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【特別公開第四弾!】『機龍警察 暗黒市場』宇田川拓也氏文庫解説

8月18日の『機龍警察 白骨街道』の発売を記念して、今回は『機龍警察 暗黒市場』の宇田川拓也氏の文庫解説を特別公開します。〈機龍警察〉シリーズへの熱い思いと愛が書かれた素晴らしい解説です。『白骨街道』をお読みになる前にぜひこちらもご一読ください!

暗黒市場文庫

機龍警察 暗黒市場』解説

相似形の燭台に燃える“不屈の灯火

宇田川拓也(ときわ書房本店 文芸書・文庫担当

 月村了衛〈機龍警察〉シリーズは、すでに第二弾『自爆条項』で読み巧者からの支持を得ていたが、その人気と評価を一段と押し上げる決定打となったのは、第三弾となる本作『機龍警察 暗黒市場』にほかならない。
 年末恒例のミステリランキングでは、『このミステリーがすごい! 2013年版』(宝島社)国内編で第三位、「ミステリが読みたい! 2013年版」(早川書房/『ハヤカワミステリマガジン』二〇一三年一月号掲載)国内篇で第四位にランクイン。『自爆条項』での、第九位、第十二位、というそれぞれの結果から大躍進を遂げ、さらに第三十四回吉川英治文学新人賞を見事射止めている。
 シリーズの概要やエピソードごとに意匠を変えていくスタイルについてはこれまでの解説で言及済みなので、早速だが本作の内容に的を絞って進めていくとしよう。
 警視庁特捜部が擁する最新型特殊装備〈龍機兵(ドラグーン)〉搭乗要員として雇われた三人の傭兵たち。第一弾『機龍警察』ではアイルランドに伝わる原始の巨人の名をコードネームとする機体『フィアボルグ』を操縦する白髪のフリーランスの傭兵──姿俊之、第二弾『自爆条項』では同じくアイルランドの民間伝承で〈死を告げる女精霊〉を意味するコードネーム『バンシー』に乗る、かつては〈死神〉と恐れられた元テロリスト──ライザ・ラードナーの過去と因縁が描かれたが、いよいよ残るひとり、イングランド北部及びコーンウォール州に出没したとされる漆黒の魔犬の名をつけられた『バーゲスト』に乗る元モスクワ警察の刑事──ユーリ・ミハイロヴィッチ・オズノフにスポットが当てられる。
 物語は三つの章に分かれているが、第一章の序盤から大きな衝撃が走る。栃木県の集落で起きた歩行型軍用有人兵器〈機甲兵装〉を使った駐在所の急襲、遺体のなかから回収されたマイクロSDカードの内容に続いて綴られるのは、章題である「契約破棄」のとおりのまさかの事態だ。なんとユーリは警視庁との契約を解除され、さらにロシアの裏社会で特別な意味を持つ正統的犯罪者‟ヴォル”であり、〈影(ティエーニ)〉の通り名で知られるアルセーニー・ネストロヴィッチ・ゾロトフと接触し、武器密売を持ち掛ける。じつはこのふたりは幼馴染であり、ゾロトフはユーリに自身と対になる通り名〈灯火(アガニョーク)〉を与えるとともに消せない烙印を刻みつけた、切っても切れない間柄なのだ。この信じ難い成り行きの理由は物語が進むにつれて明らかにされるが、シリーズ随一のインパクトで目を釘付けにするオープニングである。
 続く第二章では、ユーリとゾロトフの少年時代の出会いから始まり、警視庁特捜部付警部という異端の存在である傭兵三人のなかで唯一「警察官」の経験を持つユーリが、モスクワ民警の刑事となったのち、なぜその職と祖国を捨てて傭兵に身を変え、それでもふたたび──しかも日本の警察に属するまでに至ったのか、そして左手に嵌めた黒い革手袋の秘密がついに詳(つまび)らかにされる。
 丸ごと伏線といっても過言ではない本作の重要な柱であり、この章だけ抜き出しても、有望な若き刑事に訪れる非情な裏切りと過酷な運命を描いた一級のロシアン警察ノワールとして通用するほどの極めて高い完成度には唸るしかないが、著者は『ハヤカワミステリマガジン』二〇一二年十一月号掲載「『機龍警察 暗黒市場』後記」にて、興味深い内容を記している。
 
 エンタテインメントの分野においてロシア、それも警察を扱う際に、トム・ロブ・スミスのレオ・デミドフ三部作は無視できない。トム・ロブ・スミス以前と以後とでは、ロシア内政に関するリアリティのレベルがはっきりと異なる。二〇一二年現在、これが〈世界標準〉であると断言していい。(私は密かに、且つ個人的に『トムロブ基準』と名付け、『暗黒市場』執筆中も常にこれを意識していた)
 
 一九五〇年代、スターリン体制化のロシアを舞台に、国家保安省の捜査官であるレオ・デミドフが「ソビエト連邦では殺人など起こらない」という国の建前と卑劣な謀略に抗いながら、少年少女たちの命を奪い続ける犯人を追う『チャイルド44』を皮切りに、『グラーグ57』『エージェント6』と続く三部作をベンチマークとしていたとは、納得することしきりである。腐敗した権力が個人の尊厳を蔑ろにする暗黒世界で、これでもかと絶望が立ちはだかる酷烈かつ真に迫った第二章の硬度は、確かに先の三部作と肩を並べる域にまで達しており、世界標準の変化を見逃さず、すかさず対応する著者の確かな目と筆力が素晴らしい。
 そして第三章である。ロシアン・マフィアが関与する武器密売市場〈ルイナク〉の取引の中枢が日本に設置されている状況を、フィクションに逃げることなく、リアルを組み合わせて練り上げた説得力のある設定。〈龍機兵〉に匹敵するかもしれない新型機甲兵装の出品をにらんだ特捜部のオペレーションを妨害する〈敵〉の脅威。片や希望と絶望が拮抗するギリギリの忍耐、片やひりつくような時間との勝負が並行する手に汗握る展開。ディテールの妙と熱を帯びて加速するスリルに目が離せなくなるが、本作最大の読みどころはその先にある。
 絶体絶命のユーリが目にする‟信じられない”光景。卑劣な裏切りにより罪を背負わされてもなお警察官としての自分を捨てきれなかった想いと、恥辱を刻まれて陽の当たらぬ世界を放浪し続けた壮絶な過去に光が差す場面は、何度読み返しても目頭が熱くなる。本作は、往年の冒険小説にも比肩するほどの類まれなる‟不屈”を描いた警察小説なのだ。
 加えて、満身創痍の身体で『バーゲスト』に乗り込んだユーリが漆黒の魔犬と化して宿敵との一騎討ちに挑む雄姿、この最後の戦いにたどり着くまでのあらゆる記憶と感情が駆け巡るバトルシーンが、目頭の熱さをなかなか終わらせてはくれない。
 これまで‟2010年代最高の国産ミステリ小説シリーズ”(『機龍警察 〔完全版〕 』帯の惹句 千街晶之氏 解説より)、‟世界的にみても2010年代ベスト5に確実に入る傑作シリーズ”(『機龍警察 自爆条項〔完全版〕』下巻帯の惹句 霜月蒼氏 解説より)というシリーズ全体に向けた賛辞はあったが、筆者は本作のみに限定してこう称えたい──二〇一〇年代もっともエモーショナルな熱きクライマックスがここにある、と。
 また、本作を読み解く重要なキーワードとして‟相似”を挙げておきたい。『イワンの誇り高き痩せ犬』を体現する優秀な刑事の息子であるユーリと掟に背き失墜したヴォルの息子であるゾロトフ、父親と同じ道を選んだふたりの〈灯火〉と〈影〉の関係性をはじめ、作中には様々な‟相似”が運命的なつながりや奇縁を示すよう緻密に配されており、この構成美もまた注目すべき読みどころのひとつといえる。いうなれば本作は、‟相似”を組み上げて作られた燭台に熱き‟不屈”の灯火があかあかと燃える、そんな物語なのである。
 さて、〈機龍警察〉シリーズは開始当初、「限りなく現在に近い未来」という意味の造語〈至近未来〉を内容紹介に用いていたが、『暗黒市場』に続く第四弾『未亡旅団』あたりから、そのワードが意味をなさなくなるほどスリリングに現代と激しく斬り結ぶ小説へと進化を重ね、国際情勢の急激な変化とテクノロジーの発達に応じて、いまは公式に舞台を〈現代〉としている。筆者はそこに、エド・マクベイン〈87分署〉シリーズと並ぶ警察小説の金字塔、『笑う警官』を代表作とするマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー〈刑事マルティン・ベック〉シリーズに相通ずるものを感じ始めている。
 彼のシリーズが全十作を通して一九六〇年代~七〇年代のスウェーデン社会の変遷を映し出した年代記として完成したように、いずれ〈機龍警察〉シリーズは二〇一〇年以降の世界情勢、経済、テクノロジー、犯罪、権力構造等の多様な変化を捉えた壮大な編年記のごとき価値を発揮していくのではないかと睨んでいるのだが、そろそろ紙幅も尽きるのでこの辺にしておくとしよう。
 本書刊行時、最新長篇『白骨街道』が『ハヤカワミステリマガジン』にて連載中の〈機龍警察〉シリーズは、今後さらに幹を太くし、葉を茂らせ、数多くの読者が集う大樹になっていくことだろう。きっとその大きな樹は、曲がったり歪んだりせず、周りのどんな警察小説の木々よりもまっすぐに伸びているはずだ。なぜ‟まっすぐ”なのか。本書を読み終えた方々には、説明の必要はあるまい。

※本文は2020年12月に書かれたものです。『機龍警察 白骨街道』は2021年8月18日発売です。



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