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いったいなぜ、なんのために、私たちはスポーツをするのだろうか。『スポーツは人生に必要ですか』まえがき/為末大

2023年夏の甲子園優勝を果たした慶應高校野球部監督の森林貴彦氏と、元陸上競技選手の「走る哲学者」為末大氏の対談『スポーツは人生に必要ですか』が12月18日(水)にハヤカワ新書より刊行。仮に名誉も金銭も得られず、進学にも有利ではないとしたら、スポーツはどう役に立つのだろうか? 刊行に先がけ、為末氏による本書の「まえがき」を公開します。

『スポーツは人生に必要ですか』まえがき 為末大


ほとんどスポーツに興味がなかった友人が慶應高校と書かれたTシャツを着て、慌てて大阪行きの新幹線のチケットを買っていた。慶應高校のTシャツを着るのも初めてだろうし、もしかするとスポーツ観戦も初めてだったのかもしれない。

2023年の夏の慶應高校甲子園優勝はそれほど大きな衝撃を与えた。107年ぶりの優勝というだけではない。慶應高校野球部というチームのあり方が、異彩を放っていたのだ。

勝ち上がりシステムの甲子園は、全ての試合が一回勝負だ。チャンスはたった3年間。 敗退した時は泣く。プレーしている時は、必死な表情をしている。監督が喝を入れ、選手は大声で返す。張り詰めた緊張感が甲子園の普段の姿だった。

ところが、慶應高校の選手たちはそのような重圧から解き放たれているように見えた。いや、重圧はあるだろうし、真剣な顔をしているのだけれど、自由で、時折笑顔もあり、 仲間と声を掛け合っている。とにかく、野球素人の私にとっては選手たちの様子は今までとは違うように感じられた。その姿が衝撃を与えたのだろうと思う。

その慶應高校を率いる森林監督と対談をさせてもらうことになり、それをまとめたのがこの本だ。数度にわたる対談は非常に刺激的で示唆に富んでいた。私は何より、私の話を聞いている森林監督が常に頭の中で何かを考えている様子が非常に印象に残っている。

本書のタイトルは「スポーツは人生に必要ですか」だ。私自身が長い間、考えてきたテーマでもある。確かにスポーツはなくてもいいかもしれない。余暇は他にもたくさん あるし、健康のためであれば散歩などのエクササイズで十分だ。むしろ私のように徹底的に自分をいじめてしまうと、身体を痛める。今でも長い間下り坂を歩くと、ハードルを越え着地していた側の膝が痛む。

いったいなぜ、なんのために、私たちはスポーツをするのだろうか。

一方に、スポーツは余暇だという立場がある。スポーツの語源は「憂さ晴らし」や 「あそび」であると言われている。そうであるなら、スポーツはただ楽しみのために行なうもので、勝負にこだわりすぎたり、ましてや人生を賭けるようなものではない。大事なのはfunだ、と。

他方でスポーツは教育だという立場もある。スポーツは人を変える力を持っている。 全力で真剣に取り組むからこそ、悔しいし、嬉しい。だから勝負には拘らなければならない。人生をかけて挑むからこそスポーツから学べるものがあるのだ、と。

両者はしばしば対立するけれど、私の競技人生は絶妙なバランスでどちらも混在していた。だからこの二つは本当に対立するものなのか疑問にも思ってきた。真剣にやっていたかと言われればそうだと言える。しかしあれはあそびだったのではないかと言われるとそうだとも言える。

一見矛盾するように思えるこの二つを繋ぐ鍵となるのが「楽しむこと」だと考えている。「楽しんでやります」という時に、どうも人によって受け取るイメージが大きく違うようなのだ。だから楽しんでやるとは何事かと怒る人もいる。一方で、『フロー体験』を書いた心理学者のミハイ・チクセントミハイは、楽しんでいるフロー状態が最も幸福度も、パフォーマンスも高いと説明している。森林監督との対談を通じて、この 「楽しむ」という感覚を、かなりの程度言語化することができたと思う。

また、本書では、これからの人の育て方についても踏み込んでいる。

昭和のように四六時中働く時代ではない。一方で、好きなことだけをやり、楽しく生きることが成立するとも思えない。関係を深め、時に叱咤しながら育てていくのか、本人の自由を最優先し、育つかどうかも本人に委ねるのか。こちらも二者択一のように語られることが多い。

だが、本当はこの両者のあいだに、最適な育て方があるのではないか。ただ自由にさせるのでもなく、強制しガンガンやらせるだけでもない、個人が伸びていく方法を語り合った。

大人はつい「役に立つ」かどうかで考える。しかし、役に立つかどうかは何を成功とみなすかで決まる。スポーツで良い学校に行けるから役に立つと考える人は、学歴を重視している。スポーツで儲かるから役に立つと考える人は、金銭を重視している。しかし、もしそこから解き放たれ、名誉も金銭もなく、また進学にも有利ではないとしたら、 スポーツはどう役に立つのだろうか。一体なぜ私たちは子どもたちにスポーツを勧めるのか。問いに答えられたとは言えないかもしれないが、少し迫ることができたのではないかと自負している。

元アスリートの私個人としては、慶應高校野球部の部訓「Enjoy Baseball」のEnjoy は、ただ楽しいだけではないもっと深い意味があるはずだと感じていた。それを聞けたのが、とても楽しかった。

ぜひみなさんにも同じ体験をしてほしい。きっと人育てのモヤモヤが晴れるはずだ。


■著者プロフィール


森林貴彦(もりばやし・たかひこ) 1973年生まれ。慶應義塾高校野球部監督、慶應義塾幼稚舎教諭。2023年夏の甲子園で107年ぶりの全国優勝を果たし、選手の自主性を重んじる指導方針が注目を集める。著書に『Thinking Baseball』がある。

為末 大(ためすえ・だい) 1978年生まれ。男子400mハードル日本記録保持者(2024年現在)。三度の五輪出場を果たし、世界陸上のスプリント種目で日本人として初のメダルを獲得。引退後はスポーツを通じた教育活動に取り組む。著書に『熟達論』など多数。

目次

まえがき/為末 大

第1章 「努力できる人」の正体 練習論 
練習を楽しめる選手、楽しめない選手
二・六・二の法則
「数字には表れないけれど何かが変わっている」という感覚
「サイクル」を経験することの効能
創業経営者にスポーツ好きが多い理由
自分の自滅パターンを把握する
冬場はあえて理不尽系
揺さぶられることの重要性
「自分を変えることをいとわない」というマインド

第2章 意図を聞き、感覚を共有する コーチングの方法論① 
選手の内面にいかに入っていくか
コツの世界と法則の世界
指導のアートとサイエンス
慶應高校野球部のカギを握る「学生コーチ」
このチームのために何ができるか?
状況判断を復習し、確率を上げる
野球は「考えることができるスポーツ」
チームで先を読む力

第3章 勝負の味わい方 本番論
試合前の声かけ
勝負強さとは何か
想像力を断つ
監督と選手のメンタリティの違い
何を言ったかよりも「何でも言えること」が大事
「ワンオンワン」は非効率?
選手同士のフィードバック
自分のテンポを守る
周りの期待との向き合い方

第4章 「正しさ」への視点を養う コーチングの方法論②
子どもたちと一緒に考える
ティーチングとコーチングのバランス
伸びる子に共通するのは「素直さ」と「明るさ」
目先の勝利か、長期的な成長か
「ハック」の風潮に抗う

第5章 主体的に生きるために 人生論
主体性が生まれるきっかけ
失敗なんかない
「楽しむ」と「楽しまされる」
スポーツの「リアリティ」
考えることは人間に与えられた特権

あとがき/森林貴彦