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SFM特集:コロナ禍のいま⑤ 飛浩隆「半年後への手紙」

新型コロナウイルスが感染を拡大している情勢を鑑み、史上初めて、刊行を延期したSFマガジン6月号。同号に掲載予定だった、SF作家によるエッセイ特集「コロナ禍のいま」をnoteにて先行公開いたします。本日は飛浩隆さん、野尻抱介さんのエッセイを公開。2名ずつ、毎日更新です。

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 ご無沙汰しています。最後にお会いしたのは昨年の晩秋でしたか。実はSFマガジンからエッセイの依頼を受け、書きあぐね、その挙げ句にあなたへの手紙を書いています。とんだとばっちりですがお付き合いください。
 あの日はご自宅に招いていただき、ご家族とともに台所に立ち昼食を作ったのでした。棚の調味料や食材に自然光が差していました。ヒマラヤのピンクの塩、シシリアの白の塩。緑、赤、白の粒胡椒。ベルガモットのマーマレードなんて初めて見ました。「へー」と感心している私をあなたは可笑しそうに頬杖をついて眺めていた。中東に留学された時のお話、楽しかった。中国のご友人から教わったバーベキューソースで焼いてくださったポークリブの味は忘れられません。
 けさもあの日みたいに晴れ、心地よい風が吹いています。いまこの時点ではここ島根県で感染者は確認されていません。けれど(私自身は医療者ではないのですが)本業で少し関わっていて重苦しい気分を払拭できない休日です。東京はいかがですか? あなたのことが心配です。東京は数日のうちに爆発的な感染拡大を目の当たりにするかもしれない。でもこんなときにごめんなさい、思い浮かぶのはあの美しいキッチンなのです。
 いま、一丁の切れ味のよい鋏が世界地図をなめらかに切り離しつつあります。国も都市も孤島になる。その中で死と疲弊が跋扈する。塩やスパイスの原産国、なつかしい留学先やご友人の住む国との往来はできなくなりました。世界大の話ばかりではない。鋏は隣人との握手、恋人との抱擁も切り離す。私は、これらがあなたを打ちのめすことを憂います。「人と人とを切り離さないと崩壊する社会」。なんという矛盾でしょう。しかし我々が直面しているのはこの撞着です。
 この病が人類を滅ぼすことはありません。人類と社会は混乱を経て幾分変化し、続いていくでしょう。ただ、その混乱や変化が私たちの慎ましい幸福やささやかな正義感と折り合わない可能性はある。だから、いまは悲観でも楽観でもない手紙を綴ります。
 「今後の状況次第では発売延期の可能性もある」――編集者のメールにそうあったように、これは非常時の手紙です。あなたの手に届くのは雑誌の発売日でないかもしれない。
 ですが――その不確実性の中で、ひとつ約束をしませんか。半年経ったらこの手紙を読み返してほしいのです。そして半年後のようすを私に手紙で教えてほしいのです。そうしたら私もその半年後に手紙を送るでしょう。手紙が一往復するたびに、私たちは一年を生き延びたことを知る。あなたの手紙を待つことで私は日々を生きる励みを得る。
 そのあいだに何が起こったか、何が変わったか、克明に覚えておきましょう。再会の日は必ず来る。その日を楽しみに。 敬具

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飛浩隆(とび・ひろたか)
1960年、島根県生まれ。島根大学卒。1981年、短篇「ポリフォニック・イリュージョン」で第1回三省堂SFストーリーコンテストに入選、「SFマガジン」に掲載され、デビュー。83年から92年まで同誌に短篇10篇を発表。10年の沈黙ののち、2002年、長篇『グラン・ヴァカンス 廃園の天使I』を発表、脚光を浴びる。2005年、短篇集『象(かたど)られた力』で第26回日本SF大賞を受賞。2007年、短篇集『ラギッド・ガール 廃園の天使II』で第6回センス・オブ・ジェンダー賞を受賞(以上、早川書房刊)。2018年、短篇集『自生の夢』(河出書房新社)で第38回日本SF大賞を受賞。


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