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【試し読み】いまから「犯人は、あなたです」という催眠をかけます――矢庭優日『エゴに捧げるトリック』

1/21発売の矢庭優日『エゴに捧げるトリック』。全体の1/4にあたる80ページの試し読みを公開します。キャラ立ちのする大胆なミステリ新鋭のデビュー作をどうぞお楽しみください。

■書誌情報

エゴに捧げるトリック

矢庭優日『エゴに捧げるトリック』
ハヤカワ文庫JA 本体価格920円+税
カバーデザイン:坂野公一(welle design)
カバーイラスト:serori
(電子版同時配信)
※書影はamazonへリンクしています※

■あらすじ

催眠術士の養成校に通う「僕」こと吾妻福太郎は、怪物EGOとの戦いに向け、パイ、鋼堂タケシ、R王子、パートナーのイプシロンらと卒業試験に臨んだ。だがその最中、鋼堂が変わり果てた姿で見つかると、皆はなぜか「福太郎が犯人」と証言し事件を隠蔽しようとする。"真実しか話せない催眠"をかけあってなお覆らない証言に苦しみつつ、僕は捜査を続けるが……。本書に仕掛けられた、人類の存亡を左右するトリックとは?

(第10回アガサ・クリスティー賞最終候補作『エゴにのみ通ずるヒュプノ』改題)

■本文

※傍点、ルビは省略しました。

  “自分”を惑わす催眠は、解けようとしている。
 誰かが「計画を開始します」と口にしたと同時に、時間と空間の間隙を縫うように駆け巡り、次元を超えて我が意識は世界を覗く。
 剥離し顕現するのは、いつか。

    PART.1

 このゲームは非常に簡単に、互いの催眠力と耐性を競える。だから、僕たち催眠術士にとってはまるで嗜みのように扱われている。
 白い部屋に、二人きり。
 対面に座っている少女はこちらのことを獲物のように見ているのだろう、僕の一挙一動を少しも見逃さないよう鋭い目つきをしている。
 僕の手には、一枚のトランプカード。
「いい? このカードを見て」
 カードを裏返す。スペードのJ。黒い剣を持った青年の絵柄。
「目を瞑って。息を吐いて」
 彼女は言う通りにする。
 催眠をかける側の発言はなるべく聞くようにする。それはルールというより、このゲームのマナーのようなものだ。
 小さな吐息が聞こえる。

『──このカードは、ダイヤの3だ』

 ハイベルガーボイス。僕の口から発せられた、相手の脳の一部分だけをトランスさせる特殊な言語。その波長は対象の脳内に染み込むように浸透していくという。
「……」
 彼女の瞼が少し動いたのが見えた。けれど開かれることはなく、律儀に目を瞑ったまま。その隙に、トランプを裏返して再びテーブルの中央に置いた。
「いいよ、目を開いて」
 少女の大きな瞳が光を反射する。
「さ、じゃあ……このトランプの絵柄と数字を言ってみて」
 僕はテーブルの中央に置かれたカードを指差す。それは裏返されてはいるものの、ほんの十秒前に彼女に見せたスペードのJに他ならない。手品のように入れ替えたりもしていない。僕はただ言葉を投げかけただけ。このカードはダイヤの3だ、と。
「……う」
 少女は苦しそうな顔をしている。思い出そうとしても思い出せない。そんなむず痒さが、表情に出てしまっている。
「残り十秒」
 僕の言葉に、少女は額に手を置いた。指の隙間から苦悶の感情が見え隠れする。
「……ハートの10」
 かろうじて漏れ出た言葉。彼女の回答はこのカードの正解とも、僕がかけた催眠とも、どちらとも異なっていた。
「はずれ」
 カードをめくる。少女は結果を見て、嘆息した。
「ダメですね、私」
「相変わらずの催眠耐性だね」
「しかもダブルではずしてる……本当にもう、私ったら」
 呟いた声には疲れがにじみ出ていた。

“催眠”。外界において様々な意味を持つ単語。この時代この場所においては相手の認識を強制的に変える力を指す。
 催眠を絡めたトランプゲームには、シンプルなものから複雑なルールを持ったものまで様々あるが、彼女と行っているのは最もベーシックなものだ。こちらが選んだカードを相手に見せて、その後に“催眠”をかけて別のカードと認識させる。その状況下でも的中させられるかどうかを試す。
 先ほどのゲームだと、スペードのJと認識していた彼女の頭の中を、僕の催眠術によってダイヤの3だと認識を無理矢理に変えさせた。催眠が良好にかかっていたらしく、彼女はスペードのJという返答が出来なかった。
 頭の中の映像記憶まで書き換えることが出来たのかは分からない。けれど、少なくとも僕の発した「このカードは、ダイヤの3だ」という発音自体を耳が覚えているので、彼女の方でも「ではダイヤの3ではないのだろう」という発想になる。そのため全然違うカードの絵柄と数字をあてずっぽうで答えたのだ。それが、ハートの10。
 相手に絵柄を外させたら三点、数字を外させたら七点が、催眠をかけた方に加算される。絵柄の得点が低いのは、トランプの絵柄が四種類しかなく確率的にはおよそ四分の一で、適当に答えても当てられる可能性が高いからだ。
 それを攻守を交代しながら十回ずつ行い、総得点を競うのがこのゲームである。
「次は私の番ですね」
 少女が山札から、無作為に一枚カードを出す。
 ジョーカーカード。踊る奇術師の絵柄が、テーブルの中央に置かれる。よりによって最も記憶に残りやすいカードを引いてしまうなんて、彼女も運が悪い。

『これは、ハートのエース』

 カードを裏面にして、少女が言う。甲高いが静かで明瞭な声質は、脳に直接響くかのように反響する。
 ハートのエース。
 意識がドロドロに溶ける感覚と共に、奇術師の体が歪んでいく。頭蓋の中で、先ほど視界を通して海馬に記録された映像が“置き換わる”。まるで丸かった粘土細工を捻じに捻じ曲げ細長い棒のようにした後、くるくると巻いて別の造形物に変えるようなイメージ。
 数秒の後には、先ほど見たカードがハートのエースだと僕の脳は認識していた。もはやそれ以外の映像を思い返すことが出来ない。
 ……完璧な催眠だと、惚れ惚れする。対戦相手ながら、あっぱれ。拍手したい程に綺麗な催眠だった。さすがは催眠力ランク4。
「さあ、答えを」
 彼女が促してくる。僕の頭の中で、答えはハートのエース以外ありえない。けれど彼女がハートのエースと言う以上、答えはそれではないのだろう。絵柄も数字も何もかも思い出せず、とっかかりさえない。だから適当に答えることにした。
「ジョーカーカード」 

 ここまでで攻守合わせて二十連戦。さすがにもうお開き、トランプを片づけることにした。
「大丈夫だよ。こういうこともあるって」
 僕は適当極まりない言葉をかける。納得いかない顔のまま、彼女もトランプを片づけ始める。
 少しだけ頭痛がした。催眠を使いすぎたのか、それとも彼女の強力な催眠を何度も受けたせいか。とはいえ、頭痛はこの学園に来てから日常茶飯事。慣れてしまっている。
「あなたとの勝負は今までずっと引き分け続きだったのに……くやしいです」
「さっきのジョーカーは、適当に言ったのが当たっただけだよ。あれは数に含めなくていいって。まぐれだから」
「そうもいかないです。記憶の残滓が答えさせたのかもしれないですし……まぐれかどうかを見分ける手段がありません。負けは負けです」
「真面目だね。気にしなくていいのに」
「気になります。ジョーカーの件が無かったとしても、引き分け。今日くらいはあなたに勝とうと思ってたのに」
「僕と対戦すると、そういう感じになっちゃうね」
「お互い、成長がないってことです」
「そうとも限らないよ。二人とも成長していたとしたら実力差は開かないから、見かけでは分からない」
「前向き。今日はおしゃべりな感じですね」
 そうかな、とだけ返す。
 時計を見ると、十三時を回っていた。
「ああ、もうこんな時間だ。どう、食堂に行かない?」
「すっかりゲームに夢中になってしまいましたね、行きましょう」
 レクレーションルーム①を出て、真っ白な廊下を二人で歩く。背景が無色のため、彼女の姿が克明に視界に映る。
 奇妙な雰囲気だ。僕は彼女と、こんな風に二人で歩くような関係だっただろうか。僕の隣には常に誰か別の人物がいたような気がする。頭に靄がかかったような感覚がした。先ほどのトランプゲームの疲れが未だに残っているようだ。
「今日はありがとうございます。付き合わせてしまって」
 少女に表情はない。彼女はいつも淡々とした話し方をする。ゲームによる疲労も無いようだった。
「ううん、いいよ。明日、試験だもんね」
「……何か、変な感じですね。あなたと二人きりでいるの、初めてかも」
 彼女も同じことを思っていたらしい。僕の瞳をじっと見つめながら、呟く。
「いつもはイプシロンがいるもの」
 それは自分にあてがわれたパートナーの名だ。そう、僕の隣にはいつも奴がいた。今日はどうしたのだろう? 朝から姿を見ていない。
「彼、どうしたんですか? さっきから全然現れないですね」
「僕にも分からない。まあ、そういうときもあるよ」
「珍しいですね。常に一緒なイメージがありましたが」
 少女は不思議そうな表情を見せる。確かにイプシロンとはお互いへばりつくように行動を共にしているが、それは僕のサポートのためだ。僕もいい加減、ここの環境には慣れつつある。奴の手助けは不要だ。そこまで一緒にいる必要もない。他の生徒は全員に個室が与えられているのに対し、僕とイプシロンだけは未だ同室。そろそろ独立したいというのが本音である。
 そう言えば、この少女とはどれくらいの付き合いなのだろう。ぼやけた頭は、当然のことさえも思い出せないでいる。
「どうしたんです? 私の顔に何か付いてます?」
「い、いや……」
 イプシロンと同じ、色素の薄い髪が揺れている。灰色の瞳がこちらを見る。
 崩れない表情。細い体躯。現実離れした姿形。彼女の名前は──。
“パイ”と、頭の中で声がした。それは何も無い水面に、一滴の水が落ちたかのよう。波紋のように脳内に何かが広がっていく。
「パイちゃん」
 思わず口にしてしまった。当の本人は、少し驚いている。
「どうしたんです? 急に」
「い、いや……」
「ちゃん付けで呼ばれたの、初めてかも、です」
 いけない。つい、ちゃん付けにしてしまったが、彼女と自分は同い年だ。馬鹿にしている、と思われてしまっただろうか。
「ご、ごめん。今までこんな呼び方じゃなかったよね。何でか、つい」
「別にいいですけど。私もあなたのこと、福太郎君って呼んでますし。ちゃん付けと君付け。それってとても自然な呼び合いだと思います」
 モノクロームのような淡々さで、興味なさげに答える。そのままそっぽを向くように先行された。怒ったのだろうか? いつも通りの無表情からは感情が読み取れない。
「パイのことなんざ、どうでもいいだろう」
 背後から声がして、僕は振り返る。いつからそこにいたのだろう、イプシロンが壁に寄り掛かってこちらを見ていた。
「イプシロン、いたのか」
「いたさ。俺はいつでもこの場所にいる。お前の傍らにいる」
 ふてぶてしく笑う。意識的に格好を付けている、ということが一目で分かる振る舞いだった。サマになっているようでなっていない。
「今日は調子がいいようだな」
「別に。いつも通りだと思うけど」
「よく言う。昨日のお前は、そんな風に流暢に話してはいなかった。自分の名前さえ忘れていそうな雰囲気だったんだ。おい、試しに言ってみろ。お前は誰だ?」
「……吾妻福太郎」
「ふふ、いい傾向だな」
 にやにやと笑い、その端正な顔を崩す。
 ──イプシロン。僕にだけ与えられた同年代のパートナー。パイと同じ光沢の無い白髪。フェミニンな顔つきで全体的に線も細い。黙ってさえいれば今にも消えて無くなりそうな儚い印象を受けるかもしれない。だが実態は、最強の催眠耐性を持つこの“エスペリオンの現実”そのもの。加えて性格最悪。
「俺はお前のことをリーダーと呼ばせてもらうぞ」
「リーダー? 何で急に。昨日まで福太郎って呼んでなかったっけ?」
「リーダーっぽいだろう、お前。如何にもな真面目面だ。今思いついたんだが、何か問題はあるか?」
「別にいいけどさ。好きに呼べばいいよ」
 呼称なんてどうでもいい。特にこの少年には何と呼ばれようとどうとも思わない。
「随分とあの女と仲が良くなったな」
「仲良くしちゃいけないのか」
「いんや、意外だっただけだ。……食堂に行くのか? なら俺も行こう」
 後ろからイプシロンがひっ付いてくる。彼は僕の近くにいることが多い。
「よお、パイ。準備は万端か」
「ああ、イプシロン。起きていたのですか」
 イプシロンに対しても、彼女は冷静だった。いや。心なしか僕の時よりも言葉に刺があるように聞こえる。
「福太郎と練習でもしていたのか? 頼むぞ、こいつを壊さんでくれよ」
「私の催眠力ランク4は伊達じゃありません。威力のコントロールもちゃんとやれてます」
「ふん、どうだかな。お前は妙なところで自信過剰なきらいがある。思いあがらないことだ」
「それはあなたの方でしょう。催眠力も無いくせに、どうして常にふんぞり返っていられるのか、不思議です」
「だからこそだ。催眠をかけることもかけられることもない俺は、エスペリオンの外野としてお前たちを観劇出来る。せいぜい、好き勝手に野次を飛ばさせてもらうさ」
「悪趣味。私たちは、あなたのための役者ではありませんよ」
「そうだな。俺にだけなんて勿体無い話だ。お前たちが不格好に踊る姿は、もっと大勢に観てもらいたいものだ。特にパイ──お前の、回り過ぎていつ転けるか分からない様は」
 嘲弄するかのように、不気味にくるくる回転するイプシロン。パイは特に怒ることはなかったが、小さく嘆息した。
「相も変わらず、馬鹿にしてくれますね」
「俺はいつもこんなだ。それはお前が一番よく知っているだろう」
「そうですね、何だかんだで古い付き合いです。……変わらないですね、あなた」
「俺は変わらない。変わらずここに存在し続ける。お前は変わったか?」
 言いながら、白い少女の左手首に手を伸ばす。彼女が着ける唯一の装飾品である、細い鎖。パイが、ばっと、力強い動作でイプシロンの腕を弾く。過敏な程に、反射的な行動だった。
「触らないでください!」
「ふふ。まだそんな鎖に執着しているとは、お前も変わっていない。人間は簡単に変われない。いや、俺たちは人間と呼ばれていいのかさえ怪しいな」
 イプシロンが嗤う。端正な顔が醜く崩れている。失笑混じりの言葉がいよいよ癇に障ったのか、彼女の瞳は冷淡の色を超えて曇っていた。
「……消えて。福太郎君と話をさせてください」
「好きにすればいい」
 イプシロンが鼻歌を口ずさみながら背を向ける。
 僕はそのやり取りをただ茫然と眺めることしか出来なかった。会って早々に彼女の気力を奪うようなイプシロンの言動。とはいえ、奴が他人を不快な気持ちにさせるのは珍しいことではない。
「福太郎君。あなたもよく、イプシロンなんかとずっと一緒にいられますね」
「え、うん。パイちゃんは前からの知り合いなんだっけ」
 僕と彼女は、つい三カ月前の同時期にこの〝エスペリオン〟に転校してきた。が、その辺で適当に拾われた僕とパイとでは、それまでの経歴がまるで異なる。
「以前もお話ししましたか? 徳島の阿波第七研究所で一緒だったんです。彼はあの性格ですから半幽閉状態でしたが、妙な縁で私とはそこそこ交流がありました。あまり思い出したくはありませんが……」
「そ、そうなんだ」
 珍しく、表情にはうっすらとだが嫌悪感が滲んでいた。
 二人の髪や目の色がどこか似ているのはその出自によるものだろう。遺伝子操作によって生まれた存在はこの時代において少なくないが、真っ白の姿が二人揃うとこのエスペリオンにおいてさえ異質な雰囲気が漂う。
「福太郎君。イプシロンが持つ知識についてとやかく言うつもりはありません。彼が無駄に博識なのは認めます。が、立ち振る舞いだけは真似しないでくださいね。昔から彼は度が過ぎていたのですから」
「真似しようと思っても出来ないよ。でも、イプシロンはまだ君に対してマシな方だと思う」
「そうでしょうか」と納得できない様子で返すパイ。気を利かせて言ったわけではない。実際、奴はエスペリオンの男性陣に対して更に酷いことをしていると、他ならぬ僕がよく知っていた。

 食堂のドアを開ける。
 中には、鋼堂タケシとR王子がいた。彼らは先ほどまでの自分たちと同様に、トランプゲームを行っていた。試験前日である今日は講義も実技もないため、一日中自由である。「ああ、福太郎殿とパイ殿。ごめんなさい、すぐに場所を空けますね」
 食堂テーブルの中央を陣取っていたことを悪いと思ったのか、R王子が椅子から立ち上がろうとする。しかし──。
「お、おっと」
 足元がふらふらとよろけて安定しない。近づいて肩を貸してあげた。
「あ、ありがとう。福太郎殿」
 王子は足が悪く、普段から杖を使って歩行している。急に立ち上がろうとすればこうなってしまう。杖の生活には慣れているだろうに、彼は少しおっちょこちょいなのだ。細い体だ。ちゃんと食べているのだろうか。
「おい、R。まだ勝負の途中だぞ。こいつらなんかに構ってるんじゃねえ」
 王子の対戦相手はこの一連の流れにも全く動じず、トランプカードを見つめている。
 鋼堂タケシ。大柄で強面の男。同期とは思えない老けた顔つきだが、れっきとしたエスペリオンの生徒である。
 状況からして王子が催眠術をかけていて、鋼堂は今まさに伏せられたカードを当てようと頭を抱えている。そんな中に乱入した僕たちの存在は、なかなかに邪魔だと自分でも思う。しかし更に邪魔をしようとする者がいた。
「鋼堂タケシ、そこにいたのか」
 イプシロンがスッと鋼堂の背後に回り、その首元に顔を近づけ……ふっと息を吹きかけた。
「あ、あああああああ!」
 カードに集中していた分だけ感覚器は無防備。鋼堂はたまらず仰天して立ち上がる。
「てめえ、何しやがる!」
「いや何、緊張しているようだったからほぐしてやろうと思って」
「緊張する場面だろうが! これでもうカードがまったく分からなくなっただろうが!」
 鋼堂が太い腕を無雑作に振り回す。イプシロンはそれを軽やかにかわしていく。
「人のせいにするとは、鋼堂タケシとは思えん行為だ。男らしくないぞ」
 まったく悪びれないイプシロンに、鋼堂の額には文字通り血管が多数浮き出ていた。
 視界の隅には、弁当を持って隅に座るパイの姿が見える。騒がしい状況だが、彼女は興味も無いらしい。
「イプシロン、だめですよ。僕たちは真剣にゲームをしてたんですから、邪魔しちゃ」
「R……ふっ、分かったよ」
 イプシロンも王子の言うことはすんなり聞くようで、何故か格好を付けてその場から引く。鋼堂は怒り収まらず、といった体で忌々しげに椅子を蹴る。
「そうだイプシロン、消えろよ。俺たちはお前と違って、明日から試験なんだ」
「勇敢だな、お前たちは。尊敬するよ。試験に通れば“外”に出なければならないのに」
「それでびびってるんだったら、初めからこんな学校に来ちゃいねえ」
 毅然とした態度の鋼堂を見て、何故かイプシロンは舌舐めずりをした。その様子に鋼堂は息を呑み、王子がひっと悲鳴をあげた。僕はとっくにドン引きしている。
「も、もう我慢できねえ。『失せろよイプシロン!』」
 皮膚がざわつく。鋼堂がイプシロンに催眠術を使ったのだ。強い意思が込められたハイベルガーボイスだが、イプシロンはどこ吹く風だ。まるで変化なく、不敵に笑っている。奴に催眠は効かない。そんなことは鋼堂も重々承知しているだろうに、余程耐えかねていたと見える。
「催眠なぞ使わなくとも、俺は俺の意思で勝手に消えるさ。頑張ってくれよ、鋼堂タケシ。ささやかながら、応援させてもらうぞ」
 イプシロンは鋼堂の手元にあったフライドポテトを、鷲摑みにして口に放り込む。その後、鋼堂が口にしていたと思しきコップの水を飲み干した。やりたい放題である。
「てめえはなあ! 俺を腹立たせることを毎回毎回!」
「さらばだ」
 笑いながらイプシロンは小走りで食堂から出ていく。何故か鋼堂に向かって再度振り返り、流し目を送っていた。
 あいつ、飯はいいのだろうか。ここでしか食事は手に入らないというのに。あんなちょっとの量では足りないだろう。
「何でだ! 何であいつには催眠が効かねえんだ!」
 鋼堂は額を机にぶつけ、怒りを紛らわそうとしている。気持ちはとてもよく分かる。
 気付けば食堂の入口に立ち尽くしていた僕。彼らに「イプシロンがごめん」とだけ頭を下げて、パイの元に行こうとする。
 だが、すぐに鋼堂に呼び止められた。
「おい、待てよ。お前、福太郎なのか? 今日は随分と元気そうだな」
「さっきから、よくそう言われるよ。そんなに昨日までの僕は死んでたのかな」
「死んでた、か。はっ……言い得て妙だな」
「タケシ、やめなよ」
 王子が窘める。記憶にないが、どうも今日に至るまでの僕の体調はいい状態になかったらしい。
「ああ、悪い悪い。福太郎よ、お前も明日の試験は受けるんだろ?」
「そりゃね。というか、イプシロン以外は全員受けるよ」
 奴だけが例外なのだ。イプシロンは催眠術士ですらないのだから。
「準備の方は万端なのか?」
「さっきまで、君たちと同じくトランプゲームやってたよ。代わり映えしない戦績だったけどね」
「お前は催眠力も耐性も平均レベルだからな。よっぽど気を張らねえと、試験なんて通らねえだろうよ」
 随分と威圧的に鋼堂は言う。イプシロンのせいだろうか、彼は僕に対しても当たりが強い。こっちは好きでイプシロンとつるんでいるわけではないのだが。
「鋼堂はどうなの? 調子の方は」
「ああ、絶好調だぜ」
 親指を突き出す鋼堂の表情は晴れ晴れとしていた。反面、王子は少し呆れ顔である。
「よく言うよ。代わり映えしない戦績なのは、タケシもでしょ」
「はっ、さっきイプシロンからの妨害がなければ、勝ってたのは俺の方だったね!」
 負け惜しみのように言う鋼堂の額には、汗が滲んでいた。ゲームにおいて自分の記憶を無理矢理掘り起こす行為は、思っている以上に体力を消耗する。彼の言う通り勝っていたとしても辛勝だったのだろう。
「しかし、福太郎よ。お前、頭は大丈夫なのか?」
「どういう意味?」
 エスペリオンで無ければ悪口にしか聞こえない。
「あのパイとトランプゲームをしてたんだろ? なら、奴の超強力な催眠をずっと受け続けてたわけだ。お前の催眠耐性はランク2。結構なダメージ、受けてんじゃねえのか?」
「問題ないさ。大丈夫だよ」
「呆れるぜ、お前あの女に気があるんじゃねえの? 俺だったら、おっかなくって対戦相手には選ばねえな。その程度の耐性で、ある意味すげえよお前」
「タケシ、耐性ランク2なのは君もでしょ。よくもまあ偉そうにそういうこと言えるよね」
「うるっせえな、R」
 窘めるような王子の言葉を、鋼堂は聞きたがらない。しかし大声でそんなことを堂々と言うとは彼も度胸がある。この食堂ではパイが普通に食事を摂っているというのに。
「呼びましたか?」
「う、おお、パイ。いたのか」
 やはり聞こえていたか。つかつかと彼女がこちらに近づいてくる。何故かたじろぐ鋼堂。
「鋼堂君、私はちゃんと自分の催眠力を制御出来ています。普通にゲームする分には問題ないと思いますよ」
「ほ、本当かよ」
「本当です。試しに、ここでやりますか? 私とトランプゲーム」
「け、結構だ。試験前に余計なリスクを背負いたくないね」
 手早くトランプを片づけ、鋼堂は立ち上がる。まるで逃げるような振る舞いは微妙に情けない。
「じゃあな。明日の試験テーマが総当たり戦のバトルだったとしても、俺は躊躇しねえからな」
 捨て台詞のように言って、彼はこの場から立ち去った。
「そうだ、福太郎。てめえ、今度はイプシロンを制御しとけよ。試験中に俺の前にあいつを出すな! いいな!」
「あ、ああ。善処するよ」
 僕にどうこう出来る問題ではないが、その台詞にだけ鋼堂の必死さが伝わってきたため素直に頷いた。確かに、大事な試験の最中に奴がいたら気が散って仕方がないだろう。
 他人の足は引っ張りたくない。少なくとも僕は、試験は平等に行いたいと思っている。
 うるさい巨漢がいなくなり、一気に食堂内が静かになる。
「ごめんね。彼も悪い奴じゃないんですが、試験前ということでピリピリしているようです」
「いやいいよ。ランクが微妙に近い僕のことを警戒するのも無理はないし」
 鋼堂のランクは3‐2。僕は2‐2。彼は強がっていたが、実は近い位置にいる。
「福太……いえリーダー殿は人間が出来ていますね」
 R王子が爽やかに笑う。金髪碧眼。少女と見間違いかねないあどけない顔立ち。まさに王子のイメージの体現。けれど僕たちは、彼の外見からそのようなあだ名を付けたわけではない。実際に正真正銘の王子だからこその呼称である。
「君までリーダーって言うんだね、王子」
「え、ええ。嫌ですか?」
 別に、と答える。そんなに僕は何かの先導に向いた人格をしているのだろうか。
「タケシはああ言っていましたが、試験課題が総当たり戦などでないことを僕は祈ってます。皆と戦うようなことは、遺恨が残りかねない。穏やかな試験にしてほしいものです」
「どうだろうね。どんな試験方法だったとしても、鋼堂はあたふたしていそうだけど」
「ふふ、そうですね。タケシは実力があるのだから、もっと落ち着けばいいのに」
 王子は余裕のある振る舞いを崩さない。彼の能力は、このエスペリオンの中で最もバランスが取れている。実際には催眠能力だけなら最も試験を突破しやすい立場にいるのだ。
「さて、では僕も部屋に戻ります」
 R王子が杖を使ってゆっくりと立ち上がる。余計な装飾のない無骨なステンレスの杖は、細い割に頑丈らしい。
「リーダー殿もパイ殿も。明日からは敵同士になるかもしれないですけど、正々堂々がんばりましょう」
「ああ、王子も……明日からがんばろう」
「ええ。特に僕は、恥ずかしいところは見せられない」
『僕は王子ですからね』と微笑む。鋼堂の時とは違う、穏やかなやり取り。
 杖を突きながら、王子はゆっくりとその場から去っていった。

「皆やっぱり、試験に対して気は抜いてないね」
「それはそうでしょう。ぼんやりしているのはあなただけですよ、福太郎君」
 パイの目には、少し呆れのようなものが混じっていた。
「そうかな」
「鋼堂タケシは相変わらずですが、R君ですら、何か攻撃的なものを眼の奥に隠していました」
「え、うそ……全然分からなかった」
 彼女は意外と人のことをよく見ているようだ。僕にはいつも通りの姿にしか見えない。最初の頃に比べて大分マシになったとはいえ、彼らとは微妙な関係性なのだ。
「さ、ご飯食べませんか」
 促されて、自分の空腹度合いに気付く。
 カウンターに行くと、そこにはぽつんと一つだけ弁当が置いてあった。調理室は無人だ。その更に奥はベルトコンベアが密集しているらしく、自動的に一人一つの弁当が出るようになっている。
 このエスペリオンという施設には、六人の人間しかいない。掃除こそ自分たちで行うが、料理・洗濯などの生活関係は全てマシンが管理してくれている。実際に自分の目で確かめたことはないが、講義ではそう聞いている。
 機械的に温められた弁当を持って、パイの対面に座る。彼女の食事は既に半分が無くなっていた。
「催眠術を使うと、お腹減りませんか?」
「減るけど……」
「お前の場合は食いすぎだ。思えば、昔から食い意地が張っていたな、浅ましい」
「うわ!」
 気付けば、隣にイプシロンが座っていた。もう戻ってきていたのか。
「いましたか、イプシロン」パイも苦々しい表情でこちらを見つめる。
「いたさ。テレビを見に来たんだ、俺の部屋にはないからな」
 指差した先は、食堂の片隅。誰も気に留めていなかったが、聞こえるギリギリの音量が大型のテレビから流れていた。耳を澄ます。
「EGOの侵攻がストップしています。絶対防衛線上にいた中型EGO七体、大型EGO三体いずれもその動作を停止しています。
 停止です。生物とは思えないほど、全く動く気配がありません。昨日夜から唐突にです。高知の方では小型EGOの死骸が大量に発見されています。一体何が起こったのかは依然として不明。県警及び自衛隊はこれを好機と見て、態勢を整えています──」
「うっ……」
 頭が痛い。催眠術の酷使によるものとは明らかに異なる痛み。
 EGO(エゴ)。
 その単語を聞くと、何かが心を蝕む。胸が苦しい。
 イプシロンは、いやに真剣にテレビを見ている。彼の真剣な表情など、初めて見たかもしれない。鋭い目がこちらを射抜く。光のない灰色の瞳はパイとは違い濁っていた。
「どうした、リーダー」
「い、いや。何でもないよ」
「良かったな。EGOの侵攻が一時的にストップしているらしい。このままでいてくれれば自衛隊がどうにかしてくれるかもしれん。この施設もお役御免だ」
「私にとっては、あまり嬉しくないですね」
「ほう、何故だ」
「EGOを退治するために私たちは生まれました。こんなタイミングで原因不明の消滅でもされたら、私たちの存在意義そのものも消えてしまう」
「相変わらずくだらんことを考えているな、パイ。必要ないのなら、消えてしまえばいいだろう。俺たちも、EGOも」
「……」
 イプシロンとパイの会話も、頭に入らない。
 EGO。エゴ。それは──。
「EGO。Extraordinary Ghost Octopus。霊長類の仇敵。我々人類を追い詰める怪物たち」
 隣の椅子が動くのを視界の端で捉える。
 そこには、眼鏡をかけた黒髪の一人の青年がいた。とことん人の好さそうな、柔和な表情をした男。けれど眼鏡の奥の瞳には、何を考えているのか決して読み取らせてくれない得体の知れなさがあった。
「先生、こんにちは」パイが軽く頭を下げる。
「はい。こんにちは。パイ君……そしてリーダー君」
 先生。このエスペリオンの唯一の教員が、隣に座っている。白いローブを羽織っており、どこか絵本における魔法使いを思わせた。
 教壇でしか見ない姿のはずなのに、どうしてだろう。その顔には、旧知の間柄であったかのような強い既視感がある。この男の人柄がそうさせるのだろうか。
「俺もいるぞ、クソ教師」
「ああ、イプシロン。……どうやら、段階が一つ進んだようですね」
「ふん、相変わらずいちいち言葉にしないと気が済まないようだな。イカれた度胸だ。いやイカれていなければこんな場所で教員役などやっていられないか」
「別にいいでしょう? 今の状況で何を口にしたところで、誰にも理解出来ませんよ」
 確かに彼らの会話内容は理解出来ない。見ればパイも首をかしげていた。
「EGO、停滞してますね。この隙に上手いこと政治経済を回して、国内の状況を好転させてほしいものです」
「出来るといいがな。今の日本に、有能なのは何人も残っていない。回るのは防衛省だけだろうさ」
「悲観するものではないですよ、イプシロン。いつの時代も優秀な人材というのは唐突に現れるものです」
 穏やかに笑う先生。上っ面の言葉ではなく、心の底からそれを信じているように見えた。
「ところで、どうかしたのですか。先生が食堂に来るなんて珍しいですね」
 パイの質問はもっともだ。弁当こそ取りに来るものの、いつも先生は生徒と別の場所で食事を摂っている。
「いやなに、明日はいよいよ試験ですからね。皆の様子を見ておきたかったんですよ。君たちの体調管理も僕の仕事なもので」
「ふん、いいだろう。ならまず俺の体調を管理するといい」
 不敵に笑い、何故かイプシロンが服を脱ぎ出した。わけが分からない。
「結構ですよ、イプシロン。君の管理は僕の仕事の範囲外です」
「そう言うな、サービスしてくれて構わんぞ」
 教員相手にも敬語を使わずに、堂々と理解不能なことを言うイプシロン。よりによってズボンから脱ぎ始めていた。挑発的な目で先生を見据えている。
 対面でパイが、口元を押さえながらキョロキョロと挙動不審にあたりを見渡していた。鋼堂に対して怯むことのない彼女も、さすがにこの状況にはどうしていいか分からないのだろう。僕もだ。
「やめなさい、イプシロン」
「しかし……」
 何が「しかし」なのか。意味不明である。
「そもそも君には試験も何もないでしょう。君の役割は別にある」
「分かっている。タケシに屈辱を与えるのが俺の仕事だ。さっきも奴を貶めてやったぞ」
 違います、と先生はぴしゃりと言い放つ。
「明日もリーダー君のサポートをお願いしますよ、イプシロン。あなたの本来の仕事を忘れないように」
「タケシのサポートでもいいんだぞ」
「それは鋼堂君が嫌がるでしょう」
 先生の目が、パイに向く。もうイプシロンとの会話は打ち切るようだった。
「パイさん、体調は大丈夫ですか。君は催眠力こそ強力ですが、いかんせん耐性が低い。繊細な体をしているのですから、より一層体調に気を配ってください」
「はい……」
「俺も繊細な体をしているぞ。見ろよ」
 そう言って、イプシロンが先生の肩に手を置いた。いつの間にか奴は下着姿になっており、白い筋肉質な肉体がむき出しになっていた。まるで意図が摑めない。教員に対する態度とは思えないイプシロンのそれを、先生は徹底して無視する。
「リーダー君、あなたもです。決して無理はしないように」
「わ、分かっています。先生」
「よろしい。君たちはまだここに来て三カ月しか経ってません。本当なら試験を受けられるギリギリの期間です……くれぐれも無茶な行動は控えてください。
 ああ、イプシロンが何か変なことをしてきたら、言ってくださいね。出来る限りどうにかしましょう」
 既に変なことをしているように見える。
 先生は「では、頑張ってください」と椅子から立ち上がる。
 彼にとっては、この程度のことは大したことに当てはまらないらしい。僕なんかより余程イプシロンとの付き合いは長いのだろう。
「おい待てよ、俺を見ろよ!」
 叫ぶイプシロンを払いのけて、先生はコツコツと革靴の音を立てながら食堂から出ていく。鋼堂と違い、イプシロンへの対応が堂に入っている。
「……無理はします。ここで無理をしなければ、どこですると言うのでしょう」
 パイが、下を向きながら呟いた。それは先生には言えなかった本音なのだろう。
「私は、EGOと戦うために生み出されたのに」
 左手首に、幾重にも巻かれた鎖。それを右手で強く握りしめている。
 その気負った姿に声はかけられない。思いつめた表情を崩せるような気の利いた言葉を、情けないことに僕は持っていない。
 テレビでは現場の報道が未だに続いていた。
 画面には、大きな黒い影が映っている。それは愛媛にいる巨大EGOの一体だった。触手のような黒いウネリの塊。かつて赤く点滅していた単眼は、今は閉じられている。
 二十一世紀中盤に現れた、謎の生物EGO。深海から発生したと言われているが、実際の出所は不明。既存のどの生態系にも当てはまらず、様々なサイズと特性を持った集団が世界中に二百体以上出没し、人類を襲っている。
 この日本も例外ではなかった。複数体のEGOによる侵略を受けたこの国は、その四分の一が機能を停止していた。何故EGOが人類を襲うのかは分からない。生態として人間を食する必要があるわけでもないのに、奴らは執拗に人間を狙う傾向にあった。
 無論、国家の防衛機構も即時対処はしたが、結果は芳しくなかった。EGOの外皮には近代兵器による攻撃が一切効かなかったのだ。どういう仕組みでコーティングされているのか、刃物はおろか銃もミサイルさえもEGOの前では無効化されてしまう。その魔法のような特異性は、科学で武装していた人類にとって致命的だった。
 自衛隊も頭を悩ませていたが、爆発物ならば、傷こそ付けられないが衝撃を与えられることに着目し、定期的な爆撃により大型EGOの侵攻を食い止めてきた。お陰でいくつかの街は更地になってしまっていた。
 そして現在二一〇五年。EGOが現れ五十年が経過。
 端的に言って、世界は危機に瀕していた。
 依然としてEGOに対して科学兵器は通用しない。そんな中、ここ数十年で発見された唯一の効果的手段。
 それこそが──催眠術だった。

          ◇

 夢を見た。もう何年も前の出来事。
 月が爛々と輝いている。宙に浮いた感覚で、月光に照らされた地上を見つめる。
 砂の城のように崩れ落ちていく建造物。砂塵が地上を覆い、地響きが自然音と化している。動く人間が一秒ごとに減っていく。その鼓動を聞かれた者から順番に、植物のツルに似た黒い何かで潰されていった。
 瓦礫の中で広報機器がかろうじて電波を拾っている。
「──土佐清水市南部が瓦解。足摺岬を中心に大型EGOを複数体観測、出現から十五分で砂丘化したと報告が入っています。避難警報が間に合っていません。指定避難所の天神病院と国立公園は既に消滅、周辺住民の方は速やかに北部に移動してください。航空自衛隊は只今、愛媛に集中しているため動くことが──」
「死ぬ! 死ぬって!」「くそっ! ここにはEGOが現れないんじゃなかったのかよ!」「いやっ、あなたが先に行ってよ!」
 車道だったアスファルトはとっくに豆腐のように割れて消えていた。落ちてくる瓦礫、舞う火の粉、千切れた電線、飛んでくる人体の欠片。障害を避け、それでも間に合わないと分かっていながら、背後から迫りくる存在から人々は逃げ惑う。
 赤い月が蠢く。いや違う。月ではなく、眼光だった。周囲を見渡せば、光はいくつも点滅している。その数の分だけが人類にとっての絶望。黒い塊、あるいは影とでもいうべきか。全長十メートルを超える怪物。実体が朧げな巨体はのそのそと、歩を進めるだけで大地を砕いていく。眼球だけが確かな彩度をもって、実在を証明している。
 ──シルエットだけなら蛸と見間違えなくも無いそれを、人はEGOと呼んでいる。
「母さん! 母さん! そんな……どうして、父さんに続いて……! 『死ぬな! 死んじゃだめだ!』」
 原形無き国道の端に、小さな慟哭があった。あどけない顔をした少年が、叫び続けている。だがどうあっても死の概念までは覆せない。少年が抱えた灰塊からかすかに「福太郎」と呟く声が聞こえた。しかし幻聴だったかのようにすぐに消える。
 生は水雫、死は卒爾。人間の命は簡単に霧散する。消えた火は二度灯せぬと少年は気付く。
 人間と、人間が生み出した物の全てが壊れ消えていく。それが当然のことと化したのは、いつからなのか。
 少年にも、黒い魔手が伸びる。苦悶の声には飽きたとばかりに、命を終わらせに来る。
 けれども少年は恐怖の張り付いた表情のまま、それでも精一杯、生にしがみ付くように影に対して叫ぶ。
『お前たちなんていない……いないんだ!』
 それは人間以外の生物にも届きうる、澄んだ声。
 だが、いるものはいる。
 業そのもの故、怪異は望んでも自己を変えられぬ。
 少年は消えぬ影の群れに対し、アプローチを変えた。
『ぼ、僕は、ここにいない。いないんだ』
 自らの欲(エゴ)は消せずとも、子供が一人消えたことは彼らの道理にそぐうのか。闇で構成された巨体たちは、声の発生源を避けていく。
 少年は、自身の声によってその命を拾ったのだ。
 同時に、恐怖は怒りと憎悪へと取って代わり、少年の体から溢れ出ていく。
「いつか必ず、お前たちに復讐してやる」
 その空気をどう感じたのか、影が一斉にざわめく。
 ──あは、あはあはあははあは。
 虚ろな笑い声が木霊する。それは──果たして少年の耳に届いたのか。

          ◆

 次の日。レクレーションルーム①には全員が揃っていた。
 パイ、R王子、鋼堂タケシ、先生。そして、イプシロンとこの僕、吾妻福太郎。
 生徒五人に先生一人。それで全員。たまに本部から通信が聞こえてくるが、基本的にこの階層は六人で構成されている。
 皆、白いシャツに黒のスラックスを着ている。地味なモノトーンスタイルで統一感が出るはずが、それぞれ体格や髪の色が違うためにまとまりはない。
 壇上には先生が立っている。
「さて、では本日から三日間“試験”を受けてもらいます」
 皆、真剣な面持ちをしている。あのイプシロンでさえ。
「以前お話ししましたが、合格した者はこの施設からの卒業が認められます。同時に、今回の試験の成績はこれからの進路に大きく響きます。点数が高い者ほど、望む外部施設への推薦がしやすくなるのです。EGOとの遭遇率の高い最前線に向かうのもいいですし、後方の医療機関で心理療法を担当するのもいいでしょう。希望を通りやすくするためにも、是非とも今回の試験は頑張っていただきたい」
 周囲を見回す。他の生徒たちは何を思って、ここで催眠術をマスターしようとしているのだろう。各々に事情は異なるはず。ここに来て三カ月が経過したが、皆の胸の内は見えていない。
 僕はどうして、この場所にいるのだろうか。
 昨日、夢を見た。大量のEGOと崩れる街。母の死体。あれは実際にあったことだ。僕はあの時、EGOへの復讐を誓ったはずなのだ。その目的が、この身の原動力のはず。
 けれど何故か、そのことに実感が湧かないでいる。とても不思議な感覚だ。蜘蛛の巣が頭の中で張り巡らされているようにぼやけている。もっと他に何かがあったような気がするが、どうしてか思い出せない。単純な健忘は、催眠術を扱うとよく起こるのだが……。
「今から皆さんに手紙をお渡しします。その手紙に書いてあることこそが、“試験課題”です。内容はそれぞれで異なります。個人の特性に応じて、エスペリオンの管理集団が考慮した事案が課題となっています。各自、部屋に戻ってから読んでください。
 そしてこの三日以内に、書いてある課題をこなし、そのことを私に報告してください。課題が本当に果たされたかどうか、また果たされた場合はその点数をジャッジします。
 ……基本的に手段については問いませんが、この学園の生徒として誇れる手段を尽くしてください。この施設には監視カメラが設置されていることをお忘れなく。以上です」

 手紙を受け取ると、皆、黙って自室へと戻っていった。
 中身は分からない。けれど、もしかしたら別の生徒とバッティングする内容という可能性もありうるのだ。その場合は競争になる。周りの生徒が敵になる展開を想像する。それは皆の警戒心を煽るには十分だ。
 廊下に出る。
 真っ白の廊下。白い色は長く見続けると精神を不安定にさせるというが、この施設では意図的にそれが使われている。白には催眠に関係する何かがあると聞いたことがあった。
 僕たちの生活スペースは、この階層だけだ。
 ここは愛媛県にあるエスペリオン学園。だが学園と言うには余りに小さく、施設はとあるビルの上階を丸々借りているだけ。僕たちがいる階より上にはエスペリオンの本部があり、僕たちを監視・研究しているらしい。
 中央の中庭を中心に、円状にぐるりと部屋が配置されている。生徒の部屋が四つ、先生の部屋が一つ、レクレーションルームが二つ、食堂、図書室、運動部屋、購買が一つずつ、そしてトイレが二つ。
 それだけ。生活するには最低限の構成。しかも卒業するまでは許可なくここから出ることは許されない、半ば監獄のような施設。いや、実際にアメリカの監獄をモチーフに作られたのではなかったか。どちらにせよ窮屈さを感じずにはいられない。人数といい、それでも「学園」を名乗るというのだから、逆に何らかの意地が感じられた。
「ここを監獄というには世界を知らなすぎるな、リーダー」
 隣でイプシロンが、退屈そうな顔をしている。どうやら考えていることが口から漏れてしまっていたようだ。
「イプシロン、お前はここから脱走しようと思ったことはないのか」
「ないな。恐らくは生活必需品の提供を受ける〝購買〟がここの出入口になっているとは思うが、あそこは固く施錠されている。外壁を破壊するような道具も手に入らんようになっているしな。
 よしんば外に出られたとして、どうする? 今の日本は機能麻痺を起こしている街が多い。清潔な場所で、電気が使えて、食うに困らない生活を送れている今の俺たちは、まだ裕福と言える。むしろエスペリオンはこの愛媛で最も安心して過ごせる場所かもしれん」
「意外だね。ここのメンツの中で一番アナーキーなお前がそんなこと言うなんて」
 自室の前に立つ。表札は〝吾妻福太郎・イプシロン〟となっている。
「何で僕とお前だけ同室なんだろう? 他の皆は個室なのに」
「お前とパイは、三カ月前にいきなりやってきたんだ。単純に部屋数が足りなかったんだろう」
 確かに一つ部屋が足りないのなら僕が割を食うのは当然だ。パイは女の子であり、エスペリオンに他に女子はいない。誰かと同室にさせるわけにはいかないのだ。
 電子ロックを解除し部屋に入る。中は九畳ほどで、二つあるベッドが結構なスペースを占有している。それ以外には、必要最低限の日用品とホワイトボードしかない。簡素といえば余りに簡素な間取り。他の生徒の部屋も基本的な構成は変わらないと聞いているが、皆思春期の少年少女だというのに普段はどう退屈をしのいでいるのだろう。大した娯楽もないのに。
「今の時代は常に有事だ。娯楽になんぞ電気は割けんさ。オセロやトランプならあるぞ」
 ベッドに寝転びながらイプシロンが言う。トランプはオフの時にまでやりたくはなかった。
 どうしてだろう。三カ月もここにいたはずなのに、あまり実感が湧かない。誰か見知らぬ人間の部屋に来たかのよう。
 洗面所の前に立って、小さな鏡を見る。自己暗示の事故を防ぐ目的で、各部屋の鏡には顔全体が映らないサイズの物が設置されている。鏡を無闇に見ないようにとも、よく指導を受けている。しかしそれでも、自分の姿を確認したい時はある。
 古いせいか、鏡には錆が多く、少し曇っている。鏡面を侵食する斑点越しに映る黒髪、黒眼、鼻、唇と順に見ていく。それぞれのパーツを頭の中で組み合わせれば、これと言って特徴のない顔つきになる。典型的な日本人顔。あの柔和そうな先生とどこか似ていると感じるのは人種が同じだからか。考えていると、錆の数が増えていくように感じられた。
「どうしたんだ? ぼけっと突っ立って。あまり鏡を見るなと言われてるだろう」イプシロンが呆れ顔で言う。「昔、馬鹿な生徒がうっかり自分に催眠をかけて自殺したんだ。間抜けの極みみたいな話だろう。お前も仲間入りしないよう、気を付けてほしいもんだ」
 掃除が大変だからな、と笑われる。だが今は他に気になることがあった。
「イプシロン……変なことを言うかもしれないが。正直に言ってほしい。僕は催眠術にかかっているのか?」
「……はん? 何をもってそう思った?」
「端的に言って、意識がぼやける時がある。記憶が断片的で、ところどころ抜け落ちている気がする。最初は催眠術を酷使しすぎたせいと思ったんだけど……違う気がしてきた」
 僕の言葉に、イプシロンは神妙な顔つきをする。
 彼には一切の催眠術が効かない。催眠耐性ランク9という、ありえない性質を持つ存在。この世界に、彼に対して催眠をかけられる者はいない。一種の特異点だ。
「結論から言えば、分からん。俺は催眠にかからない存在というだけで、別に誰がどういう催眠にかかっているかが分かるわけじゃない」
「……そうか」
「俺は単純に、皆が互いに催眠術をかけすぎて本当の現実を誰も認識出来なくなり、全員が錯乱してしまうという取り返しのつかない事態を防ぐために、ここにいるだけだ。あまり期待されては困るな」
 そうだ。だからこそ彼は“エスペリオンの現実”などと言われている。
「一応言っておくが、ここ数日で誰かがお前にそういう催眠術をかけた様子はなかった。それにお前は本調子でないと言うが、今までに比べてよく喋るようになっているぞ。むしろ元気になっている感がある」
「元気に」
「そもそも、このエスペリオンの催眠術はそういうものではない。ここはあくまで対EGO機関だ。長期的に複数のことを忘れさせる、記憶をバラバラにさせる、なんて催眠術を誰も学ばないし使わない。ここの生徒たちに、そんなことを行うメリットはない。同種争いはご法度。倫理感だけは無駄にある連中だからな」
 そう、なのだろうか。
 僕たちがこの学園で学んでいるもの、催眠術。
 日本において明治末期から流布されたその技術は、民間での身体鍛練法から医療における精神療法・心理療法、時には霊術においても広がりを見せていた。二十一世紀初期でも催眠療法は患者の心理的な悩みを解決する一手段として、特に欧米では積極的に医療に取り入れられていたそうだ。
「催眠は、対象の意識を潜在意識レベルにさせて、思考・感覚・行動を誘導する心理作用のことを指す。昔からこう定義されていたらしいな」
「随分と説明口調だね、イプシロン」
「いやなに、記憶が断片的というからな。このタイミングで説明してやるのが親切だろう」
 頭を振りながらイプシロンが言う。態度こそふざけているが、助かりはする。
 僕は記憶を失ったわけではなく、あくまでぼやけているだけだ。誰かが言ってくれれば記憶は顕在化する。三カ月間、間違いなく僕はここにいたのだから。
 イプシロンが、コイントスをし始める。黄銅で出来た五円玉だ。一九四〇年代の終わりから今までの百五十年間、デザインを変更することなくこの有孔の形が使われてきた。
「催眠術というとこれだろ? 五円玉を糸で吊って、対象の目の前でたらして振る。あなたはだんだん眠くなる、ってな。そうすると相手は本当に眠る。これが一般に流布された催眠術のイメージだろう」
 確かにその通りだ。僕も、催眠と聞くとそういうイメージになる。
「科学的に説明するなら、五円玉の一定リズムの動きを見せることにより、対象の意識を暗示を受けやすい状態にする。俗に言う、非論理的な考えしか出来ない潜在意識だな。その状態に誘導する。
 あとは、言葉による暗示をかけるわけだ。〝お前は眠い〟と。言葉は脳に直結し、気付けば対象にとっては眠さが真実となる。自分は眠いのだと刷り込まれ、錯覚させられる」
「それが催眠術。けど──」
「ああ、二十二世紀となった今では、催眠術は少しばかり意味合いが変わってきている。前世紀ではせいぜいが医療においての治療技術の一環。しかし今は──EGOがいる」
 EGO。人類を追い詰める謎の怪異。近代兵器が通用せず、自衛隊も舌を巻く文字通りのモンスター。しかし。
「そのEGOには催眠が有効だということが、二〇七〇年に判明した。ある天才催眠術士がEGOに対して“ここは攻撃対象ではない”という催眠をかけて退散させたことから全ては始まったんだ。それ以降、催眠術は国で本腰を入れて研究されることになった。この世界において催眠術は極めて重要な課題となっている」
 そう、イプシロンの話は現代の常識だ。小学校の教科書にだって載っているかもしれない。だが、ここでの講義でも聞いたはずの内容を「へえ」と思う自分がいた。それは何に対しての感嘆か。あのイプシロンが、いやに真面目に講釈をたれていることに対してか。
「その結果、ここ数十年でデザインベビー……遺伝子操作された人間が大量に生み出された。催眠術という特異性を存分に発揮できるようにセッティングされた少年少女。かつて遺伝子操作は倫理的に問題視されていたが、この時代においては誰も責めない。腹も膨れない倫理よりも、死の恐怖に打ち克つことを人類は選んだ。それなりに追い詰められているからな」
「イプシロン、お前も遺伝子調整体の一人なんだよね」
「ああ。パイはもちろんだが、Rもそうだろう。俺の場合は催眠術の効かない存在という実験作だから、他とはコンセプトが違うがな」
 体色の似ているパイとイプシロンについては、どこか似た調整を受けたのかもしれない。
 R王子は悲惨だと思う。彼の足が不自由なのは、きっと遺伝子操作が要因だ。
 そこまでして手に入れたい体性。それが──。
「ハイベルガーボイス……特殊な声質。相手を催眠にかかりやすい状態に出来る言語の発声器官。このエスペリオンにいる連中は、全員それを持っている。俺以外はな」
 僕にもある。だからこそ、昨日もパイと〝ゲーム〟が出来たのだ。
 脳波ベルガーリズム。脳波を初めて捉えたハンス・ベルガーという学者から、その名称は採られている。
 脳内において、安静状態に検出されるアルファ波、睡眠覚醒の境目となるシータ波。これらが発生している時が、催眠にかかりやすい状態と言われている。僕たちの声には、意識してその脳波を引き起こす力がある。何故そのような力があるのか、どういう機序なのか、その原理は完全には解明されていない。元々、それら脳波の発生機序については百年前から様々な学説がありながらも、未だに不明なのだ。意図して発生させられるこの声は、もはや魔法と呼ばれる概念に近いのかもしれない。
「僕は遺伝子操作を受けたわけじゃない。けど、催眠術が使える」
「先天的に使える人間が稀にいる。お前と鋼堂タケシと、あの教員役がそうだな。天才・神童と呼ばれる類だ。時代が時代なら、放っといたら総理大臣にでもなってたかもな」
 昔から、大多数をまとめる指導者・統率者には、このハイベルガーボイスを持つ者が多かったという。相手を意のままに操るような、無意識な催眠術士。
「まあ、だからこそだ。お前たちはこのエスペリオンという場所で訓練を受け、同時に研究されている。国という傘の下で、催眠術と一般教養の講義を受け衣食住に困らない生活が出来る代わりに、国はお前たちを見て分析している。今もそうだ」
 イプシロンが天井を指差す。監視カメラがあった。ここは個人の部屋のはずだが、エスペリオンにとっては関係ない。プライバシーなど糞くらえな状態である。さすがにトイレやバスルームには設置されていないが。
「お前たちと国はウィンウィンの関係ということだ。ここは学園と研究所、二つの性質を持っている。気軽に外に出ることも、ここの六人以外と会話することも出来ない」
 まるで幽閉。だが外では比べ物にならない阿鼻叫喚の現実が待っている。
「そう、全てはEGOをどうにかするために、だ。お前たちが前線に出て、催眠術でEGOをどうにかしてくれるのが、一番いいんだろうがな。リーダー。お前は試験に通ったら、どうするつもりだ?」
「……僕は」
「吾妻福太郎は、両親をEGOに殺されている。その復讐のために、ここにいるのだろう?」
「そうだ。僕は、EGOを」
 許さない。奴らをどうにかするために、僕はこのエスペリオンに来た。
 額に手を置く。忘れてはならない。それが吾妻福太郎の目的。
「ああ。吾妻福太郎は、ここを卒業出来たらEGOと戦う道を選ぶだろうな。もし今回の卒業試験を通ったら、お前は三カ月でエスペリオンを卒業できた天才扱いだ」
「天才だなんて」
 大袈裟だ。頑張っている姿を見てきたパイたちに申し訳なくなってくる。
「どうだ? 調子は戻ってきたか?」
 イプシロンが笑っている。軽薄な態度だが、真面目に話に付き合ってくれたのは事実だ。
「分かりやすかったろ? 猿でも分かったろ? さて。それじゃあいい加減、手紙の中身を見ようぜ」
 僕の手の中にある薄っぺらい封筒には試験課題が入っている。
「何が書いてあるんだろうね」
 個人ごとに内容は違うという。間違いなく楽な課題ではないだろう。トランプゲームで全員に勝て、だったら分かりやすいのだが。せめて複雑で面倒な内容でないことを祈る。
 封を切る。想像以上に文面はシンプルだった。

“エスペリオン内の女子生徒が大切にしている物を一つ入手し、試験終了まで所持しろ”

 しばしの無言の後、イプシロンと顔を見合わせる。
 ただの一行の文章。だが、余りに考察の余地が広すぎる内容だった。


(続きは書籍版でお楽しみください)

(担当編集:小野寺真央

ありがとうございます!『名探偵ポアロ オリエント急行の殺人』もどうぞ!
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