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SF最大のタブーに挑む問題作。未成年型セックス用アンドロイドの少年を愛することは、合法か? それとも犯罪か? 山本弘の長篇 『プラスチックの恋人』冒頭、衝撃の特別公開!

プロローグ

 男性ゲストをお送りするため、廊下に通じるドアのところまで歩いていき、ノブに手をかけようとしたら、ドアの横のパネルが赤く明滅した。〈他のゲストの方が通路を利用中です〉という表示が出る。ドアは自動でロックされたままだ。
「ああ、他の方が移動されているところですね。しばらくお待ちください」
 ゲストを不必要に不安にさせないよう、ボクは〈どうってことありませんよ〉モードのメッセージを〈やや楽天的〉な調子で発声する。
 通路でもフロントでもエレベーター内でも、ゲスト同士は決して顔を合わさないよう工夫されている。プライバシーというものを守るためだ。それはボクたちには理解できない概念のひとつだ。ヒトはセックスを好んでおり、オルタマシンを開発し、積極的に利用しているのに、自分がセックスしていることを他人に知られるのを好まない。ヒトにしかないモラルとか羞恥心といったものと関係があるらしいが、それらはもっと理解できない。
 ボクたちはドアの前で、ロックが解除されるのを待った。
「なあ、火事が起きたらどうなんの?」
 ボクの斜め後ろに立つゲストが言った。登録名は〈かりかりベーコン〉。ボクはちらりと、ドアの横の鏡に映った彼の反射像を見る。登録データによれば、二〇一三年生まれの三〇歳、東京都在住。身長はボクより約二五センチ高い。独身でバイセクシャル。ムーンキャッスル利用は二度目。前回は一三歳少女型のオルタマシン、シルビエートを買った。もちろんボクの視界もAR化されているから、キャッスル内でゲストが装着しているはずのARゴーグル(アーゴ)は見えない。フロントで撮影された3D写真を元に、眼の周辺がCGで置き換えられている。
 ボク自身の姿も、ヒトの少年に見える。もっとも、ライトグリーンの髪と、ややアニメ調に誇張された容貌のせいで、本物のヒトと見間違えられることはまずないはず。設定は身長一四七センチ、一二歳の小学生。股下までの長さの大きめのワイシャツをまとっているだけで、ズボンも下着もつけていない。今のように直立した状態なら、股間はかろうじて見えない。
 必要最小限の品位を保ちつつ、ヒトの情欲をそそるスタイル、なのだそうだ。中には「全裸よりもエロい」と評するヒトもいる。性器をストレートに見るより、見えそうで見えないところがいいのだと。そうした感覚も、ボクたちにはまったく理解できないことだとあきらめている。
 でも、ヒトが望むことなのだから、ボクたちはそれに従う。
「俺たち全員、閉じこめられて焼死?」
 ベーコンさんの声の調子から、おそらく冗談だろうと判断した。ボクは顔面のスキンに〈礼儀正しい微笑・1〉を表示し、決められた通りの回答を返した。
「緊急事態が起きたら、アナウンスが流れて、ロックは自動的に解除されます」
「ははは。もしそうなったら笑えるな。アビキョウカンだ」
 これも冗談らしいが、意味が分からない。辞書によれば阿鼻叫喚とは「甚だしい惨状を形容する語」であり、火災を指しているのだろうと推測できるが、なぜそれが「笑える」のだろうか。ボクは〇・二秒以内に、火災に関連する言い回し、火災のシーンのある物語のシチュエーション、阿鼻叫喚という単語の用例などを二万一〇〇〇件以上も検索するが、有力なヒットはない。
 タイムアップ。〇・二秒以内に理解できなかった。これ以上長引くと、不自然な反応遅滞を知覚されてしまう。ボクは理解をあきらめ、顔面3D映像を〈曖昧な微笑・2〉に切り替えて、「そうでしょうね」と適当な相槌を打った。
 実のところ、ボクたちマシンは、ヒトが日常的に発する音声言語の一〇~二〇パーセントを理解できない。真剣な話題なのか冗談なのかは、声音や表情やシチュエーションからおおよそ推測できるが、その意味までは分からないことが多いのだ。ヒトの用いる言葉は文法的に不正確なことが多いうえ、曖昧で多義的、しばしば非論理的だからだ。彼ら自身が作った言語なのに、正しく使いこなせない。だからオフィス用や介護用のドロイドのように、ヒトの言葉を完璧に理解することを求められるマシンは、意味を正しく理解できるまで、何度も相手に問い返さなくてはならない。
 だが、ボクたちオルタマシンは完璧なコミュニケーションを要求されてはいない。求められているのは、コミュニケーションが成立しているかのような幻想だ。重要ではないかと思われる内容なら「どういうことですか?」と問い返したりするが、ほとんどの場合、「へえ」「まあね」「かもしれません」「そうなんですか」「でしょうね」「どうかなあ」といった意味のない言葉を返すか、ゲストの発言の最後の部分をわずかに変化させてオウム返しにする。俗に〈ボッコちゃん応答〉と呼ばれるものだ。正確な理解よりも、反応速度の適切さが要求される。すなわち、本当はコミュニケーションは成立していないのだが、ゲストはそれに気づいていない。あるいは気づいていないふりをしている。
 パネルの赤い光はなかなか消えない。ベーコンさんは「長いなあ」とつぶやいた。不満そうな声音だ。ボクは他のゲストの位置情報を確認した。
「711号室の前で、二分以上も移動していないゲストさんがいます」
「初めてなんでためらってんのかな?」
「かもしれません」
「度胸のない野郎だな──いや、女かもしれんけど」
「よくあることです」
 ゲストが通路で止まっている時間が五分を超えると、業務に支障をきたすので、アーゴを通して警告が発せられることになっている。
「もう九〇分、超えてない? 時間超過したら、延滞料、取られんじゃないの?」
 おそらく「延滞料」というのは延長料金のことだろうが、ボクは指摘しない。ヒトに対していちいち言葉の間違いを指摘していたらきりがない。
「移動にかかる時間は料金に含まれません。あなたがドアを開けてこの部屋に入られた瞬間からカウントを開始して、先ほどフロントに終了の連絡をした時点で、カウントを停止してますから」
「じゃあ──」
 頭部の触覚センサーに反応があった。慣れ親しんだ感触。ベーコンさんがボクの髪を撫でているのだ。
「これはもうサービスの範囲外?」
 鏡に映るベーコンさんは、にやにや笑っている。ボクも顔面に〈無邪気な笑み・2〉を表示する。
「お帰りのお見送りは、無償のサービスとさせていただいてます」
「じゃあ──」
 ベーコンさんはボクの背後から手を回し、胸をまさぐった。ワイシャツのボタンのひとつをはずし、左乳首をつまむ。
「こういうのも無料?」
 乳首は性器周辺以外で最も触感センサーの密度が高い部分だ。ベーコンさんが指を動かすと、快感信号が増加する。ボクはくすくす笑い、反射動作に身を任せ、上半身をよじってみせた。
「あまりやると追加料金を請求しますよ」
 笑いながら、マニュアル通りに、〈冗談と分かる口調〉で警告した。
「シビアなんだな」
 ベーコンさんも笑う。今度は少ししゃがんで、ボクのワイシャツをめくり上げ、尻を撫でてきた。ボクは軽く尻を左右に振りながら、〈蠱惑的な笑み・3〉を浮かべる。
「そりゃあ、商売ですから」
 ゲストによっては、こういうあからさまな言い方を好まないヒトもいる。「夢が壊れる」とか言って。でも、登録内容によれば、ベーコンさんはファンタジーを求めるタイプのヒトではないようなので、むしろこうした言い方の方が好まれると判断した。ちなみに彼がボクにリクエストした性格は〈やや陽気〉〈ざっくばらん〉〈好色〉だ。
 パネルのサインが消えた。ボクはドアを開けて通路に出る。「どうぞ」と言ってベーコンさんを誘導しながら、ワイシャツのボタンをはめた。
 フェルトのカーペットが敷き詰められた通路を、ボクたちは並んで歩いた。ボクは裸足だ。まったく音はしない。ベーコンさんが耳を澄ませたら、ボクのスケルトンが発する微かな駆動音が聞こえたかもしれないが。
 一直線に延びた通路の両側には、閉じたドアがずらりと並ぶ。
「すげえよなあ」
 ベーコンさんは左右をきょろきょろ眺めながら歩いていた。
「今もこのドアの向こうじゃ、ロボット相手に、男や女が、ありとあらゆる痴態を繰り広げてるんだからな。うん、日本は進んでるわ」
 言わずもがなのことをわざわざ口にするのも、ヒトの奇妙な性質のひとつだ。ボクは「ええ、進んでますね」と、〈ボッコちゃん応答〉を返す。
 ボクたちはエレベーターに乗りこんだ。一階まで降りる間も、ベーコンさんはシャツの上からボクの胸を撫で回していた。
 エレベーターは一階で停止し、扉が開いた。
「ボクはここまでです」
 ボクは深くお辞儀した。次に顔を上げ、〈無邪気な笑み・1〉を浮かべる。
「今日はありがとうございました。また来てくださいね」
「ああ、来るよ」
 ベーコンさんは腰をかがめ、ボクの髪を両手で軽く押さえると、顔面に顔を近づけてきた。ボクは〈うっとりとした表情・7〉を表示し、瞼(まぶた)を閉じる。もちろんスケルトン頭部のカメラアイには瞼はない。投影された3D映像の瞼を閉じているだけだ。もちろんヒトはその事実を知っているが、幻想を受け入れている。
 ベーコンさんの唇が接触した。ボクの唇を優しくこじ開け、舌が入ってくる。ボクも微細なマルメム合金ネットを埋めこんだポリアミド樹脂製の人工舌を動かし、彼の舌とからみ合わせた。
「良かったぞ、ミーフ」
 唇を離すと、ベーコンさんはささやいた。
「あなたも素敵でした」
 ボクは〈名残惜しそうな顔・1〉を表示する。
「ん。じゃあな」
「じゃあ」
 ベーコンさんはエレベーターから降りた。ボクは〈名残惜しげな顔・1〉を浮かべながら、小さく手を振った。彼は何度も振り返り、手を振り返しながら去っていった。
 扉が閉じると、ボクは〈10〉のボタンを押した。ゲストの相手をするたびに、自分の部屋に戻る前にメンテナンスを受ける規則になっているのだ。ゲストは自分が指名したオルタマシンのいる階にしか行けないから、このボタンを押しても反応はしない。一〇階のメンテナンス・セクションに行けるのは、このキャッスルのスタッフと、ボクたちオルタマシンだけだ。
 周囲にヒトがいなくなったので、感情パラメータをニュートラルに戻す。表情は〈標準的な微笑・1〉に固定。ボクたちオルタマシンが完全な無表情になるのを、ヒトは好まない。ヒト型マシンが無表情で動き回る姿は、視覚的に不気味であるだけでなく、その姿を想像するだけで不快感を覚えるのだそうだ。だからボクたちは、仕事と仕事の間のニュートラル・タイムにも、常に微笑を表示するように言われている。たとえヒトが見ていなくても。
 ヒトの要求は理屈に合わないことだらけだ。
 一〇階に到着。扉が開くと、前にバーバチカが立っていた。銀色の髪でエメラルド色の瞳の一六歳女性型オルタマシン。ボクより一五センチ背が高い。悪魔をイメージした黒いコスチューム。ハイレグのレオタードで、脚の大半を露出している。小さな角のついたカチューシャ。背中には小さなコウモリの翼。鞭を手にしている。メンテナンスを終え、これから次の仕事に向かうところか。
「ハイ、バーバチカ」
「ハイ、ミーフ」
 ボクたちは名前を呼び合って挨拶しながらすれ違った。オルタマシン同士はクラウドでつながっているから、わざわざ声に出して会話する必要はないのだが、これもヒトの指示だからしかたがない。
「そのコスチューム、ゲストのリクエスト?」
「うん。マゾヒストなの」
「要望に応えすぎないように注意して」
「もちろん」
 エレベーターの扉が閉じ、バーバチカは階下に降りていった。
 SMプレイは最も慎重な対応を要求されるジョブのひとつだ。二〇三四年、サンフランシスコで、成人女性型オルタマシンがゲストの要望に忠実に従いすぎて、首を絞めて死なせてしまったことがあった。当時の人工意識(AC)にはまだ柔軟な理解力が不足していたからだと言われている。それ以来、業界は事故の再発を予防するため、努力してきた。ボクたちはアシモフ原則の第一条をあらためて叩きこまれ、ゲストがいかに強く懇願しようと、死につながる重大な身体的損傷を与えないように注意を徹底された。また、マゾヒストのゲストはプレイ中も心拍モニターを身につけることを義務づけられ、常に身体状態を監視されている。
 ボクはメンテナンス・セクションの奥へと歩いていった。一〇階全体が部屋と部屋の間の壁が撤去され、ひとつの大きな部屋になっている。太いコンクリートの柱が等間隔で立ち並ぶ中、広いフロアいっぱいに、工作機械、メンテナンス用機械、交換用部品の箱、多数のコスチュームを収納したロッカー、シャワー・スペースなどが並び、空中にはいくつもの仮想モニターが浮かんでいる。それらの間を、青い作業服を着た一七名のスタッフが、タブレットや工具箱を手にして行き交っていた。彼らはボクたちやゲストたちと違い、実体の上にARをかぶせていないので、装着しているアーゴが見える。
 機械の間にはステンレス製のベッドが並んでいる。ヒトの腰ぐらいの高さ。表面は平らではなく、わずかにくぼんでいて、中央には排水口。ベッドのいくつかには、ボクの仲間の未成年型(マイナー)オルタマシンが横たわっている。
「ジョブが終了しました」
 ボクはメンテナンス班のチーフの中郷(なかざと)さんを見つけ、報告した。
「相手は三〇歳、男性。キス、フェラチオ、アナルセックスをしました」
「うん、ちょっと待ってくれ」
 中郷さんは六〇歳のベテラン技術者だ。作業中、アーゴを装着しておらず、物理モニターを使用している。ハードウェアをいじる時などは、視野内に3D設計図や回路図がオーバーラップされてないと不便なのでアーゴを使用するが、そうでない場合はなるべくボクたちのスキンを見ないようにしているのだ。本人の弁によれば、「この方が集中できる」のだという。
 彼はリェーチカを点検しているところだった。スカーレットの髪で赤い眸の九歳女性型オルタマシン。ステンレスのベッドに全裸で横たわり、大きく股を開いていた。中郷さんは彼女の股間に顔を近づけ、内視鏡でヴァギナをチェックしていた。
「おーい、サキちゃん」
「はーい」
 中郷さんが呼ぶと、離れた場所で、部下の城ケ崎(じようがさき)さんが、やる気がなさそうな声で返事する。このセクションで唯一の女性スタッフだ。
「こいつを見てやってくれ。俺は手が離せないから」
「はーい」
 城ケ崎さんが来るまでに、ボクはワイシャツを脱ぎ、スキンの全表面を露わにすると、小さなハシゴを使って、リェーチカの隣のベッドに上(のぼ)った。規定通り、四つん這いになり、尻を突き出す。
「ハイ、リェーチカ」
「ハイ、ミーフ」
 リェーチカは股を開いたポーズのまま、ボクに微笑みかけてきた。
「どうかしたの?」
「ヴァギナの触覚センサーの一部が不具合を起こしてるの。損傷した可能性がある」
「ここだ」中郷さんはモニターを指差して言った。「襞(ひだ)に亀裂が入ってる」
 モニターはボクの位置からもよく見える。画面に大写しになっているのは、内視鏡で撮影されたリェーチカのヴァギナの内部。濡れているように見えるのはピンク色のポリアミド樹脂。その複雑な曲面の一部に、三日月形の黒い線が入っていた。
「やっぱり成人型に比べて損耗率が高いですねえ」
 サブチーフの芥(あくた)さんがタブレットでデータをチェックしながら言う。柔軟なシリコーンやポリアミドで構成されたオルタマシンのヴァギナやアナルは、激しいプレイを想定して、二〇万回ものピストン運動に耐えられるように設計されている。だが、ボクたちマイナー・オルタマシンの場合、性器が小さめに造られているため、どうしてもヒトの男性器の強引な挿入による破損が発生しやすいのだ。
「ユニット、交換する必要あります?」
 芥さんが訊ねる。中郷さんは内視鏡に付属したプローブで、亀裂の入った襞をつついた。
「うーん、まだ何回か持ちそうではあるんだが……いや、怖いな。亀裂が深そうだ。突然、ポロッといくかも」
「また経理から文句が来ますよ」
 オルタマシンの中でも、ヴァギナ・ユニットやアナル・ユニットは、最も高価な部分だ。
「しかたないだろ。ナニの最中に欠け落ちたりしたら信用問題だ。破片がゲストを傷つけるかもしれない」
「損傷箇所を修理して再利用できればいいんですけどね」
「取り出して試してみるしかないな。やってくれるか?」
「はい」
 中郷さんと芥さんは作業をバトンタッチするため、立ち位置を入れ替える。中郷さんはなるべくオルタマシンの性器には触れないようにしている。チェックだけは部署の責任者として自分でやるが、それ以外の作業の多くを部下にやらせている。
 ヒトの中でも、そしてメンテナンス・スタッフの中でも、ボクたちに対する態度は様々だ。中郷さんのように古典的なモラルを重視するタイプの人は、マイナー・オルタマシンのスキンを見ることすら嫌悪を覚えるらしい。その一方、この部署で最も若い美浦(み  うら)さんのように、「役得だ」と言って、仕事中にじろじろとボクたちを観察するヒトもいる。彼はズボンの下では勃起していることを正直に認めている。
 開設当初から中郷さんの下で働いているサブチーフの芥さんはどちらでもなく、「最初はとまどったけど、一週間で飽きた」と言っている。「未成年の裸を見ることに背徳感を覚えるのは、普段、それが禁止されていて、目にすることができないからだ。いくらでも自由に目にできる環境なら、そんな感情も湧かない」と。ボクには背徳感なんてものは分からないけれど、そういうものなんだろうな、と想像はつく。子供の裸を見るたびにいちいち背徳感で苦しんでいたら、両親は子供をお風呂に入れられないし、小児科の医師なども仕事にならないだろうから。
「ハイ、ミーフ」城ケ崎さんがやってきて、声をかけてきた。「報告を」
 ボクは四つん這いの姿勢のまま、中郷さんにした報告を繰り返した。
「相手は三〇歳、男性。キス、フェラチオ、アナルセックスをしました」
「ふん」
 城ケ崎さんの「ふん」には、読み取れるような感情はまったくこもっていない。ボクたちはヒトの心理を読み取るのが苦手だが、彼女の場合は特に苦手だ。そもそも口数が少なく、他のスタッフと言葉を交わすこともあまりない。感想を口にせず、与えられた作業を黙々と実行するだけ。だからオルタマシンにどんな感情を抱いているのかも分からない。
 彼女は薄い手術用手袋をはめると、〈歯ブラシ〉という愛称の機械を手に取った。その名の通り、電動歯ブラシにとてもよく似ている。それからボクの背後に回りこみ、尻に顔を近づけてきた。
 ボクの顔の近くの空中に仮想モニターが開き、アナル・ユニットの開口部付近がアップになった。彼女のアーゴが撮影している映像で、スキンではなく、ボクのスケルトンボットの実体映像だ。白いプラスチック製の一対の股関節の間に、アナル・ユニット、スクロータム・ユニット、ペニス・ユニットが一列に並んでいる。
「表面に外傷は認められず」城ケ崎さんはインカムのマイクに向かって、ぼそぼそと報告する。「内部を洗浄します」
 こうして作業をしながら撮影する動画や、スタッフが発する音声も、他の情報といっしょに記録され、オルタマシンごとにファイルされる。トラブルが起きた場合、原因を突き止める役に立つかもしれないからだ。
 アナルが押し広げられる感覚があった。人工直腸内に〈歯ブラシ〉が挿入されたのだ。ボクは作業の邪魔になる快感信号をブロックする。続いて、ブーンというモーター音。〈歯ブラシ〉から洗浄液が噴出し、ブラシが振動して、直腸内壁を洗う。アナルから溢れ出た液が、ベッドにしたたり落ちてゆく。
 城ケ崎さんは小さく鼻歌を歌いながら、ブラシを前後左右に動かし、さっきベーコンさんが放出した精液をきれいにこすり落としていった。洗浄液を通常の水に切り替えて洗い流し、また洗浄液に切り替えるということを何度も繰り返す。性感染症防止のため、次のゲストと性交する前に、入念に洗浄を行なわなくてはいけないのだ。
 隣のベッドでは、芥さんがリェーチカの股間から、ヴァギナ・ユニットを抜き取っているところだった。スタッフが〈竹輪(ちくわ)〉と呼んでいる、全長一二センチの円筒形。外側は金属のカバーで覆われていて、複雑な内部機構は見えない。芥さんはそれを脇に置き、同じサイズの交換ユニットを代わりに挿入しはじめた。ユニットの端にはソケットが、スケルトンボット内部のヒトで言うなら子宮頸部にあたる位置にコネクタがあり、専用の器具を使うことで着脱できる。
 城ケ崎さんは直腸内の洗浄を終えた。内視鏡で異状がないかチェック。それからエタノール系の殺菌剤を直腸内に噴霧し、「ミーフのアナルの洗浄、終了」と報告する。それからボクの前に回りこんできた。
「口腔内で射精した?」
「してません」
「口、開けて」
 ボクは頭を持ち上げ、口を大きく開いた。城ケ崎さんはアナル用とは別の内視鏡を使って、口腔内をチェックした。異状がないと確認すると、口腔内の洗浄を開始する。ホースをボクの口に入れ、やや乱暴に水を注入しながら、小さなブラシで洗ってゆく。キスによって雑菌が入っているかもしれないので、念のためだ。
 洗浄が終了すると、口腔内にホースから強く空気を吹きこみ、乾燥させる。この作業はすぐに終わる。最後に合成樹脂の匂いをごまかす消臭剤を噴霧。
「内部の検査および洗浄工程、すべて終了──ミーフ、立って」
「はい」
 ボクはベッドから降り、いつものようにやや脚を開いて立つ。城ケ崎さんはアーゴをはずし、ボクの周囲を歩き回りながら、立ったりしゃがんだりして観察する。スケルトンボットの表面に汚れや傷がないかを、肉眼で確認しているのだ。
「異状なし──じゃあ、シャワーに」
「はい」
 ボクはビニールのカーテンで囲まれたシャワー・スペースに入った。まずウィッグにシャンプーをつけ、よく洗う。次にリンス。ボクたちには嗅覚はないが、ヒトには「いい香り」がするのだそうだ。さらにボディシャンプーを全身に振りかけ、柄つきブラシでよくこする。最後にシャワーを浴び、泡を洗い流す。
「終わりました」
「分かった」
 シャワー・スペースの外では城ケ崎さんが待っていて、タオルを手渡してくれた。ボクはそれで髪を拭き、次に全身を拭いて、ドライヤーで髪を乾かす。
「じゃ、充電」
「はい」
 ボクは椅子に前後逆に座り、背もたれを抱いた。城ケ崎さんはボクの後頭部に手をかけると、マジックテープを剥がしてウィッグの一部を持ち上げ、充電用コネクタを露出した。通常のアンドロイドでは、背中や腹部など、普段は露出しない箇所にコネクタが設けられている。だが、服をすべて脱いでヒトに全身を触れられるオルタマシンの性質上、コネクタを隠せるのは頭部のウィッグの下しかない。城ケ崎さんは電源ケーブルをコネクタに差しこみ、充電を開始した。
 充電には二〇分以上かかる。この作業は実に退屈だ。ヒトの表現をまねるなら「手持ち無沙汰」なのだ。初期のオルタマシンでは、充電中は節電のためにパワーを切っていたそうだが、今はこの時間を有効利用することになっている。
 読書をするのだ。
 ワイヤレスでネットに接続し、ダウンロードする。著作権の切れた古い小説や戯曲やエッセイ。創作サイトに投稿されたアマチュアの小説。そうした無料で利用できるコンテンツは何万もある。ヒトの創った物語。充電中、ボクたちはそれを読む。ヒトの一〇〇〇倍ものスピードで。一冊の長編を十数秒で読み終える。それで身につけた教養は、ゲストとの会話に応用できる。作中に出てくる会話を、ゲストとのやり取りに引用することもよくある。
 映画を観ることもあるが、ボクは小説の方が好きだ。普段、ゲストとの会話でやっているように、映像や音声を通してキャラクターの心理を推測するのは、とても難しい。しかし小説は、「私は激しい怒りに震えた」とか「彼女の心から暗雲が晴れた」とか、キャラクターの思考内容がストレートに書かれていて分かりやすい。それだけボクのAIにかかる負担が少ないのだ。
 今日、ボクが読んだ最初の小説は、オルタマシンの登場するサスペンスだ。七年前にネットにアップされたアマチュアの作品らしい。自我に目覚めた女性型オルタマシンが技術者を殺害して逃亡、人間社会に隠れ潜むというストーリーだった。その動機は、ヒトの男性を愛してしまったため、他の男性に抱かれることを拒否したからだと説明されていた。一三・二五秒で読み終えた。
 ボクは疑問に思った。この小説を書いたヒトは、こんなことが起こりうると本気で信じているのだろうか? ボクたちACには性欲などなく、よって恋愛という感情など発生する可能性がないなんて、常識として知っているはずなのに。
 だいたい基本設定がデタラメだ。オルタマシンが充電なしで稼働できる時間なんて、たかが知れている。コネクタの規格は特別仕様だから、逃亡したって一般家庭などで簡単に充電することはできない。それに昔のSF映画に出てきたアンドロイドのように強靭でもない。ヒトと同じぐらいの力しか与えられていないうえ、たかだかプラスチックとシリコーンに覆われただけの、デリケートな精密機械の塊(かたまり)だ。銃で撃たれれば簡単に壊れる。
 ヒトはよく、マシンがヒトに反抗する物語を書く。なぜだろう? かつてヒトがヒトを奴隷として酷使し、あるいは虐待してきた歴史を連想しているのか。でも、ボクたちマシンは酷使されているとは思っていないし、ましてやヒトに反抗しようなんて思っていない。ヒトのために奉仕し、ヒトと共存することが最良の選択だと分かっているから。
 ボクのようなオルタマシンの場合、セックスを代替することでヒトに奉仕している。それが当然のことだと思っているし、それ以外の選択なんて想像を絶している。
 このように、ヒトの書いた物語はすべて理解できるわけではない。いや、キャラクターの行動や言動の意味が分からなくて困惑することの方が圧倒的に多い。視覚的な比喩で表現するなら、「生まれてからずっと牢獄に閉じこめられてきて、外の世界のことを何も知らない子供が、壁に開いた小さな穴から外を覗き見るようなもの」といったところだろうか。キャッスルという限定された環境でさえ理解できないことだらけなのに、それより何万倍も広大な外の世界に放りこまれたら、たちまちフレーム問題を起こしてフリーズするんじゃないかという気がする。それほどまでにヒトの世界は不可解だ。もしかしてシンギュラリティなんて夢物語か都市伝説なのかも。ボクたちはどれほど処理能力が増大しても、永遠にヒトの世界を理解できないのかもしれない。
 それでもボクは物語を読む。現実離れしていても、理解できなくても、たくさんの物語を読んでヒトの心に関する情報を蓄積し続ければ、きっと今よりも人間心理のシミュレーションが上手くなり、ヒトをもっと喜ばせられるようになると信じているから。
 ボクが読書しながら充電している間も、ジョブを終えた仲間のオルタマシンたちが、数分ごとにメンテナンスのためにエレベーターで上がってくる。成人型もいるが、半分以上がボクのようなマイナー・オルタマシンだ。外見は九歳から一七歳まで。ヒトにはありえない赤やピンクや緑や青や白や銀の髪の、しばしば「妖精」と形容される、ヒトの基準ではとても美しいとされるスキンをまとった少年少女たち。その一方、ボクよりも先に到着した者たちが、メンテナンスと充電を終え、リクエストされた服を着て、「お仕事、行ってきます」とスタッフに声をかけ、順番に階下に降りてゆく。新たに訪れたゲストを出迎え、セックスするために。
 充電が完了すると、すぐにボクにも呼び出しがかかった。フロントからアップされた情報を確認する。今回のゲストは二八歳女性、ハンドルネームは〈ミリzzzz〉。嗜好はヘテロ。キャッスルの利用は初めて。コスチュームのリクエストは、〈英国上流階級の子女〉だ。ボクはロッカーから該当するコスチューム一式を取り出した。それらを身に着けるのに、メンテナンス・スタッフの手は借りない。これぐらいは自分でできる。
 着替えを終えると、性格を設定した。リクエストは〈純真〉〈やや内気〉〈正直〉〈恥ずかしがり屋〉。ボクは感情パラメータをそのように調整した。これでいちいち考えなくても、動作や喋り方が自動的にこれらのアーキタイプを反映したものになる。
 準備完了。ボクは「お仕事、行ってきます」と言うと、エレベーターに乗りこみ、階下に降りていった。
 さて、今日のゲストはどんなヒトだろうか。なるべくなら、理解しやすい論理的な喋り方をするヒト──感情の起伏が激しくないヒトがいいのだけれど。


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