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飛行機と船の共通点とは? 極上の空旅エッセイ『グッド・フライト、グッド・ナイト』(ハヤカワ文庫NF)本文抜粋


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ブリティッシュ・エアウェイズ社の現役パイロットによる飛行機エッセイ、『グッド・フライト、グッド・ナイト』。著者がロマンを感じるのは飛行機に対してだけではありません。コックピットから、縦横無尽に海を駆ける船たちに思いをはせます。「Water:水、海、川」の章から一部を抜粋いたします。
(「Wayfinding:進む方向を決めること」からの抜粋はこちら
(眞鍋かをりさんによる巻末エッセイはこちら

 ボストン行きの747を初めて操縦したときのことだ。空の上からかつての職場を見つけた。747はまずボストンの南へ向かい、サウスショアへ向かう交通量の多い高速道路の上で東に旋回して、それから北東方向にのびる滑走路に進入した。空港に向けて高度を落としているとき、湾内を航行するたくさんの遊覧船と帆船を見た。縦横無尽に横切る船の航跡と比べると、その先にのびる滑走路は、少し遊び心が足りないように見えた。
 ボストンの要である港は、最新の旅客機のコックピットでも確固とした存在感を放っている。計器飛行の場合はとくに、空港近くを航行する船舶のマストなど、予期せぬ障害物を考慮しながら降下しなければならない。
 その日は低い雲がなかったので、早いうちから高いマストを備えた帆船を発見できたが、それでもマストの先が747の腹をこするのではないかと不安になった。甲板にいる人々が空を行く巨体に仰天するとき、コックピットからはすでに船が見えない。帆も空気力学の産物で、一種の翼だ。旅客機が起こす風の一部が下降して帆布をはためかせるだろうし、旅客機の航跡が、帆船が海に引いた白い航跡と共鳴することもあるだろう。木造のマストと金属の翼、共通する構造……ボストンの歴史が交差する瞬間だ。
 定期的にイスタンブールへ飛んでいた頃は、空港が混み合っているとよくマルマラ海を遊覧飛行した。航空管制官に洋上でホールドを命じられるからだ。マルマラ海の船はどれも悠然と待機していて、まるでビザンツ帝国時代の海を眺めているようだった。月のない夜、海は深みを失くし、上空の暗闇を映す黒い鏡となる。そこに船の明かりだけがぽつりぽつりと浮いている。平原に身をひそめる夜行性の動物の目のような迫力をたたえて。
 イスタンブールに着陸するのは夜なので、だいたいホテルに直行する。海に面した高層ホテルだ。上階の部屋のすりガラス越しに外を見ると、停泊している船の光が宙に浮いているように見えて、ボスポラス海峡に光の門が現れたかのようだった。最終便の航法灯が、ホテルの前を通過したあとで空港に向けて引き返し、船の光とまじり合った。
 アムステルダム行きの便で北海を飛行すると、ロッテルダムの巨港へ向かう船舶を多数目撃する。二四時間ひっきりなしに出入りする商船は、規模の変遷こそあれ、永遠の海洋国家オランダを象徴するにふさわしい。旅客機は無数の船舶を飛びこえてスキポール(ship-holが語源という説もある)空港に着陸するために高度を落とす。海面よりも下にある空の港だ。アムステルダムからユーラシア大陸を挟んだ対角線上にシンガポールがある。イギリスの植民地開拓者トーマス・ラッフルズが、オランダ海上帝国に対抗するために築いた砦だ(ラッフルズは洋上で生まれたというが、彼が生を受けた一七八一年のジャマイカでは、船上出産にどんな手続きが必要だったのだろうか。旅客機のコックピットにはフライト中に出産した人が記入する書類があり、出産時刻はグリニッジ標準時で、出産場所は航空機のおおよその位置を記入することになっている)。シンガポールに着陸するときもオランダと同様、周辺海域を航行する船舶の数に圧倒される。空から見ると、ラッフルズがシンガポールに砦を築いた理由がよくわかる。貿易の中継地点とするのに、地球上でここほどふさわしい場所もないだろう。港としても都市としても理想的である。
 本で得た知識が、上空からの眺めで初めて腑に落ちることもある。たとえば世界の商船の四分の一(海上輸送される原油に至ってはそれ以上の割合)がマラッカ海峡を通過するという情報だ。マラッカ海峡は比較的水深が浅いため、ここを通過できる最大の船舶サイズはマラッカマックスと呼ばれる。ペルシャ湾のどこかの都市へ飛んだあと、シンガポール便を担当することもある。石油を積んだタンカーが、霧に包まれたペルシャ湾から世界の都市へ向て出港するのを目撃した数日後に、シンガポール近海で似たようなタンカーを見かけると、ひょっとするとあれはペルシャ湾で見た船ではないか、あのタンカーの船倉に、シンガポールの空港で747のタンクを満たす燃料が積まれているのではないかと思えてくる。
 シンガポール海峡は空港の近くにあり、信じられないほど混み合っている。あの光景を言葉で説明するのは難しい。台所の床にばらまかれた何百ものマッチ箱にしか見えず、そのひとつひとつが船であるはずがないと思えてしまう。しかし上空の混み具合も負けてはいない。遠くの都市から飛来して旅を終えようとしている航空機は、地球上でもっとも混雑した海峡の上を飛行し、シンガポール・チャンギ国際空港の、これまた混雑した滑走路に降りる。海と空の光景が完璧にシンクロする。
 コックピットですべきことも船の仕事とシンクロしており、それは用語の面だけではない。到着用の航空図には、高さのあるマリタイム・ベセル(海の船)に注意せよと書かれている。海の船とはまわりくどい表現だがエア・ベセル(空の船)のパイロットとしては誤解がなくてありがたい。ロンドンに帰る便の離陸は、積み荷はもちろん長いフライトを支える燃料で、どうしても重くなる。それでも周辺海域に高さのある船舶がいる場合は、早急に高高度へ昇らなければならない。旅客機と船が競合する空間のエア・ドラフト(空の通り道)は勾配がきついのだ。


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グッド・フライト、グッド・ナイト
マーク・ヴァンホーナッカー/岡本由香子訳
ハヤカワ・ノンフィクション文庫 大好評発売中

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