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エドガー賞受賞作『レイン・ドッグズ』作家・阿津川辰海氏による解説を全文公開! 「まさしく、これまでの最高傑作と称するにふさわしい逸品である」

レイン・ドッグズ

 発売後、多くの方から反響をいただいておりますエイドリアン・マッキンティ『レイン・ドッグズ』。北アイルランドの古城で起こった密室殺人に、刑事ショーン・ダフィが挑む今作。驚愕の真相と感動のラストは見逃せません。年末の読書のお供にぜひ!
 今回は作家の阿津川辰海氏による熱く愛のこもった巻末解説を全文公開いたします!

解説

 探偵よ、傷ついた街を行け
 作家 阿津川辰海


 主人公が傷つくほど、エンタメは輝きを増す。
 何も、無暗むやみに主人公を傷つけろ、と言っているわけではない。彼、彼女は、彼ら自身の手ではどうにもならない悪意、運命、陰謀によって傷つかねばならない。あるいは、真実そのものによって。主人公が悩み、苦しみ、あがき、それでも自分の人生を掴み取ろうとする姿は、どうしようもなく心を熱くさせる。
 ショーン・ダフィとは、そんな警察官である。
 そして、彼が傷つくのは、事件によって──それも、「あの時代」ゆえに引き起こされた事件によって、である。八〇年代の北アイルランド。人々の暴動。IRA(アイルランド共和軍)やMI5(英国情報局保安部)の陰謀渦巻く世界。そんな世界を闊歩かっぽしながら、シニカルな目線は忘れず、しかし、事件がもたらすものに、自分の未来に、悩み続ける。
 本書『レイン・ドッグズ』では、ダフィ自身の私生活にも今まで以上にウェイトを置きつつ、外交問題を絡めた更に高い壁に挑んでいくことになる。二重三重に絡まった陰謀の鎖を解いていき、自らが一番深く傷を負っていくダフィの姿に、夢中になること請け合いの一作だ。

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 本書『レイン・ドッグズ』は、早川書房で二〇一八年から続々刊行されてきた刑事〈ショーン・ダフィ〉シリーズの第五作にあたる。このシリーズは三作ごとに「三部作」を形成する構成となっているそうなので、本書は「三部作」の第二ブロックの二作目にあたる。第二ブロックのターニングポイントと言える一作だ。
 このシリーズを初めて手に取るという方もいると思うので、まずは、このシリーズがどういう警察小説シリーズで、どう面白いのかを掘り下げておこう。

 彼が生きるのは、暴動、紛争が繰り返される八〇年代の北アイルランドである。それらはもはや日常に溶け込んでおり、警察官も、暴動鎮圧を「手当てがつく仕事」としか思っていない。中でも目を瞠みはるのは、ダフィが車に乗るたびに、必ず車体の下を覗き込むことだ。爆弾がないかを確認するために。彼はこれを「ルーティン」と呼ぶ。それほど、死と日常が隣り合わせの世界なのだ(このルーティンは、場面転換の時に良いリズムを作っていて、一作追うごとに文章のリズムが速くなる)。
〈ショーン・ダフィ〉シリーズ第一の魅力は、まさにこうした北アイルランド情勢の描写である。
 IRAやMI5といった組織は、日本のエンターテインメントでも、例えば高村薫『リヴィエラを撃て』(新潮文庫)や月村了衛『機龍警察 自爆条項〔完全版〕』(ハヤカワ文庫JA)で描かれてきたものであり(月村は第四作『ガン・ストリート・ガール』に帯文コメントを寄せている)、こうした本を読んで自然と知識を得た人も多いだろう。
 だが、そうした傑作群と並べても引けを取らないほど、マッキンティの作品は素晴らしい。あの時代、あの場所に生きていた人間の呼吸が息づいているようにさえ感じる、都市や人間描写の妙。たとえば、第一作『コールド・コールド・グラウンド』の一節にこうある。

〝ここは自らの攻撃に苛さいなまれる都市。
 ここは自らの井戸を毒し、自らの田畑に塩し、自らの墓を掘る都市……(同書八五ページ)〟

 そんな都市を行くダフィは、決してシニカルな目線とユーモア感覚を手放さない。同作の最初の一行である「暴動は今やそれ自身の美しさをまとっていた」(七ページ)は、〈ショーン・ダフィ〉シリーズ、「あの時代」を象徴する一文でもあり、ダフィという人物の感覚を表明した言葉であり、歴代警察小説シリーズを見渡しても、一番良い最初の一行ではないかとさえ思う。陰鬱で重苦しい状況を描きながらも、警察小説、ハードボイルドとしての歩調が鈍重にならないのは、その語りのゆえだ。

 そう。〈ショーン・ダフィ〉シリーズ第二の魅力は、やはりその人、ダフィ自身にある。
 皮肉屋で読書家。刑事はトラブルとトラブルの間の待ち時間のために、良書を持ち歩く必要があると言ってのける三十代の男。部下からの信頼は厚く、上司が頭を悩ませるクロスワードパズルは、相談されればすぐに解いてしまう。 
 長期警察小説シリーズにはいろいろな種類があって、若干メンバー等に変化がありつつも常に同じ楽しみを提供してくれるものから(良い意味でのマンネリズム)、主人公のライフイベントそのものが読み味にもなっているものまで様々だが、〈ショーン・ダフィ〉シリーズは後者と言える。
 第一作『コールド・コールド・グラウンド』では巡査部長として登場するが、第二作『サイレンズ・イン・ザ・ストリート』ではひょんなことから警部補に、はたまたある巻では捜査権を失った状態からスタートしたり、『アイル・ビー・ゴーン』では旧友にして大物テロリストであるダーモットという男と対峙することになったり……一作ごとに、ダフィ自身の立場も、置かれている状況も、様々なのだ。
 こうした特徴は、マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーの〈マルティン・ベック〉シリーズや、ヘニング・マンケルの〈刑事ヴァランダー〉シリーズを思わせる。殺人事件の捜査を主軸に据えつつも、マルティン・ベックの私生活や、ヴァランダーのライフイベントの推移がサブプロットとして並行することが、これらのシリーズの魅力だが、〈ショーン・ダフィ〉シリーズは一作ごとに、こうした魅力を強めていると言えるだろう。

 サブプロットとしての私生活の面白さは、メインである警察小説としての捜査の魅力がきちんと確立されているからこそ引き立つ。〈ショーン・ダフィ〉シリーズ第三の魅力は、もちろん、警察小説としての面白さである。
 第一作『コールド・コールド・グラウンド』では、手首を切断された死体が見つかるが、その傍に落ちていた手首は別人のものと判明し、連続殺人の可能性が出てくる。そこでダフィに犯人からとみられる手紙が届き、俄然犯人との知恵比べの色合いが濃くなる……のだが、ここで重要なのは、八〇年代の北アイルランド情勢は、まだまだ陰謀論との距離が近い時代だった、という点だ。
 本来は相互に関係性がないものが、関係性があるように見え、そこにどす黒い悪意の糸を見いだしてしまう。そんな陰謀論の危うさと衝撃を、黒い霧に覆われた時代を舞台にノワールの形で描き出していったのが、ジェイムズ・エルロイの〈暗黒のLA四部作〉やデイヴィッド・ピースの〈東京三部作〉だが、マッキンティにとってはその舞台が八〇年代の北アイルランドなのだ。ただ、警察小説としての軸足により重きが置かれているところが、大きな特徴と言えるかもしれない。
 ショーン・ダフィは半ば霊感に近い推理によって、真相・陰謀の核心に迫っていく。ダフィが陰謀めいた悪意を読み解く、あるいはその裏をかかれる……そのスリリングな過程そのものが、ユニークな警察小説×ノワールの味を作っている。
 そして、捜査の面白さは、一作ごとに円熟味を増していくのだ。第二作『サイレンズ・イン・ザ・ストリート』では、スーツケースに詰められた切断死体の謎に挑み、グッと深みを増した捜査小説になっている。点と点が少しずつ繋がっていく過程を焦らずに手繰っていく感じが良い。そこから一転、第三作『アイル・ビー・ゴーン』では、旧友にしてテロリストの男の居場所を教えてもらう代わりに、「取引」として、四年前の未解決事件の真相を解き明かすことになる。しかも、それが「密室殺人」だというのだから恐れ入る。これほど一作ごとに捜査小説としてのスタイルが変わる本も珍しいだろう。第一作、第二作の切断死体もそうだったが、「解決」の意外性や完成度そのもので勝負するというよりは、「謎」-「解決」のシークエンスが警察小説としてのプロットを駆動するという形を取っているのも特徴だ。
 捜査小説という点では、第四作『ガン・ストリート・ガール』が特に優れている。富豪の夫妻が射殺され、息子は崖下で死体となって発見される。彼は容疑者と目されていたため、自殺したものと推定されるが、更に関係者の自殺が続けざまに起こる。二つの自殺の真相とは? ……というのが筋なのだが、一見平凡に見えるこの事件の疑問点を素早く整理する手並みも素晴らしいし、そうした「謎」-「解決」のシークエンスによって、その裏で蠢うごめいていた陰謀が描出される、その衝撃たるや見事なものだ。

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 では、本作『レイン・ドッグズ』はどうか? 本作は、この三つの魅力全てにおいて、またしても新たなステージに到達しているのだ。
 まず北アイルランドの描写。冒頭からこれが非常に良い。何せ、当時ボクシング界のスターだったモハメド・アリが登場するのだ。普段は警備業務など下に見ているダフィが、アリの警備に駆り出され、そのスター性を目撃する。このシーンが、実に良い。政治的、宗教的、人種的な差別と偏見で分断された北アイルランドに、アリが降り立った時に見せる人々の反応。これが活写されていることで、小説としての奥行きがグッと広がる。
 そして、ダフィ自身の物語としても、今回は新たなステージに突入する巻となっている。先に述べた通り、〈ショーン・ダフィ〉シリーズは、三作ごとに三部作を形成する構想になっているという。確かに第三作『アイル・ビー・ゴーン』は、ダフィ自身の過去と対峙し、ダーモットとの対決に挑むラスト100ページが圧巻の熱を放っており、魂が震えるようなラストシーンが印象に残る作品となっていた。第四作『ガン・ストリート・ガール』のラストも衝撃的なものだったが、今回のラストもまた、ひときわ違った感慨をもたらすものになっている。第二ブロックにおけるダフィのライフイベントを象徴するものになるはずだ。
 これまでのシリーズの事件は、読者だけでなく、当然ダフィの中にも蓄積として残っており、密室事件に遭遇する章は「リジー・フィッツパトリックふたたび?」と題され、『アイル・ビー・ゴーン』で扱った未解決事件の被害者の名前を出している。これまでの事件が経験として生きる面白さや、思わぬ人物との再会の驚きが、シリーズとしての旨味だ。
 また、この密室事件について、ダフィは面白い視点を投げかける。一人の刑事が、二度も密室殺人に遭遇する確率はどれくらいだろう、と言い始めるのだ。これはメタフィクショナルなくすぐりに見えるが、実はそれだけではないことが後に分かる。このように、謎解きミステリ的な論理の骨組みに、統計学や確率といった別の視点を持ち込む軽やかさは、さながらコリン・デクスターの『ウッドストック行最終バス』を思わせる。
 そして警察小説としての面白さ。今回のテーマは「外交」である。長期警察シリーズは、外交問題の回や、海外出張回を挟む傾向があるが、その面白さとはやはり、ストレートに犯人を追い詰めようと思っても外交特権や国際問題などの高い壁に阻まれ追い詰められない、もどかしさにあるだろう(例として、『刑事コロンボ』の「ハッサン・サラーの反逆」、『古畑任三郎』「すべて閣下の仕業」、あるいは古野まほろ『外田警部、TGVに乗る』など。この文脈ではややニュアンスが違うが、ヘニング・マンケル『笑う男』や、真保しんぽ裕一『アマルフィ』などの外交官シリーズなども思い出す)。本書でも、その壁の高さは現れている。
 とはいえ、読み味が重苦しいわけではない。その後の鍵となる登場人物である、フィンランドの実業界の大物たちの顔見せを、非常に小物らしい泥棒事件でさりげなく行っているのが巧みだし、出来事と出来事の関係性をテンポよく手繰っていくダフィの捜査の面白さで全く飽きさせない。
 密室殺人も、キャリックファーガス城という実際の名跡を使って行うところが楽しく(検索して写真でも見てみるとワクワクする。まさかこの城門が密室殺人の条件に使われるとは!)、密室状況の検討のリズムと、「謎」-「解決」のシークエンスによって、捜査にメリハリを生んでいる。このあたりの呼吸が実に、この作家は心得ていると感じさせるのだ。
 犯人との手に汗握る対決。ハードボイルドなシーン作り。ノワールとしての不安と熱の噴出。全てがないまぜになったクライマックスの後に訪れる──あの結末。
 まさしく、これまでの最高傑作と称するにふさわしい逸品である。

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 次回作 Police at The Station and They Don’t Look Friendly は早川書房から来年刊行予定だという。ダフィ自身のライフイベントにも大きな変化が起こり(これは本作のラストにも繋がっているので、詳述は控えよう)、そんな中で彼は新たな事件に巻き込まれる。三部作の第二ブロックの最終作にあたる作品なので、また一つの区切りになる作品になるのだろう。本国では、第七作 The Detective Up Late が発売予定となっている。
 更なる高みに登り詰めていく〈ショーン・ダフィ〉シリーズは、これからますます目が離せない。密室殺人という古式ゆかしい題材ですら、プロットを駆動するシークエンスとして取り込み、警察小説、ハードボイルド、ノワール、都市小説として豊饒な物語を展開する作者の才気を、この『レイン・ドッグズ』で味わってほしい。

 令和三年十月

書誌情報

北アイルランドの古城で起きた密室殺人。
警察高官爆殺事件に隠された真相。
〈ショーン・ダフィ〉シリーズ最新作にしてエドガー賞受賞作


■タイトル:『レイン・ドッグズ
■著訳者:エイドリアン・マッキンティ/武藤陽生訳 
■本体定価:1672円(税込)
■発売日:2021年12月16日 
■レーベル:ハヤカワ・ミステリ文庫


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