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『同志少女よ、敵を撃て』ハヤカワ高校生読書会レポート第三部:読書会をやってみて変わったこと 「本当の敵」って誰だろう

2023年2月、早川書房の呼びかけで浦和第一女子高校、慶應義塾高校、渋谷教育学園幕張高校の3校から読書好きの生徒10人が東京・神田の早川書房本社に集まり、読書会を行いました。

課題図書となった逢坂冬馬さんの小説『同志少女よ、敵を撃て』は、第11回アガサ・クリスティー賞、2022年の本屋大賞を受賞、累計50万部を超えた話題作です。第二次世界大戦下のソ連で、女性だけの狙撃小隊に入った少女を主人公に据える本作は、全国の高校生が選ぶ第9回高校生直木賞も受賞するなど、若い世代の読者にも愛されています。

『同志少女よ、敵を撃て』書影
(※高校生直木賞受賞記念帯バージョン)

主人公のセラフィマと同世代の高校生たちは、この作品をどんな風に読んだのでしょうか。読書会の様子を詳しくご紹介します。これまでの読書会の様子は下記からお読みいただけます。

※この記事には『同志少女よ、敵を撃て』のネタバレが載っています。未読の方はお気を付けください。

第二部では各校の生徒たちが『同志少女よ、敵を撃て』について自分たちの意見を交わしました。
同じ年代でもそれぞれ異なる学校・環境で生きてきた生徒たちは、それぞれが選んだ作中の「共感できる人」「共感できない人」についての考えを話した上で、お互いに質問や意見を出しあいました。

第二部を経て

第3部 読書会をやってみて変わったこと 「本当の敵」って誰だろう

各高校の生徒同士の意見交換の後、今度は生徒たちは各校ごとに話し合いを深めました。そして、これまでの議論を経て高校生たちがこれまでの考えが変わったと思った点と、本作における「敵」とは誰だったのかというポイントについて、各校が発表しました。

慶應義塾高校の発表 

(慶應・石井さん)僕が皆さんの意見を聞いてすごい思ったのが、敵ってやっぱ人によって違うものだなと思っていて。その考え方自体はこの小説を読む前からあったんですけど、歴史の授業で習うだけだと、ドイツ兵にとっての敵と、ソ連兵にとってのときはお互いのことだから違うよねというのはわかるんですけど、この小説を読んで、ソ連兵の中でも、実は個々によって敵が違って、女性を守るために敵と、コサックを守るための敵みたいな。その敵の姿がより細分化されたという感じがすごくしました。

(慶應・印南さん)僕が主張したいこととしては、その敵を抽象化していくと、それはあくまでその個人の戦争を終わらせるものなんじゃないかって思っていて。セラフィマは、要するに自分にとっての戦争が終わることが、女性の存在を脅かす人たちを倒すことと言っていて。その象徴としてミハイルというのが現れて、それを倒したことによって、セラフィマは自分の戦争を終わらせることができた。オリガもそういう意味では明確な敵を示していないんですけど、自分のコサックの栄誉を示すことが、戦争を終わらせるのに繋がるんだったら、最後に自分がその敵を倒すのに貢献したということで。その敵を倒すことが、戦争が終わるのに繋がるという意味での敵なんじゃないかなと思います。

(慶應・大石さん)さっきも言った通りに、ミハイルを共感できない人物として挙げていたんですけど、皆さんの話を聞いて、やっぱりある一面では同情的に見る見方もあるのかなとすごく考えが変わったんですけど。そもそもいろんな人物がいて、もちろん敵というのは1人1人にとって違う敵というのももちろんあると思っていて。セラフィマにとっては、ミハイルが間違いなく敵であったということは言えると思うんですけど、やっぱりミハイルにとっても敵がいて、それを前提として見ていくことが作品の楽しみ方としてあるのかなと思いました。

(慶應・大賀さん)私はですね、冒頭の発表で同性への愛情を読者の解釈に委ねられるみたいな話をしたんですけれども。女子校の方々のお話を伺っていくにつれて、これは一つの共感の対象として捉える読み方があるんだという感じがしまして。僕は男子校が長いですから、女子の方々がどういう行動をするのかも全くわからない状態なので、読んでも「こういう作品なんだ。小説の一つの場面なのね」みたいな、ちょっと興味のあった見方をしていたんですけど、なるほど、共感するんだなと非常に興味深いお話でした。

浦和第一女子高校の発表

(浦和一女・渡邊さん)まず「同志少女よ、敵を撃て」というお話の前に、なるほど、そういうことがあるのと思ったのは、私は「共感する」というアンケートを行ったときに、自分が同じ気持ちになった人を選んだんですけど、憧れだからその人を選ぶという見方があるんだなと。それも一つの共感なのかなということで考えも変わりました。

(浦和一女・中村さん)私はミハイルに共感できなくて、ミハイルはこの物語においても敵なのかなと思っていたんですけど、皆さんの意見を聞いて、ミハイルの中でもいろいろな葛藤があった上でのああいう結末だったのかなと思って。ミハイルも悪い部分もあったけど、完全な悪ではないのかなとの考えが変わりました。

 (浦和一女・本多さん)私は石井さんのハンス・イェーガーについての意見を聞いて、私は読んでいるときに、セラフィマが主人公なので、彼女に感情移入して読んでいたんですけど、セラフィマにとっての敵はミハイルであって、ハンス・イェーガーではなかったというのは、ハンス・イェーガーは異国でありながらも女性を愛したと言う点で、セラフィマの思う女性の敵ではないと思っていたんですけど、そういう見方もあったのかというのはなるほどなと思いました。また、「同志少女よ、敵を撃て」の敵についてなんですけど、敵は、女性の敵ではあるけど、絶対的にミハイルではなくて。どちらかというと、それこそドミートリーの方が近いのかなと思います。ですが、セラフィマが撃ったときは彼女が思う本当の敵を撃ったのかなとは思いました。

渋谷教育学園幕張高校の発表

 (渋幕・飯泉さん)まず見方が変わったというのは、見方が変わったというか、なるほどなと思ったのは、浦和さんのセラフィマの男性的思考の変化というので、確かに戦争という、人を殺してしまう、人を殺すことにやっぱり相当な罪悪感がもたらされる、その状況においてやっぱり自分は仕方ないから、こういう目的があるからこそ、人を殺さないといけないんだという、自分の正当化に繋がる。その思考において男性的になるというのはなるほどっていうか、勉強になると思いました。

 第二部で、セラフィマの目的が、敵を殺すから女性を守るに変わったというところがあったと思うんですけど、それって、その変わる間にあったことは、女性たちとの訓練なんですね。それを慶應さんが言っていたシスターフッドの形成だと思うんです。それは女性側。一方男性側として、ミハイルは、もともとは心優しい青年で、何か多分女性に手出すとかは全然なかったと思うんです。だけど、その男性社会、男性しかいない兵士の中で、やっぱり女性に対する意識は多少なりとも変わったことがあったと思うんです。それはやっぱり、そこから見えてくることとして、同性しかいないコミュニティにずっといると異性に対しての意識が固定化されたり、敵意識とまでは言わないですけど、自分とは違うものという意識が芽生えてくると思っていて、それを先ほどのその「百合作品なのか」という意識と、「わかるわかる、キスはしないけど、こういうスキンシップのとり方はあるよね」ということからも、男子校さん、女子校さん、共学というので見方が違うのは本当に面白いなと思って。共学の立場からしてみたら、どっちもあって。確かにスキンシップとしてありだし、百合と言われても、それもあるかもねという意識。先ほど言ったように、異性の見方というのは、その同性しかいないと固定化されるんだなと気づくことができました。

私達の中の敵とは誰なのかというお題に対しては、ミハイルでさえ、ドミートリーでさえも、多分戦争がなかったら、別に女性を献上することが良いこととか、女性に暴行を働くとかそういう考えには至らなかったと思うんですね。それを変えてしまったのはやっぱり戦争。なので、私達の意見として、敵とは、いともたやすく人の倫理観を変えてしまう戦争という環境そのものであるという結論に至りました。

逢坂さん登場「小説は価値観を揺るがす。それが世界が広がるということ」

 ここで、作者の逢坂冬馬さんが登場。実は、読書会の様子を別の部屋から見守っていた逢坂さん。生徒たちには、「逢坂さんに当日会えるかもしれない」とは知らされていたものの、登場とスピーチはサプライズとなりました。

 上の階でずっと皆さんの発言を全て見守っていました。皆さんが言ったことは大体全部聞いています。ありがたいです。小説って、いつ完成したと言えるんだろうというふうに、たまに考えるんだけど、今日皆さんのお話を聞いてですね、やっぱり自分のパソコンの前で書き終えたときとか、あるいは製本されたときとかではなくて、みんなに語ってもらったときに、小説が小説たりえるんじゃないかというようなことを考えました。本当に今日こういうふうに語ってくれてありがとうございます。

「共感」できるのがいい小説ではない

それで皆さんのお話を聞いてて思ったんですけども、「共感」というのはすごく難しい言葉なんです。いろんな小説を読むときに、今は共感できる小説を求める人がすごく大勢います。純文学もそうかもしれない。この小説はすごく共感できる、主人公の考え方に共感できる、作者の主張に共感できるというのを求めて読んでいくということももちろん読書体験でもあるし、それは決して悪いことではないんですけども、実は自分にとって良い小説であるか否かということは、共感できるかどうかということとは似て非なることなんです。必ずこれから先、小説を読み続けていけば、まったく共感できない、自分とは全然違う価値観のもとに作られた、全く違う価値観の持ち主たちの話なんだけど、すごく面白いというものに必ず出会えていくと。もう出会った方もいると思います。そしてキャラクターに対する共感というのも結構難しいんですね。

 たとえば今回は(「共感できる人」に)マクシム隊長を誰も挙げなかったんだけど、僕と同じか、僕よりちょっと上の世代の男性はマクシム隊長が大好きなんです。そのとき働いていた会社の同僚の先輩方とか、お仕事で知り合ったテレビ局の記者さんとかが、みんなマクシム隊長の最後の姿で泣くんです。なぜかと言うと、みんなお父さんだから。という訳で、共感するって、何に基づいて共感しているかというと、やはり自分の立場に基づいて共感するしかない。

 だから読書で得られる共感というのは、必ずときによって違うし、自分の立場の変化によっても異なってくる。ひょっとしたら皆さんが10年後にふと思いだして、この本を読み返してみたら、共感する対象が異なってるかもしれない。そして今は共感できないというキャラクターとして必ずミハイルが挙がるし、僕はネットとかの感想は絶対見ないようにしたんだけど、それでもミハイルの方面でめちゃくちゃ揉めてることは分かっていて、それを見守ってて。このあいだツイッターで直に感想をくれた人がいたんだけど、最後にミハイルの結末で悲鳴を上げて、一旦本を置いたんですって。それまで脳内でミハイルをハリウッドの有名な俳優にしていたと。そこでショックを受けるのはわかるんだけど、そこから先なんですよね。

自分もハンス・イェガーやミハイルだったかもしれない

 僕が1個、考えて欲しいのは、この共感できないミハイルという者に直面したときに、じゃあなんで自分はこの人に共感できないと思うのかということです。そしてこの共感できないミハイルは、実は支離滅裂な行動しているわけではないんです。なぜこうなってしまったのか。ちらっと出てきたドミートリーもそうなんです。実は彼らの中にある種の一貫性があるんです。なぜ一貫性をもって、こんな人物がこういうことをしてしまうのか。凄腕のスナイパーの割には出てくる度にずっと言い訳してるハンス・イェーガーとかも、決して好きにはなれないだろうけど、なんでああなっちゃうのか。それに理解が及んだとき、自分の共感の対象というのは少し変わってくる。自分はこの小説を書き終えて、あまりにも感情を込めすぎて、しばらく再起不能になったけど、その後自分の作品を冷静に振り返ったときに、自分はハンス・イェーガーであり得たかもしれないし、ミハイルでもありえたかもしれないと思ったんです。

 そのときに自分の考え方が少し揺らぐ。価値観が揺らぐ。それが自分の世界が広がることだと思うんです。小説と向き合うときも、登場人物と向き合うときも、この共感できないところに注目すると、多分読書体験というのは豊かになるんじゃないかと。

 そして皆さんも本当に、真面目なお話を聞いて、今回本当に素晴らしかったんですけども、一つ付け加えると、もっとふざけて読んでもいい。今回そういう場じゃないからもちろんそれでいいんだけど、ある小説と出会って、それを共有する体験って、やっぱり自分の世界が、ぼこっと余分な出っ張りができるような感じなんです。その出っ張りをみんなで共有できるんです。これは、やっぱりフィクションでしかできないから。

 だから本当に自分の知り合いの起きた話のように話していいし、あそこがものすごいむかついたとか、ものすごい萌えたとか、そういうのでもいい。そういうふうに人と語り合っていくことで、小説は報われていくし、作者も報われていくし、語ってる方も楽しいです。というわけで、これからも不真面目な読み方も、真面目な読み方も耐える本を、なんとか今作っている最中なんで、よろしくお願いします。ありがとうございました。

著者・逢坂冬馬さんの話を聞く生徒たち

「読書会続けて」 各高校の先生たちから

 3時間にわたる読書会を見守った先生たちからも、素晴らしいコメントをいただきました。

(慶應・古川晴彦先生)この作品に関して感じたことは、昨今たくさんの戦争に関する物語が量産されていて、あるものは安直にノスタルジーに回帰し、あるものはそこにカタルシスを求め、あるものは威勢よく英雄譚として美化されて消費されます。しかしこの作品には一切そうしたものはなかった、ということ。森鷗外の『阿部一族』のように、ひたすらに淡々と描かれて(たとえば戦争中も遊んでいたこどもたちが、遊ばなくなる瞬間があります)、戦争に果たしてカタルシスはあるのだろうか、カタルシスがないことこそが戦争の本質なのではないか、と気づかされました。戦争が人を変える、これが今日の読書会の大きなテーマでもありましたが、戦争は「線を引く」行為です。敵は誰かという話にもなりましたが、男/女、善/悪、同志/敵、いろいろな線が戦争によって引かれていったわけです。一方でこうした線をひとつひとつ消していく登場人物も実はいたような気がして、それが「ママ」という名を冠せられたヤーナなのではないか、と私は思いました。

(慶應・柴田希先生)高校生でここまでできるのは本当にすごいなと実感しました。
まず渋幕の皆さんについて特に印象に残っているのは、ライフルの感覚を重ねていく体験が非常に面白いなと。私もそうですけど、どうしても皆さんも戦争を実際に知らない世代であって、おそらく今後、フィクションを通して、戦争とはどういうものだったのかということと向き合わざるをえない世代だと思うんですね。でも間接的に我々は今、戦争を実際に体験をしている世代でもある。そういった状態の中で、様々な五感が排除されてしまっているフィクションと、様々な五感で以て触れている現実とのあいだを、どう我々は往還していくべきなのかを考えさせてもらう発表だったと思います。
浦和一女の皆さんに関しては、女性の加害性という難しい問題に女性自身が切り込んでいくのは非常に勇気があるというか、女性の暴力性に目を向ける、あるいは弱い立場だけではないという視点は非常に面白かったと思います。

個人的な話をすれば、私の祖母が戦争に行っているんですね。看護師として。だから女性が戦争に行くというのは狙撃兵としてだけではなくて、様々な関わり方があったと思うので、そういったところにも目を向けていくとまたいい形に変わるのかなと思います。最後のテーマで、敵とは何かというときに、個人的には、やはり人の暴力性だとか、人を殺してみたいって欲求って、誰かしらにあると思うんですね。そういったものにお墨付きを与えるために、敵というものをそれぞれが作り出していくのかなと思っていて、10代の皆さんの敵についての考えは非常に興味深かったです。
読書という行為は、明治に入って近代化が進む中で黙読という制度ができましたけれども、そういう1人で孤独に読むものではなくて、逢坂さんがおっしゃっていたように、やはり読み終わった後に語り合うことで、完結していく、広がりを持っていく営みだと思うので、ぜひこの場で読書会というのを終わらせずに、どんどん外を巻き込んで、読者会を拡げて行ってもらえればなと思います。

(浦和一女・木下通子先生)今日はどうもありがとうございました。逢坂先生には10月に本校で講演をしていただいて、それをきっかけに、うちの生徒が今日ここに参加させていただいていくことになりました。とても感謝しています。

私は、「読書」には2種類の読書があると思っています。一つは知識を得るための、理解を深めるための「読書」。もう一つが今回の物語のように、登場人物の気持ちに共感しながら世界を広げていく「読書」です。
いま、みなさんは学校で理解のための読書を強要されることが多いと思いますが、実は若いときは、楽しみのための読書の時間を作ることがとても大切だと思います。私が学校司書になりたての頃は読書会全盛期で、多分1990年~2000年の始めくらいまでは各校で活発に読書会をやっていたと思います。社会にも学校にも余裕があって、面白かった本をみんなで持ち寄って話したり、図書委員会の主催でもやっていましたが、高校生もSNSでつながることが増えて、みんなで顔を合わせて何かをやるということが減りました。今はオンラインでつながることも多いと思いますが、こんなふうに声を出して、顔を合わせて、場の雰囲気で感じとる読書会は薄れていきました。今日は久しぶりにリアルで臨場感のある読書会に参加できて、とてもうれしかったです。先ほど慶應の先生がおっしゃったように、今日の読書会をきっかけに、それぞれの学校にこの雰囲気を持ち帰って、図書館の中とか友だち同士で、読書会の風を吹かせていただくといいと思います。

それから作品に関してですが、私はこの本の終わり方がすごく秀逸だと思っています。「明日は少年たちと語り合ったら、山道の上から、村を見に行こう。セラフィマは思った。そこには必ず人がいる」。
すごくないですか。このラスト。この物語で伝えたいことが、この最後のエピローグに集約されてると思います。あともう一つ、逢坂先生は男性なんですけど、性犯罪を描かれていて、先ほど、読書会の中でも、大切なキーワードになってるじゃないですか。事件とか、誰かが国の犯罪としてこういうことを扱う本もたくさん出ていると思いますが、実は、高校生が読むような小説で、あんまりこういうことをテーマにしてるものって無いと思います。かつ、今本当に戦争が起こってきて、戦争が起こっている地域では、本当に起こりうること、私達にとってはある意味、身近な問題でしょ。で、そこをテーマにものを考えていくっていうのがやっぱり高校生にとっても身近なことで、どうしてこんなことが起こるんだろうという探究の出発になっていくような、そういう読み方もできる作品だと感じています。

今日集まった方の中には、将来、作家になりたいなとか、作品を書いていきたいなと思われてる方もいると思いますが、今日の読書会のように一つの作品をいろんな人と読み深めていくことが、自分で物を書いたり何かを考えたり、何かを伝えていくきっかけになると思うので、この場を作ってくださった早川書房のみなさんに心から感謝しています。本日はありがとうございました。

(浦和一女・中野愛教頭)講評ということなので今日の読書会の印象を語らせていただくと、まず慶應高校の皆さんはすごく綺麗な言葉を使われて発表なさったなと思いました。それだけ読書体験を積み、多くの本に出会い、深く学んでらっしゃるような印象を受けました。
それから渋谷幕張高校の皆さんはまとめる力も、それから発表する力もおありでした。多分、原稿を用意していれば色々なことが言えると思うのですが、両校の発表後、この場で最後見事にまとめられて、本当に素晴らしいなと感動しました。これからの時代とても必要な力ですね。
そして、本日参加した浦和一女の皆さんは、いつもの大人しい印象から別人の如く堂々と発表していました。また、女性だから優遇されるという、より潜在的な差別についても言及した点に、私は拍手します。女性が弱者、男性が強者という無意識の社会的合意、こういう指摘は大変面白かったです。最後に、渋幕さんがご指摘したように一つの性別からの見方は凝り固まるなという印象を私も受けました。
本日のような体験をリアルで重ねていくことがどれほど大切なのか感じさせていただきました。ありがとうございました。

(渋谷幕張・岡崎那菜先生)私のこの作品の感想を話させていただきます。ミハイルの議論が今回出てきたと思うんですけど、私個人としては、ミハイルは好きなキャラクターでも、嫌いなキャラクターでも特になかったんですけど、ミハイルを外から嫌いだっていうことは、すごいちょっとすごく正しく生きている方かそうでないならすごく綺麗な場所からそんなこと言ってずるいなという感想があって。なんか私自身であれば、そこでNOと言えるかっていうと私はそうじゃなかったんじゃないかなっていう気がするんですよ。なので、私自身はミハイルにすごく共感してしまって、そういう部分では、逆にセラフィマが私には敵に見えてしまうかもしれない。そういう見方もあるのかなと感じました。あとあまり議論に上がらなかった、ヤーナ、ママというキャラクターがあると思うんですけど、私もあんまりこのキャラクターには共感できなくて。その理由をちょっと掘り下げていくと、私今年25歳で、子供を守るっていうことに共感できないなっていうことを感じたんです。

私自身がすごく精一杯で、まず私を守って生きていきたいみたいな、すごく自己中心的な面があって。ただそれって多分、30代とか40代とかになって読み返したときに変わっていくものだと思う。さらに言うと、結構、高校生の頃、中学生の頃、小説を読んできたんですけど、その時好きだった小説をもう一度読み返してみると、結構感想が相変わらず好きなんですけど、変わってるなと感じるんですよ。そのキャラクターに共感──共感という言い方がいいのかわからないんですけど──感情移入できるというか、逆に当時すごく共感できた高校生に共感できなくなってるとか。そういう部分がすごく読書って面白いなと思うので、皆さんもぜひ、高校生のうちにすごく好きだなという本を見つけてまた読み返していっていただけたらいいなと思います。

あと、これは脱線になっちゃうんですけど、私、中高6年間吹奏楽部で音楽をやっていて、そのとき顧問に言われてすごく印象的だった言葉があるんですけど、音楽って別になくても生きていけるけどあった方がいい人生があるっていう言葉があって、これってすごく読書とも通じると思っていて。読書からもいろんな視点が開けたりとか、いろんなことを考えさせられたり、それって多分皆さんの人生においてすごく糧になっていくと思うので、ぜひこれからも続けていただけたら。ぜひこういう形で、他の人と読書を共有するっていう体験を続けていっていただけたら皆さんの人生がより豊かなものになるのではないかなと思います。

最後に今回の会を開いてくださった早川書房さん、ずっと素晴らしい作品を生み出していただいた逢坂さんに感謝を申し上げて、私からは終わりとさせていただきます。ありがとうございます。

今回の読書会に参加いただいた各校の生徒たち 著者・逢坂冬馬さんとともに

最後に

今回の高校生読書会で意見を交わすことで、他の人びとの感想や読み方を通じて新たな気付きを得た高校生たち。それは生徒の皆さんに限らず、学校の先生や早川書房の『同志少女よ、敵を撃て』チームメンバーにとっても大変意義のある体験でした。
早川書房では今後も「ハヤカワ高校生読書会」を開催したいと考えています。ご興味ある高校の関係者の皆様、ぜひご連絡お待ちしております。

参加を検討したい、もっと詳細を知りたいという方は、件名に「ハヤカワ高校生読書会」と明記の上、以下のメールアドレスまでお問い合わせください。
早川書房お客様係 customer@hayakawa-online.co.jp

これまで三回にわたって「『同志少女よ、敵を撃て』を読む/ハヤカワ高校生読書会レポート」をお送りしてきましたが、いかがでしたでしょうか。
『同志少女よ、敵を撃て』を未読の方はぜひ本書を、そして既に読んでくださった方はこのレポートを読んであらためて本書についてまた別の視点で考えてみていただけたら幸いです。

【書誌情報】

『同志少女よ、敵を撃て』逢坂冬馬
ISBN:978-4-15-210064-1
定価:2,090円(税込)
四六判並製 イラスト:雪下まゆ

▽『同志少女よ、敵を撃て』試し読みはこちらから



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