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『名作ミステリで学ぶ英文読解』特別対談「エラリイ・クイーン 翻訳の極意」 越前敏弥×飯城勇三(ミステリ評論家・翻訳家)

『名作ミステリで学ぶ英文読解』(越前敏弥、ハヤカワ新書)は、アガサ・クリスティ、コナン・ドイル、エラリイ・クイーンの名作から英文読解のポイントを解説した一冊です。同時発売の【NFT電子書籍付】版のNFT電子書籍に特典として収録されている、著者・越前敏弥さんと飯城勇三さんとの対談「エラリイ・クイーン 翻訳の極意」から、冒頭部分を特別公開します。

『名作ミステリで学ぶ英文読解』【NFT電子書籍付】

特別対談「エラリイ・クイーン 翻訳の極意」

越前 敏弥×飯城 勇三(ミステリ評論家・翻訳家)

▶越前訳の貢献を振り返る

飯城 この対談で私が話したいなと思ったのは、越前さんのクイーンの翻訳がクイーン・ファンにとってどれほど革命的だったかということです。クイーンの作品は本格ミステリなので、普通の翻訳のように、伏線や手がかりを英文法的に正しく訳出できればそれでOK というわけではないんです。それらが手がかりになるように訳さないといけない。もちろんそれはクイーン以外の作家でも問題になりますが、クイーンの場合はさらに独自のものがある。それらにほぼきちんと対応されている越前さんの翻訳は、本格ミステリとしてもクイーンの翻訳としても非常にレベルが高くてすばらしいですね。

越前 今回の本で三人の作家を扱ってみて、断トツでクイーンが難しかったと思います。逆に言えば、クイーンはたくさんネタがあって設問をつくりやすいということでもあります。翻訳をしていたときのことを思い出しながら、本書の執筆にあたりました。

飯城 アメリカでクイーンがあまり売れない理由として、あの凝った文章が今の人にわかりにくいというのがあります。昔は本を読む人は教養が高くて、シェイクスピアを読んでいたりラテン語を知っていたりするけど、今の
人はそうでもないのでクイーンはきつい。でも日本の場合は、間に翻訳が入ることでわかりにくさが軽減される。日本でクイーンの人気があるのは異常だという人もいますが、これは翻訳家のみなさんが今の人にもわかるよう
に頑張って訳しているからだと思います。実際にネットなどの感想を見ると、越前さんの翻訳は読みやすいから最後まで読めたというものを多く目にします。これはかなり大きな貢献だなと思います。

越前 中村有希さんもクイーンを訳されていますし、飯城さんご自身も訳されていますね。ヴァン・ダインが売れない理由も同じなのでしょうか。

飯城 そうでしょうね。

越前 ぺダンティックな部分が今の読者に理解されにくいという。

飯城 とくにヴァン・ダインは純文学くずれでもあったので。

越前 だからでしょうね。その点クリスティーはそういうネタはあるけども誰にでもわかるように書いていますね。

▶父親との関係の描き方をどう変えたのか(貢献①)


飯城 クイーン独自の翻訳の工夫に関して、越前さんにまず語ってほしいのは、父親である警視と息子エラリイの対話をため口にしたことです。それはどのような理由からなのでしょうか。

越前 ここまで20作翻訳してきたもののうち、レーン四部作を別として、エラリイが主人公のものは16作です。自分が読者だった時の印象では、国名シリーズの時期のエラリイはものすごく生意気な若造だけども頭が切れる青年でした。それまでの訳は、全部父親に対して丁寧語でしゃべっていて、父親をなだめるような感じだったわけですが、『ローマ帽子の秘密』では思い切ってため口にしてみました。1930年代に、普通は父親に対してため口なんてきかないものですが、このエラリイならため口でもいいのではないかとずっと思っていたので、最初の作品の『ローマ帽子の秘密』で、初めの台詞から
それでいきました。

 一方で頭の中にあったのは、いずれは丁寧に喋るだろうなということです。そのきっかけは、ライツヴィルあたりからあって、とくに一番大きな変化があったのは『十日間の不思議』だろうと思います。最初にやった時点ではそこを新訳するとは決まっていませんでしたが、頭の中ではそういうのがあって、いまそのあたりまで翻訳させていただいて、どのあたりで切り替えるか少し迷いましたが、少しずつライツヴィルのシリーズのなかで丁寧にしゃべらせていった。『九尾の猫』で完全に丁寧になるという。青写真をもともと描いていたわけではないのだけど、結果としてその通りにやれてよかったです。まだ国名シリーズとライツヴィルの途中がちょっと抜けていて、そのあたりをもし訳すのならどうしようかというのはありますけど。そんな感じです。飯城さんはそのあたりどう思われましたか。

飯城 いわれてみるとそうなんですよね。エラリイって、ヴェリー部長に直接、「これを調べてくれ」と指示してるんです。そのあとに「父さんに内緒にしておいてくれ」という。ヴェリー部長は警視の部下でしょう。そいつに向かって直接指示して、警視には言うな、というのはいかがなものかと思うんですが(笑)。でも、読者はいままであまり気づいていなかった。なぜかというと、クイーンの叙述形式は特殊で、エラリイが自分が解決した事件を小説にしているからです。ということは、エラリイの主観で描かれているんですよね。エラリイは父に甘えているのだけど、本人は甘えている自覚がない。そうなると、作品からはそれが読みとれなくなる。
 
 たとえば、ホームズものの『ボヘミアの醜聞』のなかで、ワトソンは「ホームズは恋愛問題となるととんでもなく場違いな存在で、恋愛音痴だ」みたいなことを言っている。でも、ワトソンではなくホームズが自分で事件を小説化したら、そんな文章は出てきませんよね。クイーンの『スペイン岬の秘密』の序文には、「エラリイの友だちはエラリイを招待すると殺人が起きるんじゃないか気にしている」という意味の文章が出てきますが、この序文はエラリイではなくJ・J・マックが書いているから出てくるわけです。エラリイ自身は友だちにそんなことを言われていることに気付いていないんですから。その自覚していないところを越前さんが読み取って、会話の口のきき方でそれを表現しているのがすばらしいわけです。

越前 表現するとしたら会話で表現するしかないですからね。

飯城 日本語ならではの表現ですよね。越前さんのおかげで、エラリイは鼻持ちならない生意気なやつだという感想が増えていますよ。

越前 それは表紙(角川文庫の国名シリーズプラスワン)の効果もあったかもしれないですけどね。

飯城 あの表紙は「黒執事エラリイ」といわれていますね(笑)。ただ、あの表紙でも、訳文が旧訳のままだったらイメージは変わらなかったのでは? エラリイのそういった側面を、越前さんが浮かび上がらせたのがすごいなと。

▶最新のクイーン研究の反映──作者エラリイの語り、『X の悲劇』の序文、『シャム双子の秘密』の死刑囚、『チャイナ蜜柑の秘密』の挑戦文(貢献②)


越前 エラリイが作者であり探偵でもあるという構造なので、訳すにあたって、原注のように入ってくる作者エラリイの語りをどのように扱うか、いつも迷ってしまいます。作者だからそこの部分は一人称を「わたし」にすることで対処しているのですが、そのあたりはどう思われますか。

飯城 まず、探偵エラリイがローマ劇場の事件を解決する。これは現実の事件であって、本格ミステリじゃないから、当然フェアプレイもへったくれもない。その事件を作者エラリイが小説化する際に、本格ミステリ小説にするために叙述を工夫する。そのときに入ってくるのが、先ほど越前さんが言われた「作者としての文」。例えば、「この頃の若かりしエラリイは」という文ですね。こちらは叙述のレベルが違うので、事件を捜査しているエラリイを「ぼく」、小説化をしているエラリイを「わたし」と訳し分ける越前さんのやり方は見事だと思います。この叙述形式の小説ってあまり見かけないんですが、越前さんがいろいろ訳されているなかで、「探偵が自分が解決した事件を自分で小説化する」っていうものに出会ったことってありますか。

越前 他の作品でこういうケースはたぶんないと思います。たぶん、作者イコール探偵であればあるでしょうけど。

飯城 例えば、『災厄の町』だと、解決後に小説化しているエラリイはもちろん真相を知っているけど、作中の捜査中のエラリイは解決の直前まで犯人に欺されているでしょう。だから、作中のエラリイ視点で描いて読者を欺すのは問題ない。でも、『アメリカ銃の秘密』だと、作中で捜査をしているエラリイはかなり早い時点で真相の大部分に気づいているでしょう。それなのに、捜査中だが真相に気づいている作中のエラリイ視点で描いて、読者を欺そうとしている。こんな文章、他にはありませんよね。挑戦文も探偵が出しているのは珍しいですよ。ふつうは作者が、「私の考えたトリックをあばけますか」なんですけど。こういったクイーンの特殊な叙述、いままでみえなかった部分が読者に伝わるように、越前さんが訳してくれたわけです。

越前 語らずにすます、ある部分は語らずにまとめるということですね。訳していると、ときどき探偵のエラリイ・クイーンなのか、作者のエラリイ・クイーンなのか、あるいは作者のダネイとリーなのか頭の中でこんがらが
ってくることはありますね(笑)。

飯城 越前さんの貢献のもうひとつは最新のクイーンの研究の反映です。これは昔、井上勇さんや宇野利泰さんや青田勝さんが訳された頃に比べてクイーン関係の情報が増えたことが影響しています。そういった研究が反映された作品のひとつが『オランダ靴の秘密』です。越前さんの訳では、見取り図に原書にないドアを追加しているんですよね。これはF・M・ネヴィンズが指摘した見取り図のミスに対応したわけです。

 それから私が嬉しかったのは、『X の悲劇』の序文です。私が『エラリー・クイーン パーフェクトガイド』で指摘した点を取り込んでくれたからです。『X』の作者のバーナビー・ロスという名前は、『ローマ帽子』の10ページに出てくる、と書いてあります。これ、原文では数字の「10」ではなく、ローマ数字の「X」なんです。序文なので本文とは違ってページ表記はローマ数字を使っている。でも、これまでの訳文は、全部「10」でした。それを越前さんは、「10」に「X」というルビをふって、読者に伝わるようにしてくれました。

越前 ここは僕も気になっていました。半信半疑だったのだけど、飯城さんの『パーフェクトガイド』にも書いてあるから、これはルビを振ろうと考えたんです。

飯城 あと、北村薫さんが『ニッポン硬貨の謎』で、『シャム双子』の引用文について書いていますね。この引用文は、いままでは死刑囚が、男性だと解釈されて訳されていましたが、北村さんは、死刑囚は女性じゃないかという説を挙げられていました。越前さんはそれを参考にして、男女どちらでもとれるように訳されましたね。それと、引用文中に「血のついたシャツ」という記述がでてきます。従来の訳では「血まみれ」になっていたところを、越前さんは「血のついたシャツ」にかえていましたね。なぜかというと、『シャム双子』の事件では被害者のシャツには血はついているけど血まみれではないからです。完全に、北村さんが指摘したクイーンの狙いが伝わるようになっていました。

越前 参考にした覚えがあります。……


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越前敏弥(えちぜん・としや)

1961年生まれ。文芸翻訳者。留学予備校講師などを経て、30代後半にミステリなどの翻訳の仕事をはじめる。訳書にクイーン『災厄の町〔新訳版〕』、ハミルトン『解錠師』、ロボサム『生か、死か』(以上、早川書房)、クイーン『Yの悲劇』、ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』、ダウド『ロンドン・アイの謎』、キャントン『世界文学大図鑑』など多数。著書に『文芸翻訳教室』『翻訳百景』『越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文・決定版』など。

越前敏弥さん近影(©大杉隼平)

飯城勇三(いいき・ゆうさん)

ミステリ評論家・翻訳家。評論と翻訳の両面から日本の本格ミステリシーンに寄与し、とくにエラリー・クイーン研究の第一人者として知られる。本格ミステリ大賞・評論部門を『エラリー・クイーン論』(論創社)、『本格ミステリ戯作三昧』(南雲堂)、『数学者と哲学者の密室』(南雲堂)で三度受賞。論創社のエラリー・クイーン翻訳シリーズ〈EQ Collection〉の企画・編集・翻訳を務めるほか、訳書にフランシス・M ・ネヴィンズ『エラリー・クイーン 推理の芸術』(国書刊行会)、ジョゼフ・グッドリッチ編『エラリー・クイーン 創作の秘密』(国書刊行会)などがある。星海社新書からは『エラリー・クイーン完全ガイド』を刊行している。最新作に『密室ミステリガイド』(星海社)。

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