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『食べて、祈って、恋をして』著者の新境地!『女たちのニューヨーク』はこうして生まれた(訳者あとがき)

『食べて、祈って、恋をして』で、自分を立て直すための旅を率直に描き、日本をふくむ全世界の女性たちを勇気づけたエリザベス・ギルバート。
そのギルバートが新たに発表したのが、1940年代のニューヨークのショービジネスの世界で生きる女性たちを描いた『女たちのニューヨーク』(早川書房より好評発売中)。
『女たちのニューヨーク』もまた、アメリカをはじめとする英語圏で100万部突破し、世界中の女性たちを元気づけています。日本でも、早くも絶賛の声が多数届いています!

◉書評・メディア露出

クロワッサン(2021年9月10日)書評(瀧井朝世氏・ライター)
週刊文春(2021年8月26日号)書評(寺地はるな氏・小説家)
WEB本の雑誌(2021年7月28日)書評(松井ゆかり氏・書評ライター)
梅田 蔦屋書店ウェブサイト(2021年7月14日)書評(河出真実氏・書店員)
信濃毎日新聞(2021年6月26日)書評(江南亜美子氏・書評家)


そんな本書が生まれるきっかけや読みどころを、訳者の那波かおりさんに語っていただきました。

女たちのニューヨーク

女たちのニューヨーク
エリザベス・ギルバート/那波かおり 訳
早川書房より5月18日に発売


訳者あとがき

ヨーロッパと極東に戦火が広がり、アメリカじゅうが参戦か非戦かで激しく揺れていた1940年の初夏。19歳のヴィヴィアン・モリスは、ニューヨークシティのグランドセントラル駅に降り立った。名門ヴァッサー女子大を退学になったばかり。厳格な両親は娘に失望し、なかば追いはらうように、ニューヨークに住むペグ叔母さんのもとに彼女を送りこんだ。

故郷の小さな町からもってきたのは、大きなスーツケースが2個と、頑丈な木箱におさまったシンガー製ミシン。ミシンは裁縫を教えてくれた亡き祖母からの贈り物だった。ヴィヴィアンいわく、〈重くて扱いにくい野獣(ビースト)、でもそれなしには生きていけない、頭のイカれた美しい魂の双子(ソウル・ツイン)〉。ミシンと祖母に鍛えられた裁縫の腕を頼みに、ヴィヴィアン・モリスはこの街で新しい人生に飛びこんだ。

同じ一族のはぐれ者として姪っ子ヴィヴィアンの庇護者になったペグ叔母さんは、相棒のオリーヴとともに、大衆向けレヴューを上演する劇場「リリー座」をミッドタウンで営んでいた。見てくれは立派だが相当にガタがきたリリー座の建物には、不品行ゆえに常宿を追われたショーガールのシーリア、ハーレムの牧師になりそこねたピアノ弾きのベンジャミン、座付き作家の元弁護士のバーナードも住みついている。演劇の本場ブロードウェイが山の頂なら、リリー座は裾野の吹きだまり。でもそこには、ペグ叔母さんが第一次大戦中に兵士相手の慰問ショーでつちかった「へっぽこシェイクスピアよりイカした脚見せショーを!」というショービジネス哲学が息づいていた。

ヴィヴィアンは、粋であでやかで世知に長けたショーガールたちに憧れ、彼女らの舞台衣裳やドレスを仕立てるようになる。ショーガールたちはミシンのまわりにたむろし、おしゃべりに花を咲かせ、親切にもヴィヴィアンが「乙女の花を散らす」ための手ほどきまでしてくれた。こうして水を得た魚のように、参戦の賛否に揺れる世情などそっちのけで、ヴィヴィアンは1940年のひと夏をシーリアとつるんで盛大に遊びたおした。

ところが、ドイツ軍の爆撃で故国の家を失ったイギリス人夫婦 ──当代一流の舞台女優エドナと、美貌の夫アーサーがリリー座に転がりこんでくるあたりから、話は思わぬ方向に転がっていく。エドナの到来を聞きつけて、刹那的な天才脚本家でペグの別居中の夫ビリーがハリウッドから乗りこんでくると、ペグ叔母さんはすっかり勢いづいて、大女優エドナを主役に豪華レビュー『女たちの街(シティ・オブ・ガールズ)』を制作し、リリー座の存亡をかけた勝負に打って出ようとする。だがその大騒ぎのなかで生じた人間関係のきしみや男女のもつれが、やがて街を揺るがすようなスキャンダル事件に発展する。

本書『女たちのニューヨーク』 City of Girls, 2019は、自由を求めて羽ばたき、舞いあがり、墜落し、ゆっくりと息を吹き返すヴィヴィアン・モリスの物語であり、彼女を取り巻く ──自由で磊落、頑固で堅物、したたかでうぬぼれ屋、奇天烈で切れ者、スタイリッシュで叩きあげなど ──それぞれに一筋縄ではいかない女たちの群像小説でもある。

ストーリーは89歳になったヴィヴィアンの一人称で語られる。2010年、彼女のもとにアンジェラという女性から一通の手紙が届くところから物語は始まる。アンジェラは母親の死を伝えたあと、ヴィヴィアンに問いかける ──母が逝ったいまなら、わたしの父にとってあなたがどういう人だったのかをあなたは語れるのではないか。ヴィヴィアンは、その問いに答える資格は自分にないが、「わたしにとって彼がどういう人だったのか」なら語れるだろうと考える。そして、妻より早く故人となったその人との関係を解き明かす手紙をつづりはじめる。それはとてつもなく長い手紙となって、1940年代の狂躁のショービジネス界とヴィヴィアンの挫折から、大戦中の奮闘へ、戦後の再生へ、くだんの人物との出会いへと向かっていく。

本書はアメリカで2019年に刊行されると、〈多くの忘れがたい登場人物が豊かに息づく物語〉(バズフィード・ニュース)、〈ニューヨークへのラブレターであり、演劇人たちの多彩なるポートレイト。幕の向こう側で起こるあらゆる出来事に立ち会える〉(バスト誌)、〈ウィットに富んだ会話がシャンパンのなかのダイヤモンドのようにきらめく〉(ワシントンポスト紙)、〈すいすい読めるユーモアと人生への卓見に満ちた無敵の小説〉(ニューズデイ紙)などの好評をもって迎えられた。半年とたたないうちにワーナーブラザーズ社が映画化権を取得したのも話題を呼んで、英語圏で百万部を超えるベストセラーになった。

エリザベス・ギルバートは1969年、コネチカット州のクリスマスツリー農場に生まれた。ニューヨーク大学で政治学を学びながら短篇小説を書きつづけ、卒業後はアルバイトで貯めたお金であちこちに旅をし、バーやダイナーや牧場で働いた。そういった旅や暮らしに材を取った短篇をまとめて、1997年、初めての著作『巡礼者たち』 Pilgrims(岩本正恵訳、新潮文庫)を上梓する。同書は、文芸誌《パリスレヴュー》の新人賞を受賞し、PEN/ヘミングウェイ賞の最終候補になった。平凡な人生のなかの一瞬のスパークやせつなさやおかしみをとらえた珠玉の短篇ぞろいなので、未読の方にはぜひお勧めしたい。『巡礼者たち』のあとは、メイン州のロブスター漁に挑む女性を描いた『厳格な男たち』 Stern men, 2000と森に暮らすナチュラリストの評伝『最後のアメリカ男児』 The Last American Man, 2002(2冊とも未邦訳)を送り出した。

そして2006年、『食べて、祈って、恋をして』 Eat, Pray, Love(拙訳、ハヤカワ文庫)が、ギルバートを一躍スターダムに押しあげたことは多くの人の知るところだろう。自分を見つめなおすイタリア、インド、バリへの旅について記した真摯で痛快なエッセイは、世界で40以上の言語に翻訳されて大ベストセラーとなった。その後は『献身』 Committed, 2010(未邦訳)、『BIG MAGIC 「夢中になる」ことからはじめよう。』Big Magic, 2015(神奈川夏子訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)と2冊のノンフィクションを書き継いだが、2014年、18-19世紀に生涯を植物学に捧げて生きた女性を描く長篇小説『万物の徴(しるし)』The Signature of All Things(未邦訳)で久しぶりにフィクションへと復帰した。

いつか古巣のニューヨークを舞台にした長篇小説を書きたいという思いは、『巡礼者たち』を書いたころから胸の内で温められていたようだ。だが、なかなか実現しなかった。構想が具体化したきっかけは、ひとつには、大叔母の家で1930-40年代の演劇界について当時の批評家アレクサンダー・ウールコット(本作にも登場する)が記したエッセイを見つけて読みふけったこと。もうひとつは、『万物の徴』において性的にストイックな女性を書いたため、前著とは対照的な性に奔放な女性を書いてみたい、「ふしだらの代償として痛手を負ったとしても、人生を滅ぼされはしない女性について書きたい」という思いがつのっていったことにあるという。

小説の場合、仕事の95パーセントは執筆前の準備だと、ギルバートは言う。つねに取材に同行する友人マーガレット・コーディ(本書は彼女に捧げられている)とともに事前の調査にほぼ4年間を費やした。「後悔も反省もなく官能的な人生を謳歌しつづけた」元ショーガールも含む、90代の女性たちに膨大なインタビューをおこない、1940年代に書かれた手紙や脚本や日記を漁り、衣装の費用や料金設定まで調べ、この前後も含む時代の小説を読んで、当時の言葉をつかんだ。綿密な取材によって得た素材は、フィクションとの接ぎ目が見えない精緻な加工によって作品に生かされている。気づかれた方は多いはずだが、舞台となるナイトクラブ、レストラン、ホテル、劇場などのほぼすべてが実在するか実在していた。醜聞コラムを書く業界の大物ウォルター・ウィンチェルや、夜の街で鳴らす沈没ケリーやブレンダ・フレイザーをはじめ、当時のきら星のような女優、男優、作家、映画人、演劇人、実業家、政治家などの実在人物がエピソードや会話のなかにちりばめられている。こうして虚実を巧みにからませ、いかにもリアルだが、唯一無二の、エリザベス・ギルバートのニューヨークがみごとに立ちあらわれた。

本作誕生のいきさつについてあと少し触れておくと、ギルバートが腰をすえて執筆に取りかかったのは、私生活のパートナーである作家でシンガーソングライターのレイヤ・イライアスを亡くしたあとだった。取材をもとに登場人物やストーリーの構成があらかた終わったころ、イライアスが末期がんだとわかり、ギルバートは前の結婚を解消し、彼女をパートナーとした。こうして看病する生活が一年半つづいた。そのあいだ本書のことは「脇において、なにも考えなかった。また書くことがあるのかどうかもわからなかった」。

しかし2018年の1月にイライアスを看取ると、ギルバートは田舎の家に引きこもり、本作を一気呵成に書きあげた。「悲しみのさなかに、こんなに軽やかで楽しい本を書くなんて、頭がおかしいと思うでしょうけど、結果的には、この時期を乗り切るために必要な薬になりました。 ……気をまぎらわすことができて、なによりありがたかった。ある意味で、ペグ叔母さんの演劇に対する考え方と同じです。〝人々は楽しくて元気が出る気晴らしを求めている ──人生はつらいけど、だからこそショービジネスがある〟。わたしはわたし自身の観客でもあったのです」。「創造性とは、憂鬱や絶望の対極にあるものだと考えます。この暗い時代に、すべての人にこの本を贈りたい。わたしにしてくれたように、この本がみなさんを元気づけるように願っています」

最初に原書で読んだときに立ち返り、「はい! ここに元気づけられた者がひとりいます」と挙手したい。読みだしたら止まらないという前評判は聞いていたけれど、まさしくそのとおりだった。前半部では、けなげでも一途でも清らかでもない、読者に眉をひそめさせかねない軽佻浮薄なお嬢さま、ヴィヴィアン・モリスを堂々とヒロインに据えて、ぐいぐいと引きつけて読ませる筆力に舌を巻いた。

後半部では、思わず手帖に書きとめたくなる人生の知恵や箴言を、胸に沁みる美しい光景をいくつも見つけた。感情が幾層にも折り重なったミルフィーユのように、見る位置によって形が変わる複雑な建造物のように、さまざまな読み方ができる本なのだと思う。深く多面的に読みとれているんだろうかと心配になりつつ、もてる力で精いっぱい訳すほかないと自分に言い聞かせて訳出した。訳し終えたところでやっと緊張が解けたのか、訳したものを読んで泣いたり笑ったりした。そして、むしょうにだれかとこの本の話がしたくなった。「まっすぐでない人生」について、「深い井戸のような愛」について、あるいは連続ドラマにするなら、大女優エドナ・パーカー・ワトソンの役をだれに演じさせるかについてでもいい ……。ともあれ、本書を訳せたことをとても幸せに思います。日本語版もまた、多くの読者の心に響き、日々の暮らしを元気づけるものであるように祈っています。

2021年4月

*「訳者あとがき」を書くために著者の公式サイトのほか、以下の資料を参考にしました。
Entertainment Weekly In her new novel, Elizabeth Gilbert wants to take away all your troubles, by David Canfield, June 3, 2019

 
marie claire Elizabeth Gilbert's 'City of Girls' Is a Loving Ode to Promiscuous Women, by Cady Drell, May 31, 2019

 
BookPage Elizabeth Gilbert Grieve, write, heal, by Alice Cary, June, 2019


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