_キネマと恋人_書影

「どんなに長く虚構の世界へ逃げ込んでいたところで、誰もが最終的には、現実の『ここ』に戻って来なければならない。それが宿命だ」――ケラリーノ・サンドロヴィッチ『キネマと恋人』あとがき

6月に東京で幕を開けた『キネマと恋人』は、北九州、兵庫、名古屋、盛岡と巡演し、ついに7月末に新潟へ。全国ツアーも千秋楽を迎える。
小社では今回の再演に合わせ、戯曲本を刊行。ケラリーノ・サンドロヴィッチ(以下、KERA)の全篇書き下ろしコメンタリーも収録しています。

(以上本文より抜粋)

KERAの創作の秘密が分かる、膨大のコメンタリーは、公演を観た方も観ない方も必読です。ぜひお手に取ってみてください。
今回は、本書あとがきを特別に公開。KERAが『キネマと恋人』にこめた特別な思いが分かります。


**(以下、本書のあとがきです)**


「キネマ・ブラボー! ~あとがきにかえて~」

いつもの席 白いスクリーン
闇よ 包め
カタカタと映写機が回り出せば
崖の上のカー・チェイス!
猛獣使いと未亡人!
宝の山の地図を探せ!
ビルからビルへ飛び移れ!
オトットット 危機一髪!

OH,ブラボー! キネマ ブラボー!
ツァラッツァッツァ 魔法と夢の国
ブラボー! キネマ ブラボー!
ツァラッツァッツァ 光と影と闇

凍てついた身体で300円握りしめてた少年の目は
未来なんて関係ない ただ 90分の大冒険を見つめているだけ

飛び跳ねた心 弾む夢 積み重ねて
少年の目は
映画館の外 何十年か先のリアルへと 辿り着くだろう
(「キネマ・ブラボー」KERA アルバム『LANDSCAPE』収録)

 まずはなにより『カイロの紫のバラ』(The Purple Rose of Cairo/一九八五)である。ウディ・アレンがこの映画を作らなかったら、当然ながら『キネマと恋人』は無かった。
「映画を題材にした映画のほとんどは、うっとりとしたノスタルジーか、スター誕生の辛辣なメロドラマかのどちらかだ」とリチャード・シッケルは書いている。「映画が我々に与える根本的な影響というテーマに取り組んでいるのは『カイロの紫のバラ』だけである」。
 八六年四月に新宿ロマン劇場(八九年閉館)という、劇場名からしてロマンチックな映画館でこの映画を観た時の衝撃は忘れられない。観終えた時、上映時間八十分のこの小品映画が自分を全面的に肯定してくれているように感じたのだ。
 小学四年生の十二月、チャップリンのリバイバル連続上映が始まり、父とその一本目『モダン・タイムス』(一九三六)を、超満員の日比谷有楽座(八四年閉館)で観た。その日をきっかけに少年は喜劇映画にのめり込み、中学の三年いっぱいまで、ロクに友達も作らず、放課後は学校から試写会場か名画座か輸入8ミリフィルムを扱う小さな会社へと直行する日々が続いた。午後の授業をサボって三本立ての映画を観に行ったこともしばしば。映画を観ない日も、映画のスチール写真が掲載された「キネマ旬報」などの雑誌や、小林信彦あたりの著作をずっと眺めていた。本当に好きだと一枚の写真を一時間ぐらい平気で眺めていられるものだ。中でも未見の作品は、とくにこれからも観ることが叶わないだろう作品は、たった一枚の写真から無限に想像が広がってゆく。『カイロの紫のバラ』の主人公であるセシリアや本作『キネマと恋人』のヒロインであるハルコの気持ちが痛いほどわかる私なのだった。
 明らかに逃げ込んでいたのだ。どこから? 現実の世界から。どこへ? 言うまでもなく映画の中へ。『カイロの紫のバラ』はそんな私に「それでいいじゃないか」と語りかけてくれた。二十三歳になっていた私は半年後にバンドでメジャー・デビューが決まっていたし、半年前には劇団も旗揚げしていた。かつてほどの映画マニアぶりを発揮する時間も無かったし、映画以上に音楽に夢中だった。けれど、映画が音楽に代わろうが、同じことだった。私は相変わらず現実から逃れようとしていたのだ。きっとそれは今も変わらない。今、自分が芝居や音楽を間断なく作り続けている一番の理由は、なるべく現実に戻りたくないからである。自分で作れない時は他人が作ってくれた虚構へと逃げ込む。ともかく少しでも長く現実から離れていたい。
 しかしである。どんなに長く虚構の世界へ逃げ込んでいたところで、誰もが最終的には、現実の「ここ」に戻って来なければならない。それが宿命だ。『カイロの紫のバラ』のビターな結末に、私は「その点だけは覚悟しておけ」と警告されているように感じた。仕方ない。「それも嫌だ」と拒否する人間に残された道は、狂ってしまうか死んでしまうことだけだ。「平気平気、幾度でも逃げ込めばいいじゃないか」。あの映画はそう言ってくれていた。映画『カイロの紫のバラ』が私(たち)にとってそうであったように、いや、願わくばそれ以上に、舞台『キネマと恋人』やこの戯曲が、映画や音楽や、その他様々な創作表現を(受け手、送り手にかかわらず)糧として日々を生きる人々へのエールとなってくれたとしたら、それ以上の幸福はない。
 ところで、ハルコはセシリアと異なり、最後の景では隣に妹のミチルがいてくれる。舞台化に際し、こうした変更はエッジをボヤけさせてしまうかもしれないという危惧はあったけれど、映画には無いその前の流れが姉妹の物語を求めていたこともあり、最終的には個人的な好みを取った。今、ふたりで共有している時間も、永遠のものではまったくないのだ。チャップリンと出会った時、隣には父がいた。父が笑っていることが嬉しかった。父もあの時、人生における様々な煩わしさから逃避していたのだろう。次に観た『街の灯』(一九三一)も父と一緒だった。その次の『独裁者』(一九四〇)は叔父と観た。その次の『ライムライト』(一九五二)が父と観た最後のチャップリン映画だ。寂しい映画だった。客席の入りも寂しかった。その後はずっと一人で観た。ハルコとミチルには特別な思い出をもうひとつ作ってやりたかった、なんて書くとちょっと恥ずかしいが。自分の考える作家として失格だ。主観的過ぎる。が、かような強い思い入れが、執筆及び稽古において大きな推進力になったことは間違いない。
 もしかしたら一連の出来事はハルコがみた白昼夢なのかもしれない。夢の中で、彼女の映画へのあまりに強い憧れが、間坂寅蔵をスクリーンから飛び出させ、高木高助を一介の庶民とのロマンスに導いたのではないか。しかしあっという間に夢は醒める。彼女はまた現実の世界に舞い戻り、電二郎やミチルや小松さん達との日常を過ごすのだ。相変わらず映画の世界に逃げ込みながら。だとしたら夢の中で、ハルコはまたいつか寅蔵や高助と会えるかもしれない。彼女たちが繰り広げる次なる冒険を、また覗いてみたいものだ。
 初演時、そしてこれから臨む再演時に『キネマと恋人』のために結集してくれたすべての方々(もちろんお客様含む)に大きな謝意を。そしてコミック以外まったく書籍が売れないこの時代、その中でも売れなさに定評のある戯曲本の刊行を決断してくださった早川書房さん、担当として尽力してくれた早川涼子さんと冨田啓介さんに、深く感謝致します。

 二〇一九年四月 ケラリーノ・サンドロヴィッチ 


(書影をタッチすると、Amazonページにジャンプします。)


〇『キネマと恋人』内容紹介

第4回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞
第68回 読売文学賞 戯曲・シナリオ賞(上演台本)
第51回紀伊国屋演劇賞 個人賞(台本・演出に対して) 受賞!

待望の再演に合わせ、著者書き下ろしの解説&コメンタリー付戯曲を刊行
映画愛溢れる傑作ロマンチック・コメディ

舞台は一九三〇年代、東京から一年も二年も遅れて映画が上映される、梟島の小さな映画館。
映画が生き甲斐のハルコがいつものように映画を観ていると、ある日銀幕の向こうから寅蔵が話しかけてきて―――
ウディ・アレンの映画「カイロの紫のバラ」を換骨奪胎しつつ、物語の構造をさらに複雑に深化させたファンタジックでビターな傑作コメディ。
豊富な舞台写真と、戯曲全篇にわたって著者が書き下ろした解説&コメンタリーを収録して贈る。解説/辻原登

〇著者プロフィール

ケラリーノ・サンドロヴィッチ
劇作家、演出家、映画監督、音楽家。1963年1月3日生まれ。82年、ニューウェイヴバンド「有頂天」を結成。また自主レーベルであるナゴムレコードを立ち上げ、数多くのバンドのアルバムをプロデュースする。85年、劇団健康を旗揚げ、演劇活動を開始。92年解散、93年にナイロン100℃を始動。99年、『フローズン・ビーチ』で第43回岸田國士戯曲賞を受賞し、現在同賞の選考委員を務める。2018年秋の紫綬褒章を始め、第66回芸術選奨文部科学大臣賞、第24回読売演劇大賞最優秀演出家賞、第26回読売演劇大賞最優秀作品賞(ナイロン100℃『百年の秘密』)など受賞多数。音楽活動では、有頂天(2014年再結成)、鈴木慶一とのユニット No Lie-Sense、ケラ&ザ・シンセサイザーズ、ソロとしても活発に展開中。

ありがとうございます!今日のおすすめは『三体』です。
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