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あの超有名作は☆いくつ? クリスティーといえばこれ!『そして誰もいなくなった』

『おすすめ文庫王国2019』、本の雑誌が選ぶ2018年度文庫ベストテンにて、『アガサ・クリスティー完全攻略〔決定版〕』(霜月蒼、クリスティー文庫)が第2位に選ばれました! 1冊でクリスティー100作を網羅した本作の中から、一部を掲載します。

『そして誰もいなくなった』★ ★ ★ ★ ☆

30ページに一人が殺される

【おはなし】
 U・N・オーエンなる人物に招かれ、あるいは雇われて、孤島に集った男女十人。彼らが滞在することになるモダンな屋敷には、十人のインディアンが一人ずつ消えてゆくという歌詞の童謡と、十体のインディアン人形が飾られていた。
 晩餐の席で突如、奇妙な声が食堂に響いた。それは彼ら十人の過去の罪を暴き、断罪するものだった。そして直後、あの童謡とそっくりの状況で一人が絶命。十体あったはずの人形が一つ減っていた。荒天により本土から隔絶された孤島の屋敷で、一人、また一人と、集められた者たちは歌詞に沿って殺されてゆく。


 なんだか妙にこわい。というのが小学生の頃にこれをはじめて読んだときの感想だった。今回読んだときも、押し殺したような暗い空気が強く印象に残った。きりきりと締めあげられてゆくような感覚。一種ニューロティックな不吉さ。
 そう、本作は異色作だ。そう断言したい。これはクリスティーのビブリオグラフィのなかで異彩を放つ。その異様さのせいでミステリというジャンルから外れるのではないかという気さえする。
 ここらで大急ぎで記しておけば、『そして誰もいなくなった』はミステリ史に名を残す不滅の傑作である。そんなことは誰もがご存じであろうと思うが、なにかの拍子で未読だというかたがおられるなら、何をおいてもまずはお読みなさい、と言っておきたい。これがなければ『十角館の殺人』も『クビキリサイクル』も存在しなかったはずだ。
 とはいうものの、キイとなるトリックは他愛ないといえば他愛ない。これだけ取り出したところで、とくに感銘を受けるようなものではない。そういう意味でいえば『十角館の殺人』や『クビキリサイクル』のほうが創意にあふれているだろう。クリスティーの「演劇趣味」がよくわかるキレ味のいいトリックではある。だが、このトリックは「孤島で全員が殺される」という設定を支えるために要請されているのであって、本作を歴史的名作にしてい
るのは何よりも設定に尽きる。この閉所恐怖症じみた窒息感を生み出した、この設定こそが。
 本作は邦訳にして四百ページ足らずの短い作品である。「そして誰もいなく」なることはすでにわかっているから、全体で十人の死が描かれるわけで、つまり(発端とエピローグを除いて)平均すれば約三十ページごとに一人死ぬという猛烈な殺害ペース。作中に名探偵は登場しないから、クールな推理が描かれるわけでもない。登場人物たちはひたすら死の恐怖におびえ、自分たちのうちの誰かが殺人犯なのだという不安に苛まれつづける。描かれているのは死の様相と恐怖と、自分を断罪する何者かに触発された主人公たちの罪悪感だけといっていい。
 死と死のあいだのインターバルは三十ページがせいぜい。だから基本的には生き残っている人物同士の会話と行動とで紙幅は埋められる。それはまさしく舞台劇のようであり(私は『ねずみとり』を連想した)、その中心にはつねに死がある。
 クリスティーがはじめて書いた長編恐怖小説が本書だった、と言っていいのではないか。もし本作が二〇一〇年代に刊行された小説であれば、ミステリには分類されずに、『バトル・ロワイアル』などと同じデスゲーム小説のラベルが貼られていたはずだ。
 さっき記したように、私が本作を読んだのは小学生の頃だったのだが、同時期に『オリエント急行の殺人』を読んだのを憶えている。読後の印象は非常に似通っていた。キリキリと神経がきしむようなダークな空気感である。以前にも述べたとおり、『オリエント急行の殺人』は、「殺人」から視線のそれる瞬間を完全に排除した作品だった。つまり、これも異色作である。
 そしていま、私は思うのだ─この二作は対をなすのではないのかと。ちなみに『そして誰もいなくなった』は『オリエント急行』の五年後、一九三九年の発表である。


【以下は『オリエント急行の殺人』の読後に読まれることを推奨します】

 外界から隔絶された空間での殺人であること。その外部にいる者には真相はおろか何が起きているのかも見えず、最終的に内部から「解決」が一方的に発信されること。殺人以外の要素を排除して突進する構造。犯人の数もあちらとこちらでは正反対。
 この二作は双子のようだ。 
 そして何より似通うのは「殺しの動機」である。
『オリエント急行の殺人』の動機と、『そして誰もいなくなった』の動機は事実上まったく同じだ。しかし前者は読者の共感を呼び、後者は読者を恐怖させる。この「対」の関係は偶然とは思えない。
 この動機は、クリスティーにとって重要な問題だったのではないか。『そして誰もいなくなった』は、ミステリとしては解決が犯人の告白に頼っていて、エレガントとは言いがたい。しかしクリスティーは犯人に動機を語らせた。「犯人による内心の吐露」こそが重要だったからに違いない。この、あまりにおそろしい心性の開陳こそが。
 例えば私には、ここから『鏡は横にひび割れて』のあの動機につながる線がみえる。『そして誰もいなくなった』の犯人像に、直前の『殺人は容易だ』の犯人に端を発して、やがては『親指のうずき』の犯人へつながる系譜をみる。
 謎解きミステリにおいて、殺人の動機は、「謎=犯罪」を発生させる必然性をエクスキューズする以上のものではなかった。あるいは、それ以上の役割を負わなくても許されるものだった。それなのに動機に重点をおくのは、そこに「ミステリを書く」という以上の意志が介在していた証拠だろう。
 クリスティーが生み出したもっとも前衛的なミステリ二作は、ある問題意識を映したネガとポジのような関係を成しているように思えてならない。

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 アガサ・クリスティー完全攻略〔決定版〕

英国ミステリの女王、アガサ・クリスティー。作品数が多いゆえに、どれから読んでいいかわからない。有名作品以外も読んでみたい——そんな要望にミステリ評論家の著者が応え、一冊でクリスティー100作を網羅した傑作評論集にしてブックガイド。『ポアロとグリーンショアの阿房宮』の評論を特別収録。第68回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、第15回本格ミステリ大賞(評論・研究部門)受賞作。解説:杉江松恋

霜月蒼(しもつき・あおい)

1971年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。大学在学中は慶應義塾大学推理小説同好会に在籍。現在はミステリ評論家として活動している。共著に『バカミスの世界 史上空前のミステリガイド』(小山正編)、『名探偵ベスト101』(村上貴史編)、『ジム・トンプスン最強読本』(小鷹信光ほか著)がある。「翻訳ミステリー大賞シンジケート」にウェブ連載された「アガサ・クリスティー攻略作戦」を書籍化した本作で、第68回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、第15回本格ミステリ大賞(評論・研究部門)を受賞。

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