすべてのままに、あなたの中で存在を開始する。

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