無敗の王者

アメリカン・ドリームを掴んだ「もう1人のロッキー」。『無敗の王者 評伝ロッキー・マルシアノ』訳者あとがき

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無敗の王者 評伝ロッキー・マルシアノ』マイク・スタントン/樋口武志訳/好評発売中

「ロッキー」といえば、現在公開中の「クリード2」にいたるシリーズで、シルベスター・スタローンが扮するボクサー、ロッキー・バルボアがあまりに有名です。

じつは、ボクシングの歴史には、もう1人のロッキーがいます。それが、世界ヘビー級王座として唯一全戦無敗という偉業をなしとげたロッキー・マルシアノ(1923年~1969年)です。

貧しいイタリア移民の子孫であるロッキーが、数々の挫折や苦闘を乗り越え、やがてアメリカのスターとなる軌跡を描く『無敗の王者 評伝ロッキー・マルシアノ』の読みどころを、訳者の樋口武志さんがお伝えします。

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訳者あとがき

樋口武志

本書は2018年に出版された Unbeaten: Rocky Marciano’s Fight for Perfection in a Crooked World の全訳である。著者のマイク・スタントンが、当時の新聞記事や、雑誌各紙の膨大な未発表の取材メモを精査したのみならず、自ら親族や関係者へのインタビューを行い、豊富な情報をもとに「無敗のヘビー級王者」ロッキー・マルシアノの生涯を描き出した。

マイク・スタントンは自身へのインタビューで、「あらゆる歴史は伝記だと考えている」と答えている。彼はそれを、どんな歴史もつまるところ人間の営為や行動で形作られているという意味で語っていて、歴史を記すとは伝記を描くことであると見なしている。

1985年から30年近く《プロヴィデンス・ジャーナル》紙で調査報道チームの記者を務め、現在はコネチカット大学でジャーナリズムを教えているスタントンは、2003年に悪名高いプロヴィデンス元市長バディ・シアンシーの生涯を追ったノンフィクションThe Prince of Providence を出版し、ベストセラーとなった。その本の取材中に、まだ幼い頃のシアンシーが1940年代後半に父親に連れられて、よくロードアイランド・オーディトリアムへボクシングの試合を観に行っていたことを知ったという。そこで何度かヘッドライナーを務めていたボクサーがロッキー・マルシアノだった。

それを知ったのが本書執筆のきっかけだったとスタントンは言う。ロッキーは20世紀半ばのボクシング界を代表しているだけでなく、彼の生涯は「魅力的な物語であり、アメリカの歴史を体現しているため、新しい世代に伝える価値がある」と考えたのだ。

スタントンは別のインタビューでも、その当時のボクシングは興味深い文化であるのみならず、歴史が反映された場所であり、個性的な面々や移民たち、そして戦後アメリカやアメリカン・ドリームが詰まっていたと語っている。そこで各人がアイデンティティのために、あるいは名を上げるために己の肉体ひとつで戦っていた。父のように靴工場の街で一生を過ごすことは避けたいと願っていたロッキーは、イタリアから来た移民の息子であり、高校を中退し、プロ野球チーム「シカゴ・カブス」の入団テストもうまくいかず、閉塞から抜け出すには、もうボクシングしか残っていなかった。それ
はロッキーの物語であると同時に、とてもアメリカらしい物語だった。

本文中にもある通り、やがて無敗のヘビー級王者となる男としては皮肉なことに、ロッキーはキャッチャーとして入団テストで強肩を見せることはなかった。その代わり、「スージーQ」と呼ばれる、ボクシング史にも語り継がれるほどの強力な右フックを持っていた(この名の由来については「スー
ジーQ」というダンスステップから来ているとするものが多いが、確かな情報源は見当たらず、本書でも言及されていない)。ロッキーが「スージーQ」を持って王者となり、無敗のまま引退するまでの様子は、当時の新聞・雑誌、そして可能な場合は映像を入手してスタントンにより克明に記録され
ている。

その一方で、「歴史」を意識するスタントンは、その時代のボクシングにとってもうひとつの重要な要素であるマフィアについても言及する。戦後アメリカで野球と肩を並べる人気を誇っていたボクシングは、テレビ放映権や広告費など金が集まる興行となっており、煙立ちこめるボクシング会場には当然のことながらマフィアや賭博師たちも集まってきていた。必然的に、八百長も行われるようになる。マフィアの存在は認識していたロッキーだが、何らかの八百長に加担したという事実は確認されていない(少なくとも49戦全勝という戦績を見れば、わざと負けたりはしていないことが分かる)。原書の副題である「Rocky Marciano’s Fight for Perfection in a Crooked World」とは、そういう「歪んだ世界のなかでまっとうに生きようとするロッキー・マルシアノの戦い」のことだと著者本人が述べている。

さて、マイク・スタントンによれば、本書にはマフィアとの結びつきや、フランク・シナトラとの交流のほかに、ロッキー・マルシアノに関して2つの大きな新事実が記されているという。ひとつは、兵役時代のマルシアノが窃盗と暴行の罪で軍法会議にかけられ、軍刑務所に収容されていたという事
実だ。口絵には収容時の人相写真(マグショット)が載っている。そしてもうひとつが、1969年にロッキーがモハメド・アリと親交を深めていたことだ。朴訥な1950年代の白人ボクサーと、猛々しい1960年代の黒人ボクサーという対照的な二人が、バスに乗って貧困地域をめぐり、人種融和を説こうと話し合う光景は、まさに二つの時代がひとつにつながれる歴史の一場面のようだ。アリの妻は、ロッキーの死の知らせを受けたときに、初めてアリが泣いているところを目にしたと語っている。

ロッキーの生涯を描いてきたスタントンは、次回作として本書にも登場したニューイングランドを取り仕切るマフィアのボスであるレイモンド・パトリアルカについて執筆することを検討しているという。スタントンがマフィアのボスや元市長と並ぶ題材として取り上げたロッキーは、プロヴィデン
スだけでなく、50年代を象徴する存在だ。当時多大な人気を誇ったスポーツのトップに立った男の人生には、その時代を彩る要素が凝縮されている。

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無敗の王者 評伝ロッキー・マルシアノ』は早川書房より好評発売中です。

■著者紹介
マイク・スタントン Mike Stanton
ジャーナリスト、コネチカット大学准教授。ピュリッツァー賞を受賞した《プロヴィデンス・ジャーナル》紙の調査報道チームで30年近く記事を執筆する。2003年に発表したThe Prince of Providenceが《ニューヨーク・タイムズ》紙のベストセラーとなった。

■訳者略歴
樋口武志 Takeshi Higuchi
早稲田大学国際教養学部卒。訳書に、メイヤー『異文化理解力』、アマビール&クレイマー『マネジャーの最も大切な仕事』、シールズ&サレルノ『サリンジャー』(共訳)など多数。

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