渇きと___

誰が殺したのか? オーストラリア発、中年捜査官の失われた青春×フーダニット小説『渇きと偽り』 冒頭部試し読みを公開!

  ハヤカワ・ミステリより4月6日発売となりました、オーストラリア発のミステリ『渇きと偽り』。干魃にあえぐ故郷の町で、旧友の死の真相を追う捜査官を描いた本作は、ジョン・ハートやマイクル・ロボサムら実力派作家の絶賛を受け、デビュー作にして〈ニューヨーク・タイムズ〉ベストセラーリスト入りするなど大きな話題となっています。その冒頭部分を抜粋して特別公開! 

〈あらすじ〉
 豪州連邦警察官アーロン・フォークは、故郷の町キエワラで衝撃的な事件が発生したことを知る。旧友のルーク・ハドラーが妻子を撃ち殺し、自殺したというのだ。「ルークは嘘をついた。きみも嘘をついた」――ルークの父、ゲリーから意味深な手紙を受け取った彼は、ハドラー家の葬儀に参列するべくキエワラへと向かう。二十年ぶりに訪れた故郷は、未曾有の干魃にあえいでいた……。

 クリスマスでもないかぎりは教会に寄りつかない者でも、会葬者の数が席の数をうわまわっているのはわかった。教会の入口で早くも黒と灰色の流れが詰まりかけている。アーロン・フォークは砂煙と砕けた落ち葉を巻きあげながら車を進めた。
 近隣の住民たちがさりげなくも強引に他人を押しのけ、戸口を少しずつ抜けている。道の向こうに陣どっているのはマスコミだ。
 フォークは自分のセダンと同じくらい古びた小型トラックの隣に車を停め、エンジンを切った。エアコンがあえぎながら沈黙し、車内がとたんに暑くなってくる。少し間をとって人だかりを見まわしたが、あまり時間の余裕はなかった。はるかメルボルンからの気の重い旅は、見こみの五時間をとっくに超えて六時間以上におよんでいた。見知った顔がなかったので、安堵して車をおりた。
 午後遅くの暑熱が毛布さながらに体を押し包んでくる。後部座席のドアをあけて上着を取ろうとすると、その動作で手が灼けた。わずかに迷ったが、帽子も座席から拾いあげた。硬いカンバス地の茶色いつば広の帽子で、葬儀用のスーツには合わない。けれども、年の半分は青みがかった脱脂乳の色の肌をしていて、残りの半分は皮膚癌を思わせるそばかすに悩まされている身であるから、あえて野暮な恰好でいく覚悟を決めた。
 生まれつきの色白で、短く刈りこんだ白っぽい金髪と透きとおった睫毛の持ち主であるフォークは、オーストラリアの太陽が自分に何かを伝えようとしているのではないかと感じることが三十六年の人生で多々あった。メルボルンの長い影のもとでならその言わんとするところも黙殺しやすかったが、日陰がつかの間の恵みになってしまっているキエワラではそうもいかない。
 町の外へ戻っていく道路を一度眺めてから、腕時計に視線を落とした。葬儀に出て、偲ぶ会に出て、朝になったら立ち去る。十八時間だ、と計算した。それ以上はとどまらない。そう胸に刻み、帽子を手にして人だかりのほうへ大股で向かうと、突然の熱風が服の裾をはためかせた。
 教会の内部は記憶にあるよりもいっそう狭かった。他人と肩をぶつけ合いながら、奥へと進む。壁沿いに空きがあったので、体を滑りこませ、綿のシャツが腹の上ではち切れそうになっている農夫の隣に場所を確保した。農夫が会釈してから視線を正面に戻す。シャツの袖をいままでまくっていたらしく、肘に皺が寄っている。
 フォークは帽子を脱ぎ、目立たないように自分を扇いだ。つい周囲に視線を走らせてしまう。当初は見覚えがないように思えた顔が鮮明に形を結び、そのいくつかに見てとれる目尻の皺や白いものが混じった髪や増えた贅肉に、なぜか驚きを覚えた。
 二列後ろの席にいた年配の男がその視線をとらえて会釈してきたので、フォークも顔見知りだと気づいて男と悲しげな笑みを交わした。名前はなんだっただろうか。思い出そうとしたが、はっきりしない。確か教師だったはずだ。教室で退屈したティーンエイジャーたちを相手に、地理か木工か何かの授業を楽しく教えようと奮闘していた姿が目に浮かんだが、名前はどうしても出てこなかった。
 男が隣の席を顎で示し、詰めようかと身ぶりで伝えてきたが、フォークは礼儀正しくかぶりを振って、ふたたび正面を向いた。ふさわしい機会があっても世間話は苦手にしていたし、いまがふさわしい機会から百万キロメートルもかけ離れているのはまちがいなかった。いやなものだ─―中央の棺が小さい。並みの大きさの棺ふたつにはさまれているので、よけいに痛ましく見える。これ以上痛ましいことがあるとしたらの話だが。髪を撫でつけた幼い子供が棺を指さして言った。パパ、見てよ。あの箱、フットボールの色みたい。中身を知っている年長の子供は目を見開いて絶句し、学校の制服に包んだ体を落ち着きなく動かして母親にすり寄っている。
 三つの棺の上から、家族四人の引き伸ばした写真が見おろしている。静止したその笑みは大きすぎ、ぼやけていた。ニュースで目にした写真だ。繰り返し使われていた。
 その下には、死者の名前が土地の花で綴られている。ルーク。カレン。ビリー。
 フォークは写真のルークを見つめた。豊かな黒髪にはよぶんな灰色の線が混じっているが、それでも三十五の坂を越したたいていの男よりも若々しい印象を受ける。記憶にあるよりも顔は老けているが、あれはもう五年近く前のことだ。自信に満ちた笑みは相変わらずで、目は少しだけ世間擦れしたように見える。変わらないな、というのが心に浮かんできたことばだった。三つの棺の言いぶんはちがうだろうが。
「ひどい悲劇だ」隣の農夫が出し抜けに言った。腕を組み、拳を腋の下に押しこんでいる。
「確かに」フォークは言った。
「一家と親しくしてたのかい」
「それほどは。ただ、ルーク、つまり──」一瞬、目眩に襲われ、いちばん大きな棺に納められた男を形容する文句が思いつかなかった。気を取り直したが、タブロイド紙のありきたりな文句しか見つからなかった。
「──父親とは」ようやく口に出す。「古い友人でした」
「ほう。おれもルーク・ハドラーのことなら知ってるよ」
「いまではだれもが知っているでしょうね」
「あんたはまだこのあたりに住んでるのかい」農夫は太った体を少し動かして、はじめて正面からフォークを見た。
「いいえ。住んでいたのはずいぶん前です」
「そうか。見覚えのある気がするんだが」農夫は眉根を寄せて思い出そうとした。「おい、まさかあのリポーターどもの仲間じゃないよな?」
「いいえ。警察の人間です。メルボルンの」
「そうだったのか。ここまで事を悪くした役人どもを絞りあげてくれよ」農夫は、妻と六歳の息子のかたわらで眠るルークの遺体を顎で示した。「おれたちはこの百年で最悪の天候に襲われながらこの国のために食い物を作ってるのに、役人は補助金を打ち切ろうとしてやがる。あの哀れな男にも同情の余地があるってことさ。まったくくそ──」
 農夫は口をつぐんだ。教会のなかを見まわしている。「いまいましいスキャンダルだよ、こいつは」
 フォークは何も言わず、ふたりしてキャンベラの政府の無能ぶりに思いをめぐらした。ハドラー一家の死の背景に何があったかは新聞が盛んに書き立てていた。
「ということは、この件を捜査してるのかい」農夫は棺のほうへ顎をしゃくった。
「いいえ。友人として参列しただけです」フォークは言った。「捜査すべきことが残っているとは思えませんし」
 ほかの人々と同じで、フォークもニュースで聞いた以上のことは知らなかった。だが、報道によれば、単純な事件だった。ショットガンはルークが所有していたものだった。そのショットガンが、ルークの口の残骸のすぐそばで発見されていた。
「そうだな。おれも残ってないと思う」農夫は言った。「ただ、あんたらは友人だったようだから」
「どのみち、わたしはその手の警官ではないので。連邦警察官です。財務情報局の」
「おれにはなんのことやら」
「要するに、金の流れを追うんですよ。末尾のゼロの数が少し多すぎる金を。資金洗浄とか、横領とか、そういったものです」
 男が何か言ったが、フォークの耳には届かなかった。視線の先が三つの棺から最前列の会葬者へと移っていた。遺族の席だ。そこなら友人や隣人のだれよりも前にすわれる。友人や隣人のほうは遺族の後頭部を見つめ、そこにいるのが自分でなくてよかったと神に感謝する。
 二十年ぶりだが、ルークの父親はすぐに見分けられた。ゲリー・ハドラーの顔色は悪かった。目は落ちくぼんでいる。最前列の自分の席に粛然とすわっているが、首をめぐらしている。隣ですすり泣く妻を見ているわけでもなく、息子と嫁と孫の亡骸を納めた三つの木箱を見ているわけでもない。フォークをまっすぐに見据えていた。
 後方のどこかにあるスピーカーから音楽が流れだした。葬儀がはじまった。ゲリーは小さくうなずき、フォークは無意識のうちに片手をポケットに入れた。二日前に自分の机に届けられた手紙が指に触れる。差出人はゲリー・ハドラーで、重々しい筆跡で三つの文がしたためられていた。
〝ルークは嘘をついた。きみも嘘をついた。葬儀で会おう〟
 先に目をそらしたのはフォークだった。

 写真は正視しがたかった。教会の前方のスクリーンに、写真がこれでもかとばかりにつぎつぎと映し出されている。U‐10の優秀フットボール選手として表彰されているルーク。ポニーに乗って柵を跳び越えている若きカレン。いまとなってはその凍りついた笑みにはどこかグロテスクなところがあり、フォークは目を背けているのが自分ばかりでないことを見てとった。
 写真がまた変わり、フォークはそこに自分の姿を認めて驚いた。十一歳の自分のぼやけた顔が見つめ返している。ルークと並んで上半身裸で口を開き、釣り糸の先の小さな魚を見せびらかしている。楽しそうだ。いつ撮った写真だろうと思った。思い出せなかった。
 スライドショーがつづいた。ルークの写真、カレンの写真。ふたりともひたすら微笑んでいて、ふたたびフォークも写っている写真になった。今度は胸が締めつけられるのを感じた。会葬者のあいだに低いざわめきが伝わり、フォークはその写真に動揺したのが自分だけでないことを悟った。
 若いころの自分がルークと並んで立っている。どちらも手脚が伸び、顔にはにきびが散っている。やはり微笑んでいるが、その場にいるのは全部で四人だ。ルークの腕は、淡い金髪のティーンエイジャーの少女の細い腰にまわされている。フォークの手は、長い黒髪で黒い目をしたふたり目の少女の肩のあたりに遠慮深く浮かんでいる。
 まさかその写真が映し出されるとは思ってもいなかった。ゲリー・ハドラーに目をやると、顎を引いて前を凝視していた。隣の農夫が重心を移し、意図して半歩ほどあいだを空けたのがわかった。勘づいたらしい。
 強いて写真に視線を戻した。四人の男女に。自分の横の少女に。スクリーンから消えるまで、四人の目を見つめていた。いつ撮った写真かは覚えている。長い夏の終わりの昼さがり。楽しい一日だった。四人がそろった最後の写真の一枚になった。二カ月後、黒い目の少女は死んだ。
〝ルークは嘘をついた。きみも嘘をついた〟
 ゆうに一分間、フォークは床を見つめていた。目をあげると、時間が進み、ルークとカレンが結婚式でしゃちほこばった笑みを浮かべていた。自分も招待されていた。何を口実にして出席しなかったかを思い出そうとした。きっと仕事だ。
 ビリーの最初の写真が現れた。赤ん坊らしく赤い顔をしているが、つぎの写真では髪が生えそろった幼児になっていた。早くも父親に似はじめている。ショートパンツを穿いてクリスマスツリーの横に立っている。一家は三人組のお化けの仮装をしていて、笑みのまわりで顔のペイントが剥がれていた。数年ぶんが早送りされ、歳を重ねたカレンが別の赤ん坊を胸に抱いている写真になった。
 シャーロット。運がよかった子だ。その名前は花で綴られていない。写真が合図になったかのように、十三カ月のシャーロットが最前列の祖母の膝の上で泣きはじめた。バーブ・ハドラーは片方の手で孫娘を抱き寄せ、ぎこちなく揺すった。もう片方の手はティッシュペーパーを顔に当てている。
 育児に疎いフォークは、シャーロットがスクリーンの母親を認識しているかどうかわからなかった。もしかすると、自分はまだ元気に生きているのに、遺影に載せられたことを怒っているのかもしれない。そういうことにも慣れるしかない。シャーロットに選択肢はたいして残されていない。〝唯一の生存者〟というレッテルを貼られて生きることを定められた子供が人目を避けられる場所などさしてないのだから。
 音楽の最後の旋律が小さくなっていき、スライドショーが終わると、気まずい沈黙が流れた。照明がつけられ、全員が安堵した感があった。太りすぎの司祭が大儀そうに段をふたつのぼり、演台に歩み寄った。フォークは忌まわしい棺にもう一度目をやった。黒い目の少女のことと、二十年前に恐怖とティーンエイジャーのホルモンに突き動かされてこしらえ、口裏を合わせた嘘のことを考えた。
〝ルークは嘘をついた。きみも嘘をついた〟
 あの決断とこの瞬間は隣り合わせだったのだろうか。その問いが古傷さながらにうずいた。
 参列していた年配の女性が正面から視線をはずし、フォークに目を留めた。知らない顔だったが、向こうは反射的に礼儀正しく会釈した。フォークは目をそらした。視線を戻すと、女はまだ見つめていた。にわかに眉根を寄せ、隣の初老の女に顔を向ける。読唇術ができなくても、何をささやいたかはわかった。
〝フォークの子が戻ってきてるわよ〟
 初老の女がフォークの顔に視線を注ぎ、すぐに背けた。小さくうなずいて、友人の推測を肯定している。それから、反対側の女に身を寄せて何かささやいた。フォークは胸に不快な圧迫感を覚えた。腕時計を確かめる。あと十七時間。それで立ち去れる。前と同じように。やっと。

〈中略〉

「話がしたい。グレッチェンが戻ってくる前に」
 フォークは背後の会葬者たちを意識して、抑えた小さな動作で腕を振り払った。だれがいるかわからないし、だれが見ているかわからない。
「ゲリー、いったい何が望みなんですか」平静を装った。「脅迫か何かのたぐいなら、無駄だと言っておきますよ」
「なんだって? おいおい、アーロン。ちがう。そんなことをするわけがない」ゲリーは心底からショックを受けている様子だった。「面倒を起こすつもりなら、とっくにやっているはずだろう? わたしだって事を荒立てたくはなかった。いまだってできれば事を荒立てたくはない。だがそうも言っていられなくなった。こんなことになってしまって。カレンもビリーも命を落とした。ビリーはまだ七歳にもなっていなかったのに」声がうわずる。「手紙の件は悪かったと思っているが、どうしても来てもらいたかった。わたしは知らなければならない」
「何を?」
 まぶしい日差しのもとで、ゲリーの目は黒く見えた。
「ルークが前にも人を殺めたのかを」


はたして青春時代のルークとフォークに何があったのか? そしてハドラー家殺人事件の真相とは? 灼熱の町で、人々が隠してきた嘘と秘密が交錯する――。『渇きと偽り』はハヤカワ・ミステリから、全国書店、ネット書店にて発売中。

【取扱ネット書店】

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『渇きと偽り』ジェイン・ハーパー/青木 創 訳

ISBN:9784150019181 本体1800円

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