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震災直後の東京での出来事と、カントの思索の接続を意図した意欲作/小田尚稔『是でいいのだ』冒頭公開(悲劇喜劇3月号)

「悲劇喜劇」3月号(2/7発売)では、気鋭の劇作家・小田尚稔の初小説「是でいいのだ」を掲載。
本作は、2011年3月の東京での出来事と、カント(『道徳形而上学の基礎づけ』)やフランクル(『それでも人生にイエスと言う』)の思索との接続を意図した意欲作です。
登場人物を通して語られる震災直後の東京の風景と、そのような逆境や自身の境遇を受け入れて、少しでも前に進んで乗り越えることを描いています。
同号では、小説に寄せた佐々木敦滝口悠生のエッセイも併載。(名前をタッチするとジャンプします。)
以下、小説の冒頭部分を公開します。

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(書影をタッチすると、Amazonページにジャンプします。)


是でいいのだ   小田尚稔


「あなたの考えは全ての出来事存在を、あるがままに前向きに肯定し受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ち放たれて、そのときその場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表してます。すなわち、『これでいいのだ』と。(*1)」


1

 三月のあの日、東南口のマクドナルドにいた。
 新宿駅の東南口、改札を抜けて徒歩数分。中央通り沿い、当時はそこにあったマクドナルド。今はもう閉店していて、別の店舗が入っている。その三階、ちょうどそのときは窓際の席に座っていた。この時期で内定が決まってないなんて、とか思いながら。まわりの学生はもうとっくに就職先を決めて、卒業式を目前に控えたこの時期、ひとり就職先がまだ決まらない私の心中は穏やかではない。
 テーブルには、百円の珈琲Sサイズのものと、履歴書。近くの、といっても、さっきここら辺で百均ないかなとか思って、買いに走って、やっとの思いで見つけた百均の店舗で買ったもの。しかも、そのとき気が付いたら西新宿の方まで来ちゃっていて、そこのキャンドゥってダイソーじゃない方の百均で買ったばかりの履歴書。四枚入り。所謂、エントリーシート。いざそれに自分の履歴? を書こうとすると憂鬱になる。カスみたいな履歴。救いようないよなあこれ、とか思いながら。「人生のエントリー」には、初手から失敗している。浪人もしているし、留年もしている。しかも各々二年も。もちろん職歴無し。アルバイトだって、いつも短期のものばかりで、特に定まったところでしたことなんて無いし。だから、例えばここのマクドナルドだって、熱心に働いている店員さんをみるといつも思う。他人と比較して自分の越し方を思うと、少しだけ情けなくなる。
 嫌い。マクドナルドは、嫌い。いつも「パララ~パララ~」って、なに? 耳障りなメロディー? 奇怪な音がけたたましく鳴っているし。いつも、ずっと、鳴り止まない。多分、フライドポテトが揚がったことを周知する為のメロディー?


2

 夫から送られてきたこの書類を書き終わると、もう二時だった。PM。
 友達の家では、気が散って集中? が出来ないから、とりあえず、友達の家がある埼玉の方から新宿まで来たところ。この日は、朝から快晴で空は青々として暖かく穏やかで、春の陽気って言葉がぴったりな日でもあった。駅前を少しぶらつき、どこかの喫茶店かなにかで、これを書こうと思っていたんだけれど、いい感じ? の喫茶店も無いし、この辺の土地勘も無いしってことで、結局、東口の改札から少し歩いたところにあるマクドナルドに落ち着く。珈琲とアップルパイを注文して、三階のテーブル席に座る。
 そして、いざこれを書き始めてみると、この環境じゃあ尚更集中も出来ないし、というかこんな書類、公衆の場で書くのは恥かしいというか、なんというか人目も気になるしってことで、なかなか書き進めることが出来なかった。でも、書き終わって、あたかも学生のときに受けた定期テストの解答用紙に記入ミスがないか読みかえすときのように入念にチェックしている自分に気が付くと、なんだか可笑しい。結婚生活も、こんな感じで丁寧にお互いの気持ちを入念に確認して日々を送れば、齟齬(そご)が起こることも、家を出て行くことも、そして、この書類を書くこともなかったような気さえする。
 離婚届を書いた人の多くが思うことなんだろうけれど、お互いの両親に挨拶に行った日のことや結婚式、結婚してからの生活やそれ以前の夫との付き合いの日々、色んなことが思い出されて少し感慨もある。これ提出しちゃったら、苗字もとのに戻るんだろうなとか、そんなことを思う。なんか他にも思うところは、色々あるけれど、今の気持ちを一言で表すと、正直、「面倒くさい」という言葉が頭に浮かぶ。
 これを送ってきた夫も、最近はこの辺が職場だとか聞いたけれど、それも今はもうどうでもいい。友達の家にも、これ以上厄介になるのもなんだか悪いし気も遣うから、この後、ここら辺の不動産屋さんかなにかで新しい部屋でも探そうかと思っている。どこに住もうかなあ……。部屋を借りるのに必要なものって、身分証明書と印鑑くらいだっけ。ところで、不動産屋さんって、大概、早く契約させようって意図のもと前のめりの姿勢で、早口にまくし立てるように対応してくる人が多い気がする。言葉遣い自体は丁寧で身なりも小奇麗にしているから、一見文化的教養がある風なんだけれど、中身はきっちり体育会系みたいな人が多くて、特に壮年の男性の方とか。あの手のグイグイくる感じ苦手だなあ。結局こちらが、愛想笑いで個人的な話をかわすみたいなあの一連のくだり。似たようなケースで、知り合いの紹介で遠方からわざわざ初めて行った美容院で、全然会話の波長が合わない美容師さんが髪の毛を切ってくれるときなんかに、こちらの素性を根掘り葉掘り訊かれたうえで、全く面白くないギャグまでかまされた挙句、しかもカット自体は、全然好みの仕上がりじゃないものにされる。さらにはご自身の仕事ぶり、即ち今出来たクソみたいな私の頭部をニコニコと凝視しながら「どうですか? 凄くないですか? こんなことも出来るんですけど、ワタシィ!」みたいな心境でもって、殊更満足げな雰囲気を漂わせながら「もしよろしかったら、お持ちのカメラ付き携帯電話の撮影機能でもって、御写真を撮って差し上げましょうか? あるいは自撮(じど)りなんかもこの場でして頂いても歓迎致します! 大事な人に送ってみてはいかがですか? イメチェン!」なんてことを言われたときのような、こっちの心境お構い無しの傍若無人な振舞いをされた、そう! あの一昨年の夏、東中野での出来事なども、不意に思い出してしまう。
 窓口で話し易い感じのいい人にあたったらいいな。こちらの個人的なことに極力介入してこない、必要最低限のことを訊いて、後は事務的に対応してくれる人とかがいいなあ。保証人は、後で親に頼もう。学生のとき以来の一人暮らしになりそうだし、この歳になって久しぶりの一人暮らしっていうのも少し不安だけれど、なんだか楽しみのようなそんな気さえする。
 作業も一段落したので、注文したものの口を付け忘れて、もうとっくに冷めてしまったアップルパイを一口齧ってみる。
 不味い……。
 口の中に残っていたさっき飲んだ珈琲の苦味と酸味が、それに合わさって、きっちり不快な味がした。


3

 休日は、というか生きている時間の殆ど、というか全てをYouTube、所謂、「ようつべ」の視聴に費やしているような気がする。主に、お笑い。
 全然、面白くない。
 全然、面白くない。
 生きていて、楽しくない。
 ゲッツ!
 大学での三年間は、いいことがひとつも無かった。本当に。皆無。絶無。気が付いたら、最終学年。「リクナビ」「マイナビ」「日経就職ナビ」、僕のGmailには、毎日奴等からのメールがくる。しかも、一時間おきくらいのハイペースで。絶え間なく。引っ切り無しに。正直、ナビなんかして欲しくない。俺の人生にナビは必要ない。成人した日本男児にナビなんかいらない。選挙権も運転免許も持っている俺にナビは必要ない。血も繋がっていないものからの愛のないナビ。世間一般でいうところの不適切なナビなんて、そもそもナビとしての意味があるのかさえ疑問に思う。周囲の学生達が平気な顔で平然と、この手の輩からナビして貰っているという事実に、もう憤りさえ感じている。
 ていうか、ナビってなんだよ!
 食事もとる。ひとりぼっちでご飯を食べるのが、いよいよ最近は耐えられないので、パソコンで動画を再生して、それをみながらご飯を食べる。なかでも大食いに関する映像を視聴しながら、彼らと一緒に食事をする。そう、これが俺のスタイル。しかも最近は女性が大食いしていて、彼女たちをフィーチャーした番組も多い。なんでも、彼女たちは「大食いなでしこ」と巷で呼ばれているらしい。一番メディアに露出している「ギャル曽根」。他のメンバーでは、「アンジェラ佐藤」「ロシアン佐藤」「エステ三宅」「トライアスロン正司」という面々。なぜか皆、一様に軽薄なニックネームを付けられている。「ギャル」や「アンジェラ」までは、そのネーミングセンスになんとなくついていけるけれど、「トライアスロン」とかまでいくと、話についてくことが出来ない。彼女は、大食いという名の鉄人レースに挑戦しているんだろうか。変な名前を付けられ、必死な形相で食べ物を永遠に身体に詰め込む彼女達を思うと、少し気の毒になったりもする。彼女たちの勇姿を観ながら、僕も、家の近所のオリジン弁当で買った海苔弁当を一気に掻き込む。
 不味い……。
 なんだか侘しい気持ちにもなって、どうしようもないので、外に出てみる。目指すは「青空酒場」と僕が勝手に呼んでいる、駅前にある少しライトアップされた小洒落た公園。そこで、近くのコンビニエンスストアなどで、適当に買った麦酒なんかを飲むのが唯一の楽しみ。そう、これが俺のスタイル。それにしても、この時間帯の駅までのこの通りには、一緒に家路まで帰宅する途中の男女が、やたら多い。カップル、カップル、カップル。手を繋いだカップル。この日は、カップルの進化系、手を繋いだカップルをもう三組もみかけている。時折コンビニやスーパーのレジ袋を提げ、仲睦まじそうな雰囲気で駅とは逆方向へ向かう彼、彼女達をみるにつけ、何とも言えない気持ちにもなる。いつもそれらを横目にみながら、駅前まで進む。
 ああ……。
 一緒にこれから家でご飯とか食べるんだろうなあ……。
「青空酒場」に座って麦酒を飲む。正確には、百五十円前後のリキュールと呼ばれる第三の麦酒。交差点を行き交うタクシー、点滅する信号、仕事が終わって足早に家路へ向かう人々をみるにつけ、いつも思う。俺、ずっと一人なのかなあ……、とか。そんなことを思っていると、身体に程よくアルコールが廻って酔っ払ってもきて、そろそろ家に帰ろうと思う。
 あ、鼠。ゴソゴソとした音が聞こえたので目を向けると、座っている眼前を真っ黒な鼠が横切った。尻尾が長くて、結構大きい。「おえっ!」と思って、その瞬間、我ながら吃驚(びっくり)するくらい大きな声を発して、ベンチから素早く離れる。ひとつ間隔があいた隣のベンチをみると、ごつい身体をした中年の黒人男性で、こちらと眼が合って、こっちをみながらニヤニヤと笑っている。僕の取り乱した様子を笑っているのかと思ったら、むこうも鼠の存在を目視していたみたいで、目を見開いて静かにゆっくりと声を出さずに「ワオ!」みたいな口の動きをして、気持ち悪そうに身震いしてみせた。「フルメタル・ジャケット」に出ているような厳(いか)つい男性も、鼠の存在はどうやら気持ち悪かったみたいで、早々に「青空酒場」から去って行った。家の近所を真夜中や朝方にかけて散歩していると、時々鼠をみかける。大体は、ゴミ捨て場に山積したゴミ袋の隙間から飛び出してきて、こんな感じに驚かされる。大抵一匹で、黒くて大きい。しかも、堂々とした顔でこちらをみている。「いて悪い?」みたいな。「悪くないです」「うん。そうだよね」、こういうやり取りをした後、こちらの存在なんて気にしていない素振りで、鼠も「青空酒場」から、のそのそと去ってしまった。
 公園から出て、さっき来た道を帰る。青梅街道沿いを新中野方面に歩いていると、普段よく利用する牛丼のチェーン店がある。明日食べる分のお弁当を買って帰ろうかと思ったけれど、手持ちのお金も無かったので止めにして素通りする。その傍にある横断歩道を右折すると、すぐそこにあるのが宝仙寺。寺の正面まできてみると、大きな門の左右に風神雷神の石像みたいなのが立っている。夜だから、門は封鎖されていて、境内には入れない。時々、昼間なんかに立ち入った際には、葬式会場として利用されていることが多い。場所柄、芸能関係者の葬式を執り行うこともあるみたいで、たけし軍団のダンカンの奥さんや漫画家の赤塚不二夫の葬式もここで行われていたらしい。赤塚不二夫の葬式で「私も、あなたの数多くの作品のひとつです」と終わる、タモリのあの弔辞が詠まれたのもこの場所だ。深夜、アパートの自室でふとしたときなんかに、孤独で不安な気持ちに押し潰されそうになることがある。そんなとき、この映像をパソコンで何度も何度も再生して見入っていたことが度々ある。


4

 店が揺れている。
 しかも、揺れが尋常ではない。
 店員、お客さんも皆、慌てふためいている。窓から下の様子をみてみると、通りが夥しい程の人で溢れかえっている。店内は騒然としていて、人々はさっきの揺れについて互いに感想を言ったり、席を立って外の様子を確認しにいったりしていて慌しい。会社員風の男性や女性、主婦やスポーツ系の部活をやっているであろう高校生、大学生風の男女、水商売関係のような派手な雰囲気の女性、種々雑多な人々のなかに揺れへの恐怖心を共にする一体感のようなものが生まれ始めている。次第に、外の方へ逃げている人なんかもいる。
 マズい! 逃げ遅れた。
 また揺れた。
 甲高い女性の声や野太い男性の大きな声が聞こえる。
 いつもそうだ。私だけ取り残されるという、このパターン。気がついたら、いつも一人だけ取り残されているという、私の人生によくありがちなあのパターン。小学校入学と同時に習い始めた公文(くもん)式。最初の習い事。転勤族の家庭だったから、学校の勉強だけはついていけるようにって考えで親が通わせてくれていたんだけど、大体の生徒は小学校の高学年にもなると、定期試験や今後の受験対策に特化した学習塾に切り替える。でも、私だけ、中学になっても高校に入る直前まで公文式一筋だった。九年間公文式一筋。教室をみれば、小学生がほとんどで、中学生は稀な存在。高校受験を控えた中三の生徒は、もちろん私ひとりだけ。教室の先生も他の生徒も優しく接してくれたけど、今になって考えてみれば、どこか腫れ物に触るような雰囲気もあったような気さえする。あ、もっと幼いとき。幼稚園のとき、父親が運転する車に乗って家族で健康ランド? かなにかそんな郊外にある施設に連れて行ってもらったことが多々あった。そこでお風呂に入るんだけど、そのとき、多分、母は体調が悪かったかなにかで、父親と一緒に男湯の方に入る。すると、浴場に入った途端一気に入浴していた人たちの視線が私に集中する? というかなんというか……。あ、これ場違いなところに来たかもって思った頃には、時既に遅し。逆に気にしてないぞって素振りで天真爛漫? にその場は振舞ったこともあったような気がする。今回もその手の自分だけ事の事態に気が付くのが遅い系のヤツかも……、と一瞬思ったり。
 それにしても激しい揺れだった。とりあえず、揺れが落ち着いたら、マクドナルドから出て、駅の方まで向かってみることにする。この後、面接も控えているというのに、今日はついてないようなそんな気がする。


5

 お昼に大きな地震があったらしい。
 今日は、バイトもなにも無かったので、夕方まで家で寝ていた。爆睡。熟睡。だから、一切、それが起こったことに気付かなかった。家がある中野坂上のアパートから青梅街道沿いを歩いて、とりあえず新宿まできてみたところ。
 青梅街道沿いを歩いて、まずびっくりしたのが、人がびっちりってこと。新宿はいつも人が多いけれど、こんなに人が溢れているのは、今まで見たことがない。今日金曜日だからかなあ? とか、一瞬思ったんだけれど。それにしても異常な人の多さ。しかも僕とは真逆の方向に、皆歩いている様子。後で知ったんだけれど、彼らは「帰宅難民」と呼ばれ、電車やバスなどの公共交通機関がストップしているから、これから徒歩で家路に向かうのだとか。しかも、どうやらこのとき携帯電話の回線も混雑しているみたいで、ほとんどの端末で通話も全然出来ないという。街中にある僅かな公衆電話(ただでさえこのご時世、街中で電話ボックスを発見することが珍しい)には大行列も出来ている。
 まあ、そんなこと俺には知ったことか、と我が道を進む。ゴーイング・マイウェイ。西口の大きなガード下を通って、東口の方へ向かう。ヤマダ電機の前の横断歩道を待っている最中、あの、いつもみている大型モニターをみて、吃驚した。ヘリコプターかなにかで空撮しただろうその報道の映像。海水が、どんどん田んぼかなにかの陸地を浸食している、住宅や道路を走っているトラックなんかも、それは飲み込んでいく。後で知ったんだけど、その飲み込んでいくものの正体は、津波だった。それはまるで「インデペンデンス・デイ」や「アルマゲドン」といった僕の大嫌いなハリウッド資本の大作映画のワンシーンのようだった。あまりのどぎつい映像に、鳥肌が立って気持ちが悪くなる。これはただ事ではない。未曽有(みぞう)の事態ということに、このとき漸く気が付いた。世界の終わり。そんな月並みな馬鹿みたいなフレーズが頭に浮かぶ。それと同時に、俺、このまま一生女の子と付き合ったりせずに、生涯を終えるのかなあ。恋とか愛とか全く知らずに、現世は終了するのかなあ、なんて、そんな個人的で俗なことも思ってしまう。
 怖くなってきたので、家まで帰ることにする。その途中、西口の中央公園付近を歩いていると、地面にブルーシートを敷いて寝ているホームレスの人達をみかける。周囲は慌しい様子なのに、その人達だけいつもと同じ様子で、まるでその周囲だけ、なんだか時間がストップしているかのようにもみえる。よくよくみると、その男性の傍には、拾ってきたであろう煙草の吸殻がなん十本、もしかしたらなん百本も集めて山になった状態でそれが置かれている。その人は、まるで原始人が火を熾こすときのような所作でもって、そのなかの一本に火を点け根元の根元まで吸いきったうえで、吸殻を傍らに置いた空き缶の中に丁寧に入れていく。指も爪も顔も真っ黒。眼光鋭くぎょろりとしていて、一連の動作に無我夢中なんだけれど、顔全体の皮膚は伸びきって弛緩している。頭髪は斑(まだら)に抜け落ちていて、皮膚病の犬を思わせた。その男性の煙草を吸う一連の決まった動きと、そんな彼に一切無関心な行き交う雑踏の有様が、その場の時空が歪むというかスローモーションでそこだけ浮き上がってみえるような、そんな風にもみえる。遠目からその様子を凝視していると、不意に顔を上げたその男性と眼が合った。昨晩「青空酒場」でみた鼠を思い出す。「いて悪い?」と、彼に問いかけられているような気さえする。もちろん悪くない。いて全然いい。そこにいて悪いなんて土台僕が言える立場でもないし、言うつもりもない。ただ、こんな事態なのに、周囲に溶け込む素振りも一切無くマイペースなその男の有様が、社会に上手く溶け込めていない今の自分をなんだか体現しているような気がしてきて、なんとも言えない気持ちになる。ああ……。この調子だと、俺も将来あんな感じになっちゃうんだろうなあ。ひとり孤独に時空をきっちり歪ませたうえで、その場をストップさせちゃったりするんだろうなあ、とか。そんなノーフューチャーな将来を妄想する。


6

 あの後、街中でもらった号外をみて吃驚した。
 紙面の一面には、大きな文字で「大震災」と書かれている。四面構成からなるそれの内側の二面には、震災直後に現地で撮られたであろう写真が掲載されている。そこには、津波? の影響で、全てがグチャグチャに崩れ、水で侵食し、荒地となっている現地の惨状が載っていた。被災地に到達した津波は、三メートル以上なのだそう。
 急に不安な気持ちが押し寄せてきて、家、といっても埼玉の友達の家なんだけれど、そこに一刻も早く帰りたくなる。だけど、さっき駅まで行ったところ、改札は封鎖されていて入場も出来なかった。どうやら電車は終日動かないらしい。さすがに徒歩では帰れないから、都庁の方まで来たところ。なんでも、都庁の庁舎は、私のような「帰宅困難者」、後に言われる「帰宅難民」の為に、終日開放しているとのこと。ここで少し休ませてもらおうと思って来たんだけれど、自分の考えが、甘かった。庁舎のフロアは人で溢れている。お手洗いに行こうとしても、人が多すぎて行列が出来ている。はっきり言って、ここは落ち着かない。(*2)
 仕方がないので、西口にある公園まで来て、ここのベンチに座って、少し休むことにする。
 これから、どうしよう……。


7

「あ、すいません、あの、ちょっといいですか?」
 暫くベンチに座っていると、後ろから、なにか音が聞こえる。
「……あの、ちょっといいですか?」
 私が座っているベンチの背後、草むらのなかから、人間の声? が聞こえる。男性の声。するとその瞬間、人? 若い男。大学生みたいな男の子が、背後の草むらからひょっこり顔を出して、さっきからこちらに声を掛けてきていたみたい。かなり小さい声。若干震えているような気もする。その男の子をみたら、全身黒っぽい服装で、髪の毛には草みたいなのも付いている。恐らくここの植え込みのところで、さっきまで寝ていたのかもしれない。中肉中背。どちらかと言えば華奢(きゃしゃ)な部類。背は高くないけれど、その年齢層特有のまだ幼さが残るような、身体に無駄なものが付いていないひょろりとした風体。目は一重瞼で細い。口もとをみると少し歯が出ている。上の前歯。あ、鼠? って頭に浮かんだんだけれど、彼に尻尾は無い。その鼠男は、無言でいる私にむかって、「あ、ちょっと、いいですか?」と声を掛け続ける。「あ、はい」と答えると、「あの、僕も、今、『帰宅困難者』、後にいわれる『帰宅難民』なんですけど。家、めちゃくちゃ遠くて八王子とかあっち系で……。それはそれは救いようがなくて……」云々と、出し抜けに続ける。
 この人は、なにを言っているんだろう……。
「そうですか」と言うと、彼は「はい、全然家帰れなくて」と言って、悲しそうに目を伏せる。「はあ、大変ですよね」と同調してやると、「はい、電車とかも全然、動いてないようですし」と間髪入れずに続ける。
 はあ、そうですか。それは大変。
 鼠男は、相変わらず、こちらの素振りも気にしない様子で「バスも」と、すかさず付け加える。
 なんなんだ?
 暫く不穏な間があった後、少し上ずった声色でこう言う。
「で、それでって言ったら、こんなときであれなんですけど、あの、お姉さん、この後、お食事とかどうですか?」
 ん? どういうことって一瞬思ったんだけど、彼は、やっぱりこっちの反応とかお構い無しに必死な形相でさらに続ける。
「や、この後、もし、お暇だったら、お食事とかどうですか?」
 なにも言えない。
「や、なんか、お姉さんも、さっきからずっと家帰れない的なこと、そこに座って長々と独り言みたいにぶつぶつと仰っていたじゃないですか?」
 ぼんやりとそんなことを考えていたけれど、口に出して公言なんてしていない。
「大変ですよね……」
 ほっといて。
「お家帰れないですよね? 今日。ていうか、リアルに『帰れま10(テン)』ですよね、困ったな……」
 こっちが困った。
「なんで家ってそもそも遠くにあるもんなんですかね? ところで、職住近接に非ずってのが近代的都市生活の象徴みたいな話をどこかで聞いたこともあるんですが、そうは言っても、ここから八王子ってちょっと遠すぎませんか? どうですか?? もうやんなっちゃう!!」
 なにそれ。知らないよ! こっちは埼玉の川越ってところからはるばる来てるんだけど!!
「ゲッツ!」
 全然、面白くない。
「いやあもう、ぶっちゃけ話も変わっちゃいますけど、僕、映画とかもめっちゃ詳しい人なんで、ゴダールとかトリュフォーとか……」
 どうしよう。今、結構な量の唾が飛んだんだけれど……。
「あと、お笑いとかも好きですし……」
 そうですか。今の「ゲッツ!」は、ダンディ坂野ってことね。
「……あと、あと、『テレ東』の大食い番組とかも、いつもめちゃ観ていますし……」
 話している内容が突飛過ぎるのと、あまりに必死すぎる彼の剣幕に圧倒されて、「あ、そうですか」とか言いながら、このとき不覚にも笑ってしまった。「テレ東」の大食い番組、中村ゆうじが司会のヤツ。テレビで放送されていたら、私も何気にきっちり観てるんだよなあ、とか。結局、この後、この男の子? といっては、少しフレッシュさに欠けるこの男と、近くの安い居酒屋で軽くお酒を飲んで、カラオケ店で一晩過ごすことになった。こんなときだから、開いているお店も少なかったけれど。というかよりにもよって、こんなときに我ながら不謹慎だなあ、なんて思いながら。

(※本文中太字部分は、正しくは傍点。つづきは悲劇喜劇3月号でお楽しみください。)

 注
*1 樋口毅宏『タモリ論』(新潮新書、二〇一三年)、三〇頁。
*2 震災当日の東京の描写については、難民A『帰宅難民なう。』(北辰堂出版、二〇一一年)、二六~二九頁を参照。


[プロフィール]
小田尚稔(おだ・なおとし)一九八六年生まれ。広島市出身。二〇一五年より劇作活動を始める。主な演劇作品に『凡人の言い訳』『是でいいのだ』『聖地巡礼』『悪について』『善悪のむこうがわ』など。

[今後の予定]
『是でいいのだ』SCOOL=三月十一日〜十五日
『凡人の言い訳』新宿眼科画廊=四月十日〜十五日
『罪と愛』こまばアゴラ劇場=十一月十七日〜二十三日
以上すべて「小田尚稔の演劇」。〈お問い合わせ〉〇九〇-一〇一四-九六三五。


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