新しい名字

「ナポリを見て死ね」のナポリとはどんな町? 『新しい名字 ナポリの物語2』の訳者が描く港町の肖像

エレナ・フェッランテ『新しい名字 ナポリの物語2』が早川書房より6月1日(金)に発売されました。全世界で累計2000万部を突破している驚異の4部作の第2巻にあたる本書では、ナポリで育った主人公のエレナと親友リラの運命が劇的に変化します。

本書の翻訳者は、前巻『リラとわたし ナポリの物語1』にひきつづき飯田亮介さん。イタリアに暮らし、『素数たちの孤独』『復讐者マレルバ』などイタリア発の名作の数々を翻訳してきた飯田さんが目にした「ナポリ」とは……? 「訳者あとがき」を公開します。

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 本書は2012年に刊行されたエレナ・フェッランテ『ナポリの物語』シリーズ第2巻Storia del nuovo cognomeを翻訳したものである。原題は「新しい名字の物語」を意味するが、邦題は「新しい名字」とした。

 もしかすると読者の多くは、そもそも「ナポリ」という地名を聞いてもあまり具体的なイメージが湧かないのではないだろうか。
 そこで、あの矛盾だらけなのにやけに魅力的な町について少し語ってみよう。わたしもナポリを訪れたことはまだ数えるほどしかないが、せめて印象めいたものは伝えられるのではないかと思う。

 百科事典的に言えば、ナポリはローマの南東200キロほどに位置する、ティレニア海に面したイタリア有数の港湾都市であり、カンパーニア州の州都にしてナポリ県の県庁所在地だ。人口97万人(2017)、ローマとミラノに次ぐイタリア第3の都市である。南にはイスキア島をはじめとする美しい島々の浮かぶナポリ湾、東にはポンペイの悲劇で有名なヴェスヴィオ山を擁したこの土地の風光明媚なことは古来有名で、一度は見ておかないと惜しいという意味で、「ナポリを見て死ね」とまで言われている。なおこの言葉は、18世紀末にこの地を訪れたゲーテの『イタリア紀行』にも現地住民の慣用句として引用されているほど有名だが、読みひと知らずのようだ。

 そんなナポリの個人的な印象をひと言で述べれば、「イタリアの光と闇、その両方が濃縮されたような町」だろうか。
 陽気で、冗談好きで、芸達者なことで有名なナポリ人たち。燦々と輝く太陽と青い海。海岸線を目でたどれば、ふたこぶらくだの背を軽くつぶしたようなたおやかなヴェスヴィオ山が見える。ナポリ生まれのマルゲリータピザに舌鼓を打ち、イタリア随一と言われる濃いエスプレッソコーヒーを味わい、下町の路地を歩けば誰かの朗々と歌うカンツォーネが聞こえてくる……そう、よいところだけを記してみれば、実に魅力的な町だ。いかにもイタリアらしい。17世紀にはパリに次ぐヨーロッパ第2の都市として栄華を誇っただけあって、見どころも多く、歴史地区はもちろんユネスコの世界遺産にも登録されている。
 しかしその反面、治安の悪さ、失業率の高さ、マフィア組織カモッラの暗躍、効率の悪い行政など、これまたイタリアらしい問題が山積みであり、ナポリは残念ながらいまだ多くの日本人旅行者にとっていささかハードルの高い目的地となっている。
 ナポリを歩いていると、そうした対照(光と闇、聖と俗、動と静、美と醜など)にはっとさせられる。たとえば、山の手の閑静な高級住宅街ヴォメロ地区にあるサンテルモ城で世界に名高いナポリの眺望を楽しんでから、麓の下町モンテサント地区まで階段で下ってみれば、隣接したふたつの地区に漂う空気が大きく違うことに驚かされる(念のために書けば、夜間はお勧めできない)。賑やかな表通りから路地を一本入っただけで、妙な静けさに包まれて戸惑うという経験もしばしばだった。
 こうした両極端な印象は、ローマで殺人を犯してナポリまで流れてきて、そこで傑作を残した画家カラヴァッジョの作風や人生ともどこか似ている。闇が濃ければ濃いほど光は輝き、その逆もまた真なりということか。そんなところもこの町の大きな魅力だが、それを魅力と呼べるのは恐らく旅人だけの特権だろう。住民にとっては決して幸福な状況とは言えず、『ナポリの物語』の主人公たちの味わう苦しみとも無関係ではないはずだ。
 
 初めてナポリを訪れた時のことは今もよく覚えている。ローマから列車に乗り、2、3時間かけて、鉄路の玄関口であるナポリ中央駅に到着したわたしは、中心街を目指すべく駅前からバスに乗った。「ナポリは観光客目当てのスリやひったくりが多い」という前評判に少々緊張しながら、足下のバックパックに時おりさりげなく目をやりつつ、窓の外を眺めていた。やがて港が見え、海沿いに茶色い砦のようなものが見えてきた。ヌオーヴォ城だ。すると、隣に立っていた50代とおぼしき紳士から声をかけられた。
「君、見たまえ、あの城を」
「えっ? あ、はい」
「我々の王の城だ」
「は?」
「見たまえ、あの旗を」
「イタリアの旗ですね」
「そうだ。我々はイタリアに征服されているんだ」
「え?」
「あの城にはかつて王がいた。ナポリは偉大な王国だったのだ。だが、北の連中に征服されて以来、我々はずっと虐げられているんだよ」
 呆気にとられたままわたしは次の停留所でバスを降り、不思議な紳士とはそこでお別れとなった。
 なんだ今のは、なんだなんだこの町は、と驚いた記憶がある。
 イタリアがひとつの国家として統一を果たしたのはそれほど昔の話ではない。1870年のことだ。それまでイタリア半島は多くの小国に分かれていた。ナポリも1860年にイタリア統一運動の英雄ガリバルディの軍隊に敗れるまでは、両シチリア王国という国の首都だった――ナポリを初めて訪れたわたしにもそのあたりの知識は一応あった。しかし150年近く前のことを昨日のことのように語り、現在の中央政府に対する不信と嫌悪を歴史の文脈の中で、見ず知らずの外国人に向かっていきなり語る紳士の言葉は衝撃的だった。「ここはイタリアというよりは、ナポリなんだよ」そう言われた気がした。
 なおナポリを征服し、統一を果たしたイタリア王国は、1946年に実施された王制維持か共和制移行かを問う国民選挙によって体制が変わり、現在の共和国となった。勝利した共和制支持派と敗れた王制支持派の得票差は、全国平均でも約10パーセントというわずかなものだったが、ナポリ選挙区だけの選挙結果を見れば、王制支持派が実に8割弱と圧倒的に優位だった。

 ナポリという特異な都市空間に興味を持たれた読者のみなさんには、次のふたつのエッセイをお勧めしたい。須賀敦子氏の『ミラノ 霧の風景』に収められた「ナポリを見て死ね」、そして内田洋子氏の『ジーノの家』収録の「初めてで、最後のコーヒー」だ。どちらの作品もあの町の空気を見事に描いていると思う。
 映画であれば、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の作品、なかでもソフィア・ローレンとマルチェッロ・マストロヤンニが共演するコメディ作品『昨日・今日・明日』(1963年)と『あゝ結婚』(1964年)あたりがいいだろう。古い作品だが、『ナポリの物語』とも時代が重なっているうえ、当時の風俗をよく捉えていて、今では記録映像的な価値もあると思う。

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『新しい名字 ナポリの物語2』
エレナ・フェッランテ、飯田亮介訳、早川書房
好評発売中

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