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変わり果てた"自由の国"に救いはあるか――SF小説「アメリカン・ブッダ」

SF作家柴田勝家さんによる、民俗学・文化人類学の知見とSFアイデアを掛け合わせた短篇集『アメリカン・ブッダ』が発売されました。インパクト抜群の本書から、表題作の試し読みとして冒頭1万字を公開いたします。


1

 まずは皆さんに自己紹介をしなくちゃいけない。僕の名前は“奇跡の人(ミラクルマン)”、白人の友達が古風なインディアンの名前を意識してつけてくれた名前だ。

 それは約三千年ぶりに“向こう側(エンプティ)”からもたらされた声だった。
 アメリカに帰ってきた監視員のレポートによって、内務省インディアン管理局(BIA)がヒアリングを行う運びになった。そして“エンプティ”の証人が立ったのだ。誰もが部族の長老が来ると思っていたが、壇上に立った人物は二十代前半の若者だった。
 こっちでの暮らしにも飽きてきた人々にとって、故郷からの呼びかけは懐かしさに溢れていて、私の他に約百万人の人々がミラクルマンの声に耳を傾けていた。公聴会を中継する動画へのアクセス数は増え続ける。

 僕はアゴン族というインディアン……、ああ、ネイティブアメリカンって呼べっていう人もいるかもしれないけど、僕個人はインディアンで良いと思ってるからそう呼ぶよ。とにかく、アメリカ西部のカリフォルニア州に保留地を持っているアゴン族の一員だ。

 こちらは事前にいくつかの質問を用意したが、それまでの公聴会と違って、その都度に尋ね返すことはできない。“エンプティ”とは、それだけのラグがある。

 今日は色々なことを話そうと思う。正直に言うと、ここに来るまでとても緊張していた。だって、僕なんかが大勢の人たちの前で話せるとは思わなかった。でも今は安心したよ。たしかにカメラは沢山あるけれど、面と向かって話さなくて良いしね。僕は恥ずかしがり屋なんだ。

 ミラクルマンが照れた様子で頬をかく。黒い長髪が揺れ、この日のために用意したであろう民族衣装をわずかに擦った。その仕草はどこか愛らしく、私たちが遥か昔に忘れてしまった自然さがあった。だから同時視聴している他のアメリカ人も笑っていたし、私も優しい気持ちで笑顔を向けた。

 そもそも僕は、大地に残ったインディアンたちの代表者じゃない。だから貴方たちに何か大きな要求をすることもできないし、決め事をすることもない。ただ、僕たちがこっちでどんな風に生きているのか、それを貴方たちに伝えたい。
 アメリカは今、様々な変化の最中にあるんだ。そして、その変化は僕が、というよりアゴン族が大きく関わっているから、こうして伝える義務がある。

 変化、という言葉が出てきた時に多くの人々が動揺した。コメント欄には多くの驚きの表現と、少しばかりの喜び、そしてミラクルマンを罵倒する言葉が並んだ。しかし、こちらの一喜一憂がミラクルマンに伝わることはない。

 こんなことを言うと驚く人もいるかもしれない。
 僕は偉大なる精霊(グレートスピリット)にアメリカを救うように頼まれて、部族の人たちと協力してここまで来た。その大精霊の名前はブラフマンだ。この名前を聞いて不思議に思う人もいるだろうね。ブラフマンはインド哲学(インディアンフィロソフィー)……、ああ、これはインド亜大陸の方だよ、そこの哲学で真理を示す神様の名前だ。

 そして、こちらの紛糾などお構いなしに、ミラクルマンは魅力的な目を細めて微笑んでくる。

  僕たちアゴン族は、仏陀の教えを伝える唯一のインディアンなんだ。


2

 私たちが住む世界は“Mアメリカ”と呼ばれている。
 このMの意味は公式には決められていないらしく、架空世界としての形而上的(メタフィジカル)アメリカだとか、その場しのぎの避難所としての束の間の(モーメンタリ)アメリカとか言われている。そうした中でも、あのMこそ千年王国(ミレニアム)の頭文字というのが、とても恣意的で魅力的な意見だった。

 貴方たちは、あの“大洪水”から逃げた人たちだ。
 現実の体を水槽の底に横たえて、精神的(メンタル)アメリカに避難した賢明な人たち。貴方たちが去ったことで、この大地はすっかり寂しくなってしまった。だからだろうね、貴方たちは僕らが暮らす場所を“空っぽ(エンプテイ)”と呼ぶんだ。
 でも悪いことじゃない。アゴン族の言葉では人間が暮らす大地のことを閻浮提(エンブーディ)と言うんだ。これは仏教的な言葉だ。だから“エンプティ”はぴったりの呼び方だね。
 それで、最初にどこから話せばいいかな。順番が前後してしまうかもしれない。でも、貴方たちにとって時間は尽きないもののはずだから、必要なところを切り取って見てくれれば良いと思う。

 画面の向こうでミラクルマンが申し訳無さそうな表情を作る。事実、公聴会が始まってからこちらでは九十日程度の精神時間(マインドタイム)が経過していた。この“Mアメリカ”では、実世界の一秒が四時間弱に相当している。
 そうした理由で、公聴会には絶えず新規参加者が訪れているが、最初の挨拶だけを見て満足した数十万人は既に立ち去っていた。私もここまでミラクルマンの姿を見守っていたが、いつまでも見続けるほど暇ではない。
 だから私もコピーを残して自分の生活に戻ることにした。他の視聴者の大半もそうだろう。
 三ヶ月ぶりに職場である弁護士事務所へ出勤し、日々寄せられていた案件に目を通す。案件の九割はこちらに残したコピーと自動化BOTが処理してくれていたが、一部については管理人格権限の承認を待っていた。
 今の“Mアメリカ”市民は非常に気が長い。数千年規模の時間感覚がそうさせるのだろう。

 そうだな、やっぱり僕が生まれたところから話をしよう。そうしたら、こうして世界が変わってしまった“大洪水”の話もできると思う。
 あの“大洪水”が起きた時、僕は十六歳だった。

 ミラクルマンの公聴会は、いくつかの話題がまとまってから編集されてアップされていた。人々はコピー人格が見続けた映像を圧縮して、自身が生きる精神時間の速度で視聴している。
 私もそうした多くの市民と同じだ。ミラクルマンの公聴会は短い時は数秒、長いものでも数分程度の細切れの動画として視聴するようになった。数ヶ月に一度のペースで更新された動画を確認する。仕事から帰ってきて、自宅でビールの栓を開けて、ベッドに寝転がって中空に浮かんだディスプレイに映るミラクルマンを眺める。それは新鮮な娯楽でもあった。

 僕はカリフォルニア州メンドシーノ郡にあるリトル・ペニー集落、つまり保留地で生まれた。一番近い街はブーンビルで、サンフランシスコから百マイルくらい北にある土地だよ。
 もしかしたらインディアン保留地と聞いて、広大な平原に革張りのテントが並んでいるのを想像した人もいるかもね。そういうのも悪くないけど、僕らの家は普通のトレーラーハウスだ。山沿いの集落に二十くらいの家が並んでる。一つの家に家族全員で住んでいるから手狭だし、それほど裕福な暮らしはできなかった。でも、だからってインディアンが貧困だなんて思わないで欲しい。僕たちは理由があって、そういう暮らしをしていたんだ。
 僕の一族は、歴史的にポモ族の一部だと思われてる。彼らの保留地とは近くで接しているし、僕の曽祖父の代まではお互いに婚姻関係もあった。でも彼らとは根本的に違うところがあって、その部分で同化することはなかった。何百年もね。
 だから、僕が街の小学校に入った時も、そういった他のインディアンとはあまり仲良くできなかった。クラスの三分の二が白人とヒスパニック、残りがアフリカン・アメリカンと僕たちインディアンだ。これから話すことは少し恥ずかしいけど、僕にとって大事なことだから話す。
 小学校に嫌なヤツがいたんだ。いじめっ子だ。そいつは……どこの部族かは伏せておくけど、僕と同じインディアンだった。白人の子供たちも、そいつには頭が上がらなかった。そいつの父親はカジノの経営者で、他の子供たちの親の雇い主だった。しかもギャングとも知り合いだって噂だ。クラス替えのリクエストは何度も出したけど、どこに逃げてもヤツは嫌がらせを続けるんだ。
 ある時、小学校に通う中で、僕と同じようにヤツからいじめられている白人の子と出会った。その子は頭が良くて、でも主張するのが苦手で、ヤツにとっては格好の標的だった。その子は僕よりも酷い暴力を受けていたし、性格的に殴り返すこともなかった。ちなみに僕は、腕力ではヤツに敵わなかったけど、ちゃんと反撃もした。同じインディアンだから立場は同じだったしね。
 それで、なんとなくだけど、その白人の子と一緒にいるようになった。あえて理由をつけるなら、その子だけが他のクラスメイトとは違っていたからだと思う。その子はいじめっ子の父親が恐ろしいから反撃しなかったんじゃなくて、単に逆らうことを馬鹿馬鹿しく感じてるみたいだった。
 それで、その子は、僕にとって初めての友達になった。
 だから僕は、その友達にアゴン族の秘密を少しだけ教えることにしたんだ。
 あれは九歳の夏で、僕らはデイキャンプに参加していた。夕方、いじめっ子の呼び出しを受けて、二人してヤツのサンドバッグになってやった。特別にね。その暴力が終わったあと、僕は泣きじゃくる友達の手を引いて自分の保留地に連れて行った。
 まず僕は自分の祖父を友達に紹介した。祖父はアゴン族のアラカ……、一般には呪医(メディスンマン)って言われる祈祷師だけど、そういう立場の人物だった。祖父は泣き止まない友達の頭に杖を当てて、短く祈りを捧げた。そしてこう言った。「この世界は苦しみでできている。生きること、病気になること、老いること、死ぬことの四つの苦しみだけがある」ってね。これはアゴン族の教えで、つまり仏陀の教えでもある。友達は最初、その言葉の意味がわからなかったみたいだけど、それでも祖父が自分を慰めてくれたことを理解して笑ってくれた。
 それから僕も、友達に因果応報と輪廻転生の話をした。悪いことをすれば悪い結果になり、良いことをすれば良い結果になる。それに現世で悪いことをすれば、来世で人間になれない、動物や虫になるんだよ、って話した。そしたら友達は「あのいじめっ子の来世はガラガラヘビで、また人間を襲うだろう」って言った。その冗談に僕らは笑ったけど、今にして思えば、悪行をなすのに人間も動物も関係ないっていう考え方は正しかった。何に転生しようと、良いことはできるし、悪いこともできる。
 それで、話の続きだ。
 僕と友達は相変わらずいじめっ子の暴力に耐えていたけど、ある日、ヤツの父親がインディアンゲーミング委員会に訴えられた。法律を無視してカジノで荒稼ぎしていたのが問題になったんだ。普通、インディアンカジノは部族全体の利益になるから部族政府は味方になる。でもその時は部族政府も擁護しなかった。ヤツの父親も嫌われ者だったのさ。カジノは一時的に閉鎖され、いじめっ子の立場は逆転、威張ることなんてできなくなった。
 その様子を僕らはただ眺めていた。復讐なんて馬鹿げたことはしない。これが因果応報なんだ、って二人で納得するだけだ。
 この事件のあと、友達は僕のことを“ミラクルマン”と呼ぶようになった。「君の言う通りだった。君は奇跡を起こすんだ」って。アゴン族の教えに奇跡なんてものはないけど、僕は友達からの贈り物を大事にすることにした。
 それから僕らは仲良くなった。街で一緒に遊ぶこともあったし、その子を保留地に呼んで遊ぶこともあった。もしかしたら、その子の両親は嫌な顔をしたかもしれないけど、僕らは間違いなく友達だった。自然の話をして、仏教の話をして、将来の夢も話した。その子は医者になりたいと言って、僕はプロゴルファーになりたいと言った。

 ミラクルマンは画面を通して自分のことを語り続けた。
 誰しもが経験するような、幼少期の小さな挫折と回復の情景には胸を打つものがあったが、多くの“Mアメリカ”市民にとってはテレビ番組を見るくらいの感覚だ。とはいえ、今現在も作られている無数のくだらない動画と比べれば“エンプティ”のリアルという部分で圧倒的に勝利しているが。
 もちろんミラクルマンの公聴会は市民の間でも話題になっている。
 アメリカ人にとって「仏陀を信じるインディアン」というものは目新しかった。既に数千人もの人間が、ミラクルマンが語った親友は自分のことだと名乗り出ていた。
 目敏いライターなどはミラクルマンの公聴会が終わってもいないのに、独自に調べたアゴン族のレポートを書籍化して話題をさらっていった。ただし、そのベストセラーの内容はミラクルマン自身が語った経歴と違ったらしく、一年も経たずにフェイク扱いされてしまった。こちらが長い時間をかけて調べたことだろうと“エンプティ”側の一秒にも満たない言葉で覆されるのだ。不死に近い“Mアメリカ”の住民であっても、数年分の蓄積が無駄になるのは気分が悪い。だから公聴会を見届けてから議論しよう。そういう不文律が生まれた。
 そして事態が動いたのは、ミラクルマンの公聴会が始まってから八年が経過した頃だった。

 そんな穏やかな時間も、あの“大洪水”が起きて終わりを迎えた。

 コピー人格の方がミラクルマンの発言をピックアップした。
 話題が変わったことを知り、これまでコピーに任せていた人々が公聴会の様子を確かめに戻っていく。私も“エンプティ”と同じになるよう精神時間を落として、リアルタイムでの視聴を求めた。

 黒くて不気味な死の波だ。
 ニューヨークに降り立った波は、まるで数百年前に白人が辿った道をなぞるみたいにしてアメリカ全土を征服していった。それは一七六三年の王立宣言のようにアパラチア山脈を越え、一八三〇年の移住法のようにミシシッピ川を渡っていった。
 次々と人が死んでいって、各地で暴動と小規模な戦争が起こったはずだ。そして“大洪水”になって、アメリカ西部も水浸しになった。白人は大昔に明白な運命(マニフェストデスティニー)なんていう言葉を使って、自分たちが西へ進むことを正当化したけど、あの“大洪水”を運命だなんて呼びたくはないと思う。アメリカに暮らす人間なら、誰だってね。

 ミラクルマンの話題が“大洪水”に及んだ時から、公聴会の同時視聴者数は伸びていった。今では一千万人を超える“Mアメリカ”市民がリアルタイムで公聴会を見守っている。数多くの管理人格が集まっているから、街の方はコピーでいっぱいだろう。

 そして僕の暮らす西の果てにも“大洪水”はやってきた。
 まずサンフランシスコに暮らすアメリカ人の半分近くが“大洪水”の被害者になった。生き残った者でも、暴動と戦争で何百人も命を落とした。それから“大洪水”から逃げ出した人たちが田舎まで押し寄せて、そこでも戦争と死の波を撒き散らしていった。
 そうした時、多くのインディアンはアメリカ人が自分たちの保留地に逃げ込んでくるのを防いだ。土地に踏み入ろうとする人間を必ず追い払った。近くの部族と協力して軍隊みたいなものだって作った。僕たちはただ、保留地に閉じこもって“大洪水”が終わるのを待っていたんだ。
 そして、僕たちとアメリカ人は完全に断絶された。
 保留地に引かれていた電気と水道は止まって、食料も自給自足になった。飢えに耐えられなかったインディアンは保留地から逃げ出したけど、ほとんどの部族政府はそうした人間を構成員から除外していった。
 僕らの断絶の時代は数年も続いた。もうテレビもラジオも聞けなかったから、外の状況は断片的にしか聞こえてこなかった。そうこうしている内に世界は静かになって、いくつかの部族を代表して数人が様子を見に行くことにした。
 すると、そこにはもうアメリカ人は──貴方たちはいなかった。
 貴方たちは新しいアメリカを見つけていたんだ。人々がお互いに離れて生きていく中で、この現実の大地を必要としなくなっていた。僕の大事な友達も、別れの挨拶をすることもなく、この世界から去ってしまった。

 そこでミラクルマンの顔から微笑みが消えた。
 ミラクルマンの落ち着いた調子とは正反対に“Mアメリカ”国内では騒ぎが大きくなる一方だった。あの忌まわしい“大洪水”を思い起こしただけでなく、その生き残りからのメッセージに戦慄していたのかもしれない。

 アゴン族の神話について話そう。
 この世界は水平の板で、その表面は水に覆われていた。そこに仏陀の前世であるハクトウワシとコヨーテがいた。やがて世界が少しだけ傾き、水のあるところと乾いたところに分かれた。ハクトウワシはコヨーテに様子を見てくるように命じた。コヨーテは水が消えている箇所を見つけ、そこを大地と呼んだ。それが僕らの暮らす世界の始まりだ。
 これと同じような神話は他のインディアンも伝えているし、旧約聖書にも似た場面があるはずだよ。大洪水が起こった後に、大地に再び人が住めるかどうかをハトに確かめさせるんだ。

 そして、次にミラクルマンが放った一言によって“Mアメリカ”は大きく揺れ動く。

 だから僕は大地に残ったインディアンを代表して、貴方たちに呼びかける。
 あの“大洪水”は去った。貴方たちは帰ってきても良いんだ。


3

 アメリカが不安と断絶に覆われた時代があった。
 人々はあれを“大洪水”と名付けているが、それは複合した災害を呼び表すもので、その発端は致死性の昏睡症の広まりだった。
 流行病を恐れた経済は停滞し、多くの企業が倒産し、より多くの失業者が生まれた。やがて病気は社会の貧困層に蔓延し──当時の医療制度から言って当然の結果だったが──不満のはけ口として人種差別が横行した。その対応として実に前時代的な隔離政策が取られたが、それに西南部の州が反発し、各地で暴動が起こり始めた。警察機能は麻痺して、暴徒がいくつもの店舗を荒らして回った。有名人もメディアも煽りに煽って、いつしかアメリカに精神的な分断が訪れた。
 大統領は人気取りのために他国を非難し続けて、やがて小規模な紛争を起こすと、今度は世論が完全に割れて複数の州が衝突するようになった。それと時期を同じくして二つのハリケーンが太平洋側を襲い、一つの地震がカリフォルニアを襲った。数万人が簡単に死んで、何百万人というアメリカ人が社会的に孤立した。
 経済とインフラの喪失は人間から社会を奪い、暴力が共通の通貨になった。

 アゴン族の教えに“六つの生き方(タディ・ワドゥ)”というものがあるんだ。
 それは世界にある全ての魂の行く先を言ったもので、星の人々(スターピープル)、人間、戦士、獣、精霊、悪霊の六つに分けられている。魂は死んだ後、このどれかに生まれ変わる。その繰り返しさ。
 あの“大洪水”の時代は、人間の魂は人間の皮をかぶったまま獣か、もしくは悪霊になっていた。欲しいものは他人から奪い、自分以外の誰かの不幸を願っていた。

 私が自宅を出た時、ミラクルマンの動画が参照された。それまで“大洪水”のことを考えていたから、それに沿った内容を編集して出してきたのだろう。
 自動運転車に乗って弁護士事務所に向かう間、私は半年ぶりに更新された公聴会の様子を見ていた。ミラクルマンの言葉は私たちを責めているようにも聞こえ、思わず画面から目を背けてしまった。
 車窓の向こうに広がるのは、太陽が降り注ぐサンフランシスコの街並みだ。緑の木々と青い空を縫う無数の電線。淡い色合いの家々は古風で理想的なビクトリア様式。まるでドールハウスの見本市だ。
 しかし、この光景は“エンプティ”には存在しない。
 あの“大洪水”の渦中に起きた大地震が、この街の全てを破壊してしまった。トランスアメリカ・ピラミッドも、ロッタの噴水も、カストロ劇場もだ。だからミラクルマンが話すほど“Mアメリカ”と“エンプティ”の断絶が意識させられた。

 多くの人々が獣や悪霊の魂を持っていた時代に、何人かは人間や戦士のまま生きた。そうした人たちは、自分たちの魂を良い場所へ導くための方法を考えた。そうだよね。

 いくつもの災害が重なって、世界から社会が消えかけていた時、一部の人たちがアメリカを凍結保存することを選んだ。
 最初の提唱者は巨大複合企業のCEOだった。以前から大仰な計画を発表することで有名な人物だったが、彼が実際に披露したものは間違いなく驚きをもって迎えられた。サンフランシスコにあるニューロテクノロジー企業が研究していたのは、人間の脳を凍結し、その精神をコンピューター上で走らせるといったものだった。それもアップロードされた精神は、現実時間の約十六万倍のスピードで活動できるという。
 誰もが最初は一笑に付したが、発表されてから一ヶ月後に当のCEOが仮想世界からメッセージを送ってきた。これが“新大陸”の発見でもあった。
 各地に潜んでいたトランスヒューマニズムの信奉者は、早々に用意されたチケットに飛びついた。続けて名乗りを上げたのが福音派と、いわゆる典型的なホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント(WASP)たち。どちらも大統領の支持基盤。そんな彼らに付随して、他の宗教的保守層も神の国の到来を信じた。
 そうして企業と契約した人間は地下深くに運ばれて、そこで脳を機械に繋いで肉体を凍結させる。精神だけがアバターをまとって、コンピューター上に作られた空間を自由に飛び回ることができる。時間の制約もない。
 人々は“大洪水”から逃げるために箱舟に乗り込んだ。船の名前はメイフラワー号。新時代のピルグリム・ファーザーズは“Mアメリカ”に辿り着いた。

 人間や戦士の魂は、星の人々に生まれ変わった。
 その魂は天国に一番近い場所に暮らしていて、地上の苦しみから解き放たれて、ただ音楽を奏で、花を降らし、目を合わせるだけで子供を作ることができるんだ。
 そして星の人々の寿命は長くて、彼らにとっての一日は、僕らの時間では四百年と言われている。アゴン族ではそう伝えられているけど、実際は逆だったね。現実で一日が経つ間に、貴方たちの世界では四百年以上の時が経っている。

 かつて冷凍睡眠の研究が流行ったことがある。それは現在の医療技術では治せない患者を冷凍保存しておき、未来に技術が進歩した際に解凍し治療するためのものだった。
 それと同じことを国家に対して行ったのだ。
 現実世界を襲った“大洪水”の影響は、その後も数年は続くと予想されていた。アメリカが復活するまでの時間は、その五倍はかかるだろうとも。
 それほどの時間を暴力と闘争に割くことはできない。アメリカは“大洪水”を無かったことにし、別の時間軸で生きていくべきだと主張する者が増えた。政府機能も仮想の“Mアメリカ”に移すべきだという声も出てきた。もし国家存亡の危機が迫ったのなら即座に解凍すればいいだけだ。その実質的な時間が僅か一日であろうとも、我らが“Mアメリカ”は数百年分の蓄積ができるだろう、と。
 一枚のコインがアメリカ市民に配られたのだ。
 コインの表は不老不死の達成、裏は現実世界からの逃避。どちらの面を見るかは自由だったが、それをベンディングマシンに投入すれば「恒久的かつ独善的な平和」が出てくる。
 あらゆる企業がリスクを分散するために精神時間を取り入れることにし、仮想の“Mアメリカ”への移住計画が着々と進んでいった。確かに対価は必要だったが、既に現実世界での資産は意味を成しておらず、支払い代金は移住先で稼げば良かった。とても効果的な宣伝だ。
 やがて国家の凍結が現実味を帯びてきた。
 先んじて“Mアメリカ”へ移転した企業は、数百年分の蓄積で様々な特許を取得し、それを外へ持ち出すことで世界経済の中で繋がりを維持した。また数多くの技術的進歩は、軍事と医療の完全な機械化を達成した。工場で新たに作られたドローンたちは大陸を監視しながら、破壊された土地を少しずつ修復する機能を持っていた。政府機関も次々と持ち込まれ、いつしか人間の手を介さずとも国家が動くようになった。
 アメリカ崩壊の遠因である人種的対立ですら、半永久的な時間の中では消失した。あれほど争った人々が、仮想世界の中では手を取り合って生きることができた。ただ悔い改め、神を信じさえすればいい、まさに至福千年の実現だ。
 そして現役大統領が“Mアメリカ”に旅立った時、この国は眠りについた。

 星の人々になった貴方たちにとって、アメリカ大陸はもう必要ないのかもね。

 しかし、この“Mアメリカ”にはミラクルマンのようなインディアンは含まれていない。公聴会での話にあったように“大洪水”の後に複数の部族と交流が途絶えてしまったからだ。
 少なくない人たちが、インディアンも平等に“Mアメリカ”へ移住させるべきだと訴えた。しかし、その議論は立ち消えになった。
 アメリカが生まれて数百年、白人はインディアンたちを何度も強制的に移住させてきた。その悲劇的な歴史を再び繰り返すのか。インディアンたちは自分たちの部族政府を持つのだから、その自主的な決定を尊重すべきだろう。そういった批判が続出した。実に傲慢な慈悲深さだった。
 一方でインディアンを現実世界に残すことの効能も説かれた。
 建国以来、白人が奪ってきたインディアンの土地を、つまり北アメリカ大陸を一時的であれ返却できる。我々は“Mアメリカ”に旅立ち、その代わりに彼らには大地を明け渡そう。そういった言説が溢れていった。アメリカが生まれた瞬間から抱えてきた罪を、この機会に清算しようとした。
 私自身はそういった議論を疎ましく思っていた。
 人から奪った玩具が壊れてしまって、それを返したから貸し借りはなしだというようなものだ。今までだって玩具が少しずつ壊れる度に、いつ返そうか、代わりのものを用意しようか、そんな風に悩んできた。これはアメリカの歪んだ良心だ。

 今のアメリカは五百年前と同じ、誰のものでもない大地になった。ああ、そこは勘違いしないで。僕らインディアンはアメリカに住んでいただけで、この大陸は誰かのものじゃない。
 でも僕らが喜んでいるのは確かだ。
 多くの人々が大地から立ち去ったあと、この地に残ったのは僕らインディアンと、孤独に生きることを決めた人々、そして交代しながら貴方たちの世界を管理している最低限の市民たちだ。
 もう僕らを縛るものはない。保留地は消えて、あらゆる部族が自由に暮らしている。インディアン同士での対立もあったし、いくらかの不便さはあるけれど、先祖の暮らしに戻るだけと思えば誰もが納得できた。
 そして、ようやく事態が落ち着いたから、こうして貴方たちへの呼びかけも行える。貴方たちは帰ってきても良い。もう“大洪水”はなく、大地はすっかり乾いて、太陽は東の空に昇っている。
 もちろん、わかってる。
 たしかに星の人々の世界には多くの苦しみがない。星の人々の魂は、人間の魂よりも天国に近い。貴方たちは優れた魂を持っているはずだ。
 だけど、それは“目覚め(カマム)”……、悟りではないんだ。
 アゴン族の教えは“六つの生き方”を経て、最後に悟りを得ることなんだ。世界にある苦しみから、本当の意味で解放されるために今を生きることだ。僕たちは今、この荒れ果てた大地の上で悟りを探している。そして、いつか必ず辿り着く。
 その時、僕たちは貴方たちを置き去りにしたくない。

 ミラクルマンは微笑んだ。一年半ぶりの笑みだった。
 私たちはミラクルマンの言葉を考える必要がある。数百年に渡ってアメリカが忘れようとしたはずの相手は、この“Mアメリカ”に手を差し伸べた。

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この続きは書籍でお楽しみください。

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『アメリカン・ブッダ』
柴田勝家
装画:タカハシヒロユキミツメ

もしも荒廃した近未来アメリカに、 仏陀を信仰するインディアンが現れたら――未曾有の災害と暴動により大混乱に陥り、国民の多くが現実世界を見放したアメリカ大陸で、仏教を信じ続けたインディアンの青年が救済を語る書下ろし表題作のほか、VR世界で一生を過ごす少数民族を描く星雲賞受賞作「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」、『ヒト夜の永い夢』前日譚にして南方熊楠の英国留学物語の「一八九七年:龍動幕の内」など、民俗学とSFを鮮やかに交えた6篇を収録する、柴田勝家初の短篇集。解説:池澤春菜


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