見出し画像

パリで出会った20歳の2人。本の趣味が合って、ずっと話していられた。当然、恋に落ちた。だが……『30年目の待ち合わせ』試し読み

早川書房では、2021年4月1日に、フランスの小説家エリエット・アベカシスによる『30年目の待ち合わせ』(原題Nos rendez-vous、齋藤可津子訳)を刊行します。ここでは、発売よりひと足早く、冒頭を公開します。

【書影】30年目の待ち合わせ

30年目の待ち合わせ
エリエット・アベカシス/齋藤可津子訳
早川書房より4月1日刊行

***

ながい廊下だった。パリ、ソルボンヌ大学、視線のまじわり。ふたりはただ事務室のまえにならんでいた。たまたまいあわせたひととおしゃべりするなんの変哲もない光景。

地味な服、切りそろえた前髪、メガネ、目の下の縁にアイラインを引いた彼女は、思春期をぬけだし、大学正面玄関まえの階段からも一直線にぬけだしてきたところで、赤と黒の服に巨大な帽子で顔が隠れた親友クララほか三名と一緒、みんなソルボンヌの学生だった。同じ人生観をもち、広いアパルトマンをシェアし、ほかの同居人にはギリシア語かクロアチア語かスイス・ドイツ語かさだかでない言葉を話すひともいて、何か月も一緒に暮らしながら、どこの出身でなにをしているのか誰も知らなかった。カルティエ・ラタンにあるアパルトマンはどこか不法占拠地のようで、おとなしめに酒の入ったパーティをし、夜は鶏の亡骸や飲み残しの瓶、または食べ残しの鶏に空き瓶がころがっていた。五人はSOS人種差別(レイシズム)の運動で知りあった。ドゥヴァケ法案の反対デモで命を落としたマリク・ウスキヌの追悼行進に参加し、夕方みんなでビラをくばり、なんのためにかよくわからなくても、せめてよりよい社会をつくりたいという渇きをいやすため運動していた。

彼はサン゠ジェルマン街から通学し、白いシャツにヴェスト、丸メガネに巻き毛がなんとなくダンディでパリジャンっぽい経済学部の学生だった。礼儀正しく内気で、ミッテランの大統領再選におおよろこびした社会主義者だった。かたわらにいたのは親友シャルル、コルシカ島出身で陰気な雰囲気、しぶい顔してにやりと笑う。講義で知りあい、一緒に反極右運動をしていた。

登録手続きのあと、学生たちはソルボンヌ広場に移動しコーヒーを飲んだ。いまやっていること、挑戦したいこと、あれこれおしゃべりをつづけた。話すうちに自己紹介になった。彼女はアメリ、彼はヴァンサン。彼女はノルマンディー地方出身、文学部の学生で教職をめざしていた。褐色の髪、アイラインを引いた目は生まれて初めて見るように世界にひらかれ、きゃしゃでほっそりして、はにかんだ笑顔がまだあどけなく、大人の女性らしくなかった。彼が電話番号を教えてくれるか、電話してくれるか、自分がいいと思っているように、好感をもたれているか自問していた。そぶりに出したほうがいいのか、それとも隠し、みじんもあらわさないほうがいいのか。自分の外見はそこそこいけているのか、それとも、おおきい鼻、突きでた頰、髪型、女らしくない物腰とかがいただけないと思われているのか。彼の話し方、目にかかる前髪、落ちつき、端正な顔、視線のつよさ、あたたかく深みがあるのに押しつけがましくない繊細な声にこころを動かされていた。個性的だが柔和で、礼儀正しく育ちのよさをうかがわせ、ちょっとよそよそしいけれど感じがよかった。どこか気まぐれで、甘い情熱に浮かされているみたい。ときどきうわの空になる夢想家の趣味人。音楽、とくにピアノをやっていて、それがなにより好きだという。

それからみんなで観光客よろしくパリをそぞろ歩いた。橋をわたってサン゠ルイ島で夕日に映えるセーヌ河を眺め、河岸にすわって人生について語りあった。グループのなかでヴァンサンはこころを動かされていた。目のまえのひとに。なんて不思議で内気で魅力的。あどけなさそうでいて小悪魔のよう。気になるひと、思慮深く教養があって理解してくれそう、話ができそうなひとに出会ったと思っていた。かわいくて変わっていて、都会で途方に暮れたみたいにちょっと寂しげだった。好意をもってくれるなんて、ありえるだろうか? 簡単にひとを寄せつけなさそうだった。とはいえ彼女はそこに、すぐそばにいて一緒に話していた。

地味な彼女はなにを着ても、なにをしても、なにを言っても気おくれし、話をしても内気さと自信のなさのため、よくどぎまぎした。母に言われていた。「その容姿じゃ頭で勝負しないと」。ひょっとして彼の気を惹けてる? そんな自信はなかった。かっこよくて左頰の傷あとが映画『アンジェリク』のヒーロー、ロベール・オッセンをほうふつとさせる、あの匂い立つような色男! 聖人君子みたいな雰囲気、そして見つめられるとその場にかたまってしまうまなざし。目からも、深くてくすぐるような声からも魅力がにじみでていて、その声で彼女はなにをしているか訊かれた。大学で勉強していること、家庭教師で生活費を稼いでいること、時間があれば文章を書いていること、油絵や彫刻、芸術が好きで、リュクサンブール公園でウォークマンを聞きながら走っている、としどろもどろで話す。で、あなたはパリのひと? モンマルトル出身、丘とブドウ畑、おおきなアパルトマン、商店経営の両親は、僕がやりたいこと、好きなこと、音楽がぜんぜんわかってない。子供のころピアノの先生が近所に住んでいて、パリ十七区の国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)で教えていて、それでピアノに夢中になった。

片田舎で厳格にしつけられた彼女は、かたい生活を送っていた。校長の父は遊びに出してくれなかった。中高生のころは、バーや友人宅でひらかれるダンスパーティ「ブーム」──両親は自分たちがなじんでいたわけでもない六〇年代初頭の若者文化(イエイエ)由来の言葉「スーパーブーム」と呼んでいた──に行くのも、異性を家に招くのも、許されていなかった。1968年生まれなのに女性解放など自分には起こらず、実家にも無縁のことだった。シモーヌ・ド・ボーヴォワールを愛読し、模範、理想とし、いつか自立して生きようと誓っていた。読書にふけって現実から逃避し、擬似世界に住んでいた。

さて、その夕方は早くも夏のけだるさが街にただよい、気持ちのいい陽気だった。カフェがならぶ河岸通りをたくさんのひとがのんびり歩いていた。老若男女に恋人たち。ベンチにすわるカップル。マレ地区へつづく通りはにぎわい、パン屋やレストランが歩道にはみだしてファラフェルやシャワルマを売っていた。

そして、ほかのみんなが帰ろうと腰をあげたとき彼に、コーヒー飲まない、と誘われた。いいよ。時間ならたっぷりあった。しばらく橋のうえで立ち話をしたあとぶらぶらしてセーヌ河岸の古本屋台で足をとめた。恋愛小説からスリラー小説、大衆小説にメロドラマ、オムニバスに息づまる小説、新作旧作に近未来小説、実用書にエッセイ集、哲学に心理学、歴史でも物語でも詩集さえ、二束三文で売られていた。

あのころはみんなが本を読んでいた。メトロでも通りでも、ビーチでもベッドでも、浴室や台所でも、本をたずさえて公園、庭園、プール、待合室へ行き、バス、列車、飛行機に乗り、ひじかけ椅子やソファで、サロンやホテル、カフェやバーで、都会でも田舎でも、夏も冬も、昼も夜も、眠るまえにも起きぬけにも、食べながら、お茶かワインを飲みながら、日暮れどき、暖炉のそばでぬくぬくと、読書をしていた。いつでもどこでも人生のどんな時期にも読書をし、新しい物語を話題にし、現実から逃避あるいはそれを強烈に体験し、人間を理解あるいは嫌悪し、またはたんに時間をやりすごしていた。アメリは毎週金曜夜放送の「アポストロフ」を観ていた。司会のベルナール・ピヴォはまじりっけなしの情熱で作家たちに質問を浴びせていた。ロラン・バルト、フランソワーズ・サガン、アルベール・コーエン、トリュフォー、ジャンケヴィッチ、ル゠ロワ゠ラデュリやデュビー。ネクタイをしていないのはベルナール゠アンリ・レヴィだけだった。ヴァンサンが好きなのは「シャルリー・エブド」「ミニュット」「アラキリ」をめぐって、立ちこめる煙のなか討論するミシェル・ポラックとか、「クソッ」と毒づくサングラス姿のセルジュ・ゲンズブール、陸上界出身の議員ギー・ドルーに向かってスポーツ選手の知性について論じ立てるピエール・デプロージュだった。

好きな本が話題になり、どんな作家を読んでいるか訊きあった。ちょうどもっていた本をプレゼントしあった。彼女からはアルベール・コーエンの『選ばれた女』の初版、彼はリルケの『若き詩人への手紙』。前者がいいのは、情熱が真の愛ではないところと夢中で愛しあっていた登場人物たちが南仏の別荘で倦怠を感じるくだり。後者がいいのはこう書いてあるから──〝愛する者にとって、愛とは人生の沖合に出るまでずっと、強度と深さをいやます孤独でしかない〟。そしてふたりは見つめあった。帰るころあいだった。すると、グラン゠ゾーギュスタン河岸でビールを一杯おごると彼に言われた。その一杯が夕食となり、そのあともう一杯ビールを飲もうということになったが、遅くてどこも閉まっていた。朝まで開いているカピュシーヌ大通りのカフェ・デ・カピュシーヌまで歩いた。さらに話した。語りあった。両親、願望、あこがれ、友人について。お気に入りの映画は『愛と哀しみの果て』『マラソンマン』『バリー・リンドン』、音楽ならビートルズ、クイーン、ショパン。

夜が深まり飲み物はアルコールからコーヒーになり、いくらか秘密も打ち明けた。子供のころから父に殴られ、父より頭ひとつおおきくなったある日、すごんでやったら殴られなくなった、とか。彼女の両親はけんかが絶えず、皿を投げつけあうほどでもいっこうに別れようとしない、とか。ふたりとも両親を満足させるためだけに父親の支配のもとで育てられたんだ、とか。だが彼女の望みは自由になって誰にもたよらず生きることだった。彼はおとなしく従っていた。だって父から生活費と学費をもらって、働かないですんでいるから。深夜零時を過ぎ、彼は入院中の27歳の兄の話をはじめた。HIVに感染したひとは彼女のまわりにも何人かいたし、友だちの友だちはパートナーに陽性を明かされ、自分も検査を待っているところだった。

「よくつきそうの?」
「毎日、見舞いに行く。強烈で疲れる」
「お兄さんはどう?」
「これまでの生活を話すんだ。秘密の生活、両親は知らない生活。打ち明けられる。病気のまえはしなかったような話。こんなに兄と近くなったことはない、ある意味、兄のことがわかってなかったって気づいた」
「大変そう」
「僕にできることをしてる」
「ほかにきょうだいは?」
「いない。ふたりだけ」
「じゃ、お兄さんにはあなたしかいない?」
「友だちがたくさんいて見舞いに来てくれる、幸いね。きみは?」
「三人姉妹。わたしは真んなか」
「微妙なポジション」
「ほんと、居場所がない。よけい者って感じ。みにくいアヒルの子。そう母に言われてるし」
「なんて言われるの?」
「きれいじゃない、って」
「きれいだよ」
「そう思う?」
「うん」目を見つめながらそう言った。

ふたりはカフェの赤いボックス席でマホガニーのテーブルに手をおいて向かいあっていた。内装は派手なアールヌーヴォーで玉虫色に輝き、深紅のフロアスタンドとベルエポック調のステンドグラス、カーテンに縁どられたおおきな窓の外の通りはがらんとしていた。一瞬、間があいた。ここで彼女の手を取っても、手を握るだけでも顔を両手でつつんでも、そしてキスするか頰にふれてじっと見つめてもよかった。彼女はうつむいたりせず目を見てほほ笑みかえしたはずだった。席を立って彼のとなりにすわりたい気もした。そうしたらあっさり腕に抱かれ、その胸に顔をうずめていただろう。ひょっとして、たったひとつのフレーズか言葉、たとえば〝ウイ〟のひと言で口づけし、すべてが一変していただろう。だが、なにげないふるまいが取りかえしのつかないことになるという気づかいか畏れ、自尊心か思い込み、無頓着か意識のしすぎのために、いやがうえにもながくなる沈黙をさすがに破らなければならなかった。

「好きに選べたら、なにをしてたと思う?」と彼女は口をひらいた。
「ピアノ」
「じゃ、どうして経済学部なの?」
「父が反対なんだ。オーケストラにピアノは一台しかない、つぶしがきかないって」
「うまいの?」
「近くのコンセルヴァトワールに行ってた、モンマルトルの」
「そのまま音楽の勉強をつづけてたかも?」
「たぶん。どのみち、父にとってはありえない」
「なんか、怖がってない?」
「まえはね……。いまは、ぜんぜん。きみは……なにが怖い?」
「2000年。怖くない?」
「なんで怖い? 決まりきったことじゃないか」
「1000年代の終わりよ。わたしは不安。先がわからない。世界が終わるんじゃないかって気がして」
「そりゃあいい」と彼。「変化は好きだ。わからないのはわくわくする」
「ベルネの実家にいたときは、早くパリに来たくてしかたなかった」
「パリは好き?」
「大好き。ここでは楽に呼吸できる。ベルネでは息がつまってた。地方ってそういうとこなの。SOSではいろんな地域でミーティングやデモをやってる」
「僕は高校生デモに参加したよ、マリク・ウスキヌが殺されたとき」
「わたしも! すれちがってたかも。いまも政治活動してる?」
「社会党に入ってる」
「なんで?」
「入らない理由がある? フランソワ・ミッテランが回想録で書いてたけど、人生は柔道のようなもの。負けてても、ちょっとした動きでたちまち形勢逆転、優位に立つ。それが政治」
「でも人生は、そうじゃないよ」
「ちがう? じゃ、なに?」
「すこしずつ、誰も気づかないうちにすべてが変化していく。いつの間にかまわりを取りかこまれ圧倒されて従うほかない。そして、打つべき手はあまりない」
「誰か好きになったことある?」
「うん、哲学の先生! 夢中で話を聞いてた。それで文学を勉強したくなった。あなたは?」
「年上のひとだった。16のころ」
「相手はいくつ?」
「いま40」
「すごい年の差。別れたの?」
「ながつづきしないって、お互いわかってた」
「彼女もピアニスト?」
「どうしてわかった?」
「だって……当然でしょ。情熱を共有してたんだから」
「たしかに……変だな、きみのことよく知らないのに、こんな話、誰にもしたことない……。ピアノの先生でコンセルヴァトワールで教えてた。父が猛反対で、別れろって」
「で、言われたとおり別れた?」
「うん。あのひとにも危険なゲームだった」
「結婚してた?」
「うん、子供がいた」
「赤い糸ね」
「そういうの信じる?」
「もちろん」
「大恋愛も?」
「うん。信じないの?」
「わからない。きみ、いくつ?」

ふたりは20歳だった。20歳でしかなかった。そしてまさにそこ、夜明けのカフェ・デ・カピュシーヌからふたりの関係ははじまるはずだった。というのも、また会って一杯飲み、また一杯飲んで惹かれあい、それを口にし、そのあとキスしていたはずで、映画館かレストランに行って、河岸でキスし、用もないのに電話をしあっていたはずで、ある夕暮れか夜、ひょっとしたら明け方に、際限なく抱きしめキスしたあげく結ばれて、愛しあい、愛していると口に出していたはずで、口に出して数日か数か月、あるいは数年後に、ベルネかモンマルトルの役所で両家の親族が神妙に見守るなか、白いドレスに白いブーケで結婚していたはずで、そしておそらく子供がひとりかふたり、あるいは三人生まれ、初めてこっちを見たとか、初めてなにか言ったとか、初めてのひとり歩きに一喜一憂しては写真に撮ってアルバムにし、ヴァカンスに海へ行き、砂のお城をつくり、ちいさいうちは公園へ、おおきくなれば学校へ連れて行き、誕生日を祝い、子供はやがて成長し、学生になって家を出ていたはずで、両親が出会った場所、両親がいまだに足を運び若い日に思いをはせ、現時点では廊下にならんで視線と運命が交差したソルボンヌ大学に、いつか入学していたはずだったのに。

ところが、そんなことはぜんぜん、まったく起こらなかった。

***

『30年目の待ち合わせ』は、全国書店にて4月1日発売です。

◉著者について

原書nosrendezvous

(フランス語原書、写真は著者)
エリエット・アベカシス 
Éliette Abécassis

小説家、哲学者。フランス、ストラスブール生まれ。神学を題材としたスリラー『クムラン』三部作が、日本をふくむ世界中でベストセラーとなった。小説にくわえて、演劇、映画、音楽でも創作し、テレビや新聞では時事問題を論じる。女性と子どもの権利を擁護し、暴力から守る団体に関わる。また、ファッションについても執筆しており、ルイ・ヴィトン、ランセル、ゲランなどともコラボレーションを行っている。
公式ウェブサイト〔仏語〕 https://eliette-abecassis.com/

◉訳者略歴

齋藤可津子

訳者略歴 翻訳家 一橋大学大学院言語社会研究科博士課程中退 訳書『三つ編み』『彼女たちの部屋』レティシア・コロンバニ(ともに早川書房刊),『内なるゲットー』サンテ ィアゴ・H・アミゴレナ,『マドモアゼルSの恋文』ジャン゠イヴ・ベルトー編,『アラブの春は終わらない』タハール・ベン゠ジェルーン,他

◉関連記事


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!