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「CO2ゼロは達成できる」ビル・ゲイツがそう断言する理由 『地球の未来のため僕が決断したこと』訳者あとがき

気候変動により引き起こされる暴風雨、洪水、旱魃、感染症の拡大によって、今世紀中に新型コロナウイルスの5倍の人命が失われると予想されている。その原因となる年間510億トンの温室効果ガスの「ネットゼロ」を実現するために、マイクロソフトの共同創設者であるビル・ゲイツは多様な分野の専門家と協力し、多くの取り組みを行ってきた。その成果を生かして、「気候大災害」を防ぐために必要な科学技術や投資活動を解説した『地球の未来のため僕が決断したこと』から、訳者あとがきを公開する。

我々は「真の進歩を成し遂げられる」。そう断言するビル・ゲイツの目には、どのような未来が見えているのか。

訳者あとがき

地球が温暖化していることに疑いの余地はなく、その影響はきわめて深刻になることが予想される――国連の〈気候変動に関する政府間パネル〉(IPCC)の第五次評価報告書でも確認されているこの事実はすでに広く受け入れられており、気候変動への対策を論じる書籍も数多く刊行されてきた。

本書もそれらのなかの1冊ではあるが、きわめて特徴的な1冊でもある。マイクロソフト社の共同創業者・技術者であり、ビル&メリンダ・ゲイツ財団で発展途上国の健康や貧困の問題に取り組んできた慈善活動家でもある著者、ビル・ゲイツの足跡と関心がはっきりと反映された1冊だからである。

第一に、本書では何より技術による解決策に焦点が合わされる。「テクノロジーのマニア」を自称するゲイツは、「問題を示されれば、それを解決する技術を探す」。気候変動では、問題は「大気中の温室効果ガスを増やすのをやめなければ、気温は上がりつづける」ことである。現状では年間およそ510億トンが排出されている。これをゼロにしなければならない。

この問題にたいしてゲイツは、「それを解決する技術」を提示する。年間510億トンを、電気を使う(27%)、ものをつくる(31%)、ものを育てる(19%)、移動する(16%)、冷やしたり暖めたりする(7%)の5つの分野に分け、最先端の研究の到達点をふまえながら、各領域で既存の炭素ゼロ技術の選択肢およびその可能性と限界を示していく。

ここでゲイツを動かしているのはゼロ達成への強い使命感だが、それだけではない。彼は技術そのものに魅了されてもいる。息子と発電所の見学を楽しみ、電気を安く安定して供給するインフラに「畏敬の念を」抱く。タンザニアの流通施設を訪れ、「魔法のような」肥料の山の前でとびきりの笑顔で写真に収まる。「テクノロジーのマニア」、”ギーク”であるがゆえの技術への愛と信頼が、本書全体のオプティミズムを支えている。多くの障壁があり、さまざまなブレークスルーが必要ではあるが、技術によってゼロを達成することは可能だとゲイツは確信しているのである。

第二に、ゲイツの議論の根底には、アフリカやアジアの発展途上国で貧困削減に取り組んできた経験がある。そもそも彼が気候変動を重視するようになったのも、貧困国のエネルギー問題に取り組むなかでのことだった。したがってゲイツは、貧困国の人びとがよりよい暮らしができるよう世界のエネルギー使用量は増やすべきだと考えている。「世界全体ではエネルギーによって提供されるものやサービスがもっとたくさん利用されてしかるべきである」。

ただしそのエネルギーは炭素を排出しないクリーンなものでなければならない。「必要なのは、気候変動を悪化させることなく低所得者が経済発展のはしごを上れるようにすることである」。

これが本書で繰り返し強調される点であり、ゲイツの議論の前提となっている考えである。脱成長ではない。成長をつづけながらゼロも実現する必要があるというわけだ。

また、気候変動は地球全体に影響を及ぼすが、なかでも大きな被害を受けるのは貧しい地域で暮らす人びとである。「ひどく不公平なことに、世界の貧困者は気候変動の原因になることを事実上何もしていないのに、その影響に最も苦しめられる」。それゆえ、貧困国の人びとは温暖化の影響に適応できるよう支援を受けてしかるべきである。「僕たちにできるいちばんの手助けは、貧しい人たちが気候変動に適応するのを手伝い、健康を確保して生きのびられるようにすることなのです。そして、気候が変動するなかでもいい暮らしができるようにすることです」

このように世界で最も貧しい人びとに焦点を合わせ、公正な適応とエネルギー移行を強調する立場は、これまでの彼の貧困削減への取り組みの延長線上にあるものだといえよう。

最後に、ゲイツはゼロ達成に向けたイノベーションをビジネスの文脈で考えている。これは「慈善事業ではない」と彼は強調する。「科学においてブレークスルーを起こし、新しい企業からなる新しい産業を生み出して、雇用創出と排出削減に同時に取り組めるチャンスでもあると見なすべきだ」。というのも、「炭素ゼロの企業や産業をつくった国が、この先数十年の世界経済を牽引することになる」からである。またゲイツは、斬新なアイデアを取り上げて発展、展開させる資本市場の力も信じている。こうした視点も、企業家としてみずからひとつの産業を生み出した経験と自信によって支えられているのであろう。

本書では、炭素を排出する既存技術と排出ゼロの新技術のコスト差を示す「グリーン・プレミアム」という概念が中心的な位置を占めるが、これも市場原理と経済的合理性のうえに成立している。現行の技術よりもコストがあまりにも高いと、炭素ゼロ技術への移行はすすまない。その差額を埋めることが重要なのである。

このようにゲイツは貧困者の生活の質を確保しつつ、技術と市場によって気候大災害を回避する道を示す。とはいえ、技術と市場だけではゼロを達成できないことも強く認識している。技術と市場をうまく機能させるには、政策が適切に運用されていなければならない。排出ゼロという目標に合わせて税制や法律を整え、政府が研究開発に資金を投じることによって、はじめてゼロ達成の可能性が現実味を帯びるのである。「市場、技術、政策は、化石燃料への依存から離れるために引かなければならない三つのレバーのようなものだ」とゲイツはいう。「三つをすべて同時に、同じ方向に引く必要がある」。こうした視点も、マイクロソフトでの成功と失敗の体験や、貧困削減の取り組みにおける各国政府との交渉の経験に支えられている。

とはいえ望ましい政策を整えるのはきわめて困難な作業である。というのもそれは根本的に政治の問題だからだ。だれが参加してどのように政策を決めるのかは政治の問題である。そこには当然ながら利害の対立や権力関係が絡んでくる。どの技術をいかなる価値観にもとづいて追求するのかを決めるのも政治である。市場が”自由”でなく政治と不可分であることも周知の通りだ。

「気候変動をめぐる議論は政治に足を引っ張られている」とゲイツもいう。そのうえで、「僕の考え方は政治学者ではなくエンジニアのものであり、気候変動の政治問題を解決する方法は僕にはわからない」と率直に認めている。「したがって僕は、ゼロの実現に何が必要かという議論に焦点を絞りたい」

本書では直接論じられない政治の問題は、当然ながらほかで議論される必要がある。しかし本書は、その議論の土台となる材料をだれにでもわかることばで網羅的に提供してくれる。政策によって技術と市場をうまく導き、グリーン・プレミアムを減らして排出ゼロ技術への移行をうながすという枠組みを念頭に、各領域で現状をふまえつつきわめて具体的な計画を提示する本書は、年間510億トンの温室効果ガス排出をゼロにするという大きく困難な目標が達成可能であることを示してくれる。

なお、ビル・ゲイツとメリンダ・フレンチ・ゲイツは2021年5月に離婚を発表したが、使命を同じくする者として財団での貧困削減などの仕事に引きつづきともに取り組むとしている。

本書の「おわりに」でも述べているように、ゲイツはその後も気候変動とCOVID-19というふたつの切迫した問題の解決にむけて力を注いでいる。「クリーン・エネルギーの研究開発に投資すれば、政府は経済回復を促進し、同時に排出削減も手助けできる」、また、COVID-19を抑えるのと同時に気候変動でも「真の進歩を成し遂げられる」という彼のことばに迷いはない。


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