2019年ベスト級の青春SF「ひかりより速く、ゆるやかに」試読版
売1週間で5刷が決定、大ヒット中の伴名練『なめらかな世界と、その敵』より、オールタイム・ベストの呼び声も高い書き下ろし「ひかりより速く、ゆるやかに」の冒頭15000字を掲載します。
僕はクラスメートたちの将来の夢を、新聞で知った。
そりゃ、同じ文芸部に所属していた寺浦健太郎がゲームのシナリオライターを目指していたこととか、隣の席に座っていた細原海斗がNBAを目標にしていたこととか、幼稚園から一緒だった檎穣天乃(きんじょうあまの)が漫画家を目指して投稿を続けていたことなんかは、僕の薄情な記憶にも残っていた。
でも、二十九人いるクラスメートの大半とは、ただ毎日同じ教室で授業を受けて行事をこなし、休み時間や放課後につるむだけの知り合いでしかなくて、心の中に秘めた未来については知ろうともしなかった。将来の夢や人生の目標を語り合う機会なんてなかった、一度も。もう同じ教室で授業を受けられなくなってからやっと、新聞越しに彼ら彼女らの、人となりの深奥知ることになるなんて、天乃に聞かれたら笑われるだろう。
だから、僕は知らない。
たった今、保護者席のどこかで上がったすすり泣きの声が、誰の家族のものかなんて。やがて二つ、三つと重なって、コーラスになっていく慟哭のそれぞれが、誰のための祈りかなんて。
確かめるために保護者席へ目を向けることも、できやしない。卒業生の一人たる自分が、余計な振る舞いをしたら、体育館のあちこちに陣取っているマスコミのカメラの餌食だ。だから、僕はじっと前を見つめている。目が向かうのは、壇上に立って卒業生に向けたメッセージを読み上げている知事じゃない。その奥だ。
ステージ奥の幕には、国旗と校旗の間に挟まれるように、四枚の写真が飾られている。修学旅行中、お台場の自由の女神像前で撮影した、A組からD組それぞれの集合写真を大きく引き伸ばしたものだ。きっとカメラマンが優秀だったんだろう、全員が満面の笑顔とまではいかないけれど、六割くらいの子は笑っていて、そうでなくてもちょっとした興奮や昂りに表情を緩めていて。学年のほとんど全員が、ごく僅かな例外を除いて映っている。
僕は知らない。皆が東京の観光地でどんな会話をして、どんな自由時間を過ごしたのか。
その中身に頭を巡らせていたとき、不意に真隣でカシャリと音がしてギョッとする。視線だけをそっとそちらに向けると、隣のパイプ椅子に座った薙原叉莉(なぎはらさり)が、恐ろしく短いスカートから覗く日焼けした膝の上に、卒業証書の筒とスマホを乗せて、スクショを取り続けている。
画面に映っているのは、新幹線の窓越しに見えるクラスメートの姿だった。
「やめなよ、薙原」
「あ?」
喧嘩腰にしか聞こえないその口調が、敵意あってのものではなく彼女の素なんだと、僕は学んでいた。怯んで言葉を引っ込めれば、本当に機嫌が悪くなることを、今は知っている。
「卒業式なんて無くなるかも知れなかったのに、僕たちのために開いてくれたんだから」
「誰も開いてくれなんて言ってないだろうが。あたしもお前も」
「平成の不良みたいなこと言わないで」
「何も嘘は言ってねえだろ。自己満足なんだよあいつらの」
「ちょっと、あんまり大声出しちゃまずいって。みんなこっち見てるから」
僕はできる限り声を落としたけれど、薙原は声量を絞らない。
「自意識過剰だろ」
「そんなことないよ。だって」
その先を告げるのに少し躊躇して、僕は自分の右肩にゴミがついていないか確認するような素振りで、首を少しだけ斜め後ろに向ける。
パイプ椅子の列。体育館の一番後ろには在校生代表の二年生計百十九人が座っている何列か、その手前には二百人を超える保護者や関係者の座った何列か、そして一番手前、僕たちの真後ろには、百以上並べられた、無人のパイプ椅子の海。
僕は前に向き直って、薙原のほうを見ないまま言った。
「卒業生二人しかいないんだから」
私立紀上高等学校第四十七期生は、三年前、四クラス百十七名で入学式を行って、今日、一クラス二名で卒業式を迎えた。
『四十七期生の皆さんを襲ったのは、歴史上初めての災害でした。巻き込まれなかったお二人も、保護者の皆さんも、まだ受け止め切れていないと思います。歳月が一日一日、前へと進んでいく中で、皆さんの心はあの一日に囚われたままかもしれません。でもどうか知っておいて欲しいのは、私たち大人が、忘れてはいないということ──』
壇上での知事の挨拶は、二人きりの卒業生が耳を傾けていなくても、まだ終わる気配を見せなかった。体育館の壁に貼られた式次第を見ると、これは「知事から贈る言葉」らしくて、その後に続くのは「電報」。卒業式で「祝辞」「祝電」を始め「祝」の文字を排除した結果できあがった頓珍漢な式次第は、現れないはずの出席者分のパイプ椅子も全部並べておくという狂気にしか見えない気遣いと同じく、僕たちの与り知らぬところで大人たちの世界が動いていることの、証明だった。今日一日、あの車両に向けた定点カメラを置いて関係者が観れるようにするなんて措置も、きっと人生で一度も不幸に遭遇したことの無い、心優しい人間の思いつきなんだろう。
僕は、卒業生席に座るはずだった連中のこと、僕のいた、私立紀上高等学校二年D組のことに思いが及んで、つい、薙原の膝の方に目をやった。
ちょうど、映っていたのは、檎穣天乃の──幼馴染の姿だった。
スマホに映っているのは、リアルタイムの映像。
写真なんかじゃない、それは動画だ。
僕たちと一緒に卒業するはずだった百十五名は、卒業式には参加できていない。
皆は目下のところ、引率の教員ともども、修学旅行で訪れた東京からの帰路にある。
ここ六百日ほどの間。
◆◆◆
白鱗の竜が、死を迎えようとしている。
冬の終わり、神鉄草が赤銅の花を散らせ始めるころに、そんな噂が一族の間で囁かれ始めた時、少年はまず噂を信じようとしなかったし、信じたくもなかった。大人たちが瞳占師と壁の陰でひそひそ話をしているのは、確かに何かいつもと違うと感じていたけれど、話を盗み聞いた友だちが、死の噂を息せき切って伝えに来ても、飲み込めなかった。
でも、その話を聞いて、心に鈍い痛みを感じたのは確かだった。
少年にとって、白鱗の竜はかけがえのない友だったからだ。
無論、竜は口を利かないし、こちらをどう思っているかは分からない。
けれど、少年にとって竜は、背に登って日向ぼっこをしても咎めることなく、腹の影に潜り込んで涼を取っても身じろぎひとつせず、ただそこにいてくれる確かなもので、少年が幼い頃に疫病で命を落とした父親よりも揺るぎないものとして、心に根を張っていた。
竜の背に登って、ともに駆けっこをした弟も、風邪をこじらせて亡くなった。竜は少年がまだ弓矢で壁蛇さえ狩れなかった幼い頃から、太りもせず痩せもせず、ただ草原に巨体を横たわらせていて、歳月が巡る中でほんの少しずつその身を西へ向けて這わせる。
竜の白に比べれば、竜の背から眺め下ろした天幕の茶色は、風にはためいていて、大嵐が来ればたちどころに空へ舞い上げられてしまいそうな危うさがあった。数十の天幕のうちから、少年の血族が住んでいる一張りを探しだすと、いっそう心許なく見える。その下で自分が寝起きしているのは、不思議といえば不思議だった。
夏至の祭が来るたびに、竜の背に座して長が語った物語は、若者たちには聞き飽きたものだったけれど、少年はいつも、それを初めて聞くように、目をきらきらと輝かせて聞いた。
──遥か昔の人々、我々の遠い祖先たちは、旅に憑かれていた。池のほとりに生まれた者も、川辺に生まれた者も、山深くに生まれた者も、旅をした。旅人が集って石を積み上げ、巨大な村を作ってもまだ、彼らは彼方の地に焦がれ、与う限り早く、叶う限り遠くへ向かおうとする魂に急きたてられた。
その願いを満たすには人の身では限りがあった。
だから昔日の人々は、疾く駆ける多くの生き物を飼い馴らした。光よりも速く走る竜の力を借りて、遠い天地を瞬く間に行き来した。竜ばかりでなく、空を舞う大鷲も、水を泳ぐ亀も、天翔ける麒麟さえ彼らは操って、彼方を目指した。
されど、天命として与えられた場所を捨てて、異邦へ去っていく人間たちは、やがて神の怒りに触れた。飼い馴らされた動物たちは、呪いをかけられてしまった。一気に年を取らされて、竜も大鷲も亀も麒麟も、人間よりも歩みの遅い生き物に変えられたのだ。
再び神の怒りに触れることを恐れた人々は、生まれた地で生き、生まれた地で死ぬことを選ぶようになった。石の柱は毀れ、巨大な村は土に還った。
そんな中にあって、我らの祖父の祖父のそのまた祖父の、九百代も昔の祖父は、留まらぬことを選んだ。いつか神が人々を許し、竜の呪いが解かれる日を願って、ゆっくりと、ゆっくりと這い進む竜に寄り添って暮らそうとした。竜の進む道が我らの進む道となった。
我らは竜の守り人になったのだ。
いずれ神が赦しを与え、竜が再び光よりも速い脚を取り戻した時、その時、我々は竜とともに祝福された地に至るだろう。
……少年には、そんな物語のどこまでがおとぎ話で、どこまでが真実か分からない。
けれども、彼らの祖先の祖先が、今とは全く異なる暮らしをしていたのだろうことは、疑っていなかった。
証拠はある。
竜の脇腹には、ぴったり規則的に間を空けて、幾つもの四角い絵が描かれている。そこには古代の人々の姿が描かれていて、昔日の不思議な文物を後世に伝えている。
奇妙な模様の腕輪に目をやる者。祭具らしき小さな板を指で撫でる者。
彼らの纏う服は、少年たちの部族が着るものよりもずっと色鮮やかだった。それこそ、竜の鱗のように目を刺す、純白や藍色だった。村にいる、草花の汁で絵を描くのが好きな変わり者たちも、どんな花を潰せばあれほど美しい色が手に入るのかと、噂し合った。
老人たちが語るところによれば、絵は古代の人々が魔術の力を得て描いたものであって、時とともに少しずつ姿を変えているのだという。確かに、絵の中で目を閉じていたはずの男が、長い歳月を経ていつの間にか目を開いていたのを、少年は見知っていた。
そんな美しい絵のひとつに、少年はとりわけ愛着があった。
奥にも複数の古代人が描かれているが、手前に大きく描かれているのは、腰かけた台から今にも立ち上がろうとしている少女。やはり白と藍の服に身を包んでいる。
何かが待ち切れないような、そんな期待の色を浮かべた鳶色の瞳。
件の絵の前に来るたびに少年はどぎまぎして、かえって目を逸らしてしまうのだ。
その理由は、絵の中の少女が美しいからだけではなかった。
少年が幼い頃に出会い、別れた少女に瓜二つだったからだ。
◆◆◆
初めてあの新幹線を見に行ったのは、修学旅行の三日後だった。学校からは自宅待機を命じられていたのをいいことに、叔父さんの運転する車に揺られ、混み合う高速道路や一般道を乗り継いで、八時間がかりで向かったんだ。
「ハヤキも大変やなあ。気を落とさんと」
この小旅行で何度も繰り返された叔父さんの言葉は、どこか白々しい。後部座席の僕と運転席の叔父さんの間に横たわる距離は、目に見えるよりもずっと大きい。親戚の集まりで二、三度会っただけの叔父さんが、いきなり父に電話を掛けてきた辺りから、どこか薄らと嫌な気分に苛まれていた。
叔父さんは、芸能人の下半身事情とかスポーツ選手の乱行とか宗教団体の跡目争いとかヤクザの抗争とか、胸焼けのするような内容を詰め込んで極彩色の表紙で飾り立てた雑誌の編集者で、僕は高校生らしい潔癖さで、そんな叔父さんを心の底で侮り遠ざけていた。でももちろん、そんな内心を口に出して物事を波立てたりしないくらいには分別ある高校生だった。
「……なんていうか、気を落とすとかいう前に、まだ何が起きたのかよく分かってなくて」
それが起こった時、僕は自室のベッドで横になったまま、自分の行けなかった修学旅行の実況が飛び交うLINEからしばらく離れて、ツイッターのTLを追っている最中だった。
トレンドに「新幹線」「のぞみ」「事故」「信号途絶」みたいな文言がずらりと並んでいるのを見てぎょっとして、付近の住民の「新幹線が停車して一時間くらい動いてない」というツイートが目に入り、クラスのLINEグループを確認した。そうして、雪崩のような発言数で追うことも困難だったはずのその場所がおおよそ一時間前から沈黙に落ちているのを見つけて、とにかくTVを付けた。けれど、あとはろくに状況を知れなかった。新幹線が停まっていて、中に人が閉じ込められていて、そして──ニュースで流れていた理解不能の言葉については、新幹線のもとに間もなく辿り着くこの瞬間でさえ、理解できていなかった。
そんなことを改めて一つ一つ説明すると、叔父さんは、いかにも大人ぶって諭すような口調で言った。
「いずれ分かってくると思うで。その時に潰されんように、最悪の想定もしとき」
最悪の想定というのがいまいちピンと来ていなかったけれど、僕は頷いた。
続けて叔父さんが言ったことは、単なる軽口だったのかもしれない。ただ、
「クラスに好きな子とかおったんやない」
身体の柔らかいところに触られた、そんな風に錯覚するくらい、不意をつく質問だった。
「うん、まあ。いたよ」
「そうか。頑張りや」
後部座席から叔父さんの表情は窺えなかったけれど、その言葉は、初めて叔父さんが見せた、本心からの気遣いのような気がした。
助手席には、僕の着座を拒んだ先客である、大量の本が積まれている。二十冊はあるだろうか。僕は沈黙の中で、背表紙の題字をぼんやりと眺め、妙に印象に残るそのタイトルを口の中だけで唱えていた。
『恐怖の館』『地球はプレイン・ヨーグルト』『山手線のあやとり娘』『故郷から10000光年』『忘却の惑星』『海を見る人』『ある日、爆弾がおちてきて』『サムライ・ポテト』『拡張幻想』……
その時、叔父さんがブレーキを踏んだ。
近づいてきた警察官に向けて、窓から身を乗り出した叔父さんが、自身の免許証と、僕の学生証を見せてこう言った。
「私立紀上高等学校二年D組の伏暮速希(ふしぐれはやき)と、その保護者です。静岡県警の室田さんに話を通してます」
叔父さんが僕を連れてきたのは、この瞬間のためだったようだ。
問題の新幹線から管制と他車両への信号が途絶え、パトカーと消防車と救急車が到着した後、対応に苦慮した彼らは、ひとまず車両周辺への野次馬の立ち入りを禁じ、上空からヘリで近づいた何社かを除いて報道陣もシャットアウトした。
・静岡県警・という文字が書かれた、運動会で使うような四角い屋根つきのテントがあちこちに張られていて、そこでは諦めの悪いマスコミや乗客の家族らしき人たちが警官と押し問答を繰り広げている。当時乗車していた人間がおよそ八百名とニュースで聞いたから、関係者は数千人単位だろうか。もしもこの地点がもう少し新横浜に寄っていれば、詰めかける関係者で現場はパンクしていただろう。幸か不幸か、交通の便は悪い場所だったし、東海道新幹線自体、この馬鹿でかい障害物のせいで、全線止まっている状態だった。
叔父さんは指示に従って、路上を区切って作られたスペースに車を停めた。
下車した僕たちは警官に伴われて、立ち入り禁止の柵を抜け、階段を登って鉄橋の上に向かう。のぞみの車両は規制線に囲まれていた。ドラマでよく見るような黄色と黒の規制線だけでは数が足りなかったのか、単なるロープを張り渡している箇所さえある。
「はい、二名入ります。高校のせいぞ──同級生の人! それと学校関係者!」
無線機に向けて告げたのは僕たちを規制線の向こうに通した警官だった。彼の言いかけた、生存者という言葉が、僕には不吉に響いた。
十五両編成、その最後尾車両最後列の窓に、僕と叔父さんは近づいて行った。
まず窓を覗きこんだ叔父さんの表情には、真剣さだけでは説明できない、得体の知れない輝きがあった。未知のものに触れた時の好奇心──そう、たとえば美しい蝶の羽ばたきから目を逸らせない幼子のような。
「見てみ」
興奮気味の声に促されて、僕も恐る恐る窓に顔を寄せた。
そして目に入ったものが、僕には、現実の光景とは思えなかった。
ガラス窓一枚隔てた向こうに、スーツ姿のサラリーマンが駅弁に割り箸を伸ばしていた。
そして、伸ばしたまま止まっていた。
視線はあくまで彼自身の昼食に向けられていて、自分の身に起こった事態に毛ほども、そう、たとえば地震の初期微動ほども感づいていないのは、明らかだった。
「蝋人形のように、って書こかと思てたんやけど、蝋人形感は全然ないなあ、リアル過ぎる、っちゅうか……おい、大丈夫か」
言われるまで、ふらついていたことに気づかなかった。車両に手をついて、何とか崩れかけたバランスを取り戻す。叔父さんが窓に向けてシャッターを切る音が遠くに聞こえた。
少しずつ歩いて行って、二つ、三つの窓を覗いた。
現実感は濃くなるどころかどんどん薄れて行って、夢の中にいるみたいだった。
頬杖をついたまま大きくあくびをしている、壮年の男性がいた。目にはうっすら涙が浮かんでいたけれど、それが頬に流れる気配はない。母親らしき女性の膝の上で両手を伸ばしている園児の姿があった。何か訴える表情で口を開いているのに、言葉が発されることはなかった。団扇で自分を仰いでいる、着物姿の少女がいた。風を受けて翻った髪は、その軽さを感じさせたまま空中で彫刻のように固まっていた。
新幹線の外には、関係者だろう、僕たちのように普通に動いている人間がいくらかいた。窓を拳で叩きながら必死に誰かの名前を呼んでいる男性がいた。窓の前で立ち尽くして途方に暮れている母子連れもいた。幾つもの窓を越え、車両を越えていく間、なんだかふわふわと落ち着かない気持ちだった。けれど、そうやって浮遊感に逃避できたのも途中までだった。
見覚えのある色が視界に飛び込んできたからだ。十一号車の最後列、そこに、見間違えようもない藍色、僕の通う高校の制服に使われた色を見つけたのだ。
反射的に、叔父さんを追い越して、無言のまま僕は窓に顔を張り付けた。
クラスメートだった。播本さくら。深いつながりはないけれど、クラスの委員長で、お節介扱いされながらも嫌われてはいなかった。修学旅行の班決めで壇上に立ったのも彼女だったし、出発の四日前に班行動のスケジュールについて説明していたのも彼女だった。
彼女は片手に開いた修学旅行のしおりのページを、眼鏡の奥の神経質そうな目で見つめていた。後はもう帰宅するだけなのに、それでもスケジュールの遅れを懸念していたのだろうか。
杞憂だなんて笑うことはできなかった。彼女たちはまだ帰宅できていないのだから。
「この辺、ハヤキのクラス?」
後ろから叔父さんに投げかけられた言葉に、僕は振り向きもせず小さくうなずいた。
「まずこの窓から見えとる子。一番手前から通路のとこまで、名前分かる?」
僕は窓にいっそう顔を寄せて、半ば機械的に喋った。
「えっと、 この窓際にいるのが、播本さくらさん、クラス委員長です。真ん中が日垣梨子さん。陸上部でした。通路寄りは、A組の女子で、確か、鈴本……すみません、下の名前は分かりません、あと、A組じゃなくてC組だったかも」
叔父さんがメモ帳にさらさらとペンを走らせながら言った。
「分かった。自信が無いところは自信が無いで構わない。じゃ、写真撮ったら次の列」
見落としの無いように一列ずつ前進し、僕は窓を覗き込んでそれぞれの名前を叔父さんに伝えていく。きっと雑誌の記事に載せるつもりだろう。どの席に誰が座っているかの確認が、僕が叔父さんから求められた仕事だったのだと気付いても、反発する気持ちも浮かばなかった。むしろ仕事を与えられたことに、感謝していた。数日前まで同じ教室で過ごしていたクラスメートたちが静止して沈黙しているという目の前の出来事に、心が荒れ狂い過ぎて訳が分からない気持ちだったからだ。例外はいなかった。誰もが停まっていた。寺浦も、細原も……
僕ははっと気づく。
天乃は、何をしているんだろうか。
この車両のどこかに檎穣天乃がいる。高速道路を走っている間、ずっと頭を占めていたことだったけれど、この・事故・を眼前にしたショックで意識から飛んでいた。
もしかしたら、心に蓋をしていただけだったのかもしれない。だって、思い出した瞬間に呼吸がしにくいくらい胸がきりきりと痛み始めて、鼓動が耳に届くようになってきて。
もうクラスメートの顔を半分近く見た。
ほら、もう次の窓のところに座っているかも──
「紀上高校の教職員の方ですか。静岡県警の者ですが」
その時、警官の一人が叔父さんに話しかけてきたことで、僕の思考は途切れた。教職員だと誤認しているのは警官同士の情報伝達のミスだろう。後で知ったけれど、学校関係者と保護者の一部希望者を乗せたマイクロバスがここに到着するのはこの二十四時間後だった。
「ご苦労様です。逢坂勝と申します。こちらはD組の生徒の伏暮速希です」
叔父さんは警官の前で嘘はつかずに、けれど誤解をそのままにして情報を引き出そうとしているようだ。僕はおじさんの手前、黙っているしかなかった。
警官は、制服姿の僕の方も一度ちらりと見やってから、
「あちらにもお一人、生徒の方がいらっしゃるんですが、ちょっと教員の方から説得して頂けませんか」
もう一人生徒が来ていると訊いて僕は少し驚いたし、期待めいた気持ちも湧いた。学校生活でも一番の思い出になる行事に参加できなかった不運な人間──違う、異常事態に巻き込まれずに済んだ幸運な人間が、自分の他にもいる。僕はまだ見ぬ相手に、一方的な仲間意識を覚えていたんだ。
その誰かを止めるために、叔父さんが警官に言われるがままに着いていくので、僕も一旦、車体をぐるりと回って、反対側の窓の方へ向かわなければならなかった。
確かに窓を通して見ると、車両の反対側で揉め事が起きているらしいことは分かったが、はっきりとは視認できない。僕は頭の中で、お仲間がどんな理由で修学旅行に行けなかったのか想像した。そこそこ金のかかる私立だったから、金銭的事情ではないはずだ。やはり、急病だろうか。
逆側でもちょうど十一両目、うちの生徒たちがいるはずの車両のところに、警官三人に三方を固められるような形で囲まれて、その人物はいた。
警官の一人が宥めようとしているのに対して、怒鳴るように反駁している。
ここまで近づいても誰か分からなかった。かろうじてうちのセーラー服を着ているから同じ学校とは分かったけれど、頭にはフルフェイスのヘルメットをかぶっていたんだ。
大人の男に囲まれても、見劣りしないくらい背が高い。そして、右手には鈍く光る銀色の得物──金属バットだ。
僕と叔父さんがそちらに駆け寄っていくと、警官たちの方が気を取られてしまったらしくて、視線が一瞬こちらに集まった。その瞬間を、フルフェイスの人物は見逃さなかった。
自分の目の前に立っていた警官を手で押しやると、
「おらっ!」
金属バットを両手で振りかぶり、恐ろしく力のこもったスイングで、振り下ろした。
押しのけられた警官の向こう側にあったもの、新幹線のガラス窓めがけて。
僕は思わず目をつぶった。
だけど、目を開けても、予測された事態は何も起きていなかった。
散らばる破片が飛んでくることも、ガラスの砕ける音が耳を聾することもなく。音も衝撃もすべてどこかに消え失せてしまったみたいに、傷一つないガラスがそこにあった。
警官たちが、バットを振り抜いたまま息を吐く彼女に声をかける。
「だから言ったでしょう。ドリルで穴を空けようとしても傷一つ付かなかったんです」
「うるせえ! 全部の窓を試した訳じゃないだろ!」
言い捨てて隣の窓に向かう彼女の腕を、とうとう痺れを切らせたらしい警官が掴む。それを振りほどこうとする彼女の姿を見かねて、
「おい、ほっとくと公務執行妨害で捕まるぞ」
そう叔父さんに言われるまでもなく、僕は小走りでそちらに近づいていた。
「あ、あの……、先生の指示を待った方が」
「あ?」
僕の言葉に説得されたというよりは、同じ高校の制服に視線を奪われた彼女の動きが止まったところで、彼女は警官たちによって地面に組み伏せられてしまった。
「おい、離せよ!」
警官の手で外されたヘルメットから、金色に染めた長髪が零れ落ちた。
地面に押さえつけられ、憎々しげな瞳でこちらを見上げる彼女の姿を見て合点がいった。
ああ、そうか、修学旅行に参加できない理由は、風邪とか金銭的事情以外にもう一つある──補導だ。
僕以外にただひとり修学旅行を休んだ人間は、学年で一番の問題児である札付きの不良、薙原叉莉だった。
◆◆◆
おろかだねハヤキ
かぜ引くなら別の日でいいのに
自由自在にインフル引く日を
コントロールはできないので
そこは気合い
気合いが足りない
おみやげ何がいいすか
ちょっと待って下さい、考えます
じゃあアイスで
早い
しかもまた溶ける
注文が多いぜ君
代わりに自分で買いに来なよ
発想がひどい
思い出話だけでいいよね
病人へのいたわりが欲しい
頑張れ
早く治りなさい
わたしも頑張ってくるんで
応援よろしく
天乃の幸運を祈ります。頑張って
「おい、その相手、天乃か」
薙原の言葉に、僕は慌ててスマホを机に伏せた。
早めにプリントを済ませた心の緩みから、LINEの画面を覗いていたのがよくなかった。隣の席から僕の行為を見咎めた薙原の表情は、夕陽を背にしているせいか、今にも飛びかかろうとする獰猛な野生動物じみて見えた。
「聞いてんだろ。天乃なのか、それ」
「そ、そうです」
僕は思わず丁寧語で返答した。誰だってそうすると思う。
薙原叉莉は、トイレでタバコを吸っていたとかセクハラ教師を病院送りにしたとか気に入らない男子上級生をシメたとか夜な夜な単車で峠を攻めてるとか、どこまで真実でどこまでジョークなのか分からない噂が別クラスの僕にまで届くような奴だった。僕は噂を聞くたびに、どうか永久に接点が生まれませんようにと祈ったものだった。
祈りは届かなかった。夕闇が生き物のように忍び込む教室にいるのは、僕と薙原の二人だけだ。事故から一か月目にやっと登校した僕らは、D組の教室に隣り合って着座していた。プリントを渡した教師が戻って来るまで二十分はかかるだろう。助けはきっと来ない。
過疎地の小学校じゃあるまいし、たった二人の生徒に対して授業やテストを行うのは労力面でも費用面でも正気じゃない。教職員七人が・事故・の巻き添えになったんだから、なおのことだ。実際、僕と薙原は、別の私立高校に特例で転入を認められる話が進んでいたけれど、そこにPTAの有力者何人かが横槍を入れた。
C組の遠藤聡の両親を中心とする一派の主張にいわく──新幹線に閉じ込められた生徒と教職員たちは、あくまで一時的な事故に巻き込まれているだけで、事故が終息して学校に復帰できるのは明日かもしれない。この学年を解体するということは、彼らの帰る場所を奪うことに他ならない。
新聞にも取り上げられたその声明は、テレビのコメンテーターにはそこそこ擁護されて、ネットの人たちからは「こいつら馬鹿じゃないの」っていう現実的な批判と嘲笑を浴びたけれど、とにかくOB出身の新校長が着任した上、二人だけの新D組に他校の教師が次から次へと出前授業にやってきたのは事実だ。保護者たちは、心に風穴を開けられて、子供に使うはずだった資産とエネルギーの行き場を見失ったんだろう。うちの生徒以外の被害者の家族も含めて、のぞみ123号家族協会というのが結成されて、国とJRに早期解決と賠償を求める運動が始められた。こんなわけのわからない事態に賠償責任があるのかどうか、僕に聞かれても困る。
とにかく、僕は狂犬とたった二人で、二十九ぶんの二つ、教卓の真正面の座席で残りの高校時代を生きることになったようなのだ。僕のスマホ画面に薙原が食いついたこの日は、その最初も最初の一日目、六時間目のことだった。
「少しでいい。貸せ」
「いや、ちょっとそれは」
僕が慌ててスマホに伸ばした手に薙原の手が重なったけど、それで僕がどぎまぎしている暇はなかった。薙原が僕の手首を捩りあげて、スマホを強奪しようとしたからだ。ヤバい、と思った。人生で初めて不良に絡まれた。不良って実在するんだ。いや、そんなことはいい。何が何だか分からないけれど、とにかく天乃とのやりとりを見られるわけにはいかない。
教師が教室に戻ってきた時、僕は身体を丸めて、襲いかかる薙原にスマホを奪われまいと必死で抵抗している最中だった。
今日が初対面の教師から二人揃って冷ややかな注意を受け、プリントを回収されて、僕たちの復帰第一日目の「授業」は終わりになった。
帰宅のために席から立ち上がったけれど、このまま帰ると後ろから襲われそうだったし、後ろから襲ってきそうな相手と明日以降の授業を受けたくはなかった。スマホを鞄の奥に押し込んで警戒態勢は全力で維持したまま、僕は慎重に、身体を引き気味に訊ねた。
「何で、スマホ獲ろうとしたんですか」
「気になるだろ。天乃とお前が、あの事故まで何話してたか」
僕は咄嗟に、薙原と天乃の繋がりに頭を巡らせる。でも、分からない。僕は高校に入ってから天乃とずっと同じクラスだったけど、薙原とは一度も同じクラスになったことはない。天乃と同じ、漫画研究会や図書委員会に薙原が所属しているとも思えない。訝しんでいると、薙原が答えを言った。
「天乃は妹だ」
「……は?」
「だから言ってんだろ、檎穣天乃は、あたしの妹」
「いや、おかしいよ。名字も違うし、お姉さんがいるとか天乃から聞いたことないし、学年も同じだし、全然似ても、」
「父親が同じだ。本妻の子と愛人の子」
薙原がさらりと言ってのけたものだから、二の句が継げなくなった。
「人聞きが悪いから、あたしも天乃も他人にはあんま言わないようにしてる」
僕の中で好奇心が破裂しそうになっていたけれど、深入りすべきではないように思えた。だからその事情については触れなかった。ただ、
「いや、でも姉妹だったとしてさ。それで、LINEを見る理屈にはならないよね」
自分のですます調がいつの間にか解除されている。それほど衝撃が大きかったのだ。
「妹に悪い虫がつかないようにするのは姉の義務だろうが」
目が据わっている。しかもさっきから、僕の鞄の方にいつでもダッシュできるように、足を開いているような気さえする。身の危険を感じた僕は必死になって反論を捻り出す。
「でも、だけどだよ、妹のLINEを勝手に盗み見る姉は、妹に嫌われると思う」
ぐうっ、と飛びかかる直前のライオンの唸り声めいたものが薙原の喉奥から響いて、僕は、選択肢を誤った、殺されると思った。
「確かに、お前の言う通りだ」
杞憂だった。狂犬は餌をお預けされた犬のように項垂れてしまった。
自分の都合でLINEを見せたくないだけの僕は、罪悪感に襲われて、慌てて付けたす。
「え、えっと、クラスのグループLINEの方は見ていいんじゃないかな、大勢見る前提だし、天乃も結構、画像上げてたし」
「本当か」
今度はこちらにずいっと近寄って来たので、僕は額に脂汗が浮かぶのを感じた。これ以上焦らすと、このまま喉笛を噛み千切られないとも限らない。観念して鞄から取り出したスマホを、クラスのLINEグループの画面にして差し出した。
薙原は画面を切り替えたりすることなく、律儀に発言をスクロールしていく。時折スクショを撮っているのは、ひょっとして自分のスマホに送るつもりだろうか。
全て追うのは大変だろう。修学旅行中の発言群はめちゃくちゃに流速が速かった。深夜の教師の見回りだとか、アトラクションの待ち時間情報だとか、インスタ映えするスイーツの店だとか、人気漫画とコラボした土産物の情報だとか、旅行情報誌なみになっていた。
視線を画面に釘付けにしたまま薙原は言った。
「お前の名前も結構呼ばれてるな。人気者じゃねえか」
「天乃が、欠席した人が少しでも修学旅行に参加してる気分を味わえるように、って、画像をいっぱい上げるように提案してくれたらしい」
「なんだ、ずいぶん優しくされてるじゃん」
「でも、『本当は、こうしたら効率的に作画資料が集まるから』って個人宛てに送ってきた」
「……天乃らしいな」
そう言って、ふっと笑った薙原の表情は、今日はじめて少し緩んでいるように見えた。だから、魔が差した。心を開いてもらったと信じて無防備にケルベロスの檻に飛び込む飼育員のような、そんな愚を犯したのだ。
「妹に悪い虫がつかないようにっていうのもそうだし、妹に嫌われたくないっていうのもそうだけど……」
「あ?」
こちらをじろりと睨みすえた彼女の、すごむような声に怯んで、先が訊けなくなる。
「いや、なんでもない」
「何でもねえわけねえだろ。言いたいことあんならはっきり言えよ、おい」
少し距離が縮みかけていたのに、一気にまた北極くらいまで遠ざかって、空気が氷点下になったので、僕はかえって言葉を続けざるを得なくなった。
「な、薙原さんは、天乃や他の皆が、ちゃんと帰ってくるって思ってるんだね」
「当たり前だ」
即答だった。なんなら少し食い気味だった。
「天乃はやることがある人間なんだ。止まってられない人間なんだ。暴走特急だ。だからあんなのすぐ終わる。どうにもならなかったらこっちでどうにかする」
無根拠に力強い言葉を言い捨ててスマホに再び目を落とす。その横顔に滲むひたむきさは、確かに、天乃の芯の強い部分を彷彿とさせなくもなくて、睫毛はどきりとするほど長くて、瞳は天乃と同じくらい澄んだ鳶色で──そんな風に、こちらが油断している隙に、天乃の写真を探すつもりか、薙原は僕のスマホ内の写真フォルダを確認し始めていた。
「ちょ、ちょっと、そっちは」
「あ?」
また凄まれたのかと思ったけれど、今度は首を傾げてポケットから自分のスマホを取り出した。銀紙に包まれた板チョコがモチーフの可愛らしいスマホカバーに、似合わないなと思ったが、口に出すほど命知らずではない。何か気がかりがあるみたいで、自分のスマホで検索をかける彼女を見て、僕は薙原の「あ」の一音に威嚇以外のニュアンスもあることを学んだ。
「これとこれちょい違くね?」
薙原がまず指した画像は、僕のスマホ、叔父さんとともに車両を見て回った時の写真の一枚だった。
D組の出席番号24番、文山大輔は11号車の3列目E席に座り、スマホで音ゲーをプレイしていて、その画面が窓の外から撮った写真にもばっちり映っている。
続いて薙原は、自分のスマホに映った画像を指す。
「こっちが昨日、TVでやってた生放送のキャプ」
ほぼ同じ構図の画像を、画面を思い切り拡大して見比べる。
「文山のスマホの画面、微妙に違うだろ?」
平凡な視力の僕には、その間違い探しの答えがすぐには分からなかったけれど、よくよく見れば、最初の音ゲー画面に表示されているExcellent!の文字に、一か月後の画面ではハートのアイコンが被さっている。まるでゲームが進んでいるみたいに──
その時、僕の頭にふと突拍子もない考えが浮かんだ。
「もしかして……中は、止まってないんじゃないかな?」
「止まってない?」
「もし、事故から三日目の写真と、昨日の映像で中の人に変化があったって言うなら。僕たち皆、車両の中の人が止まってると思ってるけど……本当は、ものすごく遅くなっているだけなんじゃないかな。肉眼では分からないほどの速度で動き続けているとしたら……」
その日中に、僕らはその画像二枚を、仮説とともに、警察と新聞社と叔父さんの雑誌とに送りつけた。
この比較画像はネットに上がって大量の憶測を呼び、検証を招いた。
文山がプレイしていた本来のゲームでは、文字が表示されてからアイコンが出るまでに、肉眼では分からないほど短いラグがあるのだという。だから、文山の音ゲー画面上では、事故三日後から一か月後にかけて、非常にゆっくりとではあるけれど、ゲームが進行していたのだ。
ここでようやく警察側が、新幹線の車両そのものも少しずつ移動していることを発表した。規制線のこともあるし、・事故・から数日以内に把握していたのだろう、事なかれ主義で隠蔽していたのだろうとマスコミに糾弾されたけれど、警察側は一切認めなかった。
とにかく、秒針のあるアナログ式腕時計を嵌めている乗客が捜索され、テレビ局によって超スロー撮影のカメラのレンズが、その窓に向けられた。
結果的にいえば、秒針の目盛がひとつ動くのに、およそ三百日を要した。
これはつまり、新幹線内で一秒経過するのに外では二千六百万秒を要していることになる。新幹線内の時間は、おおよそ二千六百万分の一になっているということだ。車内の人間は、その速度で思考し、呼吸し、発汗し、普段通り生きている。
新幹線の現在位置から計算すると、結論は明瞭になる。
新幹線のぞみ123号博多行は、次の停車駅、名古屋駅に間違いなく到着する。
およそ、西暦四七〇〇年ごろに。
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(この続きは書籍版でお楽しみください)