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【試し読み】この兄妹の旅は、死を招く? 遺灰と殺意をかかえた家族のアメリカ横断ロードノベル『とむらい家族旅行』

5/10発売のサマンサ・ダウニング『とむらい家族旅行』(ハヤカワ・ミステリ文庫)をご紹介します。祖父の遺言により、20年前の危険なアメリカ横断ドライブ旅行を再現することになった、きょうだいたちの物語です。
ダウニングは、デビュー作の前作『殺人記念日』の、殺人で家庭円満を実現するというシリアルキラーのマイホームパパ像で、読者を驚かせました。
『とむらい家族旅行』もテーマは家族。そして、前作『殺人記念日』に負けず劣らずクレイジーな物語です。その冒頭部分を試し読みとして公開いたします。家族でのドライブ旅行なのに、漂うなぜか不穏な雰囲気……。どうぞお楽しみください。

ずっと疎遠でいた兄妹、エディーとベス、ポーシャは、亡くなった祖父の莫大な遺産を受け取るため遺言にしたがっていっしょに旅に出ることになる。20年前に祖父が彼らを連れていったアメリカ横断ドライブ旅行を、祖父の遺灰を車に乗せて完全再現するのだ。彼らの過去の旅は、奇妙で危険な秘密を孕んだものだった。そして現在の旅も、はじまりから狭い車内には不穏な空気が……。

『とむらい家族旅行』あらすじ


あと十四日


 ヒロインがいるといいよね。応援して一体感を感じられる相手がいると。でも、完璧な人は要らない。自分が情けなくなるだけだから。だから欠点のあるヒロインがいい。家族を守るために一線を越えるかもしれないけれど、正当防衛以外でだれかを殺したりしない。とにかく、血も涙もない殺人は犯さない。それがひとつ目の条件。
 ふたつ目、浮気はいけない。男は大目に見てもらってヒーローの座にとどまるけれど、浮気をする妻は許されない。
 というわけで、わたしはだれかのヒロインにはなれない。
 それでも、伝えたい物語ならある。
 はじまりは車の中。正確に言えばSUV車の中だ。すわる場所は序列にしたがい、最年長者が運転席にいる。エディーだ。その隣にエディーの妻がいるが、彼女の話はあとでいい。真ん中の列は真ん中の子供のためにあり、それがわたしだ。ベス。エリザベスではない、ただのベス。ふたつ年下のわたしにエディーはいつも兄貴面をする。わたしは昔みたいに半人前の痩せっぽちではないけれど、そんな扱いは気にしない。隣にすわっているのはわたしの夫だ。重ねて言うが、その話もあとでいい。わたしたちの配偶者は参加しないはずだったのだから。
 後ろのほうにまだ席があり、そこにポーシャがいる。思いがけなく生まれてきた妹。わたしより6歳下だが、ときどき百歳下に感じられる。妹には配偶者も決まった相手もいないので、後列をひとり占めしている。
 一番後ろに全員の手荷物がある。横一列にきっちり並べてあるのは、荷物をおさめるにはそうするしかないから。エディーにははじめにそう言ってある。手提げかばんやパソコンバッグはキャリーバッグの上に置く。それぐらい客室乗務員でなくてもわかる。
 荷物の下にトランクコンパートメントがある。内部の片側にスペアタイヤが収納されている。もう片側には真鍮金具つきの木箱が施錠されて置かれている。この小さな特別の箱は小さな特別の場所にひっそりとおさまり、箱の中には祖父がはいっている。祖父は火葬された。
 わたしたちは祖父のことを話そうとはしない。ほかのこともひと言もだ。窓からはいる日差しがわたしの脚に当たり、脚が日に焼ける。エアコンで目が乾く。エディーが歌詞のないジャズ風の曲を流す。
 わたしはポーシャを振り返る。妹は目を閉じてヘッドホンをつけていて、たぶん歌詞があるジャズ風ではない曲を聴いているのだろう。長い黒髪が片方の目にかかっている。染めた髪だ。わたしたちは3人とも肌が白く、生まれつきの髪の色はブロンドで、目の色は青か緑だ。わたしの髪はハイライトを入れてあるので、だれの髪色よりもずっと明るい。エディーの髪は染めていないのでこれより濃い色だ。ポーシャの髪はしばらく前から黒い。爪の色に合わせてある。といってもゴス・ファッションが好きなわけではない。いまはちがう。
 ふいに曲が変わる。クリスタが動いたのも気づかなかった。エディーの妻だ。オリーブ色の肌、黒っぽい髪、茶色の瞳に金の斑点があるクリスタ。エディーが出会って4カ月で結婚した女、クリスタ。彼女は兄の職場の受付係だった。
 ポップミュージックがスピーカーから鳴り響く。5年前のダンスソングだ。当時でもひどい曲だった。
「ジャズで眠ってしまいそうだったのよ」クリスタが言う。
 わたしの夫がノートパソコンからさっと目をあげる。曲が変わったのには気づかなくても、クリスタの声は聞こえたのだろう。
 彼女はヒロインかもしれない。
「かまわないさ」エディーが言う。顔に笑みを浮かべているのが声でわかる。
 わたしは窓の外を見つづける。アトランタははるか後方だ。ここはジョージア州ですらない。アラバマ州北部のバーミンガムを過ぎた過疎地域で、人が住んでいるのかどうかも疑わしい。急ごうと思えば、わたしたちはいまごろもっと先へ進んでいるだろう。でも、急ぐかどうかは大事な問題ではない。
「なんか食べるの?」
 言ったのはポーシャ、うたた寝から覚めてだるそうな声だ。体を起こしてヘッドホンをはずし、子供のように目を瞠る。
 ポーシャは長年末っ子の特権をせしめてきた。
「休憩したいのか」エディーが音楽のボリュームをさげて訊く。
「休憩しましょうよ」クリスタが言う。
 わたしの夫が肩をすくめる。
「うん」ポーシャが言う。
 エディーがバックミラー越しに、おまえはどうだと言うようにわたしを見る。わたしは数の上ですでに負けている。
「大賛成」わたしは言う。「何か食べたほうがいいわね」
〈ラウンドアバウト〉という、いわゆる想像どおりの店に立ち寄る。看板に投げ縄やヤギを描いてひなびた感じを出したものの、年月のせいで素のままでもひなびてしまった店。本物なのに本物じゃない──わたしたちもたいがいは似たようなものだ。
 みんなで車をおり、ポーシャが真っ先に店のドアへ向かう。クリスタもそれにつづく。一番ぐずぐずしているのがエディーだ。外に立って車の後部を見つめている。ためらっている。
 理由は祖父だ。この旅のはじめての休憩、ということは、はじめて祖父を置いていくことになる。
「だいじょうぶ?」わたしはエディーの腕を軽く叩く。
 兄がわたしを見ず、車の後部から目を離さないのは、祖父の遺灰がわたしたちにとってかけがえのないものだから。感情的な理由ではなく。
「車で待ってる? 残り物を詰めて持ってきてあげるけど」わたしは言う。皮肉がしたたり落ちる。
 エディーが目を見開いてわたしを見る。へえ、ショックなの。4カ月前に出会っただれかが原因で長年のパートナーと別れた、とわたしに告げられたみたいな顔をして。
 あ、待って。それはエディーのほうだった。兄は同棲中のガールフレンドと別れて受付係とくっついた。
「平気さ」エディーが言う。「そんなに突っかからなくてもいいだろう」
 そう。わたしは悪役だ。
〈ラウンドアバウト〉の店内では、客はみな半円形のブースにすわっている。ブースは必要なスペースの2倍ある。座席はワインカラーの合成皮革だ。クリスタとポーシャがさっさとブースの中央へと進み、フェリックスが端に残る。これがわたしの夫フェリックスだ。色白で角張った顎、ホワイトブロンドの髪と眉毛とまつ毛。ある程度の光の中では姿が見えなくなる。
「やだ」ポーシャが言う。「完全ベジタリアン(ヴィーガン)のメニューがないじゃない」
 自分がヴィーガンではないのに、とにかくチェックする。ポーシャは公平性を重視しているので、車椅子用の進入路の有無も確認し、それがない店にははいろうとしない。
「じゃあやめようか」わたしは言う。
 だれも答えない。わたしはすわる。
 ハンバーガーのパティは炭火で焼かれ、フライはカリッと揚がり、ベーコンは脂たっぷりだ。わたしに言わせれば悪くない。まともなコーヒーがないのだけが残念だけど、文句を言わずに苦いのを飲む。いちいちこだわってはいられない。
「決めておきたいことがあるんだが」エディーが言う。みんなの父親みたいに見える。
「しばらくドライブがつづく。ガソリン、食べ物、モーテルの部屋にけっこう金がかかる。費用を順番に負担するのがいいと思うがどうだろう。何よりも、代金のことで揉めるのはやめようじゃないか。ガソリン代をめぐってけんかになるのだけはごめんだ」
 わたしが口を開く前に夫が言う。
「理にかなってるね」フェリックスが言う。「ベスとぼくはちゃんと払うよ」
 配偶者だけがこうやって人を裏切る。いや、きょうだいもそうだ。
 あとはポーシャだ。まともな職についていない彼女にしてみれば、これは公正な取り決めではない。
 へぇー、皮肉な展開。
 ポーシャがあくびをする。そしてうなずく。いまは賛成、反対する権利はあとにとっておく、という意味だ。
「よし決まった」エディーが言う。「じゃあ、ここはおれが払う」
 伝票をレジまで持っていくのは、そういう店だからだ。フェリックスがトイレへ行き、ポーシャは店の正面へ出て電話をかける。クリスタとわたしが席に残り、生ぬるいコーヒーの最後のひと口を飲む。
「今回のことはあなたたちにはとても大変だってわかってるわ」彼女がそう言ってわたしの手に自分の手を重ねる。「でも、みんなでいい時間を過ごせるとも思ってるの。きっとおじいさまもそれを望んでる」
 少し月並みではあるけれど、クリスタがそう言ってくれるのはありがたい。状況を考えれば、わたしはそれ以上もそれ以下も期待していない。
 でもどうだろう。もしすべてが破綻して全員が殺し合いをはじめるとしたら、最初に手を出すのは彼女だ。
 度肝を抜くためにこんなことを言ったと思われそうだ。そうじゃない。
 ちがう、わたしはサイコパスではない。もっとも、それはいつも便利な言いわけになる。人に共感できず、感情があるふりをするしかない人たち。彼らはなぜ悪いことをするの? さあね。わからない。それがいわゆるサイコパスだ。それとも、ソシオパスというのか。言いたいことはわかるはず。
 これはそういう話ではない。家族の物語だ。わたしはきょうだいの全員を嘘偽りなく愛している。憎んでもいる。だからシーソーのように、愛しい、憎い、愛しい、憎い、と揺れる。
 それが家族というものだ。人がなんと言おうが、それはひとつのゴールを目指す単一のユニットではない。けっして教えてくれないけれど、たいていの場合、家族全員にそれぞれの腹積もりがある。当然わたしにもある。


アラバマ

州のモットー われら恐れず権利を守る
 
 わたしたちは以前も車で旅をしたことがある。20年前祖父に連れられて、というのも、両親の仲が険悪だったからだ。怒鳴り声、ドアを荒々しく閉める音、会話のない食事、そんなことが数えきれないほどあった。父はソファで寝たのにそんなことはないというふりをし、母は怒っていないふりをした。母にとって簡単なことではなかった。収納家具やドアを乱暴に開け閉めし、行く手をはばむものをなんでも手荒く扱うのはいつものことだったから。
 エディーとわたしは一番歳が近かったのでいろいろと話し合い、来たるべき離婚に覚悟を決めていた。日にちの予想までした。きっと大晦日(おおみそか)だ。エディーはナイン・インチ・ネイルズ(1989年にデビューしたロックバンド)のカレンダーの12月31日のところに大きなXを書いた。来年になってもまだ別れていないはずがなかった。
 諍いのせいで暑い日がいっそう長く感じられる、そんな夏だった。当時、わたしたち家族も祖父もアトランタに住んでいた。8月に祖父がひとりで訪ねてきた。祖母は6カ月前に亡くなっていた。
 祖父は孫を全員集めてソファにすわらせ、こう言った。「おまえたちの両親にはふたりきりの時間が必要だ。おとなの問題を解決しなくてはならんからな」
「離婚するの」エディーが訊いた。
「いいや、しないさ。ふたりきりになったほうがいいだけだ。だから、これからみんなで冒険に出かけよう」
「どんな冒険?」わたしは尋ねた。
「すばらしい冒険だ」納得させようと懸命の祖父が、力強い大きな声で言った。
 これ以上家にいなくてすむならわたしはなんでもよかった。長く、暑く、みじめな夏だった。冒険をしたほうが両親がうまくいくと祖父から聞かされ、これ以上できないほどすばやく家を出た。
 祖父はミニバンを運転した。昔からいつもミニバンで、記憶によれば、色はほかのミニバンと代わり映えのない灰色がかった緑色だった。友達の親の多くが持っている車で、そうした車に数えきれないほど乗せてもらったものだ。その車のいい点は、スペースがたっぷりあるので好きなだけ動きまわれることだった。少なくとも6人分の座席があったので、わたしたちは全員乗りこんで出発した。
 はじめに着いたのは、アラバマ州タスカンビア。北へ北へと進み、もう少しでテネシー州へはいるあたりだった。1880年にヘレン・ケラーが生まれた家、アイビーハウスがいまでも観光名所となっている。祖父がわたしたちを最初に連れていったのがそこだった。

つづきは書籍でお楽しみください

『とむらい家族旅行』
He Started It
サマンサ・ダウニング  唐木田みゆき 訳
装画:QUESTION No.6  装幀:早川書房デザイン室
ハヤカワ文庫HM/電子書籍版
1,584円(税込)
2022年5月10日発売

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