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今なお続く世界の戦争を貫く、不変の法則とは? 『大戦略論』本文試し読み

ペルシャ戦争から第二次世界大戦、さらにロシアまで。歴史の転換点におけるリーダーの決断を俯瞰することで「不変の法則」を読み解くことは可能か?
ピューリッツァー賞を受賞した冷戦史の権威による、『大戦略論 戦争と外交のコモンセンス』(ジョン・ルイス・ギャディス、村井章子訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)を本文試し読みで公開します(第1章の一部)。今日必要とされる「大戦略=グランド・ストラテジー」とは――

大戦略論 戦争と外交のコモンセンス 早川書房
『大戦略論 戦争と外交のコモンセンス』早川書房

グランド・ストラテジーとは何か

ここで、グランド・ストラテジーが何を意味するのかを説明しておこう。本書の目的に限り、この言葉は、無限になりうる願望と必ず有限の能力とを釣り合わせることを意味する。持てる手段以上のことを望んだら、遅かれ早かれ手段に合わせて目的を縮小しなければならない。手段を増強すればより多くの目的を達成できるかもしれないが、全部は達成できない。

なぜなら、目的は無限になりうるが、手段は無限にはなり得ないからだ。どの時点で折り合いをつけるにせよ、思い描いていた目的を目の前の現実と結びつけなければならない。言い換えれば、現在地から目的地までの道筋をつけなければならない。いかに両者に隔たりがあろうと、自分の置かれた状況で両者を結ぶめどが立たない限り、戦略を立てることはできない。

では、なぜ「グランド」という形容詞が必要なのだろうか。私の考えでは、この言葉は懸かっているものの大きさを表している。学生が20分寝坊したところで、朝食を食べ損ない1時間目を逃すぐらいで人生にさしたる影響はないだろう。だがその日の講義で学んだはずのことが他の科目や試験やさらには学位にも影響しかねないとか、これから就く職業でも役立ったかもしれないと考えるなら、失うものはぐんと大きくなる。

このように、懸かっているものは見方次第で大きくなりうる。だから、国家にはグランド・ストラテジーがあるがふつうの人にはない、と考えるのはまちがいだ。いずれにしても、時間、空間、そして●●●スケールを超えて目的と手段を摺り合わせる必要がある。

とはいえグランド・ストラテジーは伝統的に、戦争の計画や実際の戦闘と結びつけられてきた。それはある意味で当然だと言えるだろう。というのも、最初に記録●●された願望と能力の関係が軍事作戦の遂行にかかわっていたからだ。

ホメロスによれば、長いトロイ戦役で絶望的な瞬間が訪れたとき、名将ネストルはこう語ったという。「われわれはここで、どんな処置をとったらいいか、よく思案しようではないか。もし分別(戦略)が役に立つものならば」。

もっとも、目的と手段を摺り合わせることはトロイ戦役よりずっと前から行なわれていたと考えるべきだろう。おそらくは太古の人々も、狙った獲物をたまたま手元にある手段でどう手に入れるか、頭を悩ませたはずだ。

死後の世界はともかく、現世の人々に共通する願いは、ともかくも生き延びることだった。しかしそれが叶うようになると、衣食住を満足させるという単純なことから、巨大な帝国を支配するという複雑なことにいたるまで、戦略が練られるようになる。

戦略の目標を適切に決めるのは容易ではないが、手段が有限であることがむしろ助けになる。たとえ最終目的が心の平安だとしても、それを達成するには現実の出費や犠牲を迫られるからだ。この事実を直視するなら、目的と手段の調整すなわち戦略が必ず必要になってくる

グランド・ストラテジーは学べるか

では、グランド・ストラテジーを教える●●●ことは可能だろうか。あるいはすくなくとも、グランド・ストラテジーを支える常識を教えることは可能だろうか。

いや、歴代大統領の中で、正規教育という点では最も教育水準の低いリンカーンが自己流の読書や経験の自己評価から必要なことを学べたのなら、私たちも自力で学べるのではあるまいか。だが端的に言ってリンカーンは天才であって、私たちの大半はそうではない。シェイクスピアにも文章指南をした先生はいなかったようだが、もちろんシェイクスピアは天才だ。天才でない人にも先生は必要ないと言い切れるだろうか。

リンカーンやシェイクスピアは、長い時間をかけて大成したことも忘れてはならない。いまの若い人たちはそうではない。教育、職業資格・経験、組織内の昇進や責任ある地位、退職といったことで明確に差別化される社会になっているからだ。

さらに悪いのは、ヘンリー・キッシンジャーがだいぶ前に指摘したとおり、トップに上り詰めた人間はそれまでに蓄えた知的資本をひたすら取り崩すだけになってしまうことである。リンカーンのように、トップになってから何か新しいことを学ぶ時間が、現代ではひどく少なくなっている

となれば、学生がまた勉強に注意を向けられる間に知の形成を促すのは学校の役割ということになる。ところが、教える側の意見が一致していない。目的を手段に釣り合わせるとなれば、歴史に学ぶことと理論を構築することの両方が必要になるはずだが、両者の間には大きな隔たりがある。

歴史家は、事例に特化した調査が結果を生むと知っているので、理論を導き出すための安易な一般化を戒める。だから彼らは複雑さをよしとし、過度な単純化を否定する。一方、理論家は、社会科学者●●●と見られたがっているので、結果の再現性にこだわる。そして予測可能性を高めるべく、複雑さを排除して単純化しようと試みる。

一般的な知識と固有の知識、普遍的な知識と限定的な知識を結びつけることこそが戦略を進化させ成熟させるにもかかわらず、歴史家も理論家も両者の関係を無視しているのである。そしてこの不備を覆い隠そうとするかのように、歴史家も理論家もひどくわかりにくいことを書いている。

だがもっと古い時代には歴史と理論が融合していた。マキアヴェリは『君主論』の献辞の中で、自分の持っているものの中でいちばん価値があるのは「偉大な人々の行動についての認識をおいてほかにない。この知識は、現代の事柄についての長い経験と古代についての不断の研究を通じて会得したものである」と述べている。それを「一巻の小さな書物」にまとめたのは「私(マキアヴェリ)が長い間に幾多の労苦と危険の中で認識したすべての事柄を、殿下(ロレンツォ・デ・メディチ)が短時間で理解できるようにするため」だった。

クラウゼヴィッツは、未完に終わった大著『戦争論』の中で、マキアヴェリの方法論を一段と発展させている。クラウゼヴィッツによれば、歴史というものは、単独では、幾多の物語が長く一続きになったものにすぎない。だからといって役に立たないということではない。理論は歴史から抽出して構築するほかないからだ。

そのように理論が組み立てられる限りにおいて、戦略家は絶えず歴史を振り返る必要性から解放されている。戦場を始めとする危険な場面に臨むときに、そんなことをしている時間はない。かといって、『戦争と平和』の中のピエールのように、戦場で迷子になっても困る。ここで必要になってくるのが訓練である。

よく訓練された兵士が何の準備もない兵士よりよく戦えるのは、言うまでもないことである。とはいえクラウゼヴィッツは「訓練」という言葉で何を意味していたのだろうか。それは、時間と空間を超えて有効な原則に従うことである。そうすれば、過去にうまくいったやり方とうまくいかなかったやり方を峻別する感覚を体得することができる。

その感覚を、今度は目の前の状況に適用すればよい。このとき、原則はスケールを超えて活用されることになる。その結果として計画が策定される。計画は、過去から学び、現在と結びつけ、将来の目的を達成するためのものである。

だが戦闘は、必ずしも計画通りにはいかない。まず、相手の出方次第という面がある。これを元国防長官のドナルド・ラムズフェルドは「既知の未知(known unknowns)」と表現している。これは、大地震など予測できないことが認識されている事象を意味する。だが、それだけではない。「未知の未知(unknown unknowns)」もある。9・11テロのように、起こりうるとは夢にも思っていなかったような事象である。

戦争では、敵と遭遇しないうちに想定外の出来事が起きて窮地に陥ることが十分にあり得る。クラウゼヴィッツはこれらを総合して「摩擦」と呼ぶ。言い換えれば、理論と現実の衝突である。かつてダーダネルス海峡でアルタバノスがクセルクセスに警告したのは、まさに摩擦のことだった。

摩擦に直面したら、臨機応変に対応するしかない。だがそれは、成り行き任せとはちがう。ときには計画に従い、ときには計画を修正し、ときには計画を捨てる。現在地と最終目的地の間に何があろうとも、リンカーンのように、心の磁石は正しく北を指しているはずだ。

そして頭の中には、マキアヴェリのように幾多の労苦と危険の中で学んだ教訓に基づくいくつかの選択肢が浮かび上がってくることだろう。それらを踏まえたうえで、あとは自分の力量次第ということになる。

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本書の内容(一部紹介)

「グランド・ストラテジーとは何か」「ペロポネソス戦争とベトナム戦争」「孫子とオクタウィアヌス」「アウグスティヌスとマキアヴェリ」「エリザベス一世とフェリペ二世」「アメリカ建国の父たち」「トルストイとクラウゼヴィッツ」「最も偉大な大統領 リンカーン」「ウィルソンとルーズベルト」「過去と現在のロシア」(一部抜粋)

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