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【特別公開:BLとSF】瀬戸夏子『世界の合言葉は《JUNE》――中島梓「小説道場」論』

2/24(土)にいよいよ発売となる、SFマガジン2024年4月号「特集:BLとSF2」。本欄では前回のBLSF特集(2022年4月号)に掲載された、瀬戸夏子氏による中島梓「小説道場」についての論考を特別公開します。

『世界の合言葉は《JUNE》――中島梓「小説道場」論』
瀬戸夏子


 ひとつでも不用意に言葉を間違えれば苛烈な(しかし真摯な)炎上が起こる場所、現在でもボーイズラブ(=BL)は戦場である。かつてそれは、少年愛、耽美、やおい、JUNEとも呼ばれ、しかもこれらの言葉もまた現在でもはっきりとした明確な定義はない、というよりもできなかった。揺れうごいたまま使用されつづけ、定義しようとすればそのたびに真摯な炎上が起きるからである。
 そのなかでかつてただひとり《JUNE》という言葉を特権的に占有して使える人がいた──評論家・中島梓/小説家・栗本1である。 
 
 少年愛ものの少女漫画の嚆矢である『風と木の詩』の竹宮惠子を表紙にむかえ、男性どうしの性愛をテーマに据えた〈Comic JUN〉が一九七八年に創刊され、中島梓は「少年派宣言」を寄稿した。また、のちに明かされることになるが、この号に掲載されている小説、神谷敬里「少年」、ジュスティーヌ・セリエ「薔薇十字館」はともに中島/栗本が変名で書いたものである。三号目から〈JUNE〉に改題されたこの雑誌の仕掛け人は、中島/栗本が籍を置いていたワセダミステリクラブの後輩である佐川俊彦。佐川は、中島/栗本が〈JUNE〉のブレーンであったという。創刊初期は雑誌の文章ページの三分の一を中島/栗本が執筆していたというし、アラン・ラトクリフ、滝沢美女夜などの変名を用いて掲載されるほとんどの小説を執筆していた。〈JUNE〉は一九七九年九月~一九八一年九月の二年間売れ行きの問題で休刊しているのだが、中島/栗本はこの間に栗本薫名義で一九七九年に『真夜中の天使』、一九八一年に『翼あるもの』という男性同性愛をメインに据えた小説を文藝春秋から刊行した。〈JUNE〉復刊後からは同誌でも栗本薫名義で男性同性愛小説を執筆している。
〈JUNE〉は竹宮惠子と中島梓/栗本薫の二本柱の雑誌であった。佐川は若く新しいこのジャンルの書き手を発掘し、育成しようと、一九八二年に竹宮惠子「ケーコタンのお絵描き教室」(西炯子らを輩出)、一九八四年に中島梓による「小説道2」を開始する。

  折角江戸川乱歩賞で「無事に」(笑)通常の作家(笑)としてデビューできたにもかかわらず、どうして自分が「真夜中の天使」というようなものをどうしても世に出したい、とあれほどものにとりつかれたように思うにいたったのかも。そうして世の人々の嘲笑や罵倒や無理解を浴びつつそれを刊行し、それからJUNEとかかわり、JUNEでいろいろ遊んでいる間じゅうも、また小説道場をはじめてからも、〔……〕なお私はまだ「冗談半分」というけしからんポーズをとりつづけていたような気がします。
  その私をいつのまにか、まったく冗談ごとではない、これは大変だ、襟をたださなくてはならない、というような粛然たる気持に追込んでいったのは、ほかならぬこの小説道場に次々と思いのこもった作品をあとからあとから送ってきてくれる門弟諸君でした。

(『新版 小説道場1』まえがき) 

 男性同性愛ものについて語るとき、中島の筆致はふざけずにはいられない、茶化さずにいられない、ほとんど強迫観念めいたものがあり「小説道場」も基本的にはこの「冗談半分」のトーンで書かれており、それは中島自身の価値観が実のところかなりコンサバティブで、女性としてポルノや性欲について語ることを本来ならば避けたかったであろうこと(フェミニズムやウーマンリブへの否定的な言及も多い)に由来している。その照れ隠しとして筆は滑り、そこここで不必要に他者を傷つけている、ことを擁護しようとは私は思わない。このJUNE─BLというゲームは、このゲームに参加しているだけで、ホモソーシャルの分解というフェミニズム的な行為に加担している仕組みになっている、つまりゲーム自体にフェミニズム的実践がそもそも組み込まれているのだが、ゲーム本体のパッケージにはフェミニズムという言葉が記されていない。参加者は無意識にフェミニズムに与しているにもかかわらず、無意識であるがゆえに、同時に、当のフェミニズムをバッシングすることも、ミソジニックな発言をすることにも何の矛盾も感じずにすむ。女性身体の引き受けや当事者意識なしに男性社会からの解放を一時体験できるこのシステムは、画期的な発明であったとともにこの致命的な欠点も持ち合わせていた。当時このジャンルの代表者のひとりであった中島/栗本がこの欠点に無自覚であったことの罪は重いが、「小説道場」を開いていた一九八四年から一九九五年のあいだ、このテーマを全身で引き受け、書きつづけていた人は彼女以外他にほとんど誰もいなかったのも事実である。
 JUNE─BLの観点を抜きにしても「小説道場」は現在でもエンタテインメント小説の書き方の基本的な教科書として有用だろう。手書きでの原稿用紙の書き方などは賞味期限切れにせよ、改行や展開のテクニック、そして三人称での視点の書き分け方など、実例を示しながらたいへん鮮やかな手際である。けれど「小説道場」が他のさまざまな入門書とまったく異なるのは、決してプロの小説家になるための手引きではない点である。「小説道場」は投稿者=門弟それぞれの心にあるJUNEを小説としてかたちにするための中島=道場主からの指導であり、テクニックの指南は極端にいえば枝葉末節である。投稿すると、門番審査(=編集部の下読み)をくぐり抜けられれば、中島=道場主の講評付きで級位が発表され、投稿ごとに昇級、昇段を中島が判断する(「小説道場」終了時の最高弟は五段)。中島は徐々に門弟のそれぞれの好みや個性やキャラクターを把握していく、一律ではなく、それぞれの適性に合わせた指導をしていく。そして彼女たちがやりとりしているのは、JUNEというファンタジーである。しばしばJUNE─BLの好みはそれぞれが男性社会から受けている抑圧を診断するカルテでありうる。ある時期から中島は頻繁に「小説道場」を精神分析に例えるようになるが、その比喩は妥当であるように思う。
 しかし精神分析をしている方の者も、そのテキストが残っていればまたそれも分析の対象になる。「小説道場」の最高弟が中島/栗本と同じ超長篇型の江森備なのはたいへんわかりやすいケースであるし、のちに映画評論家となった石原郁子の純文学志向の小説にずっと点が辛かったのも中島/栗本の好みからすれば同様にわかりやすい。けれど、変化していくのは門弟だけではない。道場主=中島もまた変わっていく。中島は、自分と石原が作家としてあまりにタイプが違うことを理解して門弟と呼ぶのを躊躇うようになり、段位は判定するけれども「ジョージ・ルーカスとベルイマンとかそのくらいちがう」から、「プロの読み手、評論家として接する」ことに決め、「あなたは私の誇りだ」と言うまでになる。
 そして、もっと深部でも中島/栗本を「小説道場」から読みとくことができるのではないか、と私は考えている。たとえば、中島が絶賛した投稿作、野村史子の「テイク・ラブ」と金丸マキの「夕暮れのバス」から、である。
 中島=小説家・栗本薫は一九七八年、『ぼくらの時代』で当時最年少で江戸川乱歩賞を獲り、デビューした。テレビ局で起こったアイドルの追っかけをしている女子高生たちの連続殺人事件を中心に時代のムードや風俗(シラケ世代やミーハー族)を肯定的に描いているこの小説は、そのタイトルから大江健三郎の転換作となった学生運動を扱った『われらの時代』(一九五九年)を意識しているように思える。中島/栗本はノンポリを自称しているが、学生運動の時代に早稲田大学に在籍し四年間のなかの一年半はゼネストとロックアウトでまともに授業を受けられず、革マル派による有名なリンチ殺人事件の被害者(川口大三郎)が隣のクラスの生徒であったことにショックを受けている。作者と同名の探偵・栗本薫(ただし「ぼく」と名のる二十二歳の男性という設定)が活躍する「ぼくら」シリーズの二作目は、少女漫画の世界を舞台にした『ぼくらの気持』だが、栗本/中島没後に本来「ぼくら」シリーズの第二作として発表しようとしていたと考えられる書きかけのままの『ぼくらの事情』が発見された。『ぼくらの事情』は川口君事件を扱おうとして挫折している。そして四宮礼子『風の歌森の歌』(=竹宮惠子『風と木の詩』)をはじめ二十四年組をモデルにした『ぼくらの気持』が二作目となり、シャーロック・ホームズ賞(=江戸川乱歩賞)を受賞した栗本薫が出版業界で起きた連続殺人事件に挑む『ぼくらの世界』で三部作は完結する。栗本/中島は自身の分身を登場させた「私小説」でこの問題を描くことはできなかったし、その生涯で数百冊以上の本を書きながらついに正面から挑むことはできなかっ3
「小説道場」第十五回、野村史4が「レザナンス・コネクション──共・鳴・関・係」で、初登場、初の五階級特進で初段に認定された(ただしあまりに異例のため「仮」がついた)。そして第十七回、「薔薇はもうこない」「テイク・ラブ」を投稿、「テイク・ラブ」が門番たち、道場主=中島の絶賛を受けた。以降、投稿された小説がJUNEの王道であるすぐれた作品だと評価されるときに頻繁に「テイク・ラブ」の名前があがるようになる。けれど、奇妙な点がある。中島はそれほど「テイク・ラブ」を評価しているにもかかわらず、「テイク・ラブ」の内容に触れたことは一度もないのだ(同時に投稿された「薔薇はもうこない」への評価は厳しいものだったが内容に踏み込んで講評している)。
「テイク・ラブ」の主人公・山崎は、ノンセクト・ラジカルが主導権を握っている社会学部自治会の委員である。山崎は「同性愛者への差別は、資本主義社会における思想管理の一形態である」という課題を闘争に組み込もうとして他のメンバーから反対されていた。活動のさなか、山崎は逮捕される。その不在時に山崎の恋人・春樹が「ブルジョア的退廃の根源」として十二時間軟禁され糾弾されつづけ、精神状態が不安定になったことによってこの物語のキーになる事件が起こる。──これは、中島/栗本がおそらく書きたくて、書けなかった小説だ。中島が「私小説」的「ぼくら」シリーズでも、そしてJUNE作品でも書けなかった、そのテーマを自分の門弟がJUNEとして書いた、中島が本当の意味で「小説道場」にのめり込んだのはここからではなかっただろうか?
 そして金丸マキ「夕暮れのバス」は、中島が「小説道場」で手放しで絶賛した最後の作品である(第六十五回)。精神が不安定な母が崖から車ごと転落死した、そのときに同乗していて命は助かったけれど、十五歳ながら心が五歳になり自分がいないと暴れだす弟をもつ、ヤングケアラーの高校生の主人公。現実逃避のように教師に淡い恋心を抱いているが叶いそうもなく、弟に性的虐待をおこなってしまう。門番たちからの評判はよくなかったこの小説を、「私が欲しかったのはあなたのこの作品です」(金丸マキは級位の停滞が長かった)、「今回の作品は私には、パーフェクトだと思います」「私には完璧に理解できます」と言い、門番たちが理解できなかったのはJUNEを書く必要がなかったからで、「私たちは「そうしてしか生きられなかった」のだから」と熱烈なシンパシーを表明する。
 単行本化されておらず、あまり知られていないが中島/栗本には中島梓名義で〈群像〉に発表された純文学小説「弥勒」がある(一九七九年)。これは重度の障がい者である弟への愛憎を描いた私小説である。この小説が文壇から評価されなかったことが中島/栗本の大の純文学嫌いの原因のひとつになったのではないかと思う(「小説道場」の第一回で、JUNE小説を書くのは難しく、大きな声では言えないがいちばん書くのがやさしいのは純文学、と定義している)。「弥勒」以後、中島/栗本は純文学作品は一切書かず、あくまで「私小説」的なニュアンスは「ぼくら」シリーズのように遊戯性の高い形態で表現し、エンタテインメント作家として生きることを決断しつつ、「小説道場」でもサービス精神たっぷりに振舞いながらも、──けれど中島/栗本の生の本音が滲みでる、その瞬間に「小説道場」はもっとも輝いている。門番たちには子どもがおらず、自分には子どもがいるから「夕暮れのバス」を理解できたと中島は書くが、ほんとうは自身の弟のこともつよく響いていたはずだ。
 中島は門弟の作品に感動したときに、「これはJUNEだ」と表現する。「小説道場」が盛り上がってくると、既に〈小説JUNE〉に掲載経験のある作者でさえわざわざ「小説道場」に小説を送ってくるようになる。中島の評が欲しかったのだろうし、明らかにシーンの中心が「小説道場」であったのだろうし、JUNEとは「小説道場」のことだったのだろう。《JUNE》は雑誌名を超えて、中島の価値判断の言葉になっていった。
 JUNEとBLはいったい何が違うのか、おそらく一般的といえる、JUNEは背徳的でアンハッピーエンド、BLは受攻の役割分担がはっきりしたハッピーエンド、というイメージは大枠では外れていないと思う。BLの台頭は、一九九〇年代の他社の男性同性愛ものを扱う雑誌の出現と隆盛(青磁ビブロス〈b-BOY〉など)に決定づけられるだろうが、「小説道場」内部にもその波はあった。
 第二十回、「放課後のカップヌードル」で鹿住槇が登場した(一九八六年)。「どういうものか今回の新入生三人、みんな揃って「明るく楽しいJUNE」であった」と中島はコメントしている。第二十二回、「復活のパジャママン」も同じ「学園ロマコメ」路線で「これだけ、誰も殺したり殺されたりゴーカンしたりされたり波乱しないジュネものってのも珍しい」と評価される。作品はどんどん雑誌掲載され、鹿住は人気作家になっていった。鹿住槇は「小説道場」出身の初の《BL》作家といっていいと思5
 第三十五回、秋月こお(当時のペンネームはたつみや章)が「独り白書」にて初登場(一九八九年)。「大人の鹿住槇」という評が非常に象徴的である。

  かなり実力のある人だからすぐコツはマスターするだろうが、「過去三本投稿し(道場でなく)今だ第一関門の突破もならず」の理由は明白だ。とてもいまいったとおり諸パートの平均点は高いのだが、JUNE小説にもっとも重要な何かが欠けているからだ。それは端的にいえば「切なさ」といってもいいし、「欠乏」「飢餓感」「ハングリー」といってもいい。たぶんご本人もキャラクター的にも生活も安定しているのではないか。それでキャラクターにみんな好感をもつのだが、しかし思い入れないのだ。JUNEに惹かれるのは不幸な欠乏をかかえた魂(何についてかにかかわらず)だからだ。

(「小説道場」第三十五回)

 とはいえ、中島は徐々に秋月の作家性を理解し、評価するようになり、道場終了時までに二段をつけている。しかし、中島は「実に明るいJUNE」「JUNEハーレクイン観光もの」などという評をしたことがあるもののこれは実質的には《BL》の言い換えであり、秋月の作品を真正面から《JUNE》だとは最後まで一度も言わなかった。第五十二回、秋月は「寒冷前線コンダクター」を投稿する。地方アマチュア楽団のコンマスでヴァイオリニスト・守村悠季と芸大出身留学帰りの天才指揮者・桐ノ院圭の富士見二丁目交響楽団シリーズの第一作目であり、秋月の代表作であるのみならず、BL小説史に残る大ヒット作になった。
 この《BL》/《JUNE》問題で、「小説道場」において最重要人物となったのが須和雪里である。第四十二回「玉竜天心」「春風前線」を投稿。「大体路線は鹿住槇」「これはすぐにでもファンのつくタイプの小説であるし、キャラであろう」と評された通り、「ツー・ペアきまぐれボーイズ」という《BL》人気シリーズになった。第四十三回にシリーズ三作目「激闘横恋慕」を投稿、「もう〈JUNE〉の人気作家の地位は約束されたようなものだ」とコメントされる。第四十四回には「八十恋語り」「ミッドナイトレベリー」「プロポーズ記念日」(ツー・ペアきまぐれボーイズシリーズ)、「タブー」「暗珠」(非シリーズ作品)の五本を投稿、すべてのちに雑誌掲載される。第四十五回「俺たちの崩壊」、第四十六回「テリトリー」「ジグザグハート」、第四十七回「ミノタウルスの里」とシリーズ作品、非シリーズ作品を旺盛に投稿。そして、第四十八回。「無限無願」(のちに「サミア」と改題)「いつか地球が海になる日」(ともに非シリーズ作品)、須和雪里が決定的な《JUNE》を書いた。
 

  歪んだ世界観かもしれない。これがJUNEなのだ。誰も育ててくれなかった赤ん坊とそれを拾った子供の物語──このような作品を生むことによって救われる魂。それがJUNEである。須和雪里門弟にすべての共感と感動をこめて初段位を献呈する。本当は二階級特進で二段になってもいいと思う。この二本の小説を書いてくれて、私がそれを読むことができて本当に有難う。

(第四十八回)

 しかし一方、この時期(一九九二年)から、中島/栗本は「小説道場」において自身の考える《JUNE》と周囲の考えるJUNEの様子にズレを感じはじめ、発言にブレが目立つようになってくる。

  そんなキヨスクの新書ものよりずっとシリアスで、かつよく出来てもいる──だがJUNEではない。いいんではないか? それはひとつの生きかただからだ。だがそこには小説道場の必要はない。だが小説道場であったりJUNEである必要性が、それ以上にあるのかどうかも私にはわからない。わかるのは、私にはJUNEでないものは本物には見えない、ということだけだ。

(第四十九回、吉野さくらへのコメント)

  それから「JUNEじゃない」という評に非常にショックを受けたということだが、しかしJUNEかどうか、ということは何の決めてにもならなければ、またJUNEであることが何かの価値なわけでもないと私は思うがね。[……]題材として少年愛を描けばJUNEだということではないのだし、JUNEではないけれども非常に素晴らしい、と私が考えるものはいくらでもある。そういう言葉上の定義にこだわらないほうがいいのではないのかな。

(第五十四回、山田麻貴へのコメント)

  もちろんJUNEは文学だけでもなければ、暗いだけでもない、だからといってやおいだけでもないし学園ものだけでもない。そういうふうに何かを限定するという思考法自体がすでに私たちがJUNEを生み出さざるを得なかった「常識的ウェイ・オブ・シンキング」というものだと私は考えるので、私としてはJUNEの御先祖様として(笑)「皆さん、本当のJUNEとは何かなんて考えることはやめませんか」とアジテートしたい。[……]だから百人の門弟がいたら百通りのJUNEがある。それが正しいありかたなのだ。絶対に「これがJUNEだ」などというものはありはしない。

(第五十五回、佐々木禎子へのコメント)

 第五十五回で中島/栗本は《JUNE》を諦めたのではないかと思う。この回では、鹿住槇「運命じゃない、恋」について「これこそJUNEの王道であるはず」で「あまりに明るくて平明だ、と文句をつけるというのはまたちょっと欲張りというもの」とまでコメントしている。なぜ第五十五回かといえば、第五十四回に、JUNEの根幹を揺らがせる、須和雪里の「懺悔」という作品があったからである。
 ふたりの少女が少年愛ものをお互いに好きだという絆で繋がり、ふたりの少女はその現実生活で、ある美少年ふたりが互いに好き合っているのではないかと考えるようになる。そしてふたりの少女はふたりの少年がお互いの気持ちを打ち明け付き合うことができるような小細工をするが、見破られ少年たちに憎まれふたりの少女たちも責任をなすりつけ合い憎み合う。この件をきっかけに少年たちが同性愛者だと噂されるようになり、しかもすくなくとも少年のひとりは実際に相手を愛しており、噂に苦しみ自殺しようとし、自殺は思いとどまったものの蒸発してしまう。
「懺悔」はJUNE、そして現在のBLも含む、この一連のファンタジーの原罪を暴く作品だった。中島は、まずは、この作品を書くにいたった須和を褒め、一方でこのテーマを扱うなら片手間でやってはいけない、と諫める。しかしこの作品への評はこれまででもっとも混乱したものであった。

  本気で文学によって現実に手をかけようと思うのだったら──それはもちろんJUNEによって、でいいのだ。[……]JUNEはサナトリウムの夢であると同時に、それがなかったら狂ってしまうかもしれない人のさいごの救いでもありうる。だから私はJUNEを書く。[……]いまが肝心なのだ。須和は小説を書いて「世界」とコミュニケーションするか、それとも自閉した明るい偽りの空間をシャボン玉のように次々と生みだし続けるのかの瀬戸際にきているのだ。

(第五十四回)

 須和がこれまで書いてきた作品を「自閉した明るい偽りの空間」「シャボン玉」だと中島は書く。だから掲載ごとに絶大な支持と人気を得たのだという。けれどそれは「ウソ」だという。「だから学園JUNEをメインに書く門弟は、鹿住槇もそうだがいずれ頭打ちになってしまうのだ。何故か。現実とは学園JUNEではないからである」──ここで中島は巧みなレトリックで、たぶん「小説道場」ではじめて、自分自身に嘘をついた。須和が暴いた罪を、「学園JUNE」のせいに、つまり《BL》に帰して、《JUNE》を免罪したのだ。けれど、その理屈なら「サミア」「いつか地球が海になる日」も、そしてなによりこの二作品を《JUNE》だと絶賛した自身の言葉も嘘になってしまう。だから第五十五回で「百人の門弟がいたら百通りのJUNEがある」と後退しなければならなかったのだし、JUNEという言葉を占有するのをやめたのだ。
 

  JUNEを選んでしまう自分と対決せよ。これはすごいチャンスなんだよ。いまはじめて須和はJUNEの世界の入口に手をかけた──それと同時に文学の門に手をかけたのだ。

(第五十四回)

 JUNEという言葉の意味がもっとも矛盾している箇所である。前者は、サナトリウムとしての男性同性愛もの、後者は前者を反転させた意味合いの言葉なのだろうか、しかし正確なニュアンスは中島にしかわからない言葉なのではないかと思う。ここが中島の用いる《JUNE》という言葉のポテンシャルのピークだった。
 

  どうしてJUNE小説が、あるいは道場への投稿者がかつてのそのような熱気を失ったのか、あるいはその熱気が変質してきたのかは私にはわからない──あるいはそれはそれこそ私自身の熱気の反映だったのであり、それを最初に失ったのは私のほうだったのか、投稿者のほうだったかはわからない。

(第七十一回)

「小説道場」最終回(一九九五年)で述べられた中島/栗本の感慨である。もちろん、よく言われるように中島/栗本がBLの風潮に置き去りにされたから「小説道場」は終わったのだ、というのが的を射た分析だとは思う。けれど「熱気の反映」──つまり、JUNEである、JUNEではない、JUNEとは何か、と投稿者と中島/栗本が小説を介して問いかけあっていた時間の終わりが「小説道場」の終わりでもあったのではないか、とも思う。
『タナトスの子供たち』(一九九八年)では中島は半ばBLのアンチと化しながら、やおいを(この本では、中島は《JUNE》ではなくやおいという言葉を使っている)ディスコミュニケーションのファンタジーだと論じている。けれど、やおいが、──あるいはBLが、──もしかしたらJUNEもまた、ディスコミュニケーションのファンタジーなのだとしても、少なくとも「小説道場」はこれ以上ないというほどコミュニケーションの場であったし、世界の入口に手をかけるための場所であったともやはりいえるのではないだろうか。《JUNE》、という今はもうほとんど使われなくなった合言葉のように、その可能性は秘密のように眠っている。
 
 
【註】
1:とくにキャリア初期においてこの区分は厳密とは言えないし、異論もあるが、ここではおく。
2:おそらく中島/栗本が道場主であったということもありSF的な作品の投稿も多かった。
3:『魔界水滸伝』に新左翼の過激派活動家であった過去を持つ主要キャラクターを登場させたり、皆無とは言わないが、正面から、とは言いがたい。
4:中野冬美としてやおい論も執筆。ウーマンリブの活動家でもある。
5:「小説道場」を経由していない〈小説JUNE〉掲載作品にもBL的なものはあり、その代表はごとうしのぶ「タクミくんシリーズ」だろう。
 
【主要参考文献】
石田美紀『密やかな教育〈やおい・ボーイズラブ〉前史』(洛北出版、二〇〇八)
溝口彰子『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(太田出版、二〇一五)
里中高志『栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人』(早川書房、二〇一九)
堀あきこ、守如子編『BLの教科書』(有斐閣、二〇二〇)


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