いま世界一熱いオタク作家の新作SF! 『アルマダ』冒頭公開
アーネスト・クライン『アルマダ(上・下)』
池田真紀子訳/ハヤカワ文庫SF/3月20日発売
カバーイラスト:lack
PHASE ONE
唯一正当なコンピューターの使い道は、ゲームである。
──ユージン・ジャーヴィス(『ディフェンダー』クリエーター)
1
空飛ぶ円盤が出現したのは、教室の窓からぼんやり外をながめて、大冒険に出る白昼夢にふけっているときだった。
いったん目をつむった。また開いて、空の同じところをもう一度確かめた。円盤はまだ飛んでいた。ぴかぴか光る銀色の円盤が空にジグザグ模様を描いている。その動きを目で追いかけようとしても、とてもついていけない。円盤はますます速度を増し、ありえない角度で方向転換を繰り返していた。人間が乗っているなら、きっとシェイクされてジュースになっているだろう。円盤は流れ星みたいに空をすっと横切ったかと思うと、地平線のすぐ上でふいにぴたりと静止した。遠くの木立の上空に何秒かホバリングし、真下の地面に向けて見えないビームを照射して何か探査でもしているみたいだったが、まもなくまたも唐突に上昇した。そしてさっきと同じように物理の法則をことごとく否定するような進路とスピードで飛び回った。
僕は自分に言い聞かせた。落ち着け、落ち着けよ。疑う心を忘れちゃいけない。僕は科学的な人間なんだから。理科の成績はCだけど。
空飛ぶ物体をふたたび凝視した。正体はやはりわからないが、何じゃないかはわかる。あれは隕石じゃない。気象観測の気球でもなければ、沼気でも球電でもない。僕のこの二つの眼に映っているあの未確認飛行物体は、間違っても地球のものじゃない。
僕の頭に最初に浮かんだ考えは──おい、うそだよな。
それを追いかけるように浮かんできた次の考えは──信じられない、ついに現実になろうとしているらしいぞ。
幼稚園に初めて登園した日からずっと、待ち続けてきた。一発で世界がひっくり返るようなぶっ飛んだできごとが起きないかと。学校教育というエンドレスの退屈を吹き飛ばしてくれるような大事件が、いつか僕の身に起きてくれないかと。学校の周囲に広がる平和な造成地を何百時間もぼんやりながめては、ゾンビがわらわらと押し寄せてこの世が地獄に変わる瞬間をひそかに夢見てきた。何かとんでもない事故が起きて、僕に超能力が備わったりするのでもかまわない。映画『バンデットQ』の時空を股にかけるドワーフの窃盗団が襲来するのでもいい。
他人には打ち明けにくい僕の白昼夢の、大まかに言って三つに一つには、別世界の住人の予期せぬ訪問がからんでいる。
もちろん、そんなことが現実に起きるなんて本気で信じたことはない。どこか別の星の住人が、おおよそ取るに足らないこの青と緑のちっぽけな惑星にちょいと立ち寄ってみるかと思いつくことがあったとしても、その宇宙人が自尊心というものをわずかでも持ち合わせているなら、僕の生まれ故郷、オレゴン州ビーヴァートン、またの名を〝アメリカを代表するあくびタウン〟を第一接触(ファースト・コンタクト)の地に選ぶことはありえない──地球文明絶滅プロジェクトの第一歩として、この街の退屈そのものの住人を一掃してやろうというのでもないかぎり。ルーク・スカイウォーカーの言葉を借りれば、宇宙のどこかに輝ける中心が存在するとしたら、この惑星はその中心からもっとも離れた場所にあるんだから。〝ベルーおばさん、悪いけどブルーミルクを取ってもらえる?〟。
ところが、奇跡が起きた──よりによってこの町で。その奇跡はいま、僕の目の前で進行中だ。空飛ぶ円盤が現れた。僕はそれを目撃している。
しかも、そいつはどうやらこっちに近づいているようだ。
肩越しにちょっと振り向いて、すぐ後ろの席に座っている僕の親友たち、クルーズとディールの様子を盗み見た。ひそひそ声で何やら議論の最中らしく、どちらも窓のほうは見ていない。外を見てみろと合図しようかという考えも頭をよぎったが、そのあいだに円盤が消えてしまったら──? 僕自身がその行方を追うチャンスを逃したくない。
窓の外に視線を戻した。ちょうどそのとき、銀色のまばゆい光がまた一つ閃いた。空飛ぶ円盤ははるか上空を水平に横切ったかと思うと急にぴたりと止まり、すぐそこの空き地の上にしばし浮かんだ。そしてまた高速で動き出した。止まる。動く。止まる。動く。
見間違いじゃない。じりじりこっちに近づいてきている。円盤の形がはっきり見て取れるようになった。まもなく円盤が一瞬だけ機体を大きく傾けた。そこで初めて全体が鮮明に見えた。いわゆる〝円盤〟じゃない。その角度で見ると、左右対称になった船体は、両刃の斧に似ていた。縁がぎざぎざした細長い翼が左右に伸び、その付け根の部分にはめこまれた黒い八角形のプリズムが朝の陽光を受けて、暗黒の宝石といった風情できらめいている。
脳神経がショートしたような感覚に襲われた。飛行物体のあの独特の形状に見覚えがある。それはこの数年、毎晩のように照準器越しに凝視してきた輪郭だった。いま、僕が目で追っている物体は、ソブルカイ星軍グレーヴ・ファイター──僕がはまっているオンラインゲーム、《アルマダ》の敵キャラ異星人が操る戦闘機の一種だ。
もちろん、現実にそんなことはありえない。『スター・ウォーズ』のTIEファイターや『スター・トレック』のクリンゴン帝国のウォーバードがそのへんの空をのんびり飛んでいたりしないのと同じだ。ソブルカイ星人もグレーヴ・ファイターも、コンバットゲームのなかの架空の存在であって、現実の世界には存在しない。というか、存在しようがない。ゲームがリアルな世界にはみ出してきたり、架空の宇宙船がきみの住む街をかすめて飛んでいったりなんてことは、現実には起きない。そういうむちゃくちゃなことが起きるのは、一九八〇年代の安っぽいSF映画、たとえば『トロン』や『ウォー・ゲーム』、『スター・ファイター』──そう、僕の死んだ父さんが夢中になって見ていたような映画のなかだけの話だ。
ぴかぴか光る宇宙船がまた一つ大きく旋回して、全体像がさらに明瞭に見えた。やっぱり間違いない。あれはグレーヴ・ファイターだ。胴体部分に刻まれた鉤爪みたいな独特の溝、牙みたいに前方に突き出した二門のプラズマ砲。何もかもそっくりだった。
ロジカルな説明は一つしか考えられない。これは幻覚だ。では、ドラッグも酒もやらずに真っ昼間から幻覚を見たりするのは、いったいどういう種類の人間だ? 頭がちょっとアレなやつ、精神活動に深刻な不調を来したやつだろう。
父さんもそういう人間の一人だったんじゃないか──僕はずいぶん前からそう疑っている。父さんの古い日誌を読んだせいだ。何冊も残されていたなかの一冊に書かれていることを読むと、晩年の父さんは妄想にとらわれていたんじゃないかとしか思えなかった。ゲームと現実の世界を区別する判断力をなくしかけていたのかもしれない。そしていま、僕もまったく同じ危機に直面しているようだ。たぶん、内心でずっと恐れていたこと──〝あの親父にして、この息子あり〟──が、ここに来てついに現実になったというだけのことなんだろうな。
薬を盛られたとか? いや、それはありえない。今朝食べたのは、登校する車のなかで温めもせずにがっついたストロベリー味のポップタルトだけだ。コンバットゲームに出てくる架空の宇宙船の幻覚を見たというだけでもうどうかしているのに、そんなものを見た原因を甘いアイシングがかかった朝食用のペストリーに求めるとしたら、もっとどうかしている。自分のDNAという、かぎりなくクロに近い容疑者が別に挙がっている僕の場合、なおさらどうかしている。
そう、責任は僕自身にある。これは防ごうと思えば防げた事態だ。なのに僕は、予防策を講じるどころか、その正反対のことを続けてきた。父さんの轍をもろに踏んで、物心ついてこのかたただひたすら現実逃避主義を貫き、幻想が自分の現実にすり替わるのを喜んで受け入れてきた。そして今日、父さんに次いで、自分の浅はかさの代償を支払う時が来たというわけだ。狂った列車(クレイジー・トレイン)に乗って、本来なぞるべきレールからそれていこうとしている。〝発車オーライ(オール・アボード)! ハハハー!〟と叫ぶオジー・オズボーンの声が聞こえてきそうだ。
それにしたって、なあ、頼むよ──僕は自分の説得を試みた。このタイミングで壊れたりするなって。だって、もうたった二カ月で卒業なんだぜ! 最終コーナーを回って、あとはホームストレートを突っ走るだけってタイミングだ。な、だからしっかりしてくれよ!
窓の向こうで、グレーヴ・ファイターがまた水平方向にすばやく動いた。機体が背の高い木立のてっぺんをかすめ、木々の枝がゆさゆさ揺れた。次に戦闘機は、低く垂れこめた分厚い雲に突入した。ものすごいスピードだったから、雲の真ん中に一瞬、円筒形の穴がくっきりと残って、雲の反対側に突き抜けた戦闘機の後ろには白雲のリボンがちぎれて翻った。
次の刹那、戦闘機は最後に一度だけ空中でぴたりと静止したあと、ふいに真上に飛び、現れたときと同じように唐突に姿を消した。銀色に輝く軌跡だけが視野に残った。
僕はすぐには動けなかった。ほんの一秒前までグレーヴ・ファイターが飛んでいた空の一点をぽかんと見つめることしかできなかった。それから、近くに座っているクラスメートたちの様子をさりげなく確かめた。窓のほうを見ている生徒は一人もいない。グレーヴ・ファイターが本当に飛んでいたのだとしても、僕以外の誰も目撃していなかった。
窓のほうにふたたび顔を向け、銀色に輝く正体不明の飛行物体が戻ってきていないかと、なかば祈るような気持ちで何もない空にもう一度視線をめぐらせた。しかしあの物体はきれいに消えていた。どうやら、あんなものを目撃してしまった衝撃とは僕一人で向き合うしかなさそうだ。
グレーヴ・ファイターまたはその幻影を見たのをきっかけに、心のなかで小さな地滑りが起きていた。しかもそれは、互いに矛盾する無数の感情や記憶の断片が一緒くたに混じり合った巨大な雪崩に発展しようとしている。あふれ出した感情や記憶はすべて、父さんや、父さんの持ち物のなかにあった古い日誌と結びついていた。
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〈STORY〉
幼い頃に父を亡くして、田舎町の中古ゲーム店でバイトをしながら母と暮らす高校生のザック。彼は異星艦隊と戦うオンラインゲーム《アルマダ》で世界6位の実力を持つゲーマーでもあった。そんなザックの日常は、あるとき校庭に降り立った1隻の宇宙船によって終わりを告げる。実は人類は現在滅亡の危機にあり、《アルマダ》のプレイヤーこそが地球の命運を握るのだという——
〈本書に登場するSF作品〉
『アルマゲドン』『E.T.』『インデペンデンス・デイ』『宇宙戦争』『エイリアン2』『エンダーのゲーム』『オール・ユー・ニード・イズ・キル』『ギャラクシー・クエスト』『コンタクト』『スター・ウォーズ』『スター・トレック』『スター・ファイター』『ゼイリブ』『デューン』『トランスフォーマー』『トワイライト・ゾーン』『ナビゲイター』『2001年宇宙の旅』『パシフィック・リム』『ボディ・スナッチャー』『マッドマックス』『未知との遭遇』『メン・イン・ブラック』『遊星からの物体X』『ロボテック』…etc.