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劇場に何ができるのか、劇場は何になりうるか? 内野儀「メディアとしての現代演劇ーー生活と世界を別の回路でつなぐ」vol.1後編

『悲劇喜劇』22年7月号より、演劇批評家の内野儀氏による連載「メディアとしての現代演劇ーー生活と世界を別の回路でつなぐ」が始まりました。日本社会の現在をうつすメディアとして現代演劇を案内する、必読の論考です。このたび、vol.1「演劇と劇場の公共圏──公共劇場とはなにか」を前後編にわけて全文公開します。(前後編の後編です/前編はこちら


公共性と公共劇場の役割

 まずは公共性だが、この語については、定番といえる、政治哲学者の齋藤純一によるつぎの三つの定義がある。

第一に、国家に関係する公的な( official) ものという意味。この意味での「公共性」 は、国家が法や政策などを通じて国民に対しておこなう活動を指す。(略)第二に、特定の誰かにではなく、すべての人びとに関係する共通のもの(common) という意味。この意味での「公共性」は、共通の利益・財産、共通に妥当すべき規範、共通の関心事などを指す。(略)第三に、誰に対しても開かれている(open) という意味。この意味での「公共性」は、誰もがアクセスすることを拒まれない空間や情報などを指す。

(※1)

 本書の同じ箇所を引用する伊藤裕夫は、既出の『公共劇場の10年』で、このそれぞれを「公的な行政活動」「共通性」「公開性」としてまとめている(※2)。「公的な行政活動」は、齋藤の例示に戻るならば、「たとえば、公共事業、公共投資、公的資金、公教育、公安などの言葉」となり、それに対立するのは「民間における私人の活動」である。この意味での公共性は、どちらかと言えばあまりよいイメージをもたれない可能性が高い。他方、「共通性」にかかわるのは、「公共の福祉、公益、公共の秩序、公共心などの言葉」であり、対立するのは「私権、私利・私益、私心など」である。この意味の「公共性」は好意的なイメージを持たれやすいのではないだろうか。第三の「公開性」は、「公然、情報公開、公園などの言葉」であり、対比されるのは、「秘密、プライヴァシーなど」としている(※3)。この意味の公共性は、このところ急に重視されるようになった価値だという印象がある。
 この公共性の三つの意味は、上で説明したように微妙に重なりつつも異なっているわけだが、公共劇場における公共性とは、こうした三つの意味合いとの関係性を保ちながら、理念化・言語化されたり、具体的な事業として実現されるべきだということになる。
 それでは公共劇場とは具体的に何をするところなのか?
 ここまで公共劇場二十五年とか書いてきたが、この名称自体は実は法的に決まっているものではない。公的な文化施設はそれ以前からも各地にあったわけだし、『公共劇場の10年』に寄稿した恵志美奈子によれば、舞台芸術の専門ホールの第一世代と自身が呼ぶ演出家の鈴木忠志や演出家・劇作家の佐藤信のような人たちは、

演劇人としての直感で劇場のあるべき姿を想像し、自治体と出会い、そこに自分の演劇的実践における課題と結びつける過程で、現在、日本で共有されている舞台芸術の専門ホールの形をつくりあげていった。このように、多目的ホールである公立文化施設とは一線を画して計画されていった専門ホールは、次第に「公共劇場」もしくは「創造型公共劇場」という言葉にとって変わるようになる。そして、そこでの公共劇場の「公共」という言葉に、公共圏ともつながる意味での理念が込められていくようになるのである。

(※4)

 いわゆるアングラ演劇の旗手として二十世紀後半の日本の現代演劇の先端を走ってきた芸術家たちが、自身の演劇を理想的なかたちで上演する空間を求めて自治体との交渉を重ね、その上で舞台芸術専門の公共ホールのあり方を決めてきたというのである。この引用にある「創造型公共劇場」という名称に注目しよう。創造型によって、初めて、公共劇場という名前が使われるようになったと恵志は書いているのである。創造型とは、その劇場の主催事業あるいは自主事業として作品創造、クリエーションを行う劇場である。ここから、クリエーションに責任を持つ芸術家の芸術監督が、公共劇場に必要とされる理由が説明できる。ただ、予算的にも人材的にも、すべての劇場が創造型になれるわけではない。
 たとえば、日本芸能実演家団体協議会(芸団協)が、第三次劇場活性化プロジェクト(二〇〇三年十月~二〇〇四年三月)において示した「劇場」の四類型というのがある。その後、この類型は文化庁への提言に盛り込まれるなど、さまざまに変奏・議論されて、劇場法につながっていくものでもあるので、ここで列挙しておく。一)創造型劇場、二)提供型劇場、三)コミュニティ・アーツ・センター、四)集会施設(※5)である。ここでは創造型が最初に来ているが、二の提供型というのは、たとえば、既存の作品を買い付けて上演するような形態(主催・共催公演、あるいは貸し小屋も含む)である。つまり、二から四までは、これまでの公的文化施設でもその機能を持っているものがあったが、演劇専門ホールあるいは公共劇場が新しいのは、創造型、つまり、その劇場でクリエーションが行われることだったのである。
 そして実際、本論の最初に出てきた首都圏にある公共劇場は、基本的に創造型である。基本的にというのは、予算措置の問題その他で、それだけでは採算がとれないために、四類型の二~四的な事業も、さまざまな割合で、同時に行っているからだが、それはそもそも織り込みずみの展開だっただろう。
 ところで恵志の論文で興味深いのは、公共劇場という言葉には、「公共圏へとつながる意味での理念が込められて」いったとしていることだろう。恵志自身、世田谷パブリックシアターの学芸チーフとして、そのときどきの社会的課題を意識した先端的なアウトリーチのプログラムを作ってきたことで知られる(※6)。

演劇の公共圏、劇場の公共圏

 では、公共圏とは何か? 字義通りには、すでに引用した齋藤純一の公共性の定義の一~三のうち、そのどれもが担保されている圏域だとひとまず定義しておこう。ただし、担保されているというのは、齋藤が反対語としていたような要素や属性との緊張関係がある可能性を排除できないという意味である。そのためそこは、けっして居心地のいい「圏」ではなく、齋藤のいう「共通性」と「公開性」が担保されているがゆえに、自由闊達かもしれないが激しい意見の対立が顕在化する可能性がある「圏」である。同時に国家や公権力が同じ空間で稼働していて、場合によっては、暴力的にもなりうる空間である。劇場建築が専門の清水裕之は、花田達朗を引用して、「公開性と共同性を組織原理とし、かつ国家空間や市場空間から区別された社会的コミュニケーション空間の事である」(※7)としている。ただし、この「区別された」という根拠は述べられておらず、理念型として、つまり、理想的にはという意味で理解しておきたい。
 ところが既に紹介した『演劇の公共圏』でバームは、ユルゲン・ハーバーマスやシャンタル・ムフらによる近年の公共圏をめぐる議論を参考にしつつ、ギリシャ悲劇の上演にまでさかのぼったりしながら、近代演劇と近代劇場(バームは「モダニズム」と呼ぶ)が展開する中で、客席の照明が消され、検閲制度が廃止された結果、演劇の公共圏は失われたのだと主張する。

ドアが閉じられ明かりが落ちると、劇場は親密でプライベートな空間になり、そこでは、集団的な反応が確実に感じられ、心に刻まれもするが、すべては舞台上の芸術作品の支配下へと包摂されることになる。公共圏としては実質的に機能停止となり、ちょっとしたスキャンダルがあってもすぐに締め出され、記号論的な力学が作動して、すべては記号の記号に成り果ててしまう。

(※8)

 十九世紀末以降に電気照明が普及し、西洋の劇場では観客席の照明を消すことができるようになった。その結果、観客は外界どころか(「ドアが閉じられ」)、同じ劇場にいる他の観客からも切り離され(「明かりが落ちる」)、舞台上で展開する芸術作品に没入することになった。生活や日常とのかかわりは忘れ去られ、観客は作品の解釈(「記号論的な力学」)だけに没頭するようになった、というのである。
 ここでのバームの見解が、西洋演劇だけに当てはまるわけではないことは、明らかだと思われる。日本においても、江戸期までの芝居小屋は、度重なる弾圧を経ても、当時の人びとのメディアであることをやめなかった。その意味では、独自の公共圏を形成していたのである。やはり日本においても、明治期以降の近代演劇が問題になるのである。そして実際、新劇批判からはじまった一九六〇年代以降の日本の現代演劇が、アングラ・小劇場という新しいジャンルを形成しつつ、劇場演劇を批判し、テント芝居や野外劇などを多数上演していったことは、よく知られている。しかしながら、その批判力も次第に弱まって、今や「ドアが閉じられ明かりが落ちる」劇場演劇がどこまでも主流である。つまり、日本の公共劇場もまた、公共圏と切断されている。
 ただしバームは、現行の劇場演劇に、演劇の公共圏を出現させることはできないと主張しているわけではない。というのも、日本でも大きな影響力を持ったハンス=ティース・レーマンが「ポストドラマ演劇」と呼ぶさまざまな作品(※9)が、演劇は「ドアが閉じられ明かりが落ちる」劇場で上演されるものだという近代劇の前提から自由であったために、演劇の公共圏を取り戻すための道筋が切り開かれつつあると考えられるからである。
 本書の最後でバームが取り上げるのは、対照的な二系列のパフォーマンス作品である。一系列目は、夭逝の演出家クリストフ・シュリンゲンジーフによる、オーストリアの移民政策に介入してメディア・イヴェント(という公共圏)となった『オーストリアを愛してね!』(二〇〇〇)というウィーン市街で行われたパフォーマンスである(※10)。
 二系列目は劇場での上演である。そうでありながら、「演劇の公共圏が、他メディアや人びとの関心を呼ぶ問題とかかわっているかぎりにおいて、かなりの強度と複雑性を獲得しうる」(※11)場合で、具体的にはロンドンを拠点とするDV8フィジカル・シアターによる、多文化主義がもたらしたクリティカルな諸問題を、物語や分節言語ではなく、ダンスの身振りを中心に語るという戦略に出た『その話、できるかな?(Can We Talk About This?)』(二〇一一)である(※12)。多くの人が関心を持つ人種差別や移民排斥の問題をダンスで取り上げた結果、オールドメディアからニューメディアまで、コントロールがきかないほどに、大論争になった作品である。
 そして、こう結論づけられる。

(略)伝統的な演劇の定義が溶解して問い直されればされるほど、演劇とは何かという問いに挑むことにになる。ポストドラマ演劇の功績のひとつは、少なくともその実践者たちの側では、芸術的約束事を絶えず逸脱することによって、暗黙のうちにいつも「演劇とは何か」という問いを提起していることであるのは間違いないだろう。このような実験によって、わたしたちは演劇の概念を研ぎ澄ますと同時に、その概念を拡大し、再調整することを余儀なくされる。同じ再調整のプロセスが、演劇の公共圏にも適用される。政治的公共圏が、新しいメディア、多文化社会、政治理論(闘争的多元主義)の多重な要求の下で再定義されているように、演劇の公共圏における新たな構造転換に照らして、演劇に何ができるのか、演劇は何になりうるかが問われなければならないのである。

(※13)

 ポストドラマ演劇が演劇を批判すればするほど、演劇とは何かを考えなければならなくなる。その結果、演劇の公共圏にも新しい構造転換が起きた、すなわち、公共圏が成立する要件が変化したとバームは言うのである。そこから再び、演劇に何ができるのか、演劇は何になりうるかが問われなければならない。
 このバームの問いを、わたしなりに言い直すと、劇場は可能か、という問いになる。上記の引用における演劇という語をほとんどすべてを劇場と言い換えたい誘惑に、わたしは駆られるのである。劇場的公共圏の構造転換に照らして、劇場に何ができるのか、劇場は何になりうるかが問われなければならない。

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※1 齋藤純一『公共性(思考のフロンティア)』(Kindle の位置No. 167-169、171-174、177-180)。岩波書店、二〇〇〇年。

※2 伊藤裕夫「『公共』劇場とは」、『公共劇場の10年』一四頁。

※3 前掲書。

※4 恵志美奈子「『公共劇場』を問いかけ続ける」、同上、八四頁。

※5 根本昭・佐藤良子編著『公共ホールと劇場・音楽堂法』、四二頁。本書では、その他、全国公立文化施設協会(公文協)による〇六年の報告書による「類型化」(三類型──公演芸術作品創造を中心とするモデル、地域住民支援を中心するモデル、鑑賞機能を中心とするモデル)、引き続き十年の報告書における四類型(総合型──交流モデル+文化芸術振興モデル、重点型──地域密着モデル+専門モデル)などと展開していき、「文化庁検討会まとめ」(一二年一月)へと繋がっていく流れが、書かれている。

※6 恵志が手がけた数多くのワークショップの中でも二〇一六年からつづいている「地域の物語」は特筆に値する。性や老いといったストレートな社会的課題をテーマに掲げ、実際の上演にまで結びつけてきたからである。

※7 清水裕之「公共圏、公共文化施設、地域の舞台芸術環境」、衛紀生・本杉省三編著『地域に生きる劇場』芸団協出版局、二〇〇〇年、八頁からの孫引き(花田達朗『公共圏という名の社会空間』木鐸社、一九九六年)。引用元の頁数が示されておらず、原典未確認。

※8 Balme, Christopher B. The Theatrical Public Sphere (p.27). Cambridge University Press.2014, Kindle 版。和訳は引用者。邦訳も適宜参考させていただいている。以下同様。

※9 ハンス=ティース・レーマン著の『ポストドラマ演劇』はドイツ語で一九九九年に出版され、早くも二〇〇二年には日本語訳が出た(谷川道子他訳、同学社)。英語版はそれから四年遅れて二〇〇六年に出版されている。

※10 ウィーンの中心街に二階建てのコンテナを設置し、そこにリアルな移民申請者十二名とシュリンゲンジーフ自身が、メディアを巻き込みながら、一週間生活をともにしたこの作品については、日本語では以下の論考が詳しい。古後奈緒子「アクション芸術の現在形──クリストフ・シュリンゲンジーフのパフォーマンス・プロジェクト『オーストリアを愛してね!』」(Web マガジン『シアターアーツ』2014年、http://theatrearts.aict-iatc.jp/201412/2310/)。バームは本作品について、移民政策への介入が政治的効果を持ったのは、「劇場の外だった、あるいはパフォーマティヴな美学の同伴があった」(ibid.) からこそだとしている。演劇の公共圏を、美学を捨てることなく──芸術作品であることを認めた上で──劇場の外に求めたという主旨である。

※11 Ibid., p. 201(邦訳三二三頁)。

※12 Ibid.

※13 Ibid.

***(『悲劇喜劇』2022年7月号より)***


内野儀(うちの・ただし)日米現代演劇、パフォーマンス研究。1957年、京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了(米文学)。学術博士(2001)。東京大学大学院総合文化研究科教授(表象文化論)を経て、2017年4月より学習院女子大学国際文化交流学部教授。著書に『メロドラマの逆襲─〈私演劇〉の80年代』(勁草書房)、『メロドラマからパフォーマンスへ─ 20世紀アメリカ演劇論』(東京大学出版会)、『「J演劇」の場所―トランスナショナルな移動性( モビリティ) へ』(東京大学出版会)他。

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