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認知バイアス、メディアの扇動……「正義」が暴走するメカニズムとは? 『冤罪と人類』書評:武田砂鉄

発売早々に重版が決定した話題作、管賀江留郎『冤罪と人類――道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)。認知バイアス、メディアの扇動……「正義」が暴走するメカニズムとは? 本記事では、ライターの武田砂鉄さんによる書評を公開します。

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書評 武田砂鉄(ライター)
凶悪事件から浮かぶ「正義」

殺人犯が捕まった後、犯人の友人にカメラを向け、「こんなことをする奴とは思えなかった」といつも通りのコメントを拾い、いつも通りに怖がる。こうして急造される意外性に慣れる私たち。意外性に慣れる、って矛盾そのもの。人は突発的な事案に揺さぶられると、真っ先に共感を探す。しかし、その共感が「こうあってほしい」という歪んだ認知バイアスを生む。

500ページを超える長大な本書は、1941−42年と50年に起きた二つの殺人事件(浜松事件・二俣事件)の解析を軸に進む。後者の事件では三百数十人目の容疑者として少年が逮捕、しかし、拷問による自白が疑われ、二審の決定を最高裁が差し戻し、無罪が確定した。

この二つの事件を解決したとされたのが紅林麻雄刑事。紅林は浜松事件を解決したことで、史上初の捜査功労賞を受けた。内務省と司法省の鬩(せめ)ぎ合いが作り出した名刑事は、「強力犯(ごうりきはん)捜査の権威者となって君臨」し、その後、いくつもの冤罪事件を生み出してしまう。

本書では、史料を追いながら、政治哲学・認知科学・進化心理学など幾多の見地を注ぎ、冤罪事件の子細を問うだけでなく、人間の道徳感情が生む誤謬を指摘する。その拠り所となるのがアダム・スミス『道徳感情論』。

人間の「感情が生み出す、人間社会の不思議な秩序」を解明する書籍をもとに、〈共感〉によっていかようにも市民感情が揺らぐ脆弱さを突く。「〈自己欺瞞〉は進化によって生物に染みついた本性」「殺人はむしろ自分の〈評判〉のために行われる」との見解に辿り着くまでに、冷徹な考証が積もっていく。

昨今、重大犯罪でも芸能スキャンダルでも、大多数が作る「正義」がたちまち出来上がる。人間の善意が時に暴走する、とは考えもせず、自分たちの「道徳感情」を信じ込む。そして、メディアがそれを扇動する。手短に要約されることを拒む一冊だが、昭和史の点を凝視しつつ、人間の業に挑む大著だ。

※初出:朝日新聞 2016年9月25日


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