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ニール・スティーヴンスンが『七人のイヴⅠ』で描く迫真の近未来――SF研究家 牧眞司の解説「アクチャルな宇宙、迫真の未来、人類の選択」


ビル・ゲイツが絶賛し、オバマ前大統領が任期中に楽しんだ『七人のイヴⅠ』(日暮雅通 訳、2018年6月19日発売)。この近未来破滅パニックSF大作の魅力を、SF研究家・牧眞司氏の解説でご紹介します。 

※書影はAmazonにリンクしています。

アクチャルな宇宙、迫真の未来、人類の選択
          SF研究家  牧眞司

 本書はニール・スティーヴンスンSeveneves(2015)の全訳である。原書は850ページを超える分厚い一冊本だが、邦訳は3分冊でお届けする。
 ある年代以上のSFファンにとって、ニール・スティーヴンスンの名前は特別な輝きをまとっている。日本に初めて紹介された『スノウ・クラッシュ』(原著1992年/邦訳1998年)は、激変の近未来を活写したポスト・サイバーパンクの傑作として高い評価を得た。サイバーパンクの新鮮さの一端は、研究室で扱うテクノロジーではなく、ストリートにバラまかれたジャンクとして捉える感覚にあった。しかし、ブルース・スターリングのいくつかの作品などの例外はあるものの、登場するテクノロジーは技術的ディテールをともなわない、修辞や意匠、あるいはせいぜい機能にすぎない。それに対し、『スノウ・クラッシュ』はアクチャルな描きこみが圧倒的だった。
 それにつづく『ダイヤモンド・エイジ』(原著1995年/邦訳2001年)、『クリプトノミコン』(原著1999年/邦訳2002年)も、時代設定や世界観はそれぞれ異なるものの、ディテールの緻密さは傑出している。それもオールドスタイルのハードSFが陥りがちな些末主義ではなく、ストーリーにしっかり噛みあって作品全体に特有の質感をもたらす。ちなみに『ダイヤモンド・エイジ』はヒューゴー賞、ローカス賞、SFクロニクル賞を、『クリプトノミコン』はローカス賞を受賞している。
 科学技術に精通しているだけではなく、それが社会・産業・文化のなかでどう動いているかを把握し、さらにその先へと想像を広げる思考の柔軟性を備えた才能。ジャーナリストと小説家の感覚を兼ね備えた書き手。それがスティーヴンスンである。彼はキャリアをスタートさせたときから「ベストセラーを狙う作家」を目ざしていたそうだが、第一作の学園小説 The Big U (1984)、第2作のテクノスリラー Zodiac(1988)と芳しい成果を出せず、舵をSF方向へと切りなおし『スノウ・クラッシュ』で大ヒットを飛ばした。また、その一方で、カルチャー誌〈WIRED〉などに科学技術に関するノンフィクションを発表しており、Some Remarks: Essays and Other Writing(2012)というエッセイ集も刊行している。
 本国アメリカの出版界でのスティーヴンスンの立ち位置は、ジャンルSFの作家ではなく、現代テクノロジー諸分野に広い見識を備えた文化的カリスマといったところだろう。アシモフやクラークの21世紀アップデート版、もしくはマイクル・クライトンのマニアックな上位互換バージョンというか。日本でいうと(作風はだいぶ違うけれど)瀬名秀明や藤井太洋が近いかもしれない。
 さて、本書『七人のイヴ』は、ひさしぶりに翻訳されるスティーヴンスン作品。バラク・オバマ大統領(当時)が「夏の休暇中に読む5冊」の1冊に選んだとか、ビル・ゲイツが自身のサイトで「2016年夏にお薦めの5冊」のひとつにあげて「思考を喚起する圧倒的な面白さ」と絶賛したとか、鳴り物入りの評判が聞こえていた。しかし、いちばんの驚きは本格的な宇宙SFだったことだ。
 これまでのスティーヴンスンのイメージは、ネットワークや暗号をはじめとするIT分野、ナノ・テクノロジー、技術史など人間の文化や身近な社会に関わるものが強かった。しかし、『七人のイヴ』はいきなり月が爆発するエピソードからはじまる。原因についてはさまざまな憶測がなされるが、有力な仮説も見つからない。当初は地球への影響もなく、月が7つに割れただけの派手な天体ショーくらいに受けとられていた。しかし、月の破片の衝突が観測され、今後の挙動をシミュレートした結果、衝突は指数関数的に増加することが判明する。月はやがて地球を取り囲む無数のかけら〈ホワイト・スカイ〉となり、二年後にはそれが地上に降り注ぐ〈ハード・レイン〉がはじまるだろう。死の雨は五千年にわたってつづき、地表は壊滅する。人類を滅亡させない手段は、たとえひとにぎりであっても選ばれた者たちを宇宙へ逃がすことだ。
「宇宙の方舟」というアイデアは、従来のSFでも繰り返し扱われてきた。地球の破滅という派手なシチュエーションが目を引くし、ドラマチックなストーリーを展開させやすい。もっとも初期の例として、ジャンルSFが確立する以前、アメリカのパルプ雑誌〈キャヴァリア〉に発表されたギャレット・P・サーヴィス The Second Deluge(雑誌連載1911年/単行本12年)があげられる。Delugeというのは「大洪水」であり、いうまでもなく旧約聖書「創世記」のノアのエピソードを示す。渦状星雲に突入した地球は全世界規模の洪水にみまわれ、これを予測した科学者が新金属で方舟を建造し、彼を信じてくれた数千人と動物たちを救う。
 フィリップ・ワイリー&エドウィン・バーマー『地球最後の日』(雑誌連載1932〜33年/単行本34年)は、ジョージ・パルの手によって映画化されたことで(1951年)、のちに大きな影響を与えることになった。こちらでは地球を滅ぼすのは放浪惑星であり、科学者主導でアメリカ政府が宇宙船を建造する。
 古いタイプのSFにおいて、「宇宙の方舟」は画像的イメージとしても格好の題材だった。それなりの年代の読者ならば、宇宙船にさまざまな動物が対になって乗りこむ絵柄をどこかで目にしたことがあるだろう。ジャック・ウィリアムスン“The Fortress of Utopia”(〈スタートリング・ストーリーズ〉誌1939年11月号)やロバート・F・ヤング“Deluge Ⅱ”(〈ファンタスティック〉誌1961年10月号)のカバーアート、もしくはそれを元にした小松崎茂が〈少年マガジン〉誌のグラビアに描いたイラストである。
『地球最後の日』でも宇宙船に乗る人間をどう選定するかが山場のひとつだったが、この問題をよりクローズアップし、サスペンスフルな人間ドラマを構成したのが、J・T・マッキントッシュ『300:1』である。〈F&SF〉誌に1953年〜54年に断続的に発表されたのち、54年に単行本化された。第1部が「300:1」、第2部が「1000:1」、第3部が「∞:1」と題されていることからも、事態が深刻化していくのがわかるだろう。邦訳版(ハヤカワSFシリーズ、一ノ瀬直二訳)の解説で、福島正実が「(宇宙船に搭乗できる少数の人間の選定は)一人の選択者の良識と判断とに委されるのだ。科学的でないといえば確かにそのとおりだが、それを敢てしたマッキントッシュの考え方は、ある意味で非常にヒュマニスティックだともいえる」と述べている。
『七人のイヴ』ではもっと複雑だ。地球規模の公平性を表向きに演出しながら、さまざまな駆け引きと調整が進む。国のあいだ、組織のあいだのタフな外交があるいっぽうで、迫る破滅のなかでの秩序と安寧を維持するためのメディア戦略がある。独善的(もしくは独裁的)に動ける者もいないが、公明正大にことが運ぶわけでもない。それは地上だけにかぎらず、宇宙の拠点となる国際宇宙ステーションでも同様だ。ステーションを中心に周囲を新しく打ちあげる宇宙船群で囲んで、人類居住区を確保しようという計画である。ステーションに元からいるのは合理的思考と良識をじゅうぶんに備えたひとびとだが、それでも属する体制、民族、出自、文化などによって思惑の違いが生じる。スティーヴンスンはその綾目を非常にキメ細かく描きだす。
 もちろん、移りゆく局面ごとに前景化される技術的ディテールは、これまでのスティーヴンスン作品同様、迫真性に富んでいる。作品中にも映画「アポロ13」への言及があるが、あの秒刻みの地球帰還オペレーションにシビれたかたならば、本書で同じ昂奮を味わえるはずだ。
 スティーヴンスン自身の公式サイト(http://www.nealstephenson.com/)に、この作品の執筆経緯があかされている。それによれば、『七人のイヴ』を実際に執筆しはじめたのは2013年秋で、読者に満足してもらえる結末のつけかたに苦労した以外は、順調に書きあげたという。それが可能だったのも、それに先立つ長い構想期間があったからだ。もともとの発想を得たのは、航空宇宙企業ブルーオリジン(Amazon.comの創設者ジェフ・ベゾスがオーナー)のアドバイザーを務めていた2004年ごろだという。
 スティーヴンスンが着目したのは、宇宙開発の障害となるスペース・デブリについての論文だった。ふたつのデブリの衝突によって撒き散らされたおびただしい破片が、玉突き的にさらなる衝突を繰り返し、そうして生まれた微細な破片が地球低軌道に立ちこめて、宇宙開発の妨げになる可能性が指摘されていたのである。「宇宙、そこは最後のフロンティア」というが、地表からわずか百マイルほど上空に突破不能の壁が立ちふさがる可能性のほうが、いっそう衝撃的だし、心を惹かれるアイデアではないか。
 ストーリー構築のうえで決めていたのは、つぎの3点。
(1) 地球近傍、せいぜい太陽系内を舞台とする
(2) 既知の科学知識を超えるテクノロジーを導入しない
(3) エイリアンを登場させない
 このうち (3) について、スティーヴンスンは「過去のSFはさまざまなエイリアンを想像し、そのなかには人類とあまりにも異質なものもあった。しかし、大衆文化に登場するエイリアンといえば、英語を話すヒューマノイドにすぎない。『スタートレック』などでは人間と交配すらする。けっきょく、エイリアンとは私たちなのだ」と述べている。
 本書をお読みになればわかるように、スティーヴンスンは人類のなかに発生する異質性を直視する。この巻では、わずかな考えかたの違い、思惑の差異だったものが、後続の巻では取り返しようのない対立と抗争、さらには種族的な分化へと至る。本書のタイトル『七人のイヴ』は、物語冒頭の7つに割れた月の残骸が象徴的だが、じつは最も大きな主題である種族分化(新世代の始母となる7人の女性)を示している。
 現実的な科学知識をベースとしながら、壮絶な人類未来史を描きぬくスティーヴンスンの想像力と力強い筆致、とくとご堪能ください。

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『七人のイヴⅠ』
ニール・スティーヴンスン   日暮雅通 訳
新☆ハヤカワ・SF・シリーズ  1700円(税別)
2018年6月19日発売  装幀:川名潤 解説:牧眞司
電子書籍版:6月末日配信予定

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