ハーバードの個性学入門

ハーバード流「平均値を気にしない生き方」とは?『ハーバードの個性学入門 平均思考は捨てなさい』訳者あとがき

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ハーバードの個性学入門 ―― 平均思考は捨てなさい』トッド・ローズ/小坂恵理訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫/2019年3月20日発売

著者のトッド・ローズ氏は、今でこそ、ハーバード教育大学院で教壇に立っていますが、かつては成績が悪くて高校を中退した挫折経験者。10種類もの最低賃金労働を経験したのち、学者への道を歩みました。紆余曲折を経て、自分の「個性」に気づき、伸ばすことに成功した著者が提唱する「個性学」とは?
訳者の小坂恵理さんが本書の読みどころを語ります。

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◆「訳者あとがき」小坂恵理

今日の社会では、平均を基準に人物評価される場面にあちこちで遭遇します。たとえば学生時代には、試験の結果は平均点を参考にして割り出される偏差値によって評価され、その数字に一喜一憂するものです。特に受験の際には、模試のたびに志望校を対象にした合否判定が出され、「合格確実」と太鼓判を押されるときもあれば、「志望校変更を要検討」と忠告されるときもあります。でも本番では、合格確実と言われ続けた優等生が不合格になり、なぜあの人が? としか思えない劣等生に桜が咲くこともあるのだから、平均や偏差値はあくまでも判断基準のひとつと見なすのが妥当ではないでしょうか。

模試の偏差値だけではありません。いまでは就活に臨む学生にとって、TOEICで獲得した高得点、Aがたくさん並んだ成績表、そして偏差値に基づいた母校の高い評判などが、強力な武器となっています。優秀な学生は超一流の企業ばかりに応募して、なかにはいくつも内定をゲットするケースも見られ、そうなると、輝かしい未来が待っているとしか思えません。

では、現実はどうなのかと言えば……社会人になってからは、平均に基づいた評価がかならずしも通用しません。卒業から何十年もたって開かれる同窓会に出席し、同級生たちの変化に驚かされた経験は誰にでもあるはずです。優等生が期待どおり出世しているケースもありますが、何らかの事情で出世街道から外れ、優等生のオーラがすっかり消滅しているときもあります。反対に、ヤンチャばかりしていた問題児が、実業家として立派に成功している姿に驚くときもあるでしょう。

では、なぜ平均は世の中で通用しないのでしょうか。本書『ハーバードの個性学入門――平均思考は捨てなさい』を読んでいただければ、その理由がよくわかります。まず、人間の能力にはバラツキがあります。たとえば学業成績という一面だけで学生を評価するなら、テストで高得点を獲得する学生が最も優秀だということになるでしょう。

でも世の中には、テストには反映されない能力が役に立つときもあるのです。ちなみに本書では、アメリカのプロバスケットボールチームの事例が紹介されています。バスケットボールで勝つためには、相手チームよりも点数を多くとらなければいけません。そこであるチームは、得点力の高い選手ばかりを集めますが、成績はまったくふるわず、指導者は解任されます。その後、得点力だけでなく、リバウンドやアシストなど、サポート的な能力にも注目して選手を補強したところ、チームの成績は急上昇しました。

能力にバラツキがあることがわかれば、IQの「総合的評価」がいかに当てにならないものかも理解できるでしょう。IQテストはさまざまな項目に分かれており、各項目の点数を総合して割り出される平均値が最終的に評価されます。つまりIQが高いとされる子どもたちのあいだでも、項目ごとの点数の分布はまったく異なるわけで、それなのに、どの子どもたちも同程度に頭が良いと結論することには無理があります。

つぎに、人間にはいろいろな顔があり、環境(本書では「コンテクスト」と言います)次第で見せる顔がさまざまに異なります。良き家庭人が良き社会人、おりこうな息子が優等生とは限りません。職場のパワハラ上司が、家庭では奥さまに頭があがらず、子煩悩で、学生時代の友人との飲み会では羽目を外してはしゃぐ可能性は十分に考えられます。あるいは本書の著者の子ども時代のように、学校では親が何度も呼び出されることになる劣等生が、おばあちゃんにとっては心優しい孫ということはめずらしくありません。

さらに、能力をきちんと発揮できるかどうかも、環境に左右されます。たとえば、ゴルフの練習場でひとり黙々とボールを打っている環境では絶好調でも、その調子が本番のラウンドでも続くでしょうか。良いスコアを出したいという気持ちが強く、しかも同伴者から見られているとプレッシャーがかかり、せっかくの練習の成果が発揮されず、首をひねる場面が多くなるものです。ちなみに、先日の女子プロゴルフのメジャートーナメントでは、有力選手が最終日に猛チャージを見せ、最終ホールの結果次第で首位に並ぶ展開になりました。必要なのは、短いパットを入れることだけ。しかも、彼女はパットの名手。ところが、ボールは非情にもピンを通り過ぎていきました。打つ前の、緊張で青ざめた顔は忘れられません。

そしてもうひとつ、本書によれば目標に至るまでの道はひとつではなく、複数の経路が存在しています。かならずしも「平均的な道」を歩む必要はありません。たしかに、目標に向けてみんなと同じ行動をとっているかぎり安心で、かりに平均以上の成果を上げれば自己満足に浸る人は多いでしょう。

本書では、赤ん坊がハイハイを始めて歩き出すまでのプロセスを事例として取り上げていますが、赤ん坊の健やかな、というより人並み以上の成長は、親にとっては切実な願いです。一般的に赤ん坊は、腹這い、高這い、伝い歩きというプロセスを経て、二本の足で歩き始めるようになります。平均的には一歳ぐらいで歩き始めると言われますが、なかにはもっと早く、10カ月ぐらいで歩き始める赤ん坊もいて、そうなると親は有頂天になり、この子は運動神経が抜群だと、つい思いこんでしまいます。逆に、一歳の誕生日を過ぎても歩かなかったり、腹這いをしないで突然に高這いを始めたりすると、体や知能に何か障害を抱えているのではないかと不安に襲われるかもしれません。二歳ぐらいになってみると、歩き始めた時期にかかわらず、ほとんどの子どもは同じように活発に動き回るものですが、特にひとりめの子どもとなれば、お母さんやお父さんの心配の種が尽きることはありません。

もうひとつ例を挙げるならば、起業家として成功するための道もひとつではありません。一流大学から一流企業に就職し、そこでエリート社員としてキャリアを積み重ねてから、満を持して起業する人は多いでしょう。でも、大学や高校をドロップアウトし、さまざまな職を経験して苦労を重ね、コツコツ貯めた資金を元手に起業して、最後に成功を収める人たちもめずらしくありません。肝心なのは、自分に最もふさわしい経路を選ぶこと。高齢化社会が進行する現在では、女性の社会進出がさかんに奨励されていますが、誰もが置かれている環境のなかで、ユニークな形で活躍できるようになることを願ってやみません。

本書『ハーバードの個性学入門』の著者トッド・ローズの半生は、まさに規格外です。高校生のときはいじめられっ子の問題児で、学業成績はいたっておそまつ。もちろんアイビーリーグの大学など高嶺の花で、平凡な大学にようやく入学した時点で、すでに妻子持ちでした。でも彼は、そこから奮起します。家族を養いながら勉強しなければならない制約された環境のなかで、自分にはどんな学習方法がベストなのか考え抜き、大学ではなんと、ストレートAの成績を残すのです。そして現在は、ハーバード教育大学院に勤務して、学者として活躍しているのですから驚かされます。高校の同窓会に出席したら、「えっ! あのトッドくんなの?」とビックリされることは間違いありません。

平均以下にしか評価されない子どもでも、かならず何かに秀でているはずで、能力が発揮されないのは環境にも原因があり、自分なりの道を見つけて歩んでいけばよい。自らの経験に基づいてそう語りかける著者の言葉には、たしかな説得力があり、読めばきっと大きく勇気づけられます。

ちなみに、著者の専門分野は個性学で、平均との比較に基づいて個人を理解するのではなく、各人が生まれ持った特性や能力、すなわち個性に注目し、誰もが個性を存分に発揮して充実した人生を過ごすことをめざします。しかも、個性学は学際的な学問であり、その原理は教育、ビジネス、生活の様々な分野に応用されつつあります。

もちろん現実の社会には平均思考が深く根づいており、その思考法に染まっている私たちは、みんなと同じに行動できないと取り残された気分になってしまいます。兄弟のなかで自分だけ勉強ができない、同級生はみんな一流企業に就職したのに、自分だけ落ちこぼれてしまった。そんなときに落胆するのも無理はありませんが、でも、道はひとつではないという事実を思い出してください。なかなか結果が出なくてもあせらず、自分にふさわしい生き方を見つける努力を続ければ、最後はかならず幸福をつかむことができます。本書によれば、グーグルやコストコなどは社員の募集において学業成績ではなく、個性を重視する方針で臨んでいるそうです。会社にかぎらず世の中は、さまざまなタイプの人たちが共存しているからこそ充実するのであり、本書を通じてそれを理解していただければ幸いです。どこを向いても同じような人間ばかりでは味気なく、面白くもありません。

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◉抜粋記事
日本的「平均思考」は、なぜ有害なのか?
グーグルやマイクロソフトも「平均思考」の限界に突きあたった!?
東大教授・柳川範之氏、推薦! 独創的な知性が身につく『ハーバードの個性学入門』の読みどころを紹介!
「あなたの知能は『平均』以上ですか?」――こんな問いに振り回されない個性を磨くには?


■著者紹介
トッド・ローズ Todd Rose
ハーバード教育大学院で心/脳/教育プログラムを指揮し、個性学研究所長を務める。〈個人の機会最大化のためのセンター〉共同設立者。高校中退後、10種類もの最低賃金労働に就き、怠け者で愚か者などと言われたどん底時代を経て、大学の夜間クラスに学び、ハーバード教育大学院で博士号を取得する。その後、世界的な研究者となるという規格外の経歴の持ち主。2016年に本書を刊行し、《ワシントン・ポスト》紙などのベストブックに選出される。近著にDark Horseがある。

■訳者略歴 
小坂理恵 Rie Kosaka
翻訳家。慶應義塾大学文学部英米文学科卒業。訳書にアグラワル&ガンズ&ゴールドファーブ『予測マシンの世紀』、セガール『貨幣の「新」世界史』、ストーン&カズニック『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史2』(共訳)(以上、早川書房刊)ほか多数。

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