エレベーター

Q.詩は小説になるか? A.なる、余裕で。──ジェイソン・レナルズ『エレベーター』レビュー〔深緑野分(小説家)〕

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いよいよ本日発売のジェイソン・レナルズ/青木千鶴訳『エレベーター』。詩や歌詞のような文体とレイアウトで臨場感たっぷりに物語が展開する、まったく新しいタイプの小説です。小説家の深緑野分さんによるレビューを公開いたします!


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 Q.詩は小説になるか? A.なる、余裕で。詩は、言葉は、素手で読者の心を殴り、怒りと涙の味を思い出させるから。

エレベーター』(原題Long Way Down)の作者ジェイソン・レナルズは詩人だ。1983年生まれ、ラフな恰好にドレッドヘア、肌には刺青のあるアフリカン・アメリカン。彼は詩で、ある物語を編んだ。

 舞台となる街には、まるでシンボル・フラッグみたいに、いつだってどこかで、警察の立ち入り禁止の黄色いテープが風にはためいている。主人公は兄を殺されたばかりの15歳の少年ウィル。兄貴は母さんのために石鹸を買いに行って、撃たれた。皮膚炎持ちの母さんの石鹸はあれじゃないとだめだから、兄貴は角の店まで行った。やつらの縄張りのエリアに入った。殺ったのはあいつだ。だったら俺は〝掟〟に従わなきゃならない。

(本文より)


 憎悪と復讐の虜になった少年は、亡き兄が部屋に隠し持っていた拳銃をポケットに入れ、8階からエレベーターで1階に向かう。だが、次の7階で思いもよらない人物が乗り込んでくる。煙草の煙が灰色のヴェールのごとく立ちこめる、異常なほどのろのろと降下するエレベーターは、次の階でも、その次の階でも止まり、奇妙な乗客を迎える。

 ついにエレベーターが1階に降りる時、この物語はどこへ到着するのか? 

 少年は取り返しのつかない喪失で心をずたずたに傷つけられ、からっぽになった穴を怒りで埋め、行動を起こす。ウィルの言葉を追うことで読者は痛みとシンクロしていく。そして「少年は〝あちら側〟へ行ってはいけないし、当然ながらそういう展開になる」と思うだろう。少年を縛る〝掟〟にこそ銃弾を撃ち込み、ナイフでばらばらにすべきだと。

 実際そうだ。だがこの作者はそんなに単純でも甘くもない。良心を持つがゆえに〝あちら側〟へ行ってしまう人間の哀しみを書いている。短い言葉の連なりだからこそ主人公の痛みが切実に伝わってくる。

 原書にも目を通してみたが、とても平易でリズミカルな言葉が目に飛び込んできて、胸に響いた。献辞に捧げられた少年院にいる/いた少年少女の手にも届くに違いない。スラムで実際に暮らすアフリカン・アメリカンの子ども、移民、貧しい人々ならよりダイレクトに心に響くだろう。本書はさまざまな賞を受賞したが、きらびやかな名誉ではなく、本当に必要な人たちの手に渡ることこそに、大きな意義があると私は思う。

(本文より)

 近年は世界中でアフリカンのための物語が次々と生まれ、日本でもコルソン・ホワイトヘッドの『地下鉄道』などが翻訳出版され、その刊行点数は多くなっている。硬質な文学からエンターテインメント、児童書にYA――本書では明確に書かれてはいないが、この系譜に連なる作品と見ていいだろう。

 小説だけでなく、映画でも『ブラックパンサー』がアメリカで爆発的な人気となったし、『ムーンライト』はアカデミー賞作品賞を獲得した。排斥主義が目立つ最近の世相には憂鬱になるが、公民権運動から50年以上が経ち、ようやく彼ら自身の物語が日の目を見はじめてもいる。

 特に私は本書を読みながら、『スパイダーマン:スパイダーバース』が脳裏を過ぎった。ピーター・パーカーの跡を継ぎスパイダーマンとなるティーンエイジャーのマイルス・モラレス。マイルスはマンハッタンのビル群を軽やかに駆け、スパイダーマンになれた。ではスーパーヒーローの能力ではなく、拳銃を手にしてしまった本書の主人公ウィルは? 〝ブラック・パワー〟と言われながら、今なお立ちはだかる人種の壁。期待を背負いながら飛べるマイルスと、現実の鬱屈を背負うことで〝掟〟に縛られたウィル。

 私はどうしてもマイルスとウィルの関係性に思いを馳せてしまいながら、作者ジェイソン・レナルズの英語版ウィキペディアを開いてみた。するとなんと彼は、YAノヴェル版『Miles Morales:Spider-Man』を手がけているのがわかった。これは偶然の一致ではないだろう。

ジェイソン・レナルズ(写真:Jati Lindsay)

 レナルズ自身、友人を殺され、犯人の殺害計画を仲間と企てたことがあるという。誰だって〝あちら側〟へ行く可能性を持っている。誰かが忠告したって「冷静に批判してくるやつらは無関心な赤の他人だ」と考え憎悪はますます膨らむばかり。

 だが後になってわかるだろう。もし――もし、あのエレベーターで、最後に残された踏みとどまれる地点で、その銃を手放すことが出来たのなら。自分が手を振り払っても耳を塞いでも、「行くな」と止めてくれる誰かがいてくれたら。やると決めたのに震える足を、恐怖を、わかってくれる誰かがいて、泣いてもいいと言ってくれたら。

 物語は、詩は、すでに何かを見た/見てしまった人物の声を通じて、感情を分け与え、どうすべきかを教えてくれる。レナルズは実体験を経て、言葉たちを紡ぎ、同じ局面に立たされてしまった若者の〝誰か〟になろうとしている。アフリカンだけじゃない、どんな背景を持つ人々もだ。日本にだってこの本に救われる人はいる。

深緑野分(作家)
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ジェイソン・レナルズ/青木千鶴訳『エレベーター
装画:サイトウユウスケ
四六判並製 本体価格1800円+税
2019年8月20日 早川書房より発売

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