スターダスト

【第3シーズン7/18刊行開始記念】《ローダンNEO》おさらいその1:第1巻『スターダスト』の前半分第9章までを連続掲載(第3章)

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 打ち上げは円滑に進んでいた。
《スターダスト》は「爆竹」──と呼ぶことは今はもう許されないが──ことNOVAロケットに載せられ、天へと昇っていく。管制センターではNOVAをののしる技術者たちの怒声に近い報告が飛び交っているが、それでも、すべてが順調なことに変わりはなかった。
 せめてもとばかりに、起こりうる非常事態を辛辣に予測しあう技術者たちの声がイヤホン越しに耳に届き、フルパワーで稼働するロケットエンジンのうなりをかき消した。
 彼らの声はローダンにとって、けっして不快ではなかった。技術者たちの荒っぽい口調は、すべてが順調に進んでいることを示しているのだから。地上と自分とをつなぐへその緒のような声にすがりながら、ローダンは頬の肉をこそぎ落とそうと襲いかかる6Gの加速重力に耐えていた。
 管制センターの技術者たちは、みな気のいい連中だ。民間企業や軍に勤務すればNASAの数倍の給料をもらえるだろうに、彼らはそうはしなかった。それだけ、彼らにとって宇宙の星々への夢は大きいのである。だが今、月面基地の失敗によってその夢が立ち消えとなりかねない事態に、彼らは神経をとがらせていた。だからその苛立ちをブラックジョークに包みこみ、互いに不安を押し隠しているのだ。
 NOVAは、彼らにとって不気味な存在だった。機械工学とエレクトロニクスの粋を結集した驚異のロケットについては、毎秒何百個ものセンサーや測定器が、その機嫌のよしあしを伝えてくれる。にもかかわらず、このロケットには何かはかりしれない意思が宿っているように感じられるのだ。
 いずれにせよ、技術者たちがジョークを飛ばしている間は、自分もクルーたちも心配は無用なのだ。少なくとも、ローダンはそのように自分に言い聞かせていた。
 ガクン、と衝撃がくる。爆発音とともに、燃焼を終えたNOVAロケットの一段目が切り離された。同時にローダンの眼球を眼窩にめりこませ、肺から空気を押し出さんとしていた加速重力が、ふっと消える。彼は水からつかみ出された魚のようにベルトの下で身をよじった。他のクルーたちが同じように空気を求めて荒い息をつくのが聞こえてくる。
「すべてのシステムは問題なく稼働している」
 イヤホンから自制のきいた、落ち着いた声が入ってきた。パウンダーだ。
「三三秒間の休憩だ、諸君」
 ブルがうめき声をあげ、そのまま口をつぐんだ。のどまで出かかった辛辣なコメントを口にするだけの空気が足りなかったのだろう。
 ローダンは顔を横に向け、友人に目をやった。ブルの顔は、その赤毛と同じくらい真っ赤になっている。血液の足りない身体部位に血を送り出そうと心臓が奮闘しているのだ。
 ブルの向こうに丸い船窓が見えた。あちらは地球側である。ローダンは、いまや六〇キロ近く眼下にあるはずの故郷の地をひと目見ようと、窓の外に目を向けたが、それは叶わなかった。目が言うことをきかず、焦点がぶれていたからだ。
「二段目ロケットの点火まで、あと五秒」パウンダーの声が言う。「四、三、二、一」
 加速重力が復活した。先ほどよりもさらに強力な負荷が、体重の七倍もの力で宇宙飛行士たちを圧迫し、その骨をくだき内臓を押しつぶそうとする。
 ローダンは叫ぼうとした。だが、のどを突く叫びは重圧につぶされて微かなうなりに変わり、二段目エンジンの発する轟音に跡形もなくかき消されていく。
 加速重力のせいで顔を横向きに固定されたまま、ローダンはブルに目を向けた。そして、さきほどの自分の感覚が正しかったことを知った。ブルの顔は頬肉がそげ、まるで見えない指に肉をぐいと引っぱられているかのようである。
《スターダスト》の搭載コンピュータによれば六分ちょうど、しかしローダンにとっては永遠にも感じられた時が経過したのち、二段目のエンジンが燃え尽きた。爆音と衝撃とともに二段目が切り離され、無重力による非現実的な浮遊感が突如として訪れる。
「耐えろ、諸君。難所はすでに越えたぞ!」
 パウンダーが言った。老司令官のその声に、一種の共感の響きが混じってはいなかっただろうか……? いや、おそらくローダンの聞き違いだ。きっと、加速重力で脳の血管がまいっているのだ。
 とはいえ、事実としてパウンダーの言は正しい。《スターダスト》の推進ロケットは予想に反して着実に、その任を果たしていた。残るは、もっとも小型の三段目エンジンのみ。このエンジンは緩やかな加速度で《スターダスト》を月へと運ぶことになっている。おそらく、その頃にはローダンは何も気づかず眠りに落ちているだろうが……。
「おい、みんな見ろよ!」
 ブルが声をあげる。数値上は、ブルの重力加速度への耐性はクルーのなかでもっとも低かったが、現実には正反対だった。いったいなぜなのか、ローダンにはわかる。医療チームの実験では、ブルの生理学的数値を正確に測定することは可能かもしれないが、この男の本質である不屈の精神を数値で測ることなどできないからだ。
 ブルは、グローブをはめた手で船窓を指さしていた。ガラスの向こうに窓枠に切り取られた地球が見えた。南太平洋だ。西にはニュージーランドの緑の二島が、南には南極大陸の氷が広がっている。広大な海面に、太陽光がきらきらと輝いていた。
「地球ってやつは実に美しいな」ブルが無邪気な感動とともに言う。「こんな光景なら、何度見ても飽きないと──」
 うめき声と、続いてのどの詰まるような音がブルの言葉をさえぎった。
 ローダンは反対側に顔を向ける。無重力のなか、その動きに体全体がふわりと浮きそうになるのを座席ベルトがおしとどめた。
 うめき声の主はフリッパーだった。黒ずんだ無数の水滴がヘルメットの内部をただよい、透明プレートの内側にはりついて彼の顔を隠している。
「落ち着け、フリッパー」
 声をかけたのはマノリだった。船医は座席ベルトを外すと、きびきびとした優雅な動きでシートからすべり出る。まるで、生まれてこのかた無重力下で過ごしてきたかのような身のこなしだった。
「少しの間、息を止めるんだ。今すぐ行く」
 次の瞬間、マノリはフリッパーのもとにたどり着いていた。彼はヘルメットの非常開口部に両手をそえる。バイザーが上部にスライドし、開口部から黒ずんだ水滴があふれ出て船室内に舞い散った。それは血液だった。
「大丈夫、すぐに処置する」
 マノリはそう言って宇宙服のポケットから小型のポンプを取り出すと、かすかな機械音とともに血液の球を吸引していく。フリッパーの顔があらわになった。彼は青ざめ、同時に恥ずかしさに赤くなっているようにローダンには思われた。フリッパーは視線を泳がせ、他のクルーたちから目をそらした。
「口を開けてもらえるかな」マノリが言うと、フリッパーは指示に従った。
「やはりな。舌だ」
 船医はそう断定すると、ポケットからさらに別の器具を取り出した。ミニサイズのスプレー缶のように見える。そして、事実そのとおりだった。シューッという音が響く。
「プラズマスプレーだ」船医が説明する。「これで、月に着く頃には、きみの舌はきれいさっぱり治っているさ」
 そう言って、励ますようにフリッパーの肩をぽんと叩いたマノリは、その反動でふわりと席に舞い戻ると、再びしっかりとベルトを締めた。
 クラーク・フリッパーは深く息を吸いこんで、ローダンの視線を気丈に受け止めた。「初心者じみたミスだ」目に涙をためて彼はつぶやいた。
「ひどいミスです。すみません、ペリー。もう二度と、こんなことにはならないと約束します」
 ローダンは軽く手をふってみせた。
「気に病むな。このメンバーのうちの誰にだって起こり得ることだ」
「しかし……」
「謝る必要はない。きみは──」
「どうした? そちらで何が起こっている、ローダン?」
 パウンダーの声が会話に割りこんだ。
「医療チームから、きみたちの興奮レベルが規定水準を超えていると報告があった。脈拍と血圧が通常値を大きく上回っていると」
 気まずそうにシートに身を沈めるフリッパーに安心するよう目で合図しながら、ローダンは答えた。
「特に何もありません。なにぶん、みな興奮しておりますから」
「ああ、そうだろうとも! いいから、何が起こっているのか知らせたまえ」
「ですから、何も。普通でないミッションを前に、普通以上に興奮しているだけです。普通のことでは?」
 ローダンの耳に、はるか二〇〇キロ下方のネバダ宇宙基地の管制センターでパウンダーが鋭く息を吸いこむ音が届いた。彼は、矛盾をよしとはしない。
「きみは……」言葉を止めた後、パウンダーは続けた。「そうだな、きみの言うとおりだ、ローダン」
「ご理解いただき感謝します、サー。今後の飛行ですが、予定どおり我々はディープスリープに?」
「むろんだ」
「全員、聞いたとおりだ」
 ローダンはクルーに向かって言った。
「フリッパー、マノリ、そして私はディープスリープに入る。その間、ブルは《スターダスト》が月軌道に無事入れるようサポートを。時間になったら、私がブルと交代する。質問は?」
 返事はなかった。
「よし、では開始!」
 フリッパーが目に浮かぶ涙をぬぐい、ヘルメットをかぶりなおす。彼はローダンに感謝の視線を投げかけると、薬剤の注入を開始した。そして、またたく間に昏睡にも似た深い眠りに落ちていく。次に彼が目を覚ますのは月に到達する直前となるだろう。さらにマノリもフリッパーに続いた。次はローダンの番だ。
「心配いりませんぜ、ペリー。このベイビーは俺がしっかりあやしておきますから」
 ブルがそう請け合う声を聞きながら、注入を開始する。次の瞬間、ローダンは夢なき夜の深い眠りへと落ちていった。

 声が、ローダンを眠りから呼び覚ました。
 クルーたちの声ではない。パウンダーでも、技術者たちのものでもない。だが、どこか聞き覚えのある声だった。
「……紛争のさらなる激化が予想されます」
 声のひとつが語っている。女性だった。
「イラン外務省は、同国の忍耐はもはや限界に達したとの声明を発表。最近発生した少数勢力のクルド人とスンニ派による暴動は、国外、すなわちイラクが裏で糸を引いているとしています。イランはこうした事態を、これ以上甘受するつもりはないと……」
「台湾は中華人民共和国の不可分の領土であります」
 別の男性の声が言う。
「我が人民の神聖なる国土が簒奪者の手で汚されるのを、いったいいつまで手をこまねいて見ているのか。彼らは誇大妄想のすえに挫折した資本主義帝国の傀儡に過ぎません。我々はいつまで、恥辱のもとで生きねばならないのか。いつまで──」
「ブラジル、インド、パキスタンの核保有国三国は、核不可侵条約を締結しました」
 さらに別の声が言う。
「これにより締約国三国の核戦力は、共同最高司令部の指揮下に即時移行することとなります。〈世界平和安定協定〉の主導国は、世界の他の国々に対してもこの協定への参加を呼びかけています。この声明を受けて、国際金融市場では一時株価が持ち直し……」
 ローダンは目を開けた。そこは《スターダスト》のコックピットだった。無重力のなか、体をシートに固定しているのは座席ベルトのみ。そのとき彼は、先ほどの声の正体に気づいた。《スターダスト》の正面ディスプレイが六つのウィンドウに分割され、各々にアナウンサーやコメンテーターや特派員が映し出されていたのだ。
「言いたいことはわかってますよ、ペリー」隣からブルが言った。
「俺のこと、どうしようもないニュース依存症だって思ってるんでしょう。そうですよ、俺はだめな奴だ。ここに映ってるのは、一〇万キロ以上離れた地上の話だっていうのに。だが、俺たちの行く手には……そう考えたら、どうしても、何か別のことで気分をまぎらせたくて」
 ローダンは顔を横に向け、友の顔をまっすぐに見つめた。ブルはつらそうだった。長いこと泣いてから涙をぬぐったかのように、目の下が赤くなっている。月へと驀進する宇宙船のなかで、ただ一人眠らず見張り役を務め、帰還のフライトははたしてあるのかと思いをめぐらせる。それはけっして、楽な任務ではないだろう。
「気にするな」ローダンは言った。「俺たちはみな、ちっぽけな人間さ」
 それから、今もなおディープスリープ状態のマノリとフリッパーを指して尋ねた。
「二人に異常はないな?」
 ブルはうなずく。
「《スターダスト》は?」
「ご機嫌な旅に、クッションで丸くなる子猫みたいにのどをゴロゴロ鳴らしてますよ。NOVAの三段目エンジンは予定どおり三時間前に切り離されました。ぐっすり寝てたんで気づかなかったでしょう?」
 ローダンは冗談には乗らず、さらに尋ねる。
「ほかには?」
「特にありません。ああ、技術者連中が次々に新しいブラックジョークを開発してましたよ。録音してあるんで、俺が寝ちまったら聞くといいでしょう」
「そうするよ。よい夢をな」
「どうも!」
 ブルは伸びをすると、楽な姿勢を探して体を動かす。右手の人差し指と親指がディープスリープへと誘う注入器のスイッチにかかった。だが、スイッチはいっこうに押されない。
「大丈夫か?」ローダンは静かに尋ねた。
「ああ、もちろん!」ブルは答えた。だが、しばらく黙ったあと続けた。
「いや、違う……全然大丈夫じゃありません」
「不安か?」
 ブルはにやっと笑ってみせた。
「俺はテストパイロットで宇宙飛行士ですぜ? 不安なんて俺の辞書にはありませんよ」
「それじゃ、何か心配でもあるのか?」
「心配じゃなく、『根拠ある懸念』と言ってください。オーケー?」
「オーケー。で、いったい何を懸念している?」
「これですよ」
 ブルはニュースチャンネルを消し、ディスプレイに一枚の画像を呼び出した。それはパウンダーに見せられた、あの写真だった。月面基地から送られてきた最後の写真。神経がすり減るほどの粗い画質で、クレーターと、その中央にある巨大な丸い物体が映っている。
「これがどうした?」ローダンは尋ねた。
「こういう考えかたもありますぜ、ペリー。すべては、はったりかもしれない。我らが友人、大ロシアと中国のね。こいつはただの薄っぺらいバルーンってわけだ。試しに計算したんですが、真空状態なら、宇宙服の酸素ボンベ一本もあればこの大きさのバルーンをパンパンに膨らませるには十分です。ありえる話ですよ」
「だが、おまえはそうは思わないわけだな?」
「思いませんね」ブルは首をふった。
「親愛なる大ロシアと中国の連中に、そんなユーモアはありません。俺は宇宙飛行士として連中に最大限の敬意を払っていますが、それでもです。違う、これは人間のしわざじゃない。わかるでしょう、ペリー? こいつは明らかに未知の、地球外生命体のものだ」
「おまえの言葉を借りれば──こういう考えかたもあるな。つまりだ、それ以上に納得のいく答えは俺には思いつかない。おそらくパウンダーにもな」
 ブルの瞳に辛辣な満足の笑みが浮かぶ。
「俺にもです。ということは、こいつは地球外生命体のしわざってことだ」
「それじゃあ不満なのか?」
「ロシア人や中国人や、その他の人間のしわざってよりはマシですけどね」
「ですけど、何だ?」
「もう嫌ってほど何度も考えたんですよ。俺たちはなぜ、《スターダスト》で宇宙に送り出されたのかって」
「それは、月の状況を確認するためだろう」
 ブルは音を立てて息を吐き出した。
「まさか! それなら無人探査機のほうがよっぽど役に立ちますぜ。だけど、無人探査機は全部、不可解な形で故障しちまった。一台残らずにね。それに月面基地も。大ロシアと中国の宇宙ステーションからの連絡も途絶えたままだ」
「いったい、何が言いたいんだ?」
 ローダンは尋ねたが、その実、とっくに答えに気づいていた。
「簡単ですよ。どうしてパウンダーは俺たちを月に送りこんだのか? 奴は頑固だし、俺は一度ならず奴のことを……まあその、嫌な野郎だとののしってきました。でも、パウンダーは馬鹿じゃない。殺人者でもね。俺たちを送りこむからには、奴には何かしら勝算があるんですよ。俺たちの知らない何かを知っているんだ。問題はそれが何なのか──」
 ローダンはすぐには答えなかった。ただ彼には予感があった。口にできるほど明瞭ではないものの、その予感は「ミッション」などと大層に呼ばれる、この馬鹿げた飛行に命を賭けるにたる希望を彼に与えてくれるのだった。
 ローダンは肩をすくめて、ただこう言った。
「まあ、そのうちわかるだろう。さ、もう眠るんだ! おまえが睡眠不足なばかりに肝心な瞬間を見逃したりしたら、俺は自分を許せないからな!」
 ブルは黙ってローダンを見つめた。口を開いて何かを言いかけたが、やめにした。彼はローダンをよく知っていた。こうなったら、この男はもう何もしゃべるまい。
 ブルは注入器のスイッチを入れた。
 ローダンはしばらくの間、物思いにふけるように友人を見つめていたが、やがて正面ディスプレイをオフにし、コックピット内の照明を落とした。
 星々の光のなか、ローダンと眠りに落ちたクルーたちは月に向けて疾駆していった。

【第4章へ】(7/10以降公開)

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