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SFM特集:コロナ禍のいま② 小川一水「災厄と思索について」

新型コロナウイルスが感染を拡大している情勢を鑑み、史上初めて、刊行を延期したSFマガジン6月号。同号に掲載予定だった、SF作家によるエッセイ特集「コロナ禍のいま」をnoteにて先行公開いたします。本日は上田早夕里さん、小川一水さんのエッセイを公開。以降2名ずつ、毎日更新です。

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 五月の晴れた日に強力な感染症が人類を滅ぼしていくSF小説「復活の日」で、故・小松左京は、滅亡に瀕した知識人の認識というものを、フィンランドの大学教授によるラジオ講座という形で語らせた。このスミルノフ教授という人は自身も感染して高熱が出ている状態で、学者としての義務を果たすために放送局に入り、凶暴な疫病という真の脅威に出会うまで、ついに人類が団結しなかったこと、学者がそれを真摯に促さなかったことに批判と自省の言を述べた。
 復活の日は一九六四年の作品だが、然して現在二〇二〇年、この稿と同時に掲載されるであろうイタリアの作家ジョルダーノの手記も、位置としてはスミルノフ教授の告白に似ている。彼は「パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけている」という言い方で、Covid-19流行下における人間の迷走と怠慢を評している。他人事だと見なさずに自分たち自身のこととして反省するばかりか、実際に露呈した階級差や内外の差別に基づく対立を、「僕は忘れたくない」と壁にピンで留めるように、ひとつひとつ捉えていく丁寧さがこちらの身に迫る。彼は疫病が今この時に限って私たちに見せつける諸相について、「誰もがそれぞれのリストを作るべきだと思う」と勧めている。タイムラインにハートをひとつつけるだけで、わかったつもりになってしまえる私たちは、よく聞いておかねばならない。
 大きな災厄が起こると人間は文明について考えたくなる、のだろうか。不謹慎な言い様だが、にわかに湧き起こる我々のこうした内省は、社会という大きな脳が危機に瀕したときに見る、例の走馬灯のような像なのかもしれない。それは夢想であるにしても、この先に待っているのは、これまでとは似て非なる夢想のごとき未来だろう。ごく幸運に恵まれた場合のことを想像するなら、人類のうちには新型コロナに罹患後に回復した「既染者」の人々が充足していき、さらなる感染を恐れることなく働ける人材として、強みを発揮できるようになる。もちろんそのことは「未感染」の人々への負担が増大することと表裏一体だから、十分気を遣わなければいけない。必然的にマイノリティになっていく未感染者の危険は大きなものとなるだろう。
 だが、より困難な展開も考えられる。ウイルスの変異の速さのせいで人類に免疫が定着しない場合だ。そうなると、「既染者」と呼べるほどはっきりした防護的な層が、社会の中にできない。対人距離二メートルを保持できるように何もかもが変えられていく。人間の習慣や付き合い方が変わるだけでなく、建物や自動車などのハードウェアまでも、隔離前提・個室前提のデザインに変わっていくことを強いられる。
 種としての人間がこの災厄を生き延びることは信じている。自分自身はわからない。気になるのは、自分がその災厄を生き延びる価値があるのかということ。「リストに並べたことを忘れずにいられるか」だ。

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小川一水(おがわ・いっすい)
1975年岐阜県生まれ。1996年、『まずは一報ポプラパレスより』で長篇デビュー(河出智紀名義)。2003年発表の月面開発SF『第六大陸』が第35回星雲賞日本長編部門を受賞して以降、骨太な本格SFの書き手として活躍を続けている。2005年の短篇集『老ヴォールの惑星』で「ベストSF2005」国内篇第1位を獲得。2009年からおよそ10年にわたり展開された壮大なSF大河シリーズ『天冥の標』(全10巻)で2020年、第40回日本SF大賞を受賞した。


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