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『問題解決のための名画読解』名画があなたの思考を変える? 本書解説を試し読み公開(アート教育家・末永幸歩さん)

さまざまな視点を取り入れ、よく観察し、いま抱えている問題に対処する――。問題解決に役立つ「名画読解術」を多様なアートとともにオールカラーで説く新刊『問題解決のためのの名画読解』(エイミー・E・ハーマン、野村真依子訳、早川書房)。本書のもとになったセミナー「知覚の技法」は、これまでFBIやCIAなどの国家機関、企業、学校などでも行われてきたものです。なぜアート作品に向き合うことで「問題解決力」が磨かれるのか? 『「自分だけの答え」が見つかる13歳からのアート思考』などの著作で知られるアート教育家の末永幸歩さんの本書解説文を、特別に試し読み公開します。

『問題解決のためのの名画読解』(エイミー・E・ハーマン、野村真依子訳、早川書房)
『問題解決のための名画読解』
早川書房

解説「多様なものの見方」への憧憬

 アート教育家・アーティスト 末永幸歩

「美術館で一点の作品に心を奪われ、気づくと一時間もその場に立ち尽くしていた経験があります」
――ある方から、こんな素晴らしい鑑賞体験が綴られたメールをいただきました。

私は現在、教育機関や企業などでアート鑑賞のワークショップを実施したり、アート・教育に関わる事業に携わったりしています。
彫金家の曾祖父、七宝焼作家の祖母、イラストレーターの父を持ち、幼い頃からアートに親しんできた私は、武蔵野美術大学在学中は絵画制作に励み、卒業後は中学校の美術教諭としての道を歩みました。一教師として私の問題意識は、作品制作のための技術指導や、アート作品についての表層的な知識の伝達に重点を置いたかのような授業が依然として行なわれている実態に向けられました。
拙著『「自分だけの答え」が見つかる13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)では、そこへの解決策を提示したつもりです。その本で私は、「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、「自分なりの答え」を生み出すアートのあり方を論じました。
冒頭のメールは、読者からのものでした。拙著で紹介した「作品そのものに純粋に向き合うアート鑑賞」に共感され、ご自身の体験を教えてくれたのです。

しかし私はそのメールを読みながら、「果たして私はどうだろうか」と考えてしまいました。
美大生だった頃から頻繁に美術館を訪れてきましたし、現在も公私共に日々アートに浸かった生活をしています。それにも関わらず、この読者のように時を忘れるほど作品に感じ入ったり、雷に打たれたかのような衝撃を受けたりした経験が、未だないことに気がつきました。
もちろん、好きなアート作品はあります。学生時代、海外で入手した画集で出会った作品に心を寄せ、繰り返し見入っていたこと。そのずっと後で現物を見る機会に恵まれ、期待に胸を膨らませたこと……。そのような経験は確かにありますし、それは今でも私にとって思い入れのあるものです。
一方で、その頃には既に、私自身がアーティストになることを志していたので、作品に惹かれる心には「自分もこんなアートを作りたい」という羨望が含まれていたように思います。その点、作品そのものに純粋に向き合い心を震わせたという、あの読者の鑑賞体験とはどこか違うような気がするのです。
私は本当にアートの素晴らしさを知っているのだろうか……。読者のメールを読んでから、そんな思いが心に引っかかっていました。
それでもなお、アートに無性に心を駆り立てられることがあります。嘘偽りない心の震えを覚えることが、確かにあります。
それは決まって、アートを介して「多様なものの見方の可能性」を感じるときなのです。

「多様なものの見方」について考えるとき、心に浮かぶものがあります。
それは、Apple Computer(現Apple)が1997年に打ち出した、「Think different.」という広告映像です。敢えて日本語訳するなら「異なる視点で考える」といったところですが、そこには一企業の宣伝とは言い切れないメッセージ性があるように感じられます。
その映像は、次のナレーションから始まります。
「クレージーな人たちがいる。反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。四角い穴に、丸い杭を打ち込むように物事をまるで違う目で見る人たち。彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない」
ナレーションとともに、20世紀に活躍した人物が次々に映し出されていきます。アルベルト・アインシュタイン、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、ジョン・レノン、トーマス・エジソン、モハメド・アリ……。その最後に映し出されるのが、パブロ・ピカソです。

パブロ・ピカソは、人物の目や鼻の向きをチグハグに描いたり、静物を積み木のようにカクカクと描いたりする「キュビズム」と呼ばれる表現でよく知られます。
ピカソはその表現に至った過程で、彼なりのものの見方で「リアリティー」を真剣に追求していました。その結果「一地点から見えたものを描く」という、従来のアートの前提を覆し、「様々な角度から捉えたものを再構成する」という新しい表現方法に至ったのです。
しかし、初のキュビズム作品である『アヴィニョンの娘たち』の当時の評価は惨憺さんたんたるものでした。ピカソはパリを中心に活動していましたが、それまで彼の作品を高く評価していたコレクターですら「フランス美術にとって何たる損失だ」と言って落胆したといいます。
「ピカソのものの見方」は、創造性が賛美されるはずのアートの世界ですらも「クレージー」とみなされてしまったのです。

「Think different.」の最後は、次の言葉で締めくくられます。
「彼らはクレージーと言われるが、私たちは天才だと思う。自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから」
わずか11歳から美術学校で学び始め、絵画の腕前を発揮してきたピカソであれば、既存の技法を極めたり、その延長線上の表現をしたりすることで、周囲から称賛される絵を描くことはできたはずです。
四角い穴には、四角い杭を差し込めば必要十分です。少し我慢してでも規則に従い、多くを求めなければ波風は立たず万事うまくいくのかもしれません。それでも、自分の感覚を無視することができない。自分の興味や疑問に蓋をしておくことができない――暗闇の中に浮かび上がる灯火のような感覚だけを頼りに、アトリエで人知れず「自分のものの見方」を探究するピカソの姿が目に浮かびます。
ピカソが生み出した表現は、アートの新たな地平を切り拓き、その後のアートに多大な影響を与えることとなりました。
他の人と異なる「自分のものの見方」を本気で信じることができるアーティストの存在は私たちを勇気づけます。
彼らが生み出すアート作品は、時に私たちに未だ見たことのない世界を提示すると同時に、それ以外にも無数の答えが存在し得るかもしれないという「多様なものの見方の可能性」を感じさせてくれるのです。

一方、私たちがアーティストのように異なる視点で物事を捉えるのは難しいものです。
「アーティストにとって、自発的に焦点をずらすことができる能力は技術より役に立つものかもしれない」(本書p.171)。本書の著者が語るように、意識的に視点を変えられること自体がアーティストならではの力であるとも考えられるからです。また、アーティストからその秘訣を学ぼうと思っても、大抵の場合アーティスト自身は創造活動の過程をあまり多く語りませんし、自分の感覚を道しるべに暗闇の中を歩むアーティストにとっては、当の本人すらも「なぜそれが出来たのか」を認識していないことが多いからです。
しかし、本書はそこに一つの解を与えます。それこそが、アーティストたちの制作プロセスの分析を基盤に、「知覚の技法」と題されたライブ講演の実践によって著者が紡ぎ出してきた具体的な方法論です。「レンズを磨く」「靴を履きかえる」「プロジェクトを定義する」……。本書から学ぶことができる数々の思考のヒントは、いわゆる「アーティスト」ではない人たちが、これまでとは異なる角度から物事を捉え直し、問題に対する新たな解決の糸口を探るための、心強いロードマップになります。

ただし、それを私たちが日々直面する問題の解決に本当に役立てるためには、方法を頭で理解したり、手順を記憶に留めておいたりするだけでは十分とはいえず、トレーニングを繰り返すことが欠かせません。とはいえ、例えば仕事における場面を想定してトレーニングをするとなると、乗り越えるべきハードルが高いことも事実です。なぜなら、業務に対する知識や経験、組織の規則や慣習などが、異なる視点で捉えることを阻害する場合があるからです。
しかし、著者はそこにも処方箋を与えています。それは、方法論を頭で理解するのと並行して、「アート作品の鑑賞」によって即座に実践するという、本書の構成にあります。
著者は、看護師を対象に実施したアート鑑賞プログラムの例を挙げながら、「アートの話なので、批判されたり、ひどい場合には仲間外れにされたりすることを恐れず、安心できる雰囲気のなか、相手が答えにくい質問をしたり、すでに決着のついた意見に異議を唱えたりする方法を学ぶことができた」(p.37)と論じています。
「実践パート」において、読者がアート作品を鑑賞するときには、作品の背景にある情報を一旦棚に上げて、作品そのものと向き合うことになります。その際には、例えば『メデューズ号の筏』(p.10)に描かれている光景が「1816年に起こった大惨事」ではなく、「手に負えなくなった家庭内のもめごと」や「Zoom を使って祝った感謝祭」であったとしても良いのです。肝心なのは、なぜそう感じたのかと掘り下げて考え「自分のものの見方」を明らかにすると同時に、著者が示す様々な方法を駆使して「多様なものの見方」を横断していくことにあります。
本書は、アーティストたちの創造のプロセスを体系立てた頼れる「ロードマップ」であると同時に、作品そのものと向き合うアート鑑賞によってそれを実践的に身に付けられる優れた「ワークブック」でもあるのです。

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私が中学校の美術教師であった頃、一年生を対象に「リアリティーを探究する」という内容の授業を行なったことがあります。先述したパブロ・ピカソによる「新たなリアリティーの表現」について知ることを糸口に、授業では「ギター」をモチーフにして、生徒それぞれが「自分のものの見方」でリアリティーを模索して表現するのです。
その授業で私が強く実感したのが、「自分のものの見方を深掘りすることは、自分とは異なる存在を受け入れることでもある」ということでした。
その授業内で起こった出来事を紹介します。
美術室には、モチーフとしてギターがいくつか置いてありました。生徒たちは、ギターをスケッチしたり、立体物を作るための素材を集めたり、ネット検索で調べものをしたりと、それぞれの仕方で「自分のものの見方」を模索していました。そんな最中、ある女子生徒がギターを手に取ると、周囲の生徒と歌を口ずさみながらギターを弾き始めました。
そこは音楽室ではなく美術室であり、休み時間ではなく授業中のことでした。音色に気がついた生徒たちは最初「それはダメじゃない?」と戸惑った様子でした。しかしすぐに誰かが「音もアートかも」と呟いたのです。すると他の生徒たちも「確かに」「そうじゃないとは言い切れないか」と、結局はギターを奏でた生徒を咎(とが)める者はありませんでした。
授業では、それぞれの生徒が様々な方法で「自分のものの見方」を深掘りしていました。そのことは「多様なものの見方」があることを自明としますので、「自分とは異なる存在」を自然に受け入れる姿勢に繋がったのではないかと私は考えます。
ギターが鳴り続ける美術室で、私は内心「他の先生が見回りに来ないといいなあ」と思いながらも、異質な存在を「それも一つの答えかもしれない」と受け入れ合う教室の雰囲気を嬉しく思いました。

ギターを奏でたのはバンド部に所属する音楽好きの生徒でした。おそらく授業中の気晴らしとして、軽い気持ちで弾き始めただけだったことでしょう。「音こそがギターのリアリティーだ!」という考えで奏でたわけではない様子でした。
しかし結果的に、このとき生徒たちの中に「アートとはなにか?」「リアリティーとはどのようなものか?」ということに対する答えの可能性が一つ増えたように思います。「多様なものの見方の可能性」を心に携えることで、一つの問題に対し、より多くの答えを見出すことができるのだと実感させられました。
著者は次のように語っています。「世界を異なる角度から提示するアーティストにヒントを得て、ほかの視点を積極的に検討すれば、隣人や友人や同僚の観点をよく理解できるようになり、その結果、協力して問題解決に取り組めるようになるかもしれない」(p.116)
著者が世の中に投げかける学びが社会に波及することで、異質な存在を受け入れ合い、昨今の諸処の問題への新たな解決へと一歩近づくことを、私は心から願っています。


本書の内容はぜひお手に取ってご確認ください。

書誌情報

『問題解決のための名画読解』
著者:エイミー・E・ハーマン
訳者:野村真依子
出版社:早川書房
発売日:2023年11月7日
本体価格:2,800円(税抜)

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