
「小説は、人が遠くを想像することから生まれるもの」──台湾の作家・黄麗群さんが描く"近未来文学"のかたち
早川書房から夏に刊行された台湾現代文学の傑作を集めた文学集《台湾文学コレクション》の刊行記念として、10月26日・27日に紀伊国屋書店×台湾文化センター主催のイベントが行われ、台湾から黄麗群さんをお招きしたトークが行われました。黄麗群さんは、『台湾文学コレクション1 近未来短篇集』(三須祐介訳)内に収録されている短篇「雲を運ぶ」の著者です。
「雲を運ぶ」で描かれるのは、悲しみや苦しみなどの人間の感情が売買できる世界。主人公は、その感情の「運搬」を行うエージェントの仕事をしています。例えば、失恋をしても、エージェントに運搬を依頼すれば、翌日には苦しみが消えている――そのような世界で果たして人間は幸せになれるのだろうか、という問いを黄さんは読者に投げかけています。
この記事では、黄さんが来日イベントで日本語でスピーチされた文面全文を掲載します。

装画/今日マチ子
装幀/田中久子
皆さん、こんにちは。台湾から来ました黄麗群です。
今日は東京に来て、皆さんにお会いできてとても嬉しいです。また、紀伊國屋書店さん、早川書房さん、山口先生、白水先生、池上先生、呉先生、これまでずっとお世話になって本当に感謝しています。
実は、私の日本語はまだあまり流暢ではなくて、自然に話すのは少し難しいんです。でも、今日はこのスピーチを準備している中で感じた「近未来」というテーマについて、少しお話しさせていただければと思います。日本語が未熟なところもあるかもしれませんが、どうか温かい目でお付き合いください。
この原稿はこんな感じでできました。最初は中国語で書いて、それをChatGPTに日本語に訳してもらいました。その後、何度も調整してもらい、できるだけ堅苦しくならず、でもカジュアルすぎないようにして、難しい言葉も使わないようにしました。それから、ChatGPT に音声も生成してもらい、それを聞きながら練習しました。これは一見すると普通で当たり前の作業かもしれませんが、このプロセスを経る中で、私は「未来」というものが実はもうすでに私たちの生活の中にあることに気づかされました。未来って、老眼のようなものなんです。「いつか来る」ものではなく、気づいたらもう来ていた、知らぬ間にすでに私たちの日常の中に溶け込んでいるものです。
さて、次に『近未来短篇集』について少しお話しさせていただきたいと思います。私は、今の時代は「”遠く”がない時代」だと思います。世界中の出来事や驚きが、InstagramやTwitterを通じて、私たちのスマホにどんどん流れてきて、まるで目の前にあるように感じますよね。でも、小説というのは、「人が遠くを想像すること」から生まれるものです。「もしもこうだったら?」という問いがそのスタートです。だけど、遠くを感じにくい時代では、小説家が現実を乗り越えて、新しい物語やアイデアを見つけるのはますます難しくなっているように思います。だから、最近の台湾の作家たちは、歴史やSFといったテーマで新しい作品を発表しているのだと思います。これは作家としての本能で、「時間」の中に「遠く」を探しているのではないかと思います。

この短篇集には、私の作品『雲を運ぶ』も収録されています。簡単に紹介すると、「もし感情が社会の通貨になったら、人間はどんなふうに変わるんだろう?」という話です。中国語には「人の悲しみや喜びは分かち合えない」という言葉がありますが、この物語では「もし本当に感情が分かち合えたら、それで私たちは幸せになれるのか?」という問いを考えています。他人の心の動きや感情、喜びや悲しみを、どれだけ近づこうとしても、私たちは完全に理解することはできません。どんなに親しい人であっても、完全にその感情を共有することは難しいものです。人間にとって、他の人って、いつも遠くよりももっと遠い存在なんですよね。
そして、そういった遠くを追い求める姿勢こそが、小説家としての挑戦であり、また読者としての皆さんにとっても共感できる部分ではないかと思います。
ですので、「遠くがない時代」という視点でこの短篇集を読んでいただければ嬉しいです。この「近未来」という言葉は、ただのジャンルやテーマではなく、今の台湾の作家たちが、この時代の困難に向き合いながら、意識的にも無意識的にもそれを乗り越えようとしている姿だと思います。もちろん、皆さんがこの作品を楽しんでいただければ幸いです。最後に、今日は本当に皆さんにお会いできて嬉しかったです、こんな素敵な機会をいただけて、心から感謝していますし、皆さんが少しでも楽しんでいただけたら幸いです。今日はありがとうございました。
***以下、中文***
各位午安,我是來自台灣的黃麗群。
今天很高興能來到東京跟大家相見,也非常謝謝紀伊國屋、早川書房、山口老師、白水老師、池上老師以及吳老師一路以來的大力幫忙。
其實我的日文並沒有流利到可以自然地對話,但是,我想從我自己準備這段發言的過程,談談「近未來」這個概念。
這份講稿是這樣完成的:我先以中文寫好,接著利用Chatgpt翻譯成日文,我會反覆要求它調整成適當的語氣,盡量不要太嚴肅,但也不能太隨便,最好也不要有太難念的詞彙。接著,它可以輸出整段講稿的讀法及語音,讓我照著它練習。一切聽起來非常尋常與事務性,卻使我深深感到,我正在以一種非常普通、非常不戲劇化的方式,活在「未來」裡。未來這個概念,就跟我的老花眼一樣,並不是「以後會來」的事,而是「當你發現時,它早就來了」的事。
而關於這本「近未來短篇小說選」,我也想提出一點個人的觀察提供大家參考。首先,我認為我們已活在一個「沒有遠方」的時代,這世上所有的奇觀、事件與聲響,透過演算法爭先恐後經過instagram與推特,擠入我們的手機,並從螢幕近距離溢出。但小說的發生,都是「人類對於遠方的猜想」,是各式各樣以「what if」開始的疑問。那麼,在一個沒有遠方可言的時代,小說家想要突破這些密切覆蓋的真實,發現新的故事,發明新的猜想,的確愈來愈不容易,所以近年來,許多早期被視為純文學領域的台灣小說家,漸漸往「歷史」與「科幻」的主題發展新作,我認為這是一種創作者的本能,是不約而同在「時間」的向度上,發展「遠方」的可能性。
這本短篇小說集裡收錄了我的作品《搬雲記》,如果以幾句話介紹它,或許可以這樣說:「倘若情緒成為人類社會的貨幣,在這樣的交換體系裡,人類會突變成怎樣的東西?」中文裡有一句話說「人類的悲歡並不相通」,而這個故事想要猜測的是,就算悲歡確實相通,我們就會幸福嗎?對我來說,他人內心的動態,他人的感性機制,他人的歡樂與悲哀,另一個人永遠不可能真正抵達,對人類而言,另一個同類,永遠是個比遠方還遠的場所。
我想請各位嘗試以「沒有遠方的時代」這個概念,來理解這本小說集。書名中的「近未來」,並不只是一種類型與主題,而是當代的台灣的寫作者們,正在有意識或無意識地,嘗試突破這個時代帶來的困難。當然,也希望大家從中得到閱讀的樂趣,並喜歡這本作品。謝謝大家。

黄麗群(ホワン リーチュン)
1979年台北生まれ。時報文学賞、聯合報文学賞、林栄三文学賞、金鼎賞などを受賞。『近未来短篇集』収録の「雲を運ぶ(原題:搬雲記)」は2019年発表、『九歌一〇八年小説選』にて年度小説賞(大賞)を受賞。著書にはエッセイ集「背後歌」、「感覺有點奢侈的事」、「我與貍奴不出門」をはじめ、小説集「海邊的房間」、取材作品「寂境: 看見郭英聲」など。長くメディアの仕事に携わり、雑誌「Fountain 新活水」の編集長も務める。「いつかあなたが金沢に行くとき」(既訳)というエッセイを書くなど、大の金沢好きとしても知られる。